第6話 勘当だ
「聖女!」
その瞬間、大聖堂にいた誰もが息をのむのを感じた。
聖女――それはこの上なく清らかで、美しく、神々しい響き。静まり返った空間に、その二文字だけが鮮烈に響き渡る。
『聖女……だと!?』
『祝福なんて話が本当だというのか……!』
『聖女だから、女に……?』
『そんな、まさか……』
ざわめきが一気に膨れ上がり、父は「そんな馬鹿な……!」と怒りを口にし、母は「どうして……」と震えている。セラとゴドリックも、まるで雷に打たれたように目を見開いたままだ。
「せ、聖女……? それがボクの……スキル?」
胸の鼓動がうるさいほど高鳴り、手足が震えてうまく言葉が出ない。たしかに“誰かを救える力”が欲しいと願ったけれど、それはただ苦しむ人を救いたいと思ったからだ。それがどうして女の姿になるなんて……?
「ふざけるな……!」
周囲が騒然とする中、低く怒りに満ちた声が大聖堂にこだまする。まぎれもなく父上のものだ。振り返ると、その鋭い眼光がまっすぐにボクを射抜いていた。
「祝福? 使命? 笑わせるな! 長男が女になるなど、家の誇りを根こそぎ砕く呪いに他ならない! こんなスキル、今すぐ取り消せ!」
激昂した父上は吐き捨てるように言葉を放ち、壇上へとズカズカ歩み寄る。彼の表情には怒りと憎悪が渦巻いており、普段の冷静さは微塵も感じられない。
「ち、父上!? おやめください!」
「黙れ! 穢らわしい! 私はお前の父親などではない! 私に娘などいない! 消えろ!」
そう言い放つや否や、父上は祭壇に足をかけ――
ズドンっっっっ!!!!!!!
勢いそのまま、おもいきりボクを蹴り上げた。
「きゃうっ!」
小さな悲鳴が喉から漏れ、体が宙を舞う。受け身を取る間もなく、冷たい床に叩きつけられた。
「う、うぅ……」
脳裏が真っ白になり、激しい痛みに息が詰まる。まぎれもなく父上の足がボクを蹴った――大切な“父”だったはずの人が。
「ハル!」
「ハル、大丈夫か?」
セラの泣きそうな声と、ゴドリックの焦った声がかすかに聞こえる。ボクは小さく頷いてみせるものの、胸の奥がぐしゃりと潰れそうだ。
「父上……どうして……ボクはただスキルをもらっただけなのに……」
背中の痛みより、心の痛みのほうが数段鋭い。
父上がボクを蹴り飛ばした――それがまるで悪夢みたいで、冷たい床に倒れこんだまま、父上の荒い息遣いを遠く感じる。
男として育てられていた頃も厳しい言葉はよくあったけれど、手を上げるなど一度もなかった父上。それがいま、女の姿になったボクを容赦なく蹴り飛ばした……。こんなの……ひどすぎる……。
何がボクの責任で、どうしてこんな仕打ちを受けなければならないのか。泣きたくても涙が出ない。ただただ大きな虚無感と絶望だけが心を渦巻いている。
「愚かな……自分の娘を足蹴にするとは! そればかりか“主の祝福”を呪いと称するなど、不敬にも程がある!」
これまで温厚に見守っていた司教様が、急に語気を荒らげて父上を叱責する。まるで別人のような声色に、父上も一瞬はひるむが、すぐさま噛みつくように言葉を返した。
「うるさい! 祝福を呪いと言ったからなんだ! 胡散くさい光教会が勝手に作り出した絵空事など、私は信じぬ! いいから、私の息子を返せ!」
その声は理性を失って荒れ狂っているかのようだ。いまのボクを“息子を奪った仇敵”とでも思っているように、険しい目で睨みつけてくる。
「マルクス様、あなたがいくら取り消せと叫んでも、これは神の定めたこと……ハリオン様が授かった聖女のスキルは、誰にも取り消せるものではありません。そもそも娘を蹴り飛ばし、神を否定するかのような振る舞いをなさるなど、人としてあるまじきこと。あなたの血に流れる高潔な貴族の心は、どこへ行ってしまわれたのですか?」
「娘などいないと言っているだろう! はあ……もういい」
そこで肩の力を抜くように深く息を吐くと、父上はすべてを諦めたかのように視線を落とした。
「お前など要らん。勘当だ」
「えっ……」
父上の絞り出すような言葉に、ボクの思考が一瞬停止する。勘当? 今……なんて?
