4話 突然すぎる訪問者
私は裏庭にいた。数分前まで隣にはエドガーがいたのだ。オリーブの木の下で私はぼんやりと庭を眺めていた。この庭には様々な種類のハーブや花が植えられていた。今はもう冬が近いせいもあってほとんどが枯れているけれど。
十分くらい前のことだ。お昼ご飯をいただいた後、エドガーが昨日の現象のことで話したいことがある、と庭に出たのだった。
昨日の現象。
家中の使用人たちに、私たち魔法使いの姿と言葉が見えて聞こえたことだ。
まあこっちに座ってください、と彼はオリーブの木の根元に座って手招いた。私が座ると風が吹き、どこかからひどく緊張した男性の声が聞こえてきた。震えているのを隠しきれていないのに声を張り上げるもんだから、その声は裏返りながら叫んでいた。
〈これは、本日の最重要任務である。命を失ってでもやり遂げる覚悟で成し遂げよ〉
命を失ってでもやり遂げる。なんかすごい覚悟だと思う。私はこの声の持ち主は何をしようとしているのか、どう言う立場なのかと考えだしている自分に気がついて思考を止めた。
私の目の前には私を大切にしてくれている人が、話をしようと時間を割いてくれているのだから。
彼の休暇は今日で四日目だ。一週間の休暇をもらったエドガーだったが、もう四日目なのだ。時間の流れが早くて驚く。
「サニー、昨日のことですが」
エドガーはそう言いかけて、前方にあるつる性の常緑草が絡まる背の高い柵の方へと視線をやった。
私が視線の先を追うと、草花を手でかき分けて軍服姿の男性がひょっこり顔を出し、私たちを好奇の目で見た。私は驚きの目で見返した。
黒い髪を短く刈り込んだ男は、顔立ちが極東地方の出身であることが伺える。胸元に色々な勲章がついていることからおそらくさまざまな功績を残した人なのだろうことがわかる。その軍服を着た男は視線を私に注ぐと、にぃーっと笑いかけてきた。快活で人懐こい印象を受ける。
「どうしたんです、こんなところに顔を出して。休暇中の私の顔を見にくるくらいには暇なんですか?」
エドガーが落胆したのを隠しもせずに黒髪の男に話しかける。
彼が、こういった態度で話しかける相手を、私は自分以外で知らない。と言うことはある程度親しい仲なのだろうと私は憶測する。
相手は私から視線をエドガーに移した。
「お前に忠告しにきたんだよ。今日、お前大変だぞ」
それだけ言うと相手は来た時と同じように突然顔を引っ込めて消えた。
「今の方は?」
「ああ、あれは私の上司、将軍ですよ」
同期で軍に入った仲間です、と男は静かに告げた。
「私にとって無価値な本を貸して燃やされて泣いた人です」
ああ、そうですか。
「親しいんですね」
するとエドガーは珍しく人並みに感情を露わにしてこう言った。
「心外です! あんなのと親しいわけないじゃないですか!」
表情を自分で選んで凍らせている人を、こんなにも人間らしい表情をさせる相手が親しくないはずがない。ましてや、この人を恐れずに関わろうとする稀有な人なのだから。それかエドガーでも引くほどの変わった存在なのかも。
その時暖炉の部屋のガラス戸に老齢の執事が現れて、エドガー様どこですか、と声を張り上げた。
エドガーは、先ほどあいつがわざわざ来たのが気になるんです、と呟く。私に、すぐ戻りますから待っていてください、と言って足早に暖炉の部屋へと向かっていく。その後ろ姿を私はぼんやりと見送った。
休暇だというのに、休めているんだろうか。
私は庭の中を歩くと黄金色の草原の見える場所で足を止めた。ここは傾斜があって開けており、この道の先には両親の住む家がある。両親はどうしているだろうか。元気だろうか。
そんなことをぼんやりと考えていると視界のちょうど先に、白のシャツを緩やかに風にゆらめかせて歩いてくる、肩までの黒髪を風に揺らめかす人物の姿が見えた。その人の姿を見た時、私は禍々しい気持ちが湧き上がるのを感じた。
でも脳裏にエドガーの姿が浮かんで、すぐに深呼吸をする。これだけでもちょっと気持ちが落ち着く。その人は私に向かってまっすぐに歩いている気がする。いや、もしかするとこの家に向かっているのかもしれない。
相手の表情がわかる距離になった時、やはり相手は私に向かって進んでいるのだと感じた。黒い髪は風に流されているだけだと分かっていても、まるで意思を持って動いているように見えた。そしてその髪の間からこちらをじっと見続けている深緑色の瞳。顔立ちを例えるならば大型の猫科の動物のようだった。
正直怖い。
その人が近づくに連れて、その人の身長が軍人であるエドガーと同じくらい高いのが分かって余計にこの場を去りたくなる。けれど私には逃げることも隠れることもできなかった。
その人は私の前に来ると、私を見下ろし無表情に言葉を発した。
「あなたがサニー・ポーターか」
知性の宿った冷静な声だった。
ええ、そうです、と私が頷くと、相手は私の周りをぐるぐると歩き回り始めた。なんだろう、この人、先祖は猛禽類や捕食者だったんだろうか。
もちろん相手が私を品定めしているのは分かっている。でも相手の瞳に宿っているのは悪意ではなかった。どちらかと言えば、そう、好奇心。
気が済んだのか、その人は私の目の前に立つと口を開いた。
「私はダニエル。エドガー・クリアアイズの知人だ」
ダニエルと名乗った相手はそこまで言うと、私の反応を待つかのように黙った。この人が対話において聞く姿勢をとる人なのならば、質問をぶつけた方が良いのだろう。
