2章 休暇編
1話 修行開始
父と母はクリアアイズの館から徒歩十五分くらいのところに住んでいる。裏庭の傾斜をそのまま転がり進めば、父と母の畑付きの家があるのだ。二人はそこで続けて農家をすることになった。
今朝、父と母をその家に残して私たちは別れた。別れ際に父がエドガーにしきりに感謝を連発し、母が私を抱きしめてなかなか離さなかったのを除けば、全てはすんなりいったのかな。
そして私はエドガーを師とする道を選んだ。
この魔法という力を制御できなければ私はまた人を殺めてしまう可能性がある。
だから私は無表情の下に感情を閉じ込めた人についていくことに決めた。私が私として生きていくためにも。
「それにしてもよくあんな良い物件をすぐ見つけられましたね」
私の感想に、書類を読みながら茶器で茶を飲む男が、片眉をわずかに上げた。休暇なので軍服ではなく麻布のゆったりとした服を着ている。相変わらず冬を宿した表情は何を考えているのかわからない。私たちは今、早めのお昼を共に食べている。
「すぐ?」
今日のお茶はクリアアイズの庭で取れたカモミールと異国のバニラを一緒に蜂蜜漬けにしたお茶だ。程よい甘さに口にするたび微笑んでしまう。
「あなたがここに来る半年前から手配していましたよ」
私はブルーベリーのマフィンをかじりながら目を見開いた。マフィンをお皿に置いて咀嚼し終えると、急いでお茶で流し込む。
「占星術ですか? どれだけ先のことが占星術でわかるんです?」
「私の場合、半年先なら普通に分かりますよ」
今、自分がどんな顔をしているのかなんとなく察しがつく。目の前にいる男が、すごく熱心にこちらを眺めている。私は興味津々、なのだろう。
「サニー、あなたの知識欲を刺激しておいて言うのもなんですが、占星術は予測です、絶対ではありません」
「じゃあどうして畑付きの家が必要だと予測できたんですか?」
「わかっていたのはマーロウの土地に、十七歳の女性の魔法使いが現れることと、土に手を突っ込む回数の多い人ということでした。それでマーロウの農家の名簿リストを作らせたんです。その中であなたと同じ年齢の娘がいる家族を炙り出し、あの土地で魔力の蓄積が著しいマーロウの森のそばで農園をしていたのが、あなたたちポーター家でした」
実際に会うまであなたが魔女とは知りませんでしたけどね、とエドガーは視線を窓の外に逸らした。土に手を突っ込む回数の多い魔力の多い十七歳の女性が私、か。
「今思えばあの小さな農村からあなたを弟子としてただ引き抜けば良かったのです。突然軍人がやってきて、魔法の才能があるから弟子として女性を無理やり連れてくるには、ご家族まとめて連れてきた方が私の希望がすんなり通る可能性が高いと思いました。情緒的に荒れて魔法をあちらこちらに放出されたらいろいろと問題なので」
この人やっぱり策士なんだ。私の両親は、私が言うことを聞かなかったときのためのあれだ、人質であり、なだめ役だったのだ。
「でもエドガー、あなたのその見た目であれば、普通の女子なら呼ばなくてもついてきますよ」
「人を夏の夜の外灯のように言わないでください」
心外だと言わんばかりに彼はため息をついた。じゃあこの人にとって女子とは虫なのか。それに、と彼はもうひとつため息をついた。
「幸か不幸か、あなたは私の外見に心を動かされていないでしょう?」
私は首を傾げた。
「美形だと思いますよ?」
「ほら。あの家を手配しておいて良かった」
彼は書類を手に席を立つと私を見た。
「さあ、その五個目のマフィンをその小さな胃袋にしまってください。勉強しますよ」
私はマフィンを食べ終えると彼の背中を追った。
エドガーによる勉強会は裏庭で行われた。魔法を扱う以上、物が壊れる室内だとこの前の図書室のように嫌な結果になりうる。
師は片手にノートを持っていた。紙を束ねて紐でまとめた簡易なものでなく、彼の図書室にあるような重厚な作りの本に似たノートだ。
「これからあなたが学んだことを書き連ねていくノートです。もしかすると後世に残せる記録になるかもしれないので少しだけ良いものにしました」
あとペン、と手渡されて私は震えた。
こんなに良いものをもらえるなんて!
