3話 魔法使いたちの対話
私は図書室にいた。手元には一冊の本を置いて。その本は小説ではなかった。目次を開いて目当ての項目を見つけると、迷わずにそのページを開く。そこに目を通して私は少し驚いた。同時に彼への質問がどんどんと湧いてくる。
早く来ないかな。
こんなにも誰かを待ち望んだことはないと思う。父以外で親しく感じる男性はいなかったし、言いたいことを好きなだけ言い合えるという意味では初めての存在だった。
図書室には本が並ぶ棚が部屋のほぼ前面にあった。入り口から正面の棚の中央に置き時計が置かれている。秒針が音を立てる度に気持ちが強くなってゆく。
昨日、図書室で話した後、私たちはそれぞれ自分の部屋に戻った。私は部屋の扉の前でエドガーの姿を追っていた。彼が私の部屋からずっと離れた部屋にいるのを知った。彼は扉に手をかけると、私の方を見た。眠いのか、何も言わずに部屋へ入って行った。私はさっさと寝床に入ると少しかじかんだ手や足の指を温めた。
陽の光が部屋に差し込んで来ると私は寝床を滑り出た。部屋の扉が叩かれ、ディラティたち侍女がやってきて私に挨拶をする。
「お腹が空いたでしょう、昨日はお昼と夕食を召し上がっていませんから、多めにご用意いたしますね」
ディラティがいつも通り微笑を浮かべながら私に告げた。気がつけば私の着替えは終わっており、髪も編み込まれて整っていた。相変わらず手際の良い人たちだと思う。
階段を降りていくと暖炉の部屋が目に入る。今日はそこまで寒くないせいなのか暖炉に火は見えなかった。やはり昨日の雪はエドガーの魔法だったのだ。街中の様子は窓からしか見ていないけれど、雪は街中に積もっていた気がする。しかし今日には跡形もなく溶けていた。なるほど都会っ子にとって雪は楽しいのかもしれない。雪かきしなくても良いのだから。
私が朝食をしっかりといただいた頃にエドガーがやってきた。テーブルと私の顔を見ている彼は、慌てているのが雰囲気でわかった。でもなんで軍服を着ているんだろう? しかも、マフラーまで巻いて。
「すみません、寝過ごしました。あの、サニー、先に図書室で待っていてください」
すぐ戻りますから、と言って彼は家を出て行った。
今って、休暇中じゃなかったの?
それで私は言われた通り、図書室で待っていた。本棚に並ぶ本の背表紙を一冊ずつ眺めてまわっていたのだった。そこで一冊の本を見つけて手に取った。マーロウにいた頃の私だったら手も伸びなかっただろう種類の本。図鑑だ。そこには物語りがない。でも今は目的があるからこそ手に取った。
まあ、それは良いとして。
図書室の扉が勢いよく開いた。白金の髪から首筋にかけて光っているのは汗だろうか。今は比較的過ごしやすい秋だが、走れば汗もかくだろう。
彼は私の視線を感じたのか軍服の上着を脱いで、首元をタオルで拭き取った。白いシャツも少し濡れている、かと思えば彼は手で服を払うような仕草をした。すると服は水気を失った。
水の魔法が使えるって便利だなぁ。もちろん便利であるからこそ大変なんだろうけれど。
彼は軍服を部屋の隅に投げ捨てた。それ大事な仕事着では、と思うけれど彼にとって別に大したことじゃないのだろう。彼は無言で私の隣の席に座ると背もたれに身を預けた。それから姿勢を正すと、私に向き直った。
「遅くなってすみません。国王に呼び出されたんです。あいつ私が休暇中だってわかってて呼び出したんですよ」
ひどくないですか? と彼はいう。
「国王をあいつ呼ばわりするのって不敬に当たるんじゃ」
エドガーは一瞬黙った。これは彼のムッとした顔だ。
「では私は国王軍の軍師なのですが……あなたは敬ってくれるんですか」
「良いですよ、あなたが軍師だろうと頭のおかしい占星術師だろうと敬いますよ。でもそれは私があなたにこうやって軽口叩くのを控えるということです」
それを聞いてエドガーは手を唇に当てた。おそらく彼の頭の中では計算しているのだろう。どちらが自分にとって価値があるのか。
「今のままでお願いします」
真面目な顔で頼まれるのに一分もかからなかった。エドガーはため息をついた。
「誤解を解くために言いますが、国王は私の幼い頃からの友です」
「なぜ呼ばれたのでしょうか?」
ああ、と彼は視線を本棚に飛ばした。
「噂を確かめたかったそうです」
噂。
「どんな噂です?」
彼は本棚から私の顔に視線を移すとペラペラと一気に話し出した。
「国王軍最強の軍師が取った弟子は強かで、屈強明敏な軍師を手荒くあしらい、平然と生きていられる鋼の精神を持つ恐ろしい魔女だと」
は?
