第7話 残された光
「ハル……」
「ハリオン……大丈夫か?」
セラが慌てて体を支えてくれ、ゴドリックは優しく手を握りしめる。彼らの温もりで少しだけ現実に引き戻されるけれど、心は空っぽで、涙すら出ない。
「ボク……勘当された……? なんで……?」
虚脱感だけが体の中を支配し、立ち上がる気力もない。両親の背中が消えたあとには、何も残されていないように思える。
「ハリオン様……」
そこで柔らかい声がかけられる。顔を上げると、司教様が険しい表情ながらも、力強いまなざしをボクに向けていた。
「ハリオン様……今はとてもおつらいでしょうが、どうかお気を確かに。あなたが授かった聖女は、断じて呪いなどではございません。むしろ、神があなたに与えた尊い祝福なのです」
その言葉はまるで命綱のようにボクの心に引っかかる。“祝福”。司教様はそう言うけれど、今のボクにはただ耳障りのいい言葉にしか感じられない。
でも、ここで拒絶すれば何もかも失ってしまいそうで、声にならない声をあげる。
「……ボク……もう……どうしたら……っ」
か細い声がようやくこぼれ落ちる。司教様はしっかりとボクの手を握り返す。その瞳には、深い慈しみと決意の光が混在していた。
「きっと今、ハリオン様は暗い闇の中に沈んでおられます。敬愛していたご両親に捨てられたのですから……。ですが」
司教様の手から伝わる温もりは、確かにボクを包み込んでくれる。それでも、心に響くのはむしろ寂しさばかり。
「ですが、まだ光はあります」
「ひか……り?」
「はい。セラフィーナ様とゴドリック様――あなたを想い、どんなときも力づけてくれる仲間がそばにいらっしゃるじゃありませんか。そしてもちろん、わたくしたち教会も。あなたを闇に捨てたりはしません」
司教様はそう言うと、ボクの手をやわらかく包み込む。その手のひらはまるで陽だまりのように穏やかだけれど、心が粉々になってしまった今は、その優しさすら切なく胸に響く。
「ハルは……女になってもハルだぞ! 女のことわかんないなら私が教える! まあ私もよくわかんないんだけどな!」
「俺が何とか叔父様を説得してみせる。だから、おまえはなんも心配すんな」
「セラ……ゴズ……」
頭の中にふたりの声が響く。先ほども必死にボクをかばって、こんな状況でなお、父上に立ち向かってまで支えてくれた……。彼らの存在がなければ、もっと深い絶望に沈んでいたかもしれない。
「それに、あなたの心の中にも、きっと光があります。いえ、それこそが聖女として選ばれた証。体が変わっても、思いやりに満ちた魂まで否定されたわけではありません」
司教様はそっとボクの白い髪を払いのける。その仕草はあまりに優しくて、込み上げる感情を持て余す。もしここで司教様を拒めば、ボクはこの先どう生きていくのだろう。
両親から否定され、男としての姿も失い、何もかもを奪われた今、ボクに残された道はいったい……?
「ハリオン様、どうかご安心ください。たとえご両親があなたを捨てようとも、あなたは一人ではありません。あなたの魂には、ご自身が願われた“誰かを救う力”が確かに授けられたのです。その素晴らしさを、どうか忘れないで」
「ボクが……救う、力……」
震える声で司教様の言葉を
でも、もし司教様の言うとおりなら、ボクは……。
「私たち教会は、あなたを受け入れます。──いえ、ぜひお迎えしたいのです。神があなたを導いた以上、あなたの力は世界を救うためのかけがえのない宝。共に歩んでくださるなら、私どもは全力であなたを支えましょう」
司教様の言葉に、ボクの心は一瞬揺れ動いた。絶望の淵に立たされ、家族に裏切られた悲しみで胸が締め付けられていた。しかし、司教様の目には揺るぎない信念と優しさが宿っており、その言葉がボクの心に微かな希望の光を灯した。
「……でも、ボクは女になってしまって……もう何も利用価値が残っていないから捨てられてしまった。それでも、教会で本当に受け入れてもらえるのですか?」
声は震え、心の中の不安が溢れていた。自分の存在そのものを否定された今、新たな場所で再び自分を見つけられるのかという疑念が頭をよぎる。
「はい、ハリオン様。性別が変わったことは、あなたの力に影響を与えるものではありません。むしろ、女性としての視点や感性が、今まで以上に多くの人々を救う力となるでしょう。私たち教会は、あなたの新しい姿と力を心から歓迎いたします」
