26.魔術師とその弟子
白い女が叶野辰真の動かない身体にすがって泣いている。
――悲痛な泣き声ではない――。
死を願った男が念願を叶え……しかしもう会えないことを悲しんで、さめざめと泣く声。
野間さんはそのことが気になってチラチラと視線を動かしているが――俺と青木さんは、白い女を伴ってこのフロアに現れた『隻腕の男』とまっすぐ対峙していた。
見るからに格闘家という立派な体格。
しかし、黒い長袖ポロシャツの右腕がだらりと垂れ下がり、右腕の不在を俺たちに知らせていた。
隻腕男は、叶野辰真よりもずっと年上で、少なくとも四十路は超えているだろう。
不意に。
「……見事なり、
小声で俺の秘拳の名前を言い当てると、立派な左手を腰に当てて大きなため息を吐くのだった。
「驚いたよ。あの魔術師に弟子がいたなんてな」
俺は十分な警戒を保ちつつも、臆することなく一つ質問する。
「穂村泰親を知ってるんです?」
「知ってるも何も、この腕はあいつにやられたんだ。それで格闘稼業の看板を下ろして、今はゲヘナなんていう小さな犯罪グループの小間使いをやってる。生きるためには金がいるんでね」
想像はしていたが、やはりゲヘナの関係者だった。
それで野間さんと青木さんが
「オレに闘う気はないし、オレは殺さないでおいた方が得策だぞ」
隻腕男は人好きのする顔でそう苦笑するのである。
「――?」
無言で首を傾げた俺に、隻腕男は当たり前のことを言った。
「後腐れのない後片付けをする人間は必要だろうが」
そして白いフロアの中を歩き始める隻腕男。
俺と叶野辰真の闘いはほとんどすべて見ていたのだろうが、映像作家の死体を間近で確認し、壁際の叶野辰真と白い女を遠目に見て、またもや深いため息だ。
「やれやれ。だいぶ稼がせてもらったが、ゲヘナの火も今日この時までのようだな」
それから隻腕男はもう一度映像作家の死体に視線を落とし。
「……ゲヘナを名乗って地獄を創り出していたつもりが、本物の地獄の鬼を呼び出してしまったか……」
ゾッとするような冷たい声でそう言った。
とはいえ、俺が「スナッフビデオの注文主たちの居場所、教えてもらえます?」なんてお願いすれば、さっきの明るい苦笑が返ってくる。
「その必要はないさ。つい今しがた、生放送を見ていたVIPたちが『叶野辰真と映像作家を殺したのは誰だ?』と慌てて連絡してきたものだから、『魔術師の直弟子に違いない』と返事しておいた。懐かしい『残月』を見せてもらった礼だ」
「それだけで解決するんです? 野間さんと青木さんのエロ動画を所望してる奴らがいる限りは、根本の解決にはなってないと思いますが」
「いや、間違いなく解決している。彼らは――魔術師という言葉を聞いてしまった」
「はあ」
「神出鬼没の魔術師に五体を潰されて東京湾に沈められたいと思う特権階級はおらんよ。コンマ一パーセントでも魔術師が出張ってくる可能性があるなら……あの色情魔の老人たちも、死ぬまで息を潜めるだろう」
「はははっ。さすがは魔術師。ちょっと凄すぎるな」
「だからその二人は安全だよ。むしろ以前よりもずっと、な」
隻腕男の言葉に、野間さんと青木さんがお互いの顔を見る。
そして、詳しい事情はわかっていないものの、まるでクリスマスプレゼントをもらった子供みたいに顔を明るくするのだ。
美少女二人の様子を眺めた隻腕男が歩き出そうとするが、「あの――」とそれを引き留めた俺。
「なら、追加で一つ、VIPの奴らに伝えておいてもらえますか?」
「なんだね?」
「行くなら俺と穂村泰親の二人で行く、と」
「……鬼と魔術師か……老人たちは、この先死ぬまでずっと、見えない恐怖に苛まれ続けるわけだ。到底同情はできないがな」
隻腕男はどうしても笑いを我慢できなかったらしく、「はははは――全員老い先短いのに、大変なことになったな――」そうひとしきり笑ってから。
「わかった。必ず伝えよう」
それだけ俺に言って、叶野辰真と白い女の元に歩いて行った。
隻腕男を見送って振り返れば――――野間さんと青木さんが俺を見上げている。
俺は二人に何か言ってあげたくて、しばらく言葉を考えるのだが……。
「二人ともよくがんばったね。これで終わりだ」
頭に次々思い浮かぶのは、なんだか年寄りじみた労いの言葉ばかりだった。
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