2話 雪の日と足りない睡眠
朝、ディラティの囁き声で目覚めた。
「サニー様、サニー様。起きてください。ささ」
「ディラティ……おはようございます」
「サニー様、毛布にくるまったまま寝ていては、起きたことにはなりませんよ」
この寝床、寝心地良すぎるんだよね。
けれどディラティが容赦なく布団をひっぺがし、侍女たちによって服を着せられた。髪もいつの間にか整っているからこの侍女たちの仕事は手早くて賞賛に値する。自分で服ぐらい着れるけどね。
私はまだ眠いまなこを手でこすった。目が開いてまだ外がほんのりと暗いのがわかった。
「ディラティ? なんで起こしてくださったんです?」
ディラティたち侍女はにっこり微笑んだ。この家の人たちは優しくて、親しみやすくて、良い人たちなのだ。だが、彼女たちが忠実に忠誠を誓って仕えているのは私ではない。
「エドガー様がお呼びです」
そう、私の魔法の師。
エドガーだ。
私は眠くてぼーっとする頭でそのまま部屋を出て、階段を降りていった。階段を降りると目の前に暖炉のある部屋がある。暖炉には炎がゆらめいていて、その前に木のテーブルが置かれている。そのテーブルを囲むようにしてソファが三方向に配置され、真ん中のソファには既に座っている人がいた。こちらに背を向け、手にはいつも通り書類を持っている。首には緑のマフラーを巻いていた。
「エドガー、おはようございます。朝早くから何のご用です?」
私はまだ眠くて瞼が重くてあくびを噛み殺した。
「まあ、隣に座ってください」
相手はいつも通り、淡々と命令する。眠くて逆らう気力のない私は言われた通り隣に座った。眠くて目をしばたかせた。
その合間に、エドガーがこちらを観察しているのが見えた。無表情な顔に現れた微弱な変化を読み取るに、なんだか楽しそうだった。眠そうな私を見るのがそんなに楽しいのか。
「眠くて辛そうですね」
と、言うと彼は私の手を取った。
「外へ出て目を覚ましましょう」
この人やっぱり昨日から頭おかしいんだよ。私は暖炉の部屋から庭に連れ出された。
「寒い」
目を開けると庭中を雪が覆っていた。そうか、昨日降った雪が積もったのだ。マーロウでは冬になれば毎年雪が降るのでそんなに珍しくもない。
ただ寒い。
でも隣にいるこの軍人が浮き足立っているのは、隣にいるだけで伝わってくる。
「瞑想しないんですか。感情を制御する必要はないんですか」
私が感情の下がった声で言うとエドガーは私を振り返る。
「雪が降ったんですよ。それだけで幸せになりませんか」
「なりません。寒いだけです」
すると彼が一人でぶつぶつと語り始めた。横でそれを聞いていると分かったことがある。
王都で雪が降るのは珍しいことらしい。降っても積もることはなく、街中だとすぐに馬車や人の足に踏まれて泥水になってしまうらしい。なるほど、この雪というのは彼にとって幸せの象徴らしかった。
エドガーは無言で誰にも踏まれていないまっさらな雪を踏みしめて、何か考えているようだった。私はハッとした。
まさか私がディラティに起こされたのは、エドガーが雪で遊びたいから付き合えということなのか。そうなのか!?
ふと自分の服を見てみれば、いつになく厚着だった。
まっさらな雪を最初に踏み締める幸せを、雪を愛する自分たちの主人に贈りたいという気持ちはわからなくもない。しかし彼らはエドガーが大切すぎて、私という個人の気持ちを時折無視する。使用人たちに言いたい。
どんだけご主人様が好きなんだ。
「サニー」
名前を呼ばれて、私は我に返った。視線を上げると、エドガーはいつもの落ち着いた表情でこちらを見ていた。首に巻いたマフラーに手で触れると、もう片方の手で私を手招いた。私は素直に歩み寄る。一歩進むごとに雪が足の下で沈む感覚を覚える。それだけで寒い。
「サニー、あなたの魔法がどういうものなのか、知りたくないですか?」
聞きますか、と言うので私は頷いた。
「昔、王都に一人の偉大な魔法使いがいました。彼は全ての魔法を扱える人でした。彼は未来を見て、遠くない先、王が自分を裏切ることを知りました。そこで彼は自分の四人の子供たちに贈り物をしました。一番上の娘には風の力を。二番目の娘には水の力を。三番目の娘には大地の力を。そして末の息子には火の力を渡しました。魔法使いは、子供たちに魔法を譲り渡すと、彼らをこっそり王都から抜け出せるように計画を練り、それを実行したのです」
私はいつの間にか話者の語る物語の中に引き込まれていた。
「魔法使いが子供たちに譲り渡したのは魔法の力だけではありませんでした。彼の記憶を、心を、それぞれの子供の性格に合わせて渡しました。一番上の娘は責任感が強く、彼女には自由を満喫する力を。二番目の娘はお喋りが得意でないので人に気持ちを伝える力を。三番目の娘は人を喜ばせる才能があったので贈り物を見つけ与える力を。そして末の息子は優しく正義感があったので人を守る力を贈りました。これらの力は親から子への贈り物でした」
話者はそこまで語ると瞬きをした。彼のまつ毛に乗った粉雪が、上下するのが面白い。エドガーはしばらく私の目を見ていた。
「魔法を授かる条件ですが、まず魔法使いの血が入っていることが前提です。それから最初の魔法使いの子供達が過ごした土地で生まれること。それからその土地で十分な魔力を蓄えること。そして最初に力を受け継いだ子供に選ばれること」
エドガーは私の目を見ながらとろんとした目をした。この人、今になって眠いのだろうか。私がどんだけ早くに叩き起こされたのかわかっているんだろうか。怒っていいですか。
「魔法を始めて使った時、聞き覚えのない声に何か言われませんでしたか? あの声が魔法使いの子供の声なんです」
「じゃあ私が聞いた、『私の力を受け継ぎし者よ、喜べ、あなたは風の魔女。大気はあなたが望めば従うだろう』って言ったのが一番上の娘さんの声なんですね?」
エドガーは頷いた。
「よく言われた内容を覚えていましたね。私は自分の記憶を遡って記録しましたよ」
いや、普通の人は記憶をあなたみたいに見れない。
「エドガーに声はなんて告げたんです?」
「私の場合は、『私の力を受け継ぎし者よ、悩み生きよ。お前は水の魔法使い。全ての水はお前に従い、望めば姿を変えるだろう』でした」
「悩み生きよ、ですか。まあ、自分の記憶だけでも葛藤するのに、他人の記憶まで見てしまったら悩みますよね……」
「サニー」
エドガーに名前を呼ばれ、なんです、と返せば
「ありがとう」
と返ってきた。
エドガーは話の続きをすることにしたようだった。
「解せないのは、なぜ魔法使いの子供たちは何世代にも渡ってまで力を譲渡するのか、です。例えば、それが父親から譲り渡された大切なものだからなのか。でも力を存続する理由は何なのか。自分と同じ苦しみを他人に理解して欲しいからなのか。でもその一方で、火の魔法の記録は最初しか残っていないんです」
「燃やしちゃったんじゃないですか?」
「サニー。面白いこと言いますね。魔法を扱う者が直に筆を握って書いたり、手で作ったりすると、そこには魔法が宿ります。だからその記録も残ります。形や状態が変わらない、つまり燃えないんです」
「そのマフラーも?」
何気なくエドガーの首元を指さすと、彼はサッと後退した。
「何を考えてるんですか? 頭おかしいんじゃないですか」
失礼ながら、あなたにだけは言われたくない。
「あなたなら好奇心からこれを燃やしそうだと」
私は疲れて、暖炉の部屋へと続くガラス戸の方へと足を引きずって進んだ。あげたものを気に入って大事にしてくれるなら、もうなんでもいい。
私は普通の農民だ。多少体力はあっても寒さへの耐性はない。だがあの軍人は、見た目の通り身体が氷でできているに違いない。雪が降るような気候でも平気なんだろう。
ガラス戸の前に来て暖炉の灯りが見えた。早くあの炎にあたって温もりたい。しかしガラス戸が開かない。扉を開けようとして自分の手を見たら、可愛らしいミトンで覆われていた。外せばいいのだが、もう眠くて寒くて気力が出ない。私がその場に膝をついていると後ろからざっ、ざっと足音が聞こえた。
「この扉は押しても開きませんよ」
エドガーはそういうと私を抱き上げて扉の前から横に退かし、扉を引いてみせた。
朝食は私の希望でオートミールに塩気の強い野菜スープをかけたものだ。寒い日には暖かいものが美味しい。