司教様は穏やかに微笑みながら、ボクの手をそっと握り締める。その温もりが、冷え切った心に少しずつ浸透していくのを感じた。セラとゴドリックも、遠くから励ますように微笑んでくれている。
「セラ、ゴドリック様…ありがとう。みんながいてくれるなら、少しは頑張れるかもしれない」
ボクは自分でも驚くほどの力強い言葉を発した。涙が溜まりそうになるが、頑張ってこらえた。司教様は頷き、再びボクの手を引くように促す。
「司教様……どうかボクを……ボクを、教会に迎え入れてください……」
声はかすれていたけれど、ボクの中で強い意志がはっきりと生まれていた。男としての人生は失われ、家にも見放された。それでも“誰かを救いたい”という思いは、まだ心の奥に残っている。
司教様はボクの言葉を聞くなり、安心させるように穏やかに微笑んだ。
「もちろんです、ハリオン様。私たちはあなたを歓迎します。あなたが“救いたい”と願われたその気持ちこそが、神が“聖女”の力を授けた所以なのですから」
そう言って司教様は、再びボクの手を優しく包み込む。その瞬間、まるで温かな光が心の闇を溶かしていくような、不思議な安心感が広がった。目ににじんだ涙は耐えていたけれど、少しだけ呼吸が楽になるのを感じる。
「ハル……」
と、小さな声が聞こえて振り向くと、セラとゴドリックがそこに立っていた。先ほどまでの混乱のせいか、二人とも息を詰めたようにこちらを見守っている。
「ハル……あんまり無理するなよ? 困ったことがあったら、俺たちにいつでも頼ってくれ」
ゴドリックが少し照れたように頬を掻きながら言う。その言葉にセラもうなずく。
「そうそう、私だって女だけど、分かんないことばっかりなんだぞ。だから、一緒に学んでいこう? 女の子同士でな!」
“女の子同士”というフレーズに、ボクの胸がちくりと痛む。まだ慣れないし、受け入れきれない部分もあるけれど……それでもセラがそう言ってくれるのは、純粋にありがたいと思った。
「……セラ、ゴズ……ありがとう。ボク……本当に、助けられたよ」
言葉は弱々しいかもしれないが、ふたりに対する感謝の気持ちは本物だ。ふたりとも笑顔を見せてくれたものの、その笑みには少しだけ寂しさが混じっているように見えた。
「私もゴズも、いつか絶対会いに行くから。だから、ハルも絶対……戻ってこいよ? たとえ家がダメでも、私たちは味方だから」
セラの声が上ずりそうになるのをこらえたかのように、最後まで穏やかに響く。ゴドリックも同じように目を伏せがちだが、「がんばれよ」と小さく口にする。
「……うん。ボク、頑張る。聖女としての道がどんなものか分からなくても……きっと、何とかなるって信じたい。少なくとも、ボクはまだ自分で何かを選べるはずだから……」
最後にもう一度、二人に向かって微笑む。二人は大きく頷き、手を振ってくれた。そちらに小さく手を振り返し、司教様と視線を合わせる。
「それでは、ハリオン様。ご案内いたしますね。まずは、あなたの新しい住まいとなる部屋へ向かいましょう」
深く息を吐き、司教様にうながされるまま祭壇の奥へと歩き出す。大聖堂の扉が閉まり、ざわついていた人々の声が遠ざかっていった。
こうしてボクの人生は、一夜にして大きく変わった。男として育った跡取り貴族――その地位を失い、女として“聖女”の道を進むことになるなんて、思いもしなかったけれど……。
運命は神の気まぐれで、思わぬ形をとって姿を現す。
それならば、ボクはボクなりの方法で、この“聖女”の力を使ってみせる。誰かを救う――あの日誓った思いを、もう二度と後悔に変えないために。
床を踏みしめる足音が、かすかな決意を後押しするように響いている。教会の奥深くへ進むにつれ、新たな人生の幕開けが近づいてくるのを、ひしひしと感じた。何が正解なのか、よくわからない。ただ、ボクは“誰かを救える力”を望んだ。その結果、ボクの姿は女になり、家を失った。
でも――
「失ったものがあるなら、得たものもきっとあるはず……だよね」
そう心の中で呟きながら、ボクは司教様が開く扉の向こうへ一歩を踏み出した。息を詰めたような大聖堂の空気とは違い、そこには不思議と柔らかな香りが漂っている。
もう、振り返らない。誰かに向けて救う力を使うため、そして何より、自分自身を救うために――。
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