私は今しがた言われたことを頭の中でもう一度理解できるように頭で考えた。やっと理解できた頃には私は憤慨していた。
「誰が言い出したんです?」
エドガーは、まあ心当たりはあります、と言った。ふとこの家に来た軍人たちの姿が思い浮かんだ。図書室の前と、裏庭で。
「その噂が軍から国王の耳にまで届いたらしく、それで呼ばれたんです。まあ確かに私と普通に会話できる相手は、周りから見たら少ないかもしれません」
なんか嫌だな。この家の外に出れない。
「それで国王に、どのようにあなたは答えたんです?」
「誤解だと言いました」
私はホッとした。
「私が弟子に惚れ込んでいるので自由にさせているだけだと言ったら、真面目に心配されました。魔法でもかけられてはいないかと」
そりゃ国王じゃなくてもそう思うだろう! 真面目にこの家の外に出れないのではないか? 私が顔を青くしていると彼はわずかに微笑んだ。
「大丈夫ですよ。国王も私も心を操れる魔法が存在しないことを知っています。それに国王は私という人間をよく理解しています。私がこの国で穏やかに暮らせるために国王になる道を進んで選んでくれた人ですから」
彼が人に恵まれたのだと思うと何故か少し安堵した。
エドガーは机の上に開かれた本に気がついた。手で本を引き寄せると、開かれたページを見て閉口した。植物図鑑のペリウィンクルのページだ。私は彼の姿を見て思い出す。
「私のことをペリウィンクルって呼んでいたんですね」
「ええ。単純にこの花の名前だと知っていたからでした」
でも、と彼は続ける。
「花言葉が、幸せな記憶、生涯の友情だとは全く知りませんでした」
しばらくして、あれ? と彼は首を傾げた。
「私、あなたのことをそう呼んでいたとは、まだお伝えしていないはずでは?」
確認するように聞かれて私はぎこちなく頷いた。エドガーは図鑑をパタンと閉じると、その本を元の場所に戻しに行った。彼は本棚から離れると、椅子に座っている私の横にかがみ込んで、両手を祈るように組んで私の顔を覗き込んだ。
「サニー教えてください、どうして知っているんです?」
彼の、黒い瞳が実に上手に訴えている。この人、体が大きいのに、こうやって縮こまると本当につぶらな瞳のねずみに見えなくもない。私はその瞳に負けた。
「……昨日眠すぎて寝たら、夢を見たんですよ。独房の囚人の記憶を見て苦しみ耐えるあなたの姿を」
「私があなたの夢に出てきたんですか……!」
相手の嬉しそうな反応に私はついていけない。彼は微弱な感情を無表情の下に仕舞い込むと、真面目にこう言った。
「サニーが私のことを夢で見てくれるのは大変嬉しいですが、夢の内容が現実でないことを願います」
それが現実なら、と彼は言葉を切った。
「私はどうやってでも魔法を滅ぼす方法を見つけて実行します」
そう、恐ろしく冷徹な表情で宣言した男に私は声をかけた。
「今日は私の質問攻撃に耐えてくれる日じゃなかったんですか」
あなたと他愛のない話をしたくてここにいるんですよ、と告げると相手は態度を和らげた。そして私の隣の椅子に座り直すと、どうぞ、と言った。
「じゃあ一番最初に読んだ本の名は?」
「猫とバイオリン、ですね」
その本なら私も知っている。字が読めるようになったら読むような挿絵のついた程よく短い子供向けの本だ。おそらく彼のおばあ様が寄贈した本なのだろう。次の質問。
「本を読もうと思ったきっかけは?」
エドガーは首の後ろを片手でさすった。
「……必要に迫られて、でしょうか? うちは祖父の時代から軍人で、どうしても教養が求められていたんでしょうね。でも私は泥の中を平気で転げ回るようないたずらっ子だったので、本を読むのが嫌いだったんです。そこで祖母が私を膝の上に乗せて本を読み聞かせてくれたのがきっかけですね」
目の前の表情の乏しい人が、泥の中を転げ回っている姿を想像したけれど、違和感しかない。いや、彼にも子供時代はあったのだ。大人の彼が泥の中を転げ回ったのを想像すれば奇妙なのは当然だ。私は想像した映像を頭の中から追い払った。次の質問。
「私のことを初めて目にしたのはいつです?」
「八歳の誕生日の次の日でした」
私は頭の中で計算した。私が一歳くらいの時だ。
「祖父母の家の側にあるネリダの森で五匹の野犬に追われたんです。辺りを見渡せば、方向も自分のいる場所もわからなくなって。でも名前を呼ばれた気がして振り向いたら、森の中に緑の服を着た今とほとんど変わらない姿のあなたが立っていて。駆け寄ったらあなたは私の名前をもう一度呼んでひとつの方向を指さしたんです。家はあっちですよ、と」
今の話を想像して私は少し鳥肌がたった。幼い子供の適応力のしなやかさに驚かされる。知らない人の言葉を信じて帰れたのだと思うとすごく幸運だと思った。
「その時です。私があなたに一目惚れしたのは」
「今の話のどこにそんな要素があったんですか」
「ネリダの森に入ったことありますか? あの森は昔から妖精や神秘的な存在が棲まう場所として有名なのですが、とてものどかできれいな場所です。でも野犬に襲われて迷子になった恐怖に落ちたんですよ? そこへ透き通るような肌をした薄茶色の髪の素敵な女性が、柔らかな笑みで親しみを宿した薄茶色の瞳で、現れて助けてくれたんですよ?」
一目惚れしない理由がありますか? と彼は力説した。
「年上が好きだったんですか」
「そうじゃないです」
彼は切り捨てるように言った。私はふと疑問に思う。
「でもそんな神秘的な森で何をしていたんです?」
「シャベルで土を掘って落とし穴を作っていました」
私は思わず吹き出した。神秘的な森で穴を掘って満足げな彼の姿が思い浮かんだ。でもその後野犬に追い回された上に迷子になった彼は何を思っただろう。
彼はその時のことを思い起こしているのか、遠くをぼんやりと見つめていた。
「八歳になったのが嬉しくて浮かれていたんでしょうね」
八歳になるというのはこの国では少し特別なことなのだ。善悪を自分だけで判断できる年齢ということで、少しだけ大人になったと親が信頼してくれる年齢。家庭によって祝い方は様々だが、大体の家庭が子供がその年まで生きられたこと、そしてそれから先の幸せを願って祝うのだ。
「ネリダの森にはペリウィンクルがあちらこちらに生えていて。祖母に名前を教えてもらいました」
それで私をペリウィンクルと呼んだのか。
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