6.相棒は一年生

 委員会なんて普通の空き教室に机を組んで開催しそうなものなのに、今回、担任教師に指示された場所は理科室だった。


 それで俺は、文化祭イベント委員の『世話役』が誰かであるかを察するのである。


 十月三日、月曜日、夕方四時二十分。


「は、はぁ~い。みんな集まったぁ? 自分たちで人数数えてぇ。二十四人いるはずだからぁ」


 教壇に立った白衣の女性化学教師が、深くうつむいたままか細い声を上げる。


 やがて三年生の女子が「ちゃんと二十四人います、柊木ひいらぎ先生。始めてください」と返しても、白衣の女性化学教師――柊木先生が顔を上げることはなかった。


 それどころか「せ、先生ね、委員会の担当なんて絶対無理だって言ったんだよ? な、なのに、長峰教頭先生に、『若いうちに経験積みなさい』って、ほ、本気で怒られちゃって……」なんて愚痴を俺たちに聞かせてくるのだ。


「先生初めてだし、絶対に上手くできないけど、み、みんなは怒らないでね……」


 ずっとうつむいたまま長い黒髪を顔の前に垂らすその姿は、失礼ながら、まるでジャパニーズホラーに出てくる女幽霊のようで。


「ほんとのほんとに怒らないでね。みんなで先生を全力サポートしてねぇ」


 季節を問うことなく常に白衣姿。

 どんな時も決して目を合わせてくれず、ほとんどの生徒がまともに顔を見たことがない。

 まだ二十代らしいが実年齢や恋人の有無は一切不明。


 授業はわかりやすいし、先生だからと変に偉ぶったりすることもないし、妙な愛嬌もあるから生徒人気は非常に高いものの、ずいぶんと個性的な先生だった。


「そ、それじゃあ、プリント配るねぇ。先生、イベント委員さんのお仕事を一覧にしてきたんだよぉ」


 柊木先生のテリトリーである理科室に集められたのは、三学年八クラスから一名ずつの合計二十四人。


 見た感じ、仲のいい友達同士は二組くらいしかいないのだろう。

 二十四人中二十人が空いている席に距離を保っててバラバラに座り、理科室には初対面特有の緊張感が満ち溢れていた。


 当然、俺も一人っきりだ。


 一年生の時に同じクラスだった女子の姿はあるものの、事務的な会話をした記憶しかないから、知り合いじゃないも同然だった。


「お、お仕事の横に括弧かっこで書いてある数字は、担当者の人数だからね。先生、去年までイベント委員をお世話してた田中先生にちゃんと聞いたんだよ」


 それで俺が不意に思い出したのは、社会人時代の新人研修や中堅職員研修のこと。


 あれも見知らぬ人間同士が集められて、座学のあとにグループディスカッション、成果発表をやらされたりしたものだ。

 アジェンダ、ファシリテーション、ブレインストーミングとかいう、やたら小難しいカタカナ語を聞いたのもその時だった気がする。


 ステージ照明係。

 呼び出し・案内係。

 出演者(部活)連絡係。

 出演者(個人)連絡係。

 ステージ備品準備係。

 文化祭装飾製作係――――


 手元に来たプリントを見れば、だいたい想定どおりの仕事が並んでいた。


 だがしかし、だ。


 仕事一覧の最後尾に書いてある『文化祭特別企画! 一高いちこう最強決定戦!【杵築東悟、夏見なつみ千種ちぐさ】』の文字列……。


 一高最強決定戦がなんのことかもちんぷんかんぷんだし、何よりも本来人数が入っているはずの括弧かっこ内に俺の名前が既に記載してあるのが一番意味不明だった。


「あの柊木先生。二点いいですか?」


 気付けば手を上げて柊木先生に声を掛けていた。


「なっ、何――!? 先生何か間違えてた!?」


 柊木先生は俺の声にひどくおびえ、後ずさって黒板に張り付くのだが、俺は質問を止めなかった。背もたれのない理科室の椅子に座ったまま聞いた。


「仕事の欄にもう私の名前が入っているんですが……。それと、一高最強決定戦とは?」


 すると、強い糾弾ではないことがわかって安心したのか、弾んだ声で答えてくれる柊木先生。


「住吉先生から二年五組は凄くしっかりした子がイベント委員になったって聞いたから、さっき大急ぎでプリントに入れたんだよぉ。一年の夏見さんも、担任の平井先生が真面目さんだって教えてくれたし、杵築くんと夏見さんの二人体制なら安心だと思ってぇ」

「なるほど」

「先生、プリントの修正がんばりました」

「……評価してもらえるのはありがたい話ですが、特別企画のイベントを二人でやるのはきつくありませんか? この、一高最強決定戦――去年やってたミスコンの代わりですよね?」

「そうなんだよぉ。去年、君のクラスの野間さんと青木さんがぶっちぎりで票を取ったせいで、他の出場者の親から『容姿に順位をつけるのはけしからん』ってクレームが入ったんだよぉ。自由参加のミスコンに自分から出ておいて、とんだ親馬鹿どもだよぉ」

「まあ、クレームをきらってミスコンがなくなったのはしかたがないとして――最強って、ステージ上で殴り合いでもさせるんですか?」

「そっ、そんな暴力的なことダメだよ! 先生が校長先生と教育委員会に怒られる! せ……先生、男子たちが昼休憩の腕相撲で盛り上がってるのを見て、これはミスコンに代わりになるかもって閃いたんだよ……」

「つまりは腕相撲大会と?」

「そ、そう。腕相撲なら簡単に開けそうでしょ?」

「……とはいえ、さすがに二人は少なすぎると思いますが」

「しかたないんだよ。去年やってた田中先生が言うには、今年は文化祭の装飾係さんを増やさないといけないらしくて」

「大看板を造る係をですか?」

「その大看板を掲げるのに毎年使ってたやぐらが去年壊れたんだって。だから今年は櫓も造り直すわけで。大看板は我が校の文化祭の顔だからね。しかたないね」

「……なるほど……」

「どんなイベントにするかは杵築くんと夏見さんにお任せするし、予算も少しはあるから、みんなが盛り上がる奴をお願いするね」

「……………………」


 できるだけ楽な仕事がよかったが、プリントに名前まで書かれて、みんなの前で『杵築東悟と夏見なつみ千種ちぐさの二人ならできるはず』とまで言われて、それでも断固として拒否するという精神性は俺にはなかった。


 今はただ口を閉じて……面倒くさい……という文句を口内に閉じ込めている。 


「そ、それじゃあね、こっちの席から一人ずつ自己紹介していこっか。学年とクラスと名前、それと簡単に一言。そのあとはお仕事の担当を決めていくよ。りっ、立候補がなかったら、あみだくじでビシバシ決めていくからね」


 そして柊木先生の言葉で始まった自己紹介タイム。


 ――――――――――


 ――――――――――


 ――――――――――


 やがて。


「一年三組、夏見なつみ千種ちぐさです。よろしくお願いします」


 俺の相棒になるらしい一年生女子が椅子から立ち上がってぺこりと頭を下げるのだが――それは黒髪ミディアムの美少女だった。


 自己紹介の間、物怖じすることなく、照れ笑い一つ浮かべることなく、一言の部分で変におちゃらけることもなく――見るからに冷静で真面目そうだった。

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