第1話 村娘と軍師2
翌朝顔を洗いに井戸に行くと、白銀の髪の軍人がまたそこにいた。どうも無事だったようだ。名前はエドガー・クリアアイズ。
「おはようございます、お嬢さん。今日は収穫祭ですね……ボーイフレンドは決まりましたか?」
マーロウの収穫祭では一緒に踊る相手のことをボーイフレンド、もしくはガールフレンドと呼ぶ。この祭りで一緒に踊った二人が、高確率で恋人同士になることから、そういう呼び方をする。
この村の風習だ。
「村のことにお詳しいんですね」
私が言うと軍人は、首を傾げた。
「いえ、いろんな方にボーイフレンドにと誘われるので、私の知っている意味とは違うのかと。伺ったところ踊りの相手だと知りまして」
「はぁ……」
私が黙っているとクリアアイズさんは質問を転がした。
「今日、あなたは誰とも踊らないと聞きました。なぜです?」
ジョンを断った言葉がこの軍人の口から転げ落ちると思わなかった。しかし私は怯まない。目の前の人の瞳を射抜くつもりで視線をあわせた。
「手をとりあってまで踊りたい相手が、いないからです」
クリアアイズさんは目元だけ微笑んだ。
「そうですか」
聞き覚えのある、喜びの滲んだ声。相手はまたもとの無表情に戻った。
「今夜は嵐になりますよ。外出するならお気をつけて」
そう言うと軍人は私の前から立ち去った。
私は家から出ないことにした。ジョンが朝からやけ酒を何杯も飲んでいると、両親の耳に入ったからだ。おそらくケイトが軍人に取られ、私にも断られ、彼の心は砕けたのだろうか?
お酒の力は怖い。普段しないことをしてしまうこともある。
ジョンの性格を思い浮かべる。
私は外に出ないことにした。
両親は娘が初めての夜祭に出ないことに深く気の毒そうだったが、理由が理由なため、理解はしてくれた。
祭りに出れないことはたいしたことじゃない。来年も翌年も、私はここにいるのだから。
そう思い窓の外を眺めていた。村の上空は真っ青に晴れ渡っていた。そういえば軍人さんが今夜は嵐になると言っていたっけ。
黙々と毛糸を編んだ。香草で深緑色に染めた香りの良い毛糸だ。編み方に変化をつけて模様を編み込んでいく。熱心に編み込んだため、夕暮れには十分な長さのマフラーが編み上がった。出来栄えは我ながら満足のいくもので、母にも売り物みたいね、と褒められ素直に嬉しい。
夕闇が空をおおう頃、出店で働いていた父がこんがりとした焼き鶏を手に帰った。
父から、私は今回の祭りに行かなくて正解だと告げられた。ジョンが酔っ払った勢いでケイトと軍人に殴りかかったのだけれど、軍人に反撃され程よくボコボコにされたという。そしてまた酒場に戻り、飲み直しているか寝ている具合らしい。
私はふと窓の外を眺めた。
祭りの焚き火が見える。それとは反対の森の方角に明かりが見えた。頭髪の色から白銀髪の軍人さんだとわかる。
昨日は思いつきもしなかったけれど、あの軍人さんを止めるべきだ。夜は森に入らないほうがいいのは、ここの村人なら誰もが知っている。
親切心が灯ったのは、踊らない理由をあの人が聞いてくれたから、だろう。
別に言いたかったわけじゃない。でも聞いてもらえたのはどうしてだか嬉しかった。
今なら彼が森の深くへ進む前に声をかけられるだろう。
森まで走ると奥に灯りが見えた。すると背後から奇妙な足音がした。足取りのおぼつかない、まるで酔っ払っているような足音。それとつっかえ気味でまばらな息の音。
嫌な可能性が閃くや否や、振り向けばそれはやはりジョンだった。月明かりにジョンの顔が照らし出された。顔には鮮やかな痣がいくつかあり、普段彼をなんとも思わない私ですら気の毒に思った。けれど。
彼の手には鍬が握られていた。それは土を耕すものだ。でもジョンはそれを武器のように構えている。彼は私を認識するなり、口を開いた。
「お前のせいで! 俺は恥をかく羽目になった! お前なんて……見てくれがそこまでいいわけでも、優しくもないのに、この俺の誘いを断りやがって!」
そう、なんとなく呂律の回らない声で彼は怒鳴る。そしてそのまま鍬を振りかぶって私に思い切り叩きつけようとした。
祭りの踊りを断っただけで殺されるなんてごめんだ。
私は後ろに逃げた。鍬がザクッと目前の地面に突き刺さり、ジョンは前屈みになった。その隙にジョンを横から突き飛ばしたが、私の長い髪を掴まれて引っ張られる。目の内側がちかちかした。
痛みに私は我を失い、理不尽だと心の底から思う。私は髪の生え際を手で押さえながらジョンを睨んだ。
その時、目に見えない何かが体の周りで巨大な蛇のようにするっと動いた。私は束の間疑問に思ったけれど、思考は相手の出方を伺うので精一杯、必死だった。
途端にジョンの呼吸音が止まり鍬を落とした。足元の腐葉土がそれを受け取り包む音。続いて彼は両手を自分の喉元に伸ばし、口を魚のように開けては閉じて。かと思えば胸元を掻いてふかふかの地面に転がり動かなくなった。
