27.かつて最悪だった9月1日に捧ぐ朝
「ふぁ~~~~――
油断して大あくびをしたら、叶野辰真との闘いで切った口の中に鋭い痛みが走った。
それで俺は足を止め。
「痛いなぁ……」
頬をつまんでグニグニと揉んでみるのだ。
切れた左眉は
二〇一六年九月一日、朝八時――
西府中市第一高校、二年生の教室が並ぶ校舎三階の廊下――
俺は、
冷房の入っていない蒸し暑い廊下は、窓が全開にされていて、遠くで蝉の声が騒がしく鳴っていた。
深呼吸してみれば夏の朝の湿った匂いがした。
――あの時は、校門に陣取った体育教師に帰されて、校舎に入れもしなかったからな――
一度目の人生における九月一日。
あの日は、生徒たちが来る頃には警察の現場検証がもう始まっていて、はた目にも学校は騒然としていた。
見たこともない数のパトカーが駐車場を埋め、何が何でも真相を突き止めてやると息巻いた何人かの男子が壁を乗り越えては教師たちに追いかけられ、校内に死体があったらしいとの噂を聞いた女子が校門前で泣いたりしていたのだ。
………………………………………………………………………………………………。
こんな、鳥の声さえ聞こえる夏の朝ではなかった。
「平和なものだ……」
まだ八時だっていうのに日差しは強い。
廊下に人気がないのは、みんながみんな冷房の効いた教室に避難して、夏休みの土産話に花を咲かしているからだろう。
「でも、こういう朝の方がいいに決まってる」
そう独りごちた俺は。
「ん~~~~~~~」
思い切り背伸びして筋肉痛の身体をほぐしてから、再び歩き出した。
――そうだ。いつもどおりの筋肉痛だ――
――夏休み最終日の昨日も、普通に空手の稽古をしていたからだ――
野間さんと青木さんを助けたって、それで俺の二度目の人生が終わるわけじゃない。
俺はこれから、俺の知らない俺の人生を歩んでいくことになるのだ。
また何かあった時のためにも一層強くなっておきたいし――そもそも俺は穂村泰親の空手が好きなのだ。
いつか魔術師・穂村泰親を真剣勝負で倒して、師匠孝行するのもいいな……そんなことも考えていた。
とはいえ。
「鬼神と呼ばれようと、魔術師は遠いねぇ……」
叶野辰真との闘いを思い出せば、魔術師との真剣勝負なんて片腹痛い話だ。
まだまだ未熟なひよっこ空手家。魔術師の背中が見えるのは、はたしていつになることやら――
そんなことをのんびり考えながら教室後方の扉に手を掛ける俺。ガラッと扉を開けると、「おはよー」夏休み前と同じく地味に挨拶するのだった。
「「「「「あ」」」」」
いきなり、教室の中にいたクラスメイト全員と目が合った。
よく話す数人の友達だけじゃない。
野間さんや青木さん、佐古くんや彼の友達たち、普段はほとんど話すことがない女子たちまで――正真正銘、教室にいた全員が、俺を見て声を上げた。
「え?」
俺は何事かと思って、眉をひそめる。
あまりにもみんなが俺から目を離さないものだから、俺はどうしていいかわからず。
「おはよう……?」
首を傾げてもう一度挨拶するしかなかった。
すると
「ちょちょちょ――っ!! 杵築くんが野間と青木を不良から守ったってホントの話なの!?」
「相手、十人以上だったんでしょう!?」
「しかもゴルゴダって聞いたぞ! 佐古の奴が多分そうだろうって! お前、ゴルゴダの奴らをぶっ飛ばしたのかよ!? どんな度胸だよ!?」
「それで野間さんと青木さんと一緒に、お礼のファミレスデート!? ずっりぃよなぁ!! お前、そんなの二年五組男子全員の夢だぞ!? なに勝手に夢叶えちゃってんだよ!?」
「その顔の傷!