「お前などもう息子ではない! 家督はルークに継がせる。お前は勘当だ!」
「ち、父上……待って……」
「黙れ! お前のような不埒者など息子ではない!」
父上の叫びは、もはや咆哮の域に達していた。ボクのこれまで歩んできた人生で、これほどまでの怒号を放たれたことは一度もない。
「叔父様! いくらなんでも、ハリオンが女になったくらいで、跡取りとしての努力を無下にするなんて……! 彼が家のためにどれだけ頑張ってきたか、一番ご存じなのは叔父様でしょう!?」
「そうだ! ハルはずっと剣術も魔法も、人一倍努力して……すっっっっっごい頑張って……それをただ“女”になっただけで否定するなんて……おかしいぞ!」
セラとゴドリックがボクをかばうように声を上げる。けれど父上は鼻で笑うばかりで、まったく意に介さない。
「ふん……女になっただけ? お前らもわかっていないな。家名というのは男が繋ぐものだ。女の姿で何ができる……? そんな姿では名誉も血筋も台無しだ……!」
「っ……!」
セラとゴドリックは青ざめた表情で後ずさる。胸までせり上がる苦しさは怒りにも似ているが、今にも泣きだしそうで、その実とても脆い。
「な、なら……ボクを嫁に出せばいいではないですか……政略結婚の道具でも、家系存続の手段でも……使いようがあるでしょう!?」
「なっ……」
「ハル!?」
思わず叫んでいた。自分でも驚くほど必死な声だ。セラとゴドリックが息をのむが、勘当されるならどんな形でも家に役立ちたい……そんな悲しい思いが先立つ。
「ダメだ」
しかし、その思いは無情に切り捨てられる。
「な、なぜ!?」
「ただの娘ならまだしも、公衆の面前で大恥をかかせた女を嫁に出せるわけがない。恥の上塗りだ」
「そんな……」
「……あぁ、言っておくがお前はもうヘルムート家の人間ではない。ただの小娘だ。二度と家の敷居を跨ぐな」
父からの容赦ない言葉に、小さな悲鳴が漏れる。どうして……どうしてこんなことに……。
儀式を受ける前は夢や希望で胸がいっぱいだったのに、一瞬にして崩れてしまう喪失感。
「ハリオン……」
「母上……」
泣き崩れそうなボクの前に、優しげに見えた母がすっと歩み寄ってくる。
その面差しはどこか複雑な悲しみを帯びているようにも思えるが……ボクはその一点に
「この役立たず!」
美しい指先が、勢いよくボクの頬を打つ音が響いた。――べちっ! その瞬間、世界が凍りつくような衝撃がボクを貫く。
遠目にもはっきりとわかるほど顔を紅潮させ、体を震わせながら睨みつける母上。その形相は、これまでに見たことのない恐ろしさと、どこか悲哀を漂わせている。
「あなたのせいで、私は……私は……!」
母上の瞳は狂おしいほどに揺れ、怒りとも悲しみともつかない感情が渦を巻く。頬にはじんとした痛みが残り、打たれた衝撃で頭がくらりとする。
それ以上にこたえるのは、母がこんなにも取り乱していること……いまの母上からはかつての優しさは微塵も感じられない。
「あなたなんて……産まなきゃ良かった!」
産まなきゃ良かった――――自分の存在そのものを否定される言葉が母の口から出た事実に、頭が真っ白になる。視線は鋭利な刃のようで、心臓を抉り取られるようだ。かつては貴婦人らしい厳しさの中にも優しさがあった母上が、こんな激しい感情をむき出しにするなんて――想像もしなかった。
「あ……あぁ……」
痛みや恐怖というより、あまりのショックで声にならない声が漏れる。顔が熱く頬がひりついているはずなのに、何が起きているのか実感すら湧かない。ただただ心が痛んで仕方がない。
「どうして、どうしてこんなことに……! お前が女になったせいで、この家が……私が……! すべてが台無しになる!」
母上は言葉にならないうめき声を漏らしながら、もう一度ボクに手を伸ばしかける。しかし、隣にいた父上が母上の腕を強く引き戻した。
「アデレ、やめろ。もういい……! これ以上恥をさらしてどうする……」
父上がそう言い放つと、母上はもう一度ボクを睨む。怒り、後悔、未練……どれもが混在しているけれど、どこにも救いのかけらは見えない。
「では、私たちはこれで失礼する。その”女”は誰でも好きにするといい」
それだけ言い残し、ふたりはくるりと踵を返し、大聖堂の扉の奥へと消えていった。先ほどまでの威圧的な態度とは打って変わり、悲壮感すら漂う背中だったが……
振り返ることもなく行ってしまう。その行く先を追おうとしても、体が全然言うことをきかない。激しい痛みと、すべてを失った喪失感だけが、床に倒れ込むボクの身を固定しているかのようだ。
父と母が視界から消え、扉が閉まった瞬間、聖堂に張り詰めていた空気が一気にゆるみ――痛いほどの静寂が訪れた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
もし気に入っていただけたら、☆や♡を押していただけるととても励みになります また、最新話を見逃さないようにフォローもぜひお願いします!
続きを楽しみにしていてくださいね!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます