3話 魔法使いたちの対話
エドガーの話が面白くて私は次から次へと質問を重ねた。彼は嫌がることなく次から次へと答えていく。
好きな色は緑。好きな食べ物はチョコレートクッキー。好きな本のジャンルは児童向けファンタジー。逆に嫌いなのはミステリー。理由は軍に呼び出されて犯人の記憶を暴いた瞬間、自分が読むつもりでいた本から着想を得ていたのがわかって、不快だったらしい。ネタバレが嫌な人は嫌だろう。実際に七回もそういう事件に携わったことがあったらしい。
「そういう不快な本はどうします? 捨てます?」
「自分のものなら庭の焼却炉に放り込んで燃やします」
それで彼はふと思い出したようで、一度怒りのあまり知り合いの本を燃やして泣かれたことがあるんです、と付け加えた。
本を燃やす。私には思いもつかない発想だ。
「なぜそんなに怒ったんです?」
「面白い面白いと勧められて少し読んでみたら、女性の姿を男の満足のためだけに描写した本でした」
エドガーは熱を込めて力説し始めた。
「私たち人の記憶は、強い感情と共に経験したことは忘れにくいんです。ほら、衝撃的な出来事ってなかなか忘れないでしょう? 内容によっては記憶に残りすぎて目を閉じるだけで思い出す人もいます。特に女性の身体は見る者を魅了するように設計されているんです。それは本来ならばその女性を愛して愛し返された男だけの特別すぎる秘密です。その女性をより愛するように人を創った方からの贈り物です。それだけが愛だとは思いませんが、だから恥を忍んででも身を削ってでも一人の女性の愛を勝ち得る努力をする価値がそこにあるんです。努力を重ねてやっと自分で手に入れたものなら大切にするでしょう。それを娯楽とするべきではないんです。私の場合、自分の見たままをそのまま魔法で保存された記憶を見返すことができるので、迷惑でしかない」
散々仕事で他人の記憶を見てきた人の言葉は説得力があった。エドガーは両手で頭を抱えた。そしてふと顔を上げた。
「だからあなたの出てくる記憶は私にとってとても特別なんです。私の心が欠けても、あなたの柔らかな記憶が壊れたところから治してくれる」
改めていろんな意味ですごい人に私は巡り会ったのだと実感した。エドガーの話に私はしばらく沈黙した。そしてこの人にとっての私という人間の価値を理解できた気がした。
「それで」
エドガーはこちらを向いてきちんと椅子に座り直すとこう言った。
昨晩? 私はきょとんとしたようだった。エドガーはその反応を見て覚えていないんですか、と呆れていた。
ああ。
思い出した私の淡白な反応を見て、彼はちょっと不機嫌になったようだった。
「サニー」
そんな拗ねた声で呼ばれてもなぁ。
ふと彼の後ろの本棚に視線がいった。題名はストレス対処法、自分でできる心のケア、脳の働き、脳と心、など。この本たちは、彼が自分の心を正常に保とうと抗った証拠なのだ。最初にこの部屋に入った時に小難しそうな本があるなと思ったのは覚えている。でもその時は彼が軍師だからなのだと思っていた。
このエドガーという真面目な人物が、自分に与えられた魔法という力を疎まなかったはずがない。でも彼はその力と彼なりに共存する道を選び続けたのだ。もしそんな努力家な彼が幼い頃からの友達だったら、きっと彼のために自分ができることはないかと考えただろう。ふと彼が友と呼んだ国王を思い出した。それからここの使用人たちも、そうなのかな。
「何を考えているんです?」
私は視線を本棚からエドガーに戻した。
白銀髪を大雑把に刈り込んだ、黒の瞳に首元に緑のマフラーをした私の七つ上の男性。軍師で占星術師であり魔法使い。彼の、私を魅了する力を言葉にするならなんだろうか。努力家で優しさと信念を持っていることだろうか。それとも素直すぎる言葉で会話する力なんだろうか。そのまっすぐな言葉を他人に与える勇気だろうか。
もし彼にその美しい外見がなかったとしても、魔法の力がなかったとしても、経済的な力がなかったとしても、私にとっては人として十分に魅力的に映るのだ。
私はどうだろうか。
そう考えようとしたけれど、目の前のエドガーが目に映った。彼の瞳には私の姿が映っている。もう、それだけで十分な答えになっているような気がした。マーロウの井戸のそばで出会った時から、答えは彼にとって明確だったのだ。私にとっての私が彼の愛に値するかは大事じゃない。それを決めるのは彼なのだ。愛を贈った相手が愛を受け取る選択をするか、なのだ。彼にとって私は十分に魅力的なのだ。
「サニー? 大丈夫ですか?」
「ええ、ええ。聞いています。いずれ私の記憶を全て見せることになった時の話ですよね?」
エドガーは椅子から立ち上がった。そしてやたらに私の心配をし出した。
「本当に大丈夫ですか? 頭おかしくなったんですか? 正気ですか? 悪い魔法使いに洗脳されてませんか?」
「どこのどんな魔法使いが私を洗脳して得するんですか」
私を洗脳して得するとしたら、今この世であなたくらいでしょう? と言えば、彼は肩をすくめた。私の性格的に洗脳は得意じゃないです、と彼は小さな声で言うと、こう続けた。
「私でもあなたを洗脳するのは……無理かと」
「なんでです?」