暗い森の中、妙な静けさが重くのしかかる。
「ジョン?」
動かなくなった彼の名前を呼んだが返事はない。
「嘘、でしょ……?」
横たわるジョンの胸に耳を当てたが心臓の音がしない。と、そこへ女神のように優しい女の人の声が聞こえた。
「私の力を受け継ぎし者よ、喜べ、あなたは風の魔女。大気はあなたが望めば従うだろう」
ああ。
私はようやく昨日見た夢の通りになったのだと気がついた。その場にくずれ落ちるようにして、その場に膝をつく。
「危なかったですね」
後ろから聞き覚えのある声に振り向けば、それは灯りを持って片膝をついている白金髪の軍人さんだった。
クリアアイズさんは琴切れたジョンの首元を手袋をした手で触ったり、耳で心臓の音を確かめていた。
「心臓発作でしょうか……? 彼がジョンですね? 日中ひどくお酒を飲んでいたのが祟ったのか……宿にこもっていた私にまでその話が届くほどですから、日頃の行いほど大切なことはありませんね」
そして、と彼は音もなく立ち上がった。
「何か、あなたに不思議なことはありませんでしたか?」
この時、彼の暗い双方の瞳を見ると心の中に何かが入ってくるような感覚を覚えたのは気のせいじゃない。まるで心の奥底をのぞかれているような。
意識が朦朧とした。
「……はい」
私は白濁とした視界の中、自分がこう言っているのを耳にした。
「……私は、風の魔女の力を受け継ぎました」
目の前の軍人は、パチリと一回瞬きをした。私は何か細い糸が切れたかのように我に返り焦る。
目の前にいるのは魔女を探していた軍人だ。魔女として処刑されるのだろうか。
私は軍服姿の相手の表情を見ようとした。けれど暗くて表情が読み取れない。すると彼はまたしても喜びを含んだ声音でこう言った。
「そうですか」
その後、酷い嵐になった。私は軍人さんに連れられて帰路についた。魔女だと自分で言ったからには手荒な扱いを受けると思った。だけどクリアアイズさんは自分の上着を私の頭に被せて濡れないようにしてくれた。
雨は酷く、びしょ濡れになった私たちを出迎えた両親は、心配で顔が蒼白い。
「ひっどい嵐の中、夜の森に行くなんて!」
母が玄関口にびしょ濡れになった私を見るや否や、信じられないと言わんばかりに怒っていた。父がヒステリック気味な母にタオルを持ってくるように告げ、私たちはタオルを受け取った。
頭を拭うクリアアイズさんが両親に何があったかを説明した。
私が森に入って行ったのが見えたので、後を追いかけてみれば、ジョンが鍬で私に危害を加えようとしていた。
幸運なことに、ジョンは心臓発作か何かで息絶えた。軍人さんは真面目な表情で、彼はだいぶお酒も飲んでいましたし、と付け加えた。
両親の表情は蒼白でほっとして良いのか、しちゃいけないのかの狭間を行ったり来たりしていた。その様子を気に留めず、クリアアイズさんは畳み掛けるように真顔で熱心にこう告げた。
「お嬢さんを私にくださいませんか」
両親は鼻面を叩かれた熊のようにうろたえ驚いた。私も驚いた。
「申し遅れましたが、私は国王軍軍師のエドガー・クリアアイズです。是非、お嬢さんを我が弟子として王都にお招きしてもよろしいでしょうか?」
言葉を失った母を横に、父は目を見開いた。
「こんな状況で何を言ってるんです!? この子が弟子!?」
父のこわばった表情。しばらく間があった。軍人さんは何を思ったのか。
「ご不満ならば私の妻として迎えましょう。将来が安泰であることはお約束できますよ」
「なぜ、今そのようなことを言うんです!? あなたがいたことで娘がジョンを殺したわけではないのが証明されるのは良い。しかしあなたがこの子を連れていくのは話が別です!」
父は苛立った表情で忙しなく部屋を行ったり来たりした。
「この子は、この村で生まれた私たちの大事な一人娘です。私の独りよがりですが、できればこの子が自分で選んだ人と生涯を過ごして欲しいものだ!」
温厚な父が、身分の高いであろう人相手に、言葉と態度で爪を立てたので私は驚いた。しかし相手も父の反応は想定内だったのか、顔色ひとつ変えずに返した。
「困りましたね。彼女の才能はこのままだと手に余ることが想定されます。それが明らかになれば、先ほど亡くなった方の御家族も黙ってはいないでしょうね」
父と母は束の間沈黙し、それから問いかけるような表情を浮かべた。母が恐る恐る問いかけた。
「ジョンは心臓発作を起こしたのでは?」
「ここでお話しできない事情があります。しかしお嬢さんの命を守るためには、明日、ご家族で私たちと共に王都へ行く必要があります。詳細をご存知になりたいのでしたら、ご同行ください」
Closed.
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