六月四日 義徳、候補者たちを吟味する

 人の出入りがほとんど無い、満願商事ビルの地下にあるオフィス。

 そのオフィスで緒形義徳は椅子に座り、じっとテレビを眺めていた。画面には、ワイドショーの司会者が映し出されている。普段はいかにも軽薄そうな雰囲気を漂わせている男だが、今は神妙な面持ちだ。

 最近、真幌市の付近で起きている連続絞殺事件……マスコミは、この事件の犯人を「真幌の絞殺魔」などと呼んでいた。その事件の続報が今、ワイドショーにて放送されているのだ。

 僅か五日ほどの間に、立て続けに三人の若い女性が殺されてしまった。それも全部、灰色のネクタイで首を絞められるという不気味な手口である。しかも、犯人は絞殺に使用したネクタイを、遺体の首に巻きつけたまま放置している。

 この奇怪な事件に、マスコミが飛び付くのも無理はない。テレビでは、重要参考人が事情聴取されているとオブラートに包んだ言い方で報道している。だが、ここまで大々的に報道している以上、その重要参考人とやらが犯人である可能性は非常に高い。

 いずれ容疑者と呼ばれ、実名を報道されるのも時間の問題だろう。そもそも参考人の時点で大きく報道されているのは、警察側の圧倒的な自信のあらわれと見ていい。


 しかし、義徳は知っている。その重要参考人とやらは犯人ではない。犯人として裁かれることになる人物は、まだ自由の身で真幌市にてのうのうと暮らしているのだ。

 現在、仕事の手助けをしてくれている西村陽一がめぼしい人間を絞り込んでくれている。犯人となりうる可能性がもっとも高いのは、この三人のうちの誰かであるらしい。


 佐藤隆司。

 塚本孝雄。

 桜田将太。


 義徳は、机の上にある書類へと視線を移した。順番に、三人の写真や経歴書をチェックしていく。果たして、一番怪しく思えるのは誰だろうか? この三人のうち、もっとも犯人にふさわしいのは誰だろう?




 まず、三人の中でもっとも年長の佐藤隆司だが、彼には人殺しの前科がある。若いチンピラと揉めた挙げ句、角材で殴り殺して逮捕されたのだ。刑務所で約七年間、服役していた。一週間ほど前、出所したばかりである。

 もっとも、この男は単なる粗暴犯ではない。当時付き合っていた彼女を守るために、絡んできたチンピラを角材で殴ったのだ。それまでの人生を真っ当に生きてきて、逮捕歴すら無い。本当に不運な男である。

 もし仮に、娘の由希子が目の前で襲われたなら、自分も同じことをしたであろう……そんな考えが、義徳の頭を掠める。

 だが次の瞬間、義徳はその考えを頭から切り捨てた。そんなことは、今は関係ない。

 それよりも、隆司がもし絞殺魔だとしたら……その動機は、世間に対する復讐となるだろう。彼の事情を考えれば、充分に有り得る話だ。


 次いで塚本孝雄は、覚醒剤の依存症……俗に言うポン中である。まともな仕事に就かず、数日間アルバイトをして金を稼ぎ、覚醒剤を買うという爛れた生活をしている。

 覚醒剤の打ち過ぎにより精神に異常をきたし、奇怪な妄想に取り憑かれた挙げ句に連続殺人……これもまた、有り得る話である。世間の人に対しては、覚醒剤を打っていたという事実だけで充分だろう。この男に関する限り、動機など必要ない。


 最後に残った桜田将太は……一見すると真面目な男である。事実、調べた限りでは前科前歴は無い。アルバイトではあるが、きちんと仕事をしており、職場における評判も決して悪いものではない。

 しかし、義徳は知っている。将太の素顔は、極めて凶悪なものだ。かつては総合格闘技をやっており、今は夜な夜な町に出て不良やチンピラを叩きのめしている。相手を殺したこともあるのだ。

 将太が何のために暴力を振るうのか、その動機は不明である。今のところ、警察に目を付けられてはいないが。将太なら、絞殺くらい簡単にやってのけるだろう。

 ただ、この男の場合は、動機の点で今ひとつ弱い気はしなくもない。素手で人を殺せるような男が、わざわざネクタイを使うだろうか? という疑問はある。

 だが、その点も問題はあるまい。そもそも、この犯行自体が猟奇的なのだ。こんな事件を起こすのは、我々の常識では計り知れない思考の持ち主……少なくとも、ほとんどの人間はそう判断するはずだ。まして将太の場合、暴力に対する衝動が非常に強い。

 ならば、この男もまた容疑者になり得る。


 義徳はさらに考えた。

 今、警察が取り調べをしている男は弁護士と話し合い、だんまりを決め込んでいるだろう。だが、それもいつまで持つか。警察の取り調べは厳しい。今は容疑者に暴力を振るったりしないが、その代わりにあの手この手を使う。いったん目を付けられたら、普通の人間には耐えられないだろう。

 冤罪など、簡単に起こりうるのだ……無実の罪で裁かれた挙げ句、死刑に処せられることもある。そのことを、義徳はよく知っているのだ。




 午後五時になり、義徳は家路につく。その足取りは重い。やはり、この仕事は好きになれなかった。辞めて正解である。この仕事を長く続けていけば、みんな住田健児のような人間になってしまうだろう。

 健児は人間をやめた存在だ、と義徳は思っている。日本社会の暗部が生み出した、本物の怪物であり必要悪なのだ。あの男は目的のためなら、手段を選ばない。

 さらに、その健児が連れて来た陽一もまた同類であろう。一見するとどこにでもいそうな青年だが、その目付きや醸し出している雰囲気は普通ではない。右手でハンバーガーを食べながら、左手で人間の指を切り落とすことが出来る男だ。

 かつて義徳は、こういった男たちを何人も見てきたし、また関わりもした。この業界には、もう二度と戻りたくないと思っていた。

 それなのに、いつの間にかこのゲームを夢中でプレイしている。生身の人間を盤上の駒として動かす、悪趣味なゲームに。




 家に帰り、扉を開ける。すると、さっそく黒い毛の塊にまとわりつかれる。猫のマオニャンだ。マオニャンは喉をゴロゴロ鳴らしながら、しきりに顔を擦り付けていく。全身で、義徳の帰宅を喜んでくれているようだ。


「ただいま、マオニャン」


 義徳は微笑みながら。マオニャンの背中を撫でる。その時、奥から有希子が出てきた。


「おかえりなさい」


 そう言って微笑む。こんな自分でも、暖かく迎えてくれる家族がいる……義徳は、あらためて幸せを感じた。


 この生活だけは、なにがなんでも守る。

 たとえ、どんな手段を使ってでも。


 胸のうちで呟きながら、義徳はスーツを脱いだ。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る