第2話 魔女の腕を出て
マーロウの田園風景は消え去り、広い平原が続いている。
まさか自分がこんな豪華な馬車に乗るとは思っていなかった。揺られること数時間、腰が悲鳴を上げている。しかも昨晩はあまり眠れなかったのもあって、疲労はピークだ。
馬車の中は四人も乗っているというのに、誰もが沈黙を守っている。道の途中、赤い蔓バラのアーチを超えた後。
「さて」
と白銀髪の軍人が口を開いた。
父と母も気が抜けたように安堵のため息をついた。私は虫の居所が悪くて腕を組んで窓の外をひたすら眺めることにしている。
私はマーロウを出るつもりなんてなかった。出たくなかった。例え生涯孤独であろうと、あの地を離れるつもりはなかったのに。
向かい側の席に足を組んで座る軍人の姿なんて視界に入れたくなかった。この男は不安を上手に利用して、私の両親を丸め込み、家族もろとも村から連れ出すことに成功した。
私の意思なんて関係なしに。
軍人の隣に座る父は私のつんけんとした様子を見た。そして待ちきれないと言わんばかりの表情が私の視線の先、窓に反射して見えた。
「クリアアイズ様、私達にどうかご説明いただけないでしょうか」
父のへりくだった言い方に苛立ちを覚え振り返った。それから視線を目の前の軍人に移した。彼は髪を軽くかきまわすと軍服の中から折り畳まれた紙を取り出した。
「エドガーと呼んでくださって結構です。私たちは運命共同体なので」
そう言いながら彼は紙を広げた。海に囲まれた大きな大陸の描かれたそれは、私たちの住む国の地図だった。ここが皆さんの村マーロウです、と男は大陸の西側を指先で指し示した。そして中央にあるのが王都。この国は王都を取り囲むようにして国土があります。そして国土は大陸の全てに広がっている、と男は淡々と説明した。
「先ほど通ったバラのアーチは、魔女の力の及ぶ土地の端を示す目印です」
「……魔女の力、ですか」
父が控えめにだけど明らかに懐疑的な声で言った。軍人である男は目を閉じた。
「力というのか……人間の感情というものは何世代も引き継がれていくんですよ。目に見えなくとも人と土地を伝って」
父と母の疑問の浮かんだ表情を見た男は、閉口すると少し間を置いて別の話をしだした。
「マーロウの土地では噂がすぐ知れ渡りますよね。あれは風の魔女の力、大気へ干渉する力によって音が伝わっているんです」
母が、思い当たる節でもあるのか驚いた顔をした。
「昔、祖母が大事なことは喋らずに文字にして伝えなさいと言っていたのはそういうことだったんですね」
軍人は頷いた。
「マーロウの土地は初代風の魔女が長く過ごした場所です。なのでマーロウは彼女の力の影響を色濃く受けています。魔女の力が譲渡される場所は毎回異なるのですが、ある程度パターンがある。それを読み解いたところ、我が国の風の魔女は今年マーロウの収穫祭にて現れるとわかったのです。それが、あなた方のお嬢さんです」
父と母の顔には不信感、拒絶に動揺、ありとあらゆる負の感情がごちゃ混ぜに浮かんだのが見てとれた。母が馬車の中で憤り立ち上がった。
「人の娘を魔女呼ばわりするなんて!」
父も同じく怒りの形相だった。
両親は生まれた時から慣れ親しんだ土地を魔女の産土と侮辱されただけでなく、娘を魔女呼ばわりされ怒ったのだろう。
父は軍人の襟首に掴みかかり、母は私の腕を掴んで馬車の扉を開けようとした。まさか走っている馬車から飛び降りるつもりだろうか?
軍人の男は座ったまま右人差し指を上から下に振り下ろし、私たち三人は一瞬で凄まじく冷たい空気を全身に浴び、縮み上がった。真冬の冷水の」冷たさに私たち家族は悲鳴をあげ、その様子を見た男は氷と霜で覆われた右手を引っ込めた。私の服が霜に覆われて固まっている!
「頭を冷やしてください。私は国に仕える軍人ですが、その前に魔術師でもあるのです」
は? 魔術師?
父は席にどさっと腰を下ろし、母も同じく着席した。私も口を開けたまま目の前の男から目が離せなかった。軍人はこう言い放った。
「私は同族を裏切りません。先ほども言ったように私たちは運命共同体なんですよ……」
男が指を振ると私たち家族の凍った衣類と髪は、また元の柔らかさを取り戻した。目の前で魔法を見せられた私たちはそれぞれ驚く。
しばらくして母は、とりなすようにそうよね、と呟いた。
「もし、この方が証言してくださらなければ、ジョンが死んだのがうちの子のせいになったかもしれないのですし」
父はその言葉を聞いて苦い顔をした。しばらく馬車の中を沈黙が支配した。しかし魔法使いはほんの一瞬だけ、暗い表情を見せて物静かな声で言った。
「残念ですが、彼を殺したのはお嬢さんです」
私たち三人に驚愕の表情を向けられてなお、魔法使いは表情ひとつ変えず淡々と言葉を紡ぎ出した。
「事故ではありましたが、彼女は魔法で彼の体を害した」
それが風の魔女のできることなんです、と彼は締め括った。母は、衝撃を隠せない表情で言葉を失っていた。父はといえば拳を膝で握りながら震えていた。
「……言いがかりはよしてくれ」
「では私が昨晩見たものをお見せしましょう」
そう言って魔法使いは父の額に指先で触れた。触れられた父は目を見開いた。父の瞳の中で人影と緑の小さな光が動いているのが見えた。父の目の中で、あの収穫祭の夜の映像が蠢いているのだろうか。父が見ているものがわかっている魔法使いはこう囁いた。
「その緑の光が魔法の痕跡です」
一体父は、何を見ているのだろう?
しばらくして父は目をつむり頭を抱えてうつむいた。心配した母は父に腕を伸ばしその肩を抱きしめた。父は顔を上げると他人である男に顔を向けた。
「エドガーさん、あなた、どうしてうちの娘を擁護するんです? あなた、国に仕える軍人でしょう? なぜ嘘までついて私たち家族を助けてくださるんです?」
「私は普通の人が見た状態を証言しただけです」
嘘は言ってません、と彼は馬車の外に視線を逸らした。そして窓の外を眺めながら、荒んだ感情を押さえつけたような声音で独り言みたいに呟いた。
「この力を持つことの苦しさを知らない人より、同じ立場になった人に肩入れしたくなるのは自然でした」
それに、と冬の面影を宿した男は続けた。
「今回のマーロウの訪問は、風の魔法を受け継いだ者を見つけることが目的でした。軍事目的で風の魔女の力が必要だったんです。だから何がなんでも彼女を王都へ連れて帰るのが私の役目ですから」
父と母が目を見合わせた。軍人である男は目を閉じ、ため息まじりに心情を吐露した。
「彼は死ぬ間際に私と同類である彼女を軽率に侮辱したんです。私に彼の肩を持つ理由はありません」
父は腑に落ちたようで、隣の謎の多い男に手を差し出した。意外にも隣の軍人は脚を組むのをやめて、その手を握り返したのだった。
「ご理解いただけて嬉しいです」
と軍服の男は目元を微かに綻ばせた。父はその目を見て感極まったように目に涙を浮かべていた。
「娘を頼みます」
母と私は顔を見合わせて何も言えずにいた。
私はその魔法とやらで父が洗脳されていないことを祈った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。