「ありがとうございます」
「さ、勉強しましょう」
庭の端に立派な樹が生えていた。枝を目一杯広げたその姿は圧巻で、樹齢およそ千年くらいのオリーブの木だと教えられた。その根元に私たちは座り込んだ。
エドガーはまず魔法について語り出した。
魔法には二種類あると師は告げた。無から有は生まれず、有を変動させているのが私たちの魔法。もうひとつは異界の存在の力を借りて使う魔法。
私たちの魔法は生まれ持ったもの。水と空気に土、それから炎に分類されるという。ただ炎の魔法使いの記録は残っていないらしい。
この魔法の力というのは最初にその力を持った魔女もしくは魔法使いの性格を色濃く受け継いでおり、魔法を使うときだけ性格の変わる者もいたという。というのは、魔法の力そのものが最初の持ち主の感情を基盤にしているからだという。
「そこで大事になってくるのが、自分の感情を制御することです。他人の感情である魔法を受け継いだ私たちは、その激しい感情で我を失うわけにはいかない」
そこで彼は瞑想を提案した。
「気持ちを落ち着けるのに良いです。姿勢を正して目を瞑って」
私は素直に従った。目を瞑って、エドガーの声が言う通り鼻から息をゆっくり吸って、口からゆっくりと吐き出す。それを何度か繰り返す。
「……吸って……吐いて……」
エドガーの声にあわせて私は呼吸をした。
「慣れてきたら今度はその呼吸を続けながら、体の感覚に意識を向けてください」
感覚。風が、体を通り越していく。座っている地面からは湿気の冷たさ。小鳥が羽ばたいたりさえずる声。時折虫の羽音も聞こえる。自分を取り巻く自然の呼吸だ。
もう目を開けて良いですよ、と彼は言った。
目を開けるとエドガーは隣ではなく、私の目先から二メートルくらい離れたところにいた。目を瞑っていたからだろうか。移動したのに気が付かなかった。
「気分はいかがですか」
「頭の中がすっきりした気がします」
エドガーは束の間微笑んだ。
「そうですか。今の方法とその感覚を忘れないでください」
私は慌ててノートにせっせと書き込んだ。ペン先からインクが弧を描くようにして線が描かれる。書き心地が良い。
「魔法の訓練をするときは必ず瞑想から始めるようにすれば習慣化できますよ」
「師匠、書けました!」
「エドガーと呼んでください」
次に、とエドガーは腕を伸ばして手のひらを目の前の木製の丸い的に向けた。的の中央には赤い円が描かれている。
「私たちの魔法は、願うだけでそれが現実となります。感情の強さで威力も変わります。心の中で思うだけだと一点集中、言葉にすれば影響する範囲を拡大できます」
エドガーの手のひらから真っ直ぐに氷の矢が素早く放たれ、それが的につき刺さった。
「あなたの魔法の系統は大気なので、鋭く風が吹くのを想像してください。物質を切り裂く風の刃ですね」
言われた通りにすると何の前触れもなく一条の風が目の前で巻き起こり前に飛んだ。間一髪のところで目の前にいたエドガーは回避し、風は庭の枯れた草花を切り裂いてしまった。さらに軌道が逸れ屋根の瓦が数枚吹っ飛んだ。
エドガーはそれを見るとしばらく考え込んだ。
確かにこれはマーロウを出て正解だったかもしれない。
「初めてにしてはとても上手ですよ。出力を絞る訓練が必要ですね。魔法の制御は実践でしか学べません。この力はいずれ誰かを守るでしょうから、上達するには練習あるのみです」
できれば家は壊さないで欲しいですが、とエドガーが真顔で付け加えた。まあ、やってみましょう、と勧められる。指先から細い針が飛んでいくのを想像してみてください、と師匠は言った。
私は人差し指を的に向けて言われた通りにした。すると一瞬風が弾けたのを肌で感じたかと思えば、的のやや中央寄りに小さな丸い穴が空いていた。私は驚いた。
「サニー、上出来ですよ。今度は中央を狙ってみましょう」
何度か風を放っていくうちにコツが掴めた気がする。集中力と感情の本気度で威力や速度が変わるようだった。最終的には的の赤い部分を穴だらけにするまでには上達した。エドガーは真顔で的を眺めていた。
「先生、どうです?」
「……エドガーと呼んでください。いえ、私が思っていた以上に飲み込みが早くて驚いています」
私は少しほっとした。これでてんでダメだと言われたらどうしようかと思っていた。
「覚えておかないといけないのは、感情を使うのはとても体力を削られます。大泣きすると疲れるのと同じ原理です」
なるほど。
「風の魔法がどういうものなのか、まだ説明していませんでしたね」
エドガーは、服の襟元のボタンを外した。
「どの系統の魔法も強力ですが、四つの魔法の中で風の魔法は飛び抜けて出来ることが凄まじい。風の魔法は大気に干渉する力です。空気のある場所でしたらあなたの視覚、聴覚、声を飛ばすことができます。見ようと願えば地上のどこでも見えますし、聞こえますし、伝えられます。望めば風で空の流れを操れます。それから空気の圧力を変えることができます。ジョンが琴切れた原因は気圧で心臓と肺が停止したからかと」
