5話 悪夢との再会

 そこは、森。

 マーロウの森の奥。夏でも木陰と積もった落ち葉のおかげでここはとりわけ涼しい。枝葉の間から陽光が差し込み、穏やかな場所なのだが……。

 何かがぶつかる鈍い音が二回続いた。音のした方向を見やると麦わら色の髪をした小さな女の子の背に、泥を握って丸めたものを投げつける少年の姿が映る。少年の髪は夕日を閉じ込めたような色で、目元のきつい攻撃的な顔だった。顎は小さく、笑っており、足元の泥を手ですくい上げるとそれを丸めて女の子にぶつけているのだ。女の子は茂みの前でただただ沈黙して少年に泥の塊を投げつけられている。

 

 少年は泥の塊を握っては投げてを繰り返しながらこう言った。

「お前みたいにうじうじした気持ち悪いやつ、誰も相手になんかしねえよ。お前なんかその長い髪にその顔をずっと顔を隠してろよ、不気味な妖精女。なんか言えよ、バカだから口も聞けねえのか、よ!」

 最後に少年が泥の球を投げると、それは女の子の頭にぶつかった。泥は髪に付着した。その様子に少年は満足したのか、高笑いすると森を出て行った。

 女の子は少年が去った後、黙ったまま髪や服についた泥を手で落としていた。彼女の体から泥が落ちて行く度に、彼女の頬を雫が転がっていく。次第に男の子きらい、男の子きらい、きらい……と彼女が呟く声が森にこだましていく。

 

 私はこの光景を知っている。毎年夏休みになるとあの少年はマーロウにやってきて、あの少女を森でいじめるのだ。あの女の子の嫌がる気持ち悪い虫や生き物を手で握って、追いかけ回して森の奥へ誘導するのだ。なんで知ってるかって言えば、あの泥を投げつけられた女の子が私だからだ。

 

 時折、この夢を見る。それは季節や天気、疲労度や前日の幸福度に関係なく寝ている私を苛むのだ。そしてこの夢を見る度に男性から距離を置きたい気持ちが強くなる。

 

 あの少年の名はクライド・バックワーズ。私の二つ年上だった気がする。夏の間、あの目立つ髪の毛が街中で少しでも見えるもんなら私は物陰に隠れた。

 それ以外の季節でも街から資材を運びにきた人の髪色が同じで、心臓が壊れそうなくらい速くなってその場からしばらく動けなくなったことがある。でもってあの瞳。色素の薄い大きな瞳は吊り目で目を合わせただけで睨まれている気がして自分でもどうかしていると思うくらいには怖かった。

 

 外見が人の全てでないのはさすがに、もう、理解している。あの少年も当時は複雑な背景があったのだろうと思う。彼も私が十一歳になる頃にはマーロウに来なくなった。聞いたところによると王都の寄宿生の学校に入ったのだとか。

 

 サニー、と柔らかな低い声が呼ぶ。私は視線を上げた。テーブルの向こう側に座る人を見る。ふさふさの白銀髪に、同じ色をしたふさふさのまつ毛に包まれた柔らかな印象を受ける黒の瞳。普段だったらこんなにじっくり見ないのだが、今は夢の残り香を払拭するために意識して細部まで眺めてしまう。

「体調でも悪いんですか、頭の上に雷雲が乗ってるようなどんよりとした様子ですよ。それとももしや女性として大変な時期なのでしょうか」

 心配してくれるのはありがたい。確かに私は今、テーブルに腕を伸ばし、フォークを握っているのにもかかわらず、目の前に出された朝食を食べられないでいた。

 ディラティがお茶を注ぎながら、エドガーを一瞥した。

「エドガー様、そのようなことをあなたが契りを結んでいない女性に聞くのはいかがかと思いますよ」

 エドガーは侍女頭に言われた言葉を彼にしては時間をかけて理解すると、途端に慌ててすみません、と謝った。

「いえ、あの、ひどく辛そうにしていたので、理由が知りたくて、聞いてしまいました」

 彼が私に、気分を害したのならすみません、と言う姿をディラティがにこにこしながら眺めている。この家の侍女でエドガーに何かと言えるのは、彼女だけだ。

 彼女はエドガーが小さい時から彼に仕える人で、彼の姉のような存在なのだと言う。そりゃ弟のように可愛がっている男が棺の中で安らかに眠っている姿を見せられたら泣くだろう。その深い愛を私にも分けてくれる優しい人だ。ディラティは、私がフォークを握ったままテーブルに突っ伏したのを見て代わりにこう言った。