「私に、どのような御用でしょうか」
相手は私の言葉に頷いた。
「少し、話がしたい」
エドガーが帰ってくる気配はない。私の予定は師である彼が決めていた。だから彼が不在の今、特にやらなくてはいけないこともない。
私がお座りになりますか、と尋ねると相手は自分からオリーブの根元に座った。私は相手からちょっと離れたところに座り込んだ。その様子をダニエルという男は眺め、口元に笑みを浮かべたのを私は見た。
「正直に教えて欲しい。あなたから見たエドガーとはどのように見えるのか」
相手は膝に肘をついてこちらを観察するようにじっと見ていた。深緑色の瞳は微動だにせず、まっすぐに私の表情を見ていた。
正直に、という言葉が引っかかる。
初対面の相手にどこまで心の中を見せて良いのやら。でも相手の眼差しは好奇心と真剣さを混ぜ込んだような光を宿している。
そこからこの人がエドガーにとても心を砕いているのがわかる。
私は差し支えのない範囲で喋り出した。
「エドガーを……尊敬しています。ただ私のことになると判断がおかしくなる人です。でも誠実であろうとしますし、まっすぐな信念を持った方です。嫌なことに立ち向かう忍耐力と、何より私の尊厳を尊重してくださる方です」
私は一度口を閉ざした。それでも相手は私の顔をじっと見ていた。まだ、言う事があるのではないかと待つその姿勢に、私はこの人は何が知りたいのだろう、と思う。緑の瞳には長くて潤沢なまつ毛が影を落としている。他に何かあるだろうか。
「私にとっては、どんなことでも話し会える唯一の友人です」
その言葉を聞くと、相手は口元にまた笑みを浮かべた。しかし瞳は笑っていない。この目の前の人が何を私に求めているのか全くわからない。
「サニー・ポーター」
私は名前を呼ばれて少し縮み上がった。
「この前、エドガーに聞きたいことがあり、会った。その時あいつは首に緑のマフラーを付けていた。あなたはここに来て間もないから知らないだろうが、軍人の規則で目立つ装飾品は控えるようにとされている」
私は頭の中でマフラーを思い浮かべた。鮮やかな深緑色の、模様がたくさん編み込まれているもの。紺色の軍服の上から着れば目立つといえば目立つのかな。
まあ、規則でも守らないやつは普通にいる、とダニエルは別にどうでも良いと付け加える。そいつらがその選択をすることに関して、私は何の意外性も感じない、とまで言ってのけた。だがエドガーは、とダニエルが口を閉ざした。
エドガーは規則を破るような人ではない。
そう言いたいのだろう。
「それはなんだ、と私は問うた。あいつがなんと答えたと思う」
ダニエルの問いに私の脳内でエドガーの姿が思い浮かんだが、目の前の人を前にして彼ならなんと言っただろう、と想像しても見当がつかない。このダニエルと言う人とエドガーの関係を判断できるほどの材料が私にはまだない。
私が答えに困っているとダニエルは声を出して笑い出した。本当に愉快そうに。彼はひとしきり笑うと、すまないと謝った。
「私の弟子がくれたお守りです、これを私から取り上げたいのなら、私を葬らないと手に入りませんよ、もちろん私が生き残りますけどね、だ」
ダニエルは、それが頭脳明敏と称えられた軍師の言う台詞か、と笑った。マフラーをしっかりと手で掴んで、そう言う彼の姿が頭に普通に思い浮かぶ。実に幼い。
「それでそのマフラーについて色々と質問をした。どの角度から何を質問しても、あいつから返ってくる豊かすぎる言葉たちが私に差し出した意味は一つだった」
そこまで言うとダニエルは膝を抱え込んだ。
「いや、いつかこんな日が来るとはわかっていた」
あいつはいい奴だから、とダニエルは囁く。そして視線を私に向けた。その表情はこの人が見せた表情の中で一番穏やかだった。瞳は柔らかに微笑み慈悲深い眼差しを投げかけてくる。口元に微笑を浮かべ、だがその笑みには少しの歪みが一瞬だけ見てとれた。それは泣き出しそうな人が浮かべる歪み。
「あなたが私の想像したような人でなくて安心した」
やはりこの人は私を品定めしていたのだ。エドガーにとって私が害となるか。
エドガーの人を魅了する才能は凄まじいと私は思う。使用人たちにせよ、私にせよ、目の前のダニエルにせよ、共通して言えるのは彼に心底心を砕いてしまうことだった。彼のためになることなら自分から進んで行動したくなってしまうのだ。
この、隣で少しずつ喋る人の心に私は触れた気がした。きっと、この人はエドガーのことを親友のように思っているのだ。
あ。
「もしかして、あなた、国王様ですか?」
男は、さあ? と興味なさげに言って立ち上がった。
「あなたと時間を過ごしたのはダニエルだ」
エドガーに悪かったと伝えてくれ、と彼は呟く。
「また話そうじゃないか、ペリウィンクル」
私は息を呑んだ。
今度はもっと穏便な方法でな、と彼は来た道を颯爽と戻って行った。黄金色の草原をダニエルは堂々としかし優雅に進んでいく。その後ろ姿が小さくなった頃、彼は立ち止まると片腕を宙に掲げた。その手には銀色の塊が握られていた。次の瞬間、広範囲に空気が弾けるような音が響き、緑の煙が空に弧を描く。やや合間あって、街中からまばらに音の違う甲高い笛の音が鳴り出した。数えていなかったけれど少なくとも十回以上の笛の音が鳴った気がする。
一体何が起きているんだろう?