「ねえねえ。ファミレスのあと、あの二人と朝まで一緒にいたってマジぃ? もしかして不純異性交遊やっちゃった感じぃ? 本当のことゲロっちゃいなよー」
次から次に質問や文句が飛んできて、何から答えればいいかわからない。何を答えればいいかわからない。
だから俺は、ぎこちない笑顔でこう言うのだ。
「の、ノーコメントで。詳しくは野間さんと青木さんにどうぞ」
つまりは、教室中央の机に二人で腰掛けて。
「ハロー東悟くん♪ 今日は登校時間ちょっと遅めじゃん」
「よく眠れた? 眠れてないなら、今夜わたしが添い寝しに行こうか?」
笑顔で俺に手を振ってくれた野間さんと青木さんに全部丸投げ。
「野間ちゃんたち、杵築くんの許可がないと詳しく話さないって言うのよ!」
「あー……許可するよ。うん、なんでも二人に聞いてくれていい。あと、俺の顔の怪我は、昨日盛大に
すると、俺なんかと話すよりも、野間さん、青木さんから詳しく聞いた方が手っ取り早いと思ったのだろう。興味津々の人垣がゾロゾロ大移動していった。
「ちょっとお前らぁ! 杵築のことじゃなくてオレたちの話も聞けよぉ! オレたちが体験した――『怪奇っ!! 真夏の夜に白服ノッポ現る!!』をっ! 沖田たち三人は後ろから殴られて気絶させられたし! 俺なんて
「そーだぞ! こちとら昨日ようやく
「もしかしたら死んでたかもなんだぞ!」
「オレなんか歯ぁ欠けちゃって、母さんにしこたま怒られたわ! なんでいきなり変人に殴られたオレが怒られてんだよ!?」
クラスメイトたちが野間さんと青木さんに群がる中、佐古くんとその友達三人が叫んでいる。
しかし見た感じ、今、彼らの話を聞こうとする人はいないようだ。
不良に絡まれたクラスのアイドルを、クラスの
男子四人が夜の道ばたで変質者に襲われたという
高校生的には、
「だからぁ、ゼンキュウを裏から出たところにゴチャゴチャしてる通りがあるじゃん。あそこ結構良い古着屋があるのね? なんていう名前だっけ碧?」
「ヴィンスター」
「そーそー、ヴィンスター。碧と一緒にヴィンスターでショーパン漁ってたわけ――」
野間さんが元気に説明しているが、彼女が話す八月二十九日の出来事は、すべて口から出任せだ。
よくもあんなにスラスラと嘘が吐けるものだな……そう苦笑いした俺は――ギシッ――自分の席に座るなり、右手で頬杖をついた。
そして、野間さんと青木さんが語る俺の活躍に耳を澄ますのだ。
「そんでぇ! 不良どもが振り返ったら、そこに東悟くんがいたわけ! ――え? 東悟くんがそこにいた理由? 知らないけど。たまたまじゃない?」
やがて野間さんと青木さんの話が進み、クラス中から「お~~~~~」とか、「まあ、あのデカさだからな」とか、「でもお前は十人以上の不良に向かっていけるか? オレは無理。声も掛けられないと思う」とかの声が漏れ――悪い気はしなかった。
「……………………」
俺は、楽しそうにクラスメイトと話す野間さんと青木さんを、頬杖をついたまま穏やかに眺めている。
そして―― 一つ気付くのだ。
二人が俺を持ち上げてくれるのは嬉しいが、そんなこと以上に、二人が無事に夏休み明けを迎えられたことに心が躍っている、と。
かつて彼女たちが迎えられなかった二〇一六年の二学期が、二人にとって実りあるものになってくれれば、それが一番だった。
「……………………」
俺は、楽しそうにクラスメイトと話す野間さんと青木さんを、頬杖をついて眺めている――
――――――――――――――――――
野間さんが、まるで我が事のように嬉しそうに言った。
「ね? 勇気があるでしょ。東悟くんって実は凄いんだから!」
<第一部 了>
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