家に入るなり、私は侍女たちに抱えられて部屋へ連れて行かれ、暖かい服に着替えさせられた。でも体が辛くて動けないでいると、ディラティが部屋にエドガーを連れてきた。彼はベッドで震える私を見下ろしたかと思えば、小さくため息をついた。
何が食べたいですか? と聞かれたからニンニク、セロリ、ニンジン、キャベツ、トマトで作ったスープにオートミールを入れて食べたい、と伝えた。これは私の家で寒い日に食べる定番料理のひとつ。
食事は私の部屋で食べることになり、なぜかエドガーも一緒に食べることになっていた。私が食事を一生懸命食べていると、エドガーはこちらをじっと見ていた。
「まるで吹雪の中、家に入れないでいる子猫のようでした」
頭の中に、その光景が勝手に想像された。
冷たい風と雪が吹き付ける寒い中、扉を開けようとしているのに小さな前足で扉を引っ掻いても扉が開かない。家の中にいる飼い主も扉を引っ掻く小さな音に気が付かない。実に可哀想な光景だ。だが、何の話だろうか。
視線を上げるとエドガーは匙でオートミールを口に運ぶと微弱に目を見開いて視線を落としたところだった。
「これ美味しいですね」
「田舎庶民の世界へようこそ」
それだけ言うと私は皿の中にある食べ物に集中した。なんとなくだが、目の前にいる魔法使いの視線が注がれているような気がする。そしてこんな言葉が降り注いできた。
「恋愛小説で言えば、好きになった相手が別の相手に夢中なのを見て辛いとか」
それは辛い話だ。主人公がもう不憫でもあり、なぜこの主人公はこの人を好きになったんだろう、そしてなぜ好きでい続けられるのだろう、なぜ自分を苦しめる選択を続けてまで相手の愛を勝ち得たいのだろうか。まあそれが好きという感情の持つ恐ろしい側面なんだろうとは想像するけれど。
「サニー、質問です。あなたはこれまで家族以外の誰かに好きだと言われたことがありますか?」
私は顔をあげた。
「ないです」
エドガーは首を傾げた。
「小説をたくさん読む人は他人の気持ちを思い計る能力がそうでない人より高くなる傾向があるそうです。つまり対話が上手なんです」
そんな対話が上手な人が、人に好かれないはずがないと思っただけです、とエドガーは唇を少し舐めた。
マーロウにいた頃のことを思い出してみる。
確かに本を読みだしてから周りに寄ってくる人間の種類は変わったような気もする。あからさまにふざけたりする人は去った。私に話を聞いてほしいと言ってきた人もいた。私の真似をして本を読みだす人もいた。
私が何も言わないのでエドガーは口を開いた。
「じゃあ質問を変えます。あなたに声をかけたものの、会話が続かなくてその場を去って行った男どもは何人くらいいましたか」
ああ、それならぼんやりとだがわかる。話しかけてきたのは向こうなのに、私が返事をするとみんな答えに詰まって会話が続かないのだ。
「五人、くらい?」
エドガーが匙を手から滑り落とした。
「記憶から消すお手伝いをしましょうか」
「そんなこともできるんですか?」
「できますが、あなたにはしたくないです」
自分から聞いておいて、何を言ってるんだこの人は。
「その時のことを思い浮かべてもらって、そこに魔法で激しい負荷をかける。高確率でその記憶は消えますが、同時に他の記憶も所々消えますし、負荷が強すぎるので精神的に人として成り立たなくなる場合がほとんどです」
やはりこの人は軍人なのだと思う。私の知らない世界だ。ああ、悪い癖だ、そう思いながらも質問せずにはいられない。
「どうやって敵に特定の記憶のことを思い浮かべさせるんです?」
エドガーは私の瞳を見ながら口を開きかけてやめた。目を無理やりそらすと、代わりにこう言った。
「好奇心は九つの魂がある猫でも殺すんですよ」
私が空になった皿に匙を置くと、ディラティたち侍女が皿を片付け始めた。
「また猫ですか」
「そっくりです。好奇心旺盛で弱い者いじめを平気で楽しんでする」
さっきも猫の話をしていた、と思い返すと、今回は彼が私のことを言っているのだと理解できた。だが心外だ。
「何ですって?! 私がいつ弱い者いじめを楽しんだって言うんです?」
「いたいけな白ねずみが抵抗できないのをわかっていて、好奇心で質問という攻撃を浴びせてズタボロにしてくるんですよ」
誰がいたいけな白ねずみだって?
束の間、本当にズタボロにして跡形もなく食べてやろうかと思った。けれどそれはこの家にいる使用人たちを悲しませるだけでなく、彼らが職を失う事にもつながる。それは避けたい。
私はため息をついた。
「猫、お嫌いなんですね」
「いえ、その逆です。その白ねずみはその猫に食べられても幸せなんです」
話が段々とこじれてきた気がする。
「その猫の血となり肉となってでも一緒にいたいんです」
私のできる返事はこの一言に尽きた。
「そうですか」
この目の前の軍人は、今まで熱心に私と会話していたけれど、始終凍てついた表情を崩すことはなかった。崩したとすれば、朝食を食べた最初の一口の時だけだ。
「さ、勉強しましょう」
そう言うとエドガーはさっさと私の部屋を出て行った。
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