私はしばらく空に浮かぶ緑の弧を描く雲をぼんやりと眺めていた。
すると風に乗って、使用人たちのおかえりなさいませの嵐が聞こえてくる。エドガーが帰ったのだろう。私はオリーブの根元で静かに座っていた。どこを通ったのかわからないが、頭に小枝や葉を付けた泥だらけのエドガーが私の隣にどさっと座った。首にはマフラーが乱雑に巻かれている。
「おかえりなさい」
私の隣に座る人は無言で頷いた。今、もしかして何も話したくない気分なのだろうか。私としては何があったのか非常に聞きたいのだけれど。黙っていると肩に彼が手を置いた。相手の顔を振り返るといつになく真顔な彼がいた。
「あなたが何も質問してこないなんて心配になります」
私はじんわりと笑みを広げながらこう言った。
「そうですか?」
ええ、とエドガーが疲れたように頷く。
「質問していいんですか?」
エドガーは、もう聞いてくださいよ! と叫んだ。私は何があったんです? と彼に聞いた。
家の前で小さな子供が泣いていると使用人から聞かされたエドガー。玄関先に出ると、茶色の巻毛の小さな男の子が泣いていた。その男の子はママ、としかまだ言えない様子だったらしい。そこでエドガーは男の子の額に触れて記憶を見ようとして屈んだところ、後ろから来た何者かにマフラーを取られたのだと言う。相手は黒のニット帽に白いシャツに黒いスラックスを履いており、すぐに捕まえようとした。しかしその姿を追いかけていると脇道から同じ格好をした男たちが次から次へと現れたのだと言う。そして男たちは右に左と動き回り、誰がマフラーを持っているのかエドガーにもわからなくなったのだと言う。
「とにかく走りました」
彼は疲労の滲んだ声で言う。
「追いかけていて埒が明かなくなったので立ち止まりました。冷静になったのが幸いでした。私、魔法の痕跡を見ようと思えば見えるんでした」
そういえば私のあげたマフラーは、エドガーが魔法だらけだと言っていたっけ。
そこからニット帽を被った男たちの悲劇が始まった。エドガーはマフラーに編み込まれた魔法を目印に見つけると、それを持った男に直進したらしい。それに気づいたらしい他のニット帽の男たちはエドガーの前に立ちはだかると彼の脚や腰にしがみついたのだ。エドガーは一人のニット帽を掴みとりその顔を見た。
「その時気づいたんです。この迅速な判断力と臨機応変に動けるやけに統制の取れたニット帽の男たちは、私の直属の部下たちだと」
エドガーは容赦なく相手を掴んでは投げて前進したのだと言う。大気中の水分で男たちの足下を氷で滑らせ、開いた道を通り抜けるとマフラーを抱えて震えている男の襟首を掴んで背負い投げ、石畳に叩きつけたのだと言う。痛かっただろうな。
マフラーを取り返したエドガーが、その後どのように何をしたのかは、本人も言葉にできないのでお話しできません、としか言わなかった。
私は恐る恐る聞いた。
「誰も、死んでませんよね?」
「死んだほうがましだったと、今頃青ざめているのは確かです」
私の休暇もあと数日で終わりますし、と彼はひどく沈んだ声で言う。彼は首を傾けると、私の頭に寄りかけてため息をつく。
「私の休暇を、何だと思ってるんでしょうね」
休み明けにはあいつらの記憶を片っ端から開いて、誰が黒幕なのか吐かせる所存です、と彼は無表情で恐ろしいことを言う。
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