「サニー様は昨晩うなされていらっしゃいました」

 エドガーはうなされていた? と繰り返す。エドガーは席から立ち上がると、私の席まで歩いてきて私の背をさすった。

「あまり眠れなかったんですね、それは辛い」

 エドガーは理解を示すと、やや間を開けて質問を囁いた。

「悪夢でも見たのでしょうか?」

 私はただこう言った。

「あまり、話したい内容ではないです」

 エドガーは私の耳元にこう囁いた。

 

 サニー、私にも何かさせてください。私はあなたにいろいろと助けてもらっているんです。あなたが苦しい時くらい役に立たせてください、お願いします。

 

 エドガーはしつこかった。

 

 サニー、いずれあなたが私に記憶を見せてくれる時に、私はあなたを悩ませているものを知るんですよ。そんなに悩むのならば早めに私に話してごらんなさい。きっと気持ちが楽になるから。この明敏と称された白ねずみの頭脳をお試しください。あなたのお悩みを必ず解決するとお約束します。今日の朝食はあなた好みにと思って、芋を細く切り刻んだものをオリーブ油で焦がすように炒め、塩で味付けしたものですよ。ほらサニー、塩分ですよ。まずは何か食べてください。食べずには問題に立ち向かえません。

 

 耳元でこしょこしょと囁かれる。


 ……この白ねずみめ。

 

 私が突っ伏したまま挑むように、わかりました、と言うとエドガーはパッと離れた。私は勢い良く起き上がり、フォークを握って朝食を食べることにした。

 

 食事が終わった頃にはエドガーが捻くれていた。

「良いですよ? あなたにこうして実際に会えるまで、たったの十九年待っただけです。生きてればいつか会えるだろうくらいには思っていました! 十分くらい待てないわけがないんですから」

 自称白ねずみは時折こうしておしゃべりになる。誰も聞いていないのに、ぺらぺらと喋るものだから、もしかして今までおしゃべりする相手がいなかったのかと思うことがある。そういう私もそこまでおしゃべりする相手がいた記憶がない。だからこそ相手が貴重に思う。

「でも白ねずみの時間は貴重なんです。なんたって短い命ですからね!」 と言い出した時には流石に私も席を立ち上がった。

 

 目の前の人が短命だろうと長生きしようと、今自分と一緒に時間を過ごしたいと思っている人を無視できるほど私は自分を通せない。この人の休暇は残り二日だ。そう言う意味では確かに短い命かもしれない。

 

 裏庭のオリーブの根元に私たちは座り込んだ。エドガーは折り曲げた膝の上に片手をつくと背を幹に預けた。私はその様子を見ながらどう切り出したものかと思った。



「エドガー、あなただったら人に話せない辛いことをどう消化しているんです?」

「何度も幸せな記憶を反芻するんです。幸せな記憶を思い起こすと、その時の記憶と感情が今の癒しとなるんです。例えその記憶が当時ほどの鮮明さを欠いていても効力はあります」

 

 幸せな記憶。

 

 横にいるエドガーを振り返って、大事だな、と思う。でもあの悪夢をまた見たらと思うと憂鬱だった。

「サニー、話すのが辛いのでしたら、その夢の記憶を私に見せてくれても良いですよ。誰にも喋らないことは保証しますから」

 それを聞いて私はあらぬ方向に考えこんだ。

 エドガーの記憶を、私が全て見せてもらえることはないのだと思う。彼の記憶は彼が好きにするべきだし、彼は軍の人間でもあるからいろいろと他人に言えないこともあるのだろう。そして彼が他人の記憶を見た時に、彼自身が耐えられないと思った記憶もあるのかもしれない。だから彼が私にその記憶を全部見せることは、ない。

 

 寝不足だ。思考が鈍い。

 

