第3話 贅沢な読書時間2
本の終わりを示す終止符を読み終えた瞬間、私は本をぱたんと閉じて両腕を宙に伸ばした。
「あー。幸せだなぁ」
「それは良かった」
突然、部屋の片隅から愉快そうな声がした。それもディラティではなく、あの魔法使いの声。独り言を聞かれたのが恥ずかしくて、身体中の体温が上がるのが自分でもわかる。
次の瞬間図書室の中に爆発するような勢いの突風が巻き起こった。風は積んであった本を薙ぎ倒し床に雪崩のように崩れ、本のページは凄まじい勢いでぱららららと捲れたかと思えば、本棚から何冊か本が吹き飛んで床に落ちた。
万年筆がペン先剥き出しの状態で、こちらの顔目掛けて飛んできた時はどうしようかと思った。
幸い魔法使いが万年筆を空中で掴み取ってくれたので私は無事だった。それでも風は吹きやまない。図書室が、本が、ダメになる。
「落ち着いて」
と、魔法使いが手を伸ばして私を引き寄せた。
気がつけば、すみません、と断る彼の腕の中に私はしっかり抱きしめられ、部屋の風はぴたりと止まった。
紙が、あちらこちらでひらひらと落ちてくる。その紙が本のページではありませんようにと私は心の中で願う。どう考えても本のページだと思うけれど。
「ごめんなさい……! 本が……!」
魔法使いは、いいんです、と耳元で囁いた。
「この家であなたを傷つけたり辱しめたりする者はいません」
いたら許しません。
それだけ告げると彼は腕を解いて一歩下がり、机の上に先ほどの万年筆をごとりと置くと、ため息混じりにこう言った。
「突然声をかけてすみません。魔法が暴走した時は他人に力を押さえてもらう必要があるんです」
私も小さい頃はよく暴走していましたよ、と魔法使いは部屋に散らばった本を拾い上げては積み重ねていく。
この人の魔法を押さえたのはどんな人だっただろうか。
「誰が、あなたの力を押さえてくれたんです?」
「祖母でした」
会話が途切れ図書室の静けさに気まずさを感じたのか、魔法使いは喋ることを選んだようだった。
「押さえる方法は色々とあるのですが、私の魔法の量に対してあなたの力は桁違いに多くて。物理的にも精神的にも落ち着く確実な方法しか浮かばなかったんです。咄嗟の判断であの方法になってしまい申し訳ないです」
目の前の人が私を弟子にしたいと言っていたのを思い出す。私がこの目の前の魔法使いと何か対等であるとすれば魔法なのだ。
魔法使いは私の顔をじっと見た。
「何を考えているんです? 気分が落ち着いたのなら、なんでもいいですが」
ふと馬車の中でこの人が父に自分の記憶を見せたのを思い出した。
「私にも父に見せたあなたの記憶を見せてくださ」
「お断りします」
私が最後まで言い切る前に魔法使いは切り捨てるようにきっぱりと拒否した。
「どうしてです?」
私がムッとして相手の目をじっとみると相手は若干険しい目つきで見返してくる。
「……なぜ見たいんです?」
なぜそこまで頑なになるのか。見せられるのだから、見せて減るものではないだろうに。
「私の力がどんなふうに見えるのか、見てみたくて」
ああ、と魔法使いは納得したようだった。
「あくまで私の視点で見た主観まみれの世界ですから……酔うかもしれませんよ」
彼はそう注意だけすると私の額にそっと指先で触れた。
奇妙な感じだった。
映像が額を通して脳に、そして眼球に流れ込む冷たい感覚があった。視界が揺らぎ暗転したかと思えば、魔法の光が目の前に集まりだした。
視界が開けたかと思えば、私の家の前の見慣れた道だった。いつもより高い位置から見ているので少し視界に慣れない。
土を踏み固めただけの道。そこに淡い緑の光の粒がたくさん落ちていた。すると私の耳のすぐそばで魔法使いの声が聞こえた。
〈もう朝だと言うのに魔法の痕跡がまだ残置している。普通、夜中の間に消えるだろう? 尋常じゃない……〉
その声から感じられるのは驚嘆と恐怖と不安。
ふと、視線が地面から目の前の家に映った。私の家だ。玄関口にまた淡い緑の光の粒が転がっている。なるほどあの緑の小さな粒が魔法の力、なのだろうか。
〈この粒子を辿れば当人に会えるのだろうけれど、これだけ魔力の差があるならば、あまり会いたくは…… 〉
その時視線が動き、井戸のそばに立っている女性が見えた。その女性は「私」のよく知った顔。
ただそれよりも目についたのは彼女が絽でできたような深緑色の帯を翼のように何層も背に背負っていることだった。帯はまるで風にたなびくように波打っていた。
映像はそこで途切れ、私の目の前に荒れ果てた図書室が現れた。すぐ隣で魔法使いがそっぽ向いて椅子に座っていた。
「え、今ので終わりですか?」
「あなたの魔法がどのように見えるかを知るには十分だったかと」
それ以降魔法使いは口を閉ざしてだんまりを決め込んだようだった。腕を組んだまま視線を合わせようとしない。しかし今観たもののことで私の中の好奇心が爆発しそうだった。
「私も弟子入りしたらあなたと同じように魔法が視えるようになるんですか?」
「あなたならそれ以上にできますよ」
「記憶を誰かに見せるのも?」
「それは私と魔法の系統が一緒でないとできないです」
「系統?」
私が聞き返すと相手は目を閉じた。
「別に今じゃなくていい。これから嫌になるくらい勉強しますよ」
そう言って魔法使いは図書室を出ようとした。私が後を追うと、軍服の魔法使いは停止した。振り向き私の瞳をじっと見つめ、言葉を選んでいた。
「部屋を出る前に約束してください」
私は身構えた。魔法使いは黒の瞳で、いつになく真面目で真剣な面持ちで。この瞳に見つめられるとやはりなぜか落ち着かない。
部屋の空気が張り詰め、時間が止まったようだった。
「私の記憶で知ったことは墓まで持ってゆくと」
私は息をのんで、静かに頷いた。
「……誰にも、言いません」
私が告げると、相手は感謝と喜びを含んだ声で
「そうですか……ありがとうございます」
と心底安堵したようだった。
「記憶とは持ち主の感覚そのものですから」
記憶で知った内容……私ってそんなにやばい存在なんだろうか。あんなに詰め寄らなくてもいいのに。
Closed.
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