月明かりが差し込む夜のマーロウの森。そこで腐葉土に抱かれるように横たわるジョンの姿が脳裏に浮かび上がった。
実に、申し訳ないことをしたと思う。
事故とは言えど、私は彼を亡き者にしたのだ。私はこの呪いのような記憶を一生背負って生きていくのだ。
私の表情を見てエドガーは、嫌なことを思い出させてすみません、と申し訳なさそうに謝る。
「私が風の魔女を探さねばならなかった理由はそれです」
「それ?」
「行方不明者や逃走者を目で探し出し、耳で情報を集められる魔法が、軍で必要で」
エドガーの様子が、何か変だった。
「まさかそれがあなただったとは、想像もできませんでした」
エドガーは独り言みたいにぶつぶつと早口に言い出した。
風の魔女が、サニー・ポーターがあなただと知っていたなら、弟子にするとは一切言わずに、私の妻として一人でマーロウまで迎えに行きましたよ。でも知らなかったから、国に、国王に弟子をもらうという理由で部隊を結成するよう頼み、マーロウへあなたを迎えに行ったんです、と彼は顔を両手で覆って下を向いた。
「なぜ魔女の顔を占星術で調べなかったんです?」
あらゆる手を尽くして調べましたよ、と感情の削げ落ちた声でいう。そこには疲労が見えた。
「でもあなたの姿は星たちでも介入できなかった。いや、星たちが語りたがらなかった。普段はうるさいくらいおしゃべりなくせに、みんな黙り込んでいました。きっとその分厚い膨大な魔法のせいで星たちも畏怖していたんですね」
「星を読むってどうやるんです……?」
「基本的には天体の位置を観測し、その記録から対象がどのような状態にあるかを読み解くものです。それに加えて私は記憶に干渉できる力があるので、水盆に天体を映してその水に落とされた記憶を読み取るんです」
エドガーは、興味あります? とこちらを静かに見やる。私は曖昧に微笑んだ。
「あなたが軍師って呼ばれているのは未来が見えるからなんですか?」
「ただの表向きの呼称です。魔法の歴史が残していった爪痕は深いので、魔術を連想させる言葉は控えられています。それに占星術師と言うと怪しいですから」
エドガーは苦いものを滲ませた声で語る。
「実際にタブーである魔法が使えてしまうのだから、尚更軍師で通った方が都合がいいんです」
「魔法と言えば。私たちとは異なった種類の魔法があります。私たちの魔法が生まれ持った先天性のものとすると、もう片方は後天的に得たもの、です」
後天的に得たもの。
「この世には見えない世界があるんです。その世界の住人の力を借りて物を動かしたり、自分の代わりに行動を起こす種類の魔法です。これは契約制の魔法で、どんな住人と契約するかでできることが決まります。ただ、契約すると感情の起伏を失ったり、記憶を失ったり。一部例外はありますが、契約の際に必ず犠牲が伴うのがこの魔法の特徴です」
一般的には違法魔法と呼ばれています、とエドガーは締め括った。
さて、と魔法の先生は立ち上がると、私に隠れるように言った。
「この庭には隠れる場所があります。隠れたら魔法で私に話しかけてください」
「……どうやってです?」
「心の中で私のことを思い浮かべ、伝えたいことを思ってみてください」
理解できていない私の顔を見たエドガーは、じゃあその場で目を瞑ってと勧めるので、言われたままに目を瞑る。
「さ、私のことを思い浮かべてなんでも良いので伝えたいことを考えてみてください」
私は言われた通り頭の中にエドガーのことを思い浮かべた。自由になった思考が勝手に考え出す。
なんで、あんな綺麗な人が私を好きになるのか理解できない。
「サニー」
ちょっと不機嫌なエドガーの声がした。私は目を開く。すると微妙な顔をした魔法使いがそこにいた。
「もしかして、鏡見たことないんですか?」
「そんなわけないでしょう」
「あなたは自分の価値が理解できていないみたいなので言いました」
「……何か不都合なことでもあるんですか?」
「あなたが自分をどう思っているかはいずれ魔法に影響してくることです。結局魔法は感情なので」
そう言うと魔法使いは私の額にそっと触れた。
すると私の頭の中に夜空の下で月光を纏った「私」が映し出された。とても幸せそうな顔で頬に涙が伝っている。まるで私じゃないみたいでとても素敵な女性に見えた。私が黙っているとエドガーがこう告げた。
「この前そこの斜面で私の記憶を見せた後のあなたです。私のお気に入りの表情です」
自分が赤面したのがわかって、余計に恥ずかしくなる。
「あなたがあなたをどう思っていようと、私にとってのあなたは変わりません」
私は話を変えようと必死だった。
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