 私があくびを手で隠すと、エドガーは眠いですよね、と静かに共感を示した。話すぐらいなら良いかもしれない。


「今日見た夢は忘れた頃になると繰り返し見ているんです」

 それは嫌ですね、とエドガーは私の額にかかった髪をそっと払いのけた。一瞬額に触れられるのかと思った。けれど彼は私の許可なしに魔法で記憶を見るような人ではない。それほどに彼は私の信頼を大切にしている。

 

 この問題は自分だけで解決できるものじゃないのかもしれない。

 私は目を閉じた。

「どうぞ。見てください、信頼しています」

 エドガーの手が私の額に触れた感触がした。手は一秒も触れなかった。彼がしばらく黙っているので私は目を開けた。すると彼は隣にいなかった。気配を殺して私の元を去ったのだ。

 

 私は心の中でエドガーの姿を見たいと願った。大気は私の願いを聞き入れ、彼の姿を映し出した。彼は黒馬の背に乗って、駆け足で進んでいた。私は風に私の声を届けるように願った。私は彼に語りかけた。

「エドガー、なぜ馬に乗っているのですか」

「マーロウのあの少年を家ごと燃やしに行くんです」

 エドガーは冷静そのものな声でそう言った。でもそれ犯罪だよ、軍師殿。

「エドガー、お気持ちは有り難いですが、彼はマーロウにはいません」

 エドガーが馬を引き返すのを見届けると、私の目にはクリアアイズの裏庭が映った。

 

 あー。

 

 たぶんエドガーが帰ってきたらいろいろ聞かれるだろうと私は覚悟する。そう思って視線を上げるともうそこに彼が静かに立っていた。

 

 いつも以上に無表情なのは、彼なりに感情を表に出さないためだろう。

「言いましたよね。この家であなたに害なす者は許さないと」

 例えあなた自身であろうと許しません、と彼は静かすぎる声で言った。

「サニー・ポーター」

 エドガーは続ける。

「私を信頼すると言うのなら、あの少年の名を教えてください」

 あの男が地の果てにいようとも、そこが地獄でも、必ず、見つけ出して、私が、報復します、とエドガーが口から白い息を吐きながら言った。今日がそんなに寒い日ではないことを思うと、彼が感情を隠しきれていないのが理解できた。

 

 たとえ目的地が地獄でも、この人なら目的を成し遂げ帰って来そうだと私は思う。それくらいにこの人は強い意志を持った人だと私は知っている。そしてここまで激怒するくらい私のことを大切に思ってくれているのもわかっていた。だからあの夢の記憶を見せたのは、私のためとは言えど、私をいじめた少年にとっては公平ではなかった。

 

 それでも、私はこの人の好きにさせた方が良いと思った。いずれ、この人が私の記憶を全部見た時、私の記憶に苦痛を見出せば、今と同じことが起きただろう。特に過去であるにもかかわらず、今になっても悩ますこの夢は特に。

「良いですよ、でも条件があります」

 エドガーは私の瞳を何も言わずに見ながら耳をすましている。

「殺さない、です」

 エドガーは何も言わない。

「殴らない、です」

 またしても沈黙が帰ってくる。

「暴力反対、です」

 まだ黙るのならこうだ。

「私は優しいあなたに魅力を感じます」

 エドガーは苦々しい声でわかりました、と言った。私は、その言葉忘れないでくださいよ、とエドガーに念を押す。

「クライド・バックワーズです」

 その名前を聞くとエドガーはほんのわずかに目を見開いた。そして何かを頭の中で算段しているようだった。この人が考えることは私にはわからない。そんなことを考えていると、エドガーが私に提案した。

「サニー、今日は私の職場見学に行きませんか? きっと楽しいですよ」

「職場見学、ですか?」

 ええ、と彼は言った。

「いずれあなたが私の正式な弟子として公になった暁には、軍でその力を行使する日が来るでしょう。あなたが将来大活躍するのはわかりきったことです。しかし早いうちにどんな環境なのか知って、場合によっては弟子という選択肢を蹴って下さっても構いません」

 私はどういうことです、と首を傾げた。

「一応言っておきますが、この国の軍とは男性だけで構成されています。あなたが今日行って、無理だと感じたら私の弟子という立ち位置は断って良いです。あなたにはその権利があります」

 そういうわけで私はエドガーと一緒に外へお出かけすることになった。

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