「あなたの力は膨大です。私があなたの承諾なしに魔法であなたに危害を加えようとしたら、おそらく返り討ちに合うかと」
国王軍最強の軍師が取った弟子は強かで、屈強明敏な軍師を手荒くあしらい平然と生きていられる鋼の精神を持つ恐ろしい魔女、という噂はある意味真実なのかもしれない。ただ恐ろしい魔女にだけは、ならないように注意しよう。
エドガーが、両手を組んでこちらを伺うように見た。
「あなたからそう言ってもらえただけで私の気持ちは満足です。そこでひとつ、お願いがあります」
嫌だったら断ってください、と彼は小さな声で付け加えた。
「抱きしめてもらえませんか、今、心が決壊しそうなんです」
記憶を見せる、というのがなぜそんなにも喜ばしいことなのか私には今ひとつ理解できなかった。どうも、彼にとっては違う意味を持っているように察する。しかし暴走しそうなんだろうな、と私は察した。
「いいですよ」
私は彼を椅子に座るように促すと、後ろから彼を抱きしめた。私が贈ったマフラーからみずみずしい香草の香りがする。思わずその香りを吸い込む。
「いい香りですね」
「でしょう? 私の宝物です。私が死んだ時はこの首に着けたまま葬儀して欲しいです」
縁起でもないけれど、頭の中で棺に安らかで幸せそうな顔で横たわる彼の姿が想像できた。そして時間が経ってもこのマフラーだけが棺の中で朽ちることなく残るのだ。実際に起きてないのに、想像しただけで心に穴が開きそうだ。
エドガーは、はっと息を吸った。
「サニー、今私が死んだ姿を想像したでしょう」
私は驚いた。
「どうしてわかったんです」
彼はまた短く息を吸い込んだ。
「あなたの涙が私の首を濡らしているんです」
私はまた驚いた。確かに頬を涙が伝っているのだ。
「す、すみません」
慌てて私が離れようとすると、彼は私の腕を手でそっと掴んで抑えた。
「あなたが想像しただけで泣くほど、私に心を寄せてくれていたのだとしたら、私の人生は報われたようなものです」
その言葉を聞いて余計に涙が込み上げてきた。エドガーがまた短く息を吸いこんだ音がした。
ふと、私の腕が湿ったのを感じた。水滴がまたぱた、ぱた、と腕に落ちてくる。
エドガーが呻いた。
「泣かさないでくださいよ、我慢してたのに!」
「一緒に瞑想でもしますか」
「もう遅いです。泣かせてください」
ふと、図書室の扉の向こう側ですすり泣くような物音がした。エドガーは私の腕を軽く叩いて解放するように促した。彼は立ち上がると涙を拭って音もなく図書室の扉を開けた。すると使用人たちがそこに立っていて、皆が涙をこぼしていた。
「……なぜ皆、そこで泣いているんです」
主人の質問に誰も答えない。
ディラティがぼろぼろと涙をこぼしながら、口を開いては閉じてを繰り返してやっとのことでこう言った。
「申し訳ありません。盗み聞きするつもりは誰もございませんでした。しかし私たちの耳にサニー様が良い香りだと仰ったのが聞こえたその時から、私たちの耳に目に、お二方の様子が鮮明に届いたのです」
それで私たちは不思議に思ってここへ集まりました、と若き侍女頭が口を片手で押さえて堪えきれなくなったように背を向けて使用人たちの間を通って行った。その言葉を引き継ぐようにして老齢の執事が静かに涙をこぼしながら口を開いた。
「すると安らかで幸せそうに棺の中で眠るエドガー様のお姿が、私たちの頭の中に雪崩のように流れ込んできたのです」
そこから続くお二方の会話に、私たちはひとりまたひとりと涙を流さずにはいられなくなったのです、と締めくくる。エドガーは私を振り返るとまた使用人たちを見渡した。そしてひとり納得したようにああ、とだけ呟いた。彼の瞳には光が動き回っていた。何が見えているのだろうか。
エドガーは使用人たちを見渡すとこう告げた。
「皆は何も悪くありません、私たち魔法使いの不手際です」
彼は続けた。
「もし叶うならば、皆が知ったことを心の中にそっと閉まって欲しい」
頼みます、そう彼が言うと使用人たちは口々に、はい、と頷いて応えた。
「これからもどうか頼みます」
主人の言葉を聞いた使用人たちは感情の波が引いたのか切り替えたのか、皆泣き止んで主人にお辞儀するとそれぞれ仕事へ戻って行った。
エドガーは図書室の扉を再び閉めるとこちらを向いて何度か瞬きした。そしてサニー、と私を呼ぶ。私が彼の顔を見上げると、彼はまた瞬きをした。
「今の自分で良かったと思うのは初めてかもしれません。私があなたに軽はずみに何もしなくて本当に良かった! していたら皆に見られていましたから」
私は、私があなたを抱きしめたのは見られても良かったんですか、と問いたくなる。でも考えてみれば、彼を心底敬愛してやまない使用人たちは、彼が幸せそうなら彼を抱きしめているのが私だろうとクラーケンだろうと気に止めないのだろう。クラーケンは言い過ぎかもしれないが、彼は水辺では最強だと自負していたから助けに行ったほうがお荷物になるのか。
私はいつもの調子で軽口を叩いた。
「安心しました。恥じる心をきちんとお持ちだったんですね」
すると自分の記憶を熟知した魔法使いは微笑んだ。
「恥じることなんて、私にはないですけどね」
Closed.
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。