4.休日の修練者
「はっ、はっ……はあっ――」
日曜日の夕方だというのに、俺は激しく息を上げていた。
心臓を尋常ならざる速度で打ち鳴らしていた。
全身からほとばしる汗で、板間にいくつもの水溜まりをつくっていた。
縦横無尽、緩急自在のステップワークで過剰に身体を軋ませていた。
「ふっ」
冷房をガンガンに効かせた叔父宅一階の稽古部屋を動き回る、ハーフパンツ一枚で上半身裸、裸足の俺。
単なる独り稽古――シャドートレーニングじゃない。
両手にそれぞれ重たい壺を持ったまま動く、負荷付きの運足稽古だった。
高さ五十センチに達する信楽焼の大壺。
本来は
「ぐっ」
それを左右の手に一つずつだ。
大柄な俺がギリギリ鷲掴みできるサイズの壺口を五指でしっかり掴み、尋常じゃない重さは背中の筋肉総動員で吊り上げ、動く度に発生する遠心力に身体を持っていかれないように腹筋をしっかり固めていた。
「はあっ、はあっ」
握力、背筋、体幹、そして俺の上半身と大壺を支える下半身の力――そのすべてを常に駆使し続けるという過酷な稽古。
「はっ、ふう」
叔父は春先に海外放浪の旅に出て以来、帰ってくるどころか、連絡一つくれない。
「ちい。また入れず、とは――」
俺しかいない稽古部屋で、俺がひたすらに全力を尽くしているのは、想定している対戦相手が『叶野流柔術の使い手である叶野辰真』だからだ。
叶野辰真と命を懸けて闘ったあの一戦――特に序盤に発生した死角の取り合い、二人ともが手も足も出さないという『歩法だけの闘い』は、特別記憶に残る得難い体験だった。
魔術師・穂村泰親に鍛えられた俺の足運びに初めて付いてきた強敵。
とはいえ穂村泰親ならば、叶野辰真が相手だろうが容易く死角を取って、致命的な一撃を入れたはずだ。
――とにもかくにも、俺は修行が足りない――
だからこうやって、日々の稽古の締めに、想像上の叶野辰真と死角の取り合いを一時間ぶっ続けでやっているのである。
昨日も、一昨日も、先一昨日も、その前も――夏休み明けからだ。
初めこそ
人間なんて所詮は怠惰で弱い生き物だ。どうせ、俺の無意識がわずかばかりでも楽をしようとして想像上の叶野辰真の動きを下方修正したのだろうが、そうは問屋が卸さなかった。
――タ、タタン。
――タタ、タン。
想像上の叶野辰真の踏み込みに合わせて俺が斜めに切り込んで死角を取ったと思ったら、冷静な叶野辰真は俺に振り返ることもなく更にもう一歩踏み込んで逃げおおせる。
――タ、タン。
――タン、タン。
――タン。
――タッ。
――タッ、タッ。
それから六回のやり取りがあり、七回目でようやくタイミングをずらした好機をつくれた。着地直後で無防備な叶野辰真を叩けるタイミングができたのだ。
さすがにこれは勝ったと思った。
気持ちが高ぶるよりも先に俺の身体が動き、大壺を掴んだままの右手が一気に跳ね上がる。
――――――――
しかし、だ。一時間超に及ぶステップワークの攻防の果てに放たれた一撃が、想像上の叶野辰真の顔面を砕くことはなかった。
だって、叶野辰真があの――膝も
叶野辰真の膝下だけがブルッと動いた次の瞬間、一気に遠ざかった叶野辰真の全身に、俺の右手は到達点を失って動きを止めてしまう。
大壺ごと右手を跳ね上げただけで、そこから先、肘を伸ばすことができなかった。
実に重たい大壺を最高速度で持ち上げて、無駄に体力を消耗しただけだった。
「はははっ」
しかし俺は『損した』と思う間もなく、イメージの叶野辰真を即座に追いかけている。
「ははははっ――!!」
髪先から大粒の雫が幾つも落ちるほどに汗まみれで、限界稼働の心臓は今にも破裂しそうで、重り付きの高速駆動に全身の筋肉・腱・骨が軋みまくっているのに、口元には大きな笑みだ。
「まだ味がするか、叶野流!」
体力の限界はもうだいぶ近い。
あと何分もしない内に、俺は糸の切れた人形みたいに動けなくなるだろう。
それでもだ。それでも俺は動きを弛めなかった。
むしろ最後の力を振り絞ってもう一段階ギアを上げた。今までの最高速を突き破って、新たな最高速に達してみせた。
「楽しいなぁ!! 叶野流!!」
俺一人しかいない稽古部屋で大きく笑って、今日も今日とてぶっ倒れるまで鍛錬し続けるのである。
……………………。
……………………。
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そういえば、明日――十月三日・月曜日は『文化祭の実行委員決めの日』だ。
まあ、文化祭実行委員と言えば、各種委員の中でも
どうせキラキラと輝く青春を乞い願う誰かが立候補するだろうし、俺にとっては普段と変わらない一日だろうが。
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