5.青春の守護者

 適当に折りたたまれた紙片を開いたその瞬間だ。


「――っ」


 俺はどうにかこうにか『うげっ』といううめき声を飲み込み、はたから見れば一応は平静を保っているように見えただろう。


 現に俺の机のそばに立つ男性教師も、俺の様子の変わらなさに首を傾げ。

「お? 杵築もまぬがれたっぽいか?」

 そう言って席に着いたままの俺の手元を覗き込んでくるのである。


 授業終了後のホームルーム――今まさに教室は真っ二つに分かれていた。俺より前と、俺より後で、だ。


 俺より前の順番のクラスメイトたちは、今や安堵の表情を浮かべながら『誰が貧乏くじを引くか』を心待ちにしていて。


 俺より後ろの順番のクラスメイトたちは、実に不安そうに『自分以外の誰かが不運を引き受けてくれること』を本気で祈っている。

 胸の前で固く手を組んで神にすがる女子すらいた。


「紙に当たりって書いてあったら、就任だからなー」


 いいかげん散髪した方がよさそうな伸びた癖っ毛。

 手脂で汚れた眼鏡。

 襟首の黄ばんだワイシャツをノーネクタイで着用。

 そんな野暮ったい風体の男性数学教師が、二年五組の担任だ。


 彼が『担任手作りの抽選ボックス』を手に、教室を前方廊下側の席から一つずつ回った結果。


「なんだぁ、杵築が当たりか。いやはや、すまんね」


 今、俺の手に『当たり』と手書きされた紙切れがある。


 くじ引きで見事に貧乏くじを引いて、面倒ごとの最たるものである『文化祭イベント委員』なる役職に就任させられたのだった。


 ……マジかよ……。


 クラスの出し物を率いる男女一人ずつの文化祭実行委員は、俺の思惑どおりあっさり決まった。


 なにせ我がクラスには超絶美少女で鳴らす野間さんと青木さんがいるのだ。

 二人に自らのリーダーシップを見てもらいたいイケメン男子が文化祭実行委員に立候補すれば、彼との青春を密かに望んでいた奥手女子が勇気を出してそれに続いた。


 そこまではまさしく俺の想定どおりだったのに……文化系クラブの発表や有志によるバンド演奏・漫才披露など、文化祭一日目――体育館で行われるステージイベントを世話する『文化祭イベント委員』の選出もあることをすっかり忘れていた。


 文化祭実行委員と違って、文化祭イベント委員は不人気だ。


 各クラスから一人ずつ選出され、普段付き合いのない他クラス・他学年の委員たちとずっと仕事させられる。ステージイベント時の照明操作や出演者案内、ステージ上の備品用意など、まさしく裏方という仕事で、とにかく陽が当たらないことが多い割りに責任重大。ほとんど毎日文化祭イベント委員の仕事があるからクラスの出し物の準備に参加できなくなる等々――考えれば考えるほどに不人気の理由がわかる委員なのだった。

 あまりにもやりたがる人がいないせいか、うちのクラスでも最初から担任教師がくじ引き箱持参なのだった。


「あっ――あ~~~。ステージイベントの準備ってちょっと楽しそうかもー。後輩とも交友深めたいしぃ、東悟くんがどうしてもやりたくない感じなら、あたしが代わってもいいかもー」


 俺が机で、めんどくさ……と不運を嘆いていると、優しい野間さんが気を遣ってくれる。


 担任教師が教壇に戻った直後に野間さんが声を上げたものだから、教室内が一瞬緊張したのだが――


「ありがとね。でも大丈夫。野間さんはみんなとクラス企画の方をやってくれ。どんな出し物になるか、楽しみにしてるよ」


 すぐさま出た俺の苦笑が暴動を防いだ。


 我がクラスのほとんど全員が、野間さん、青木さんとの文化祭準備を楽しみにしている。

 時には夜まで残ったりしてクラス全員で出し物を創り上げる青春を心から楽しみにしている。


 ヒロイン不在なんて許されることじゃない。


 そう考えれば貧乏くじを引いたのが俺でよかった。

 俺のところでくじ引きを終わらせたから、抽選ボックスを抱えた担任教師が野間さんと青木さんの席まで回ることがなかったのだ。

 こんなことでも『野間さんと青木さんの青春を守った』と言えるだろう。


 どんな出し物にするか、みんなでアイデアを出し合ったり。

 当日に着る衣装を手作りしたり。

 夜遅くまで残って教室を飾り付けしたり。


 クラスメイトたちと笑い合って青春を謳歌する美少女二人を想像すれば、ただただ面倒くさい文化祭イベント委員もやり甲斐があるというものだ。


 とはいえ。


「それじゃあ杵築はイベント委員をがんばってな。早速だけど今日の放課後、一回目の委員会があるらしいから出席するように。はい、みんな拍手~~」


 このホームルームのあとにいきなり委員会が開催されるなんて、俺も、クラスの誰も想定していない。


 拍手がまばらに上がる中、「うっわ……杵築かわいそ……」誰か男子の声がかすかに響いた。

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