六月四日 将太、かつてのライバルに会う
「本当に久しぶりだな、将太。お前に会えて、マジ嬉しいよ」
言いながら、男はビールの入ったコップを口に運ぶ。一方、桜田将太は複雑な思いを胸に秘めながらも、笑顔でそれに応じた。
将太の目の前にいるのは、かつて同じ総合格闘技のジムに所属していた
スター選手のように華々しい活動はしていないし、派手な勝ち方もしていないが、それでも現在ほ総合格闘技団体『戦斗』の全日本ライト級チャンピオンである。いずれは、海外のメジャー団体へ挑戦するのでは……と噂されていた。
そんな飯田と将太は同期であり、仲が良かった。同じジムに所属していた頃から妙に気が合い、共に練習に励んできたのだ。また、共に遊びに行くこともあった。しかし、将太がジムから離れると同時に、疎遠になっていたのだ。
その飯田とついさっき町で再会し、懐かしさからふたりは居酒屋に入ったのである。
もっとも、将太の心中は複雑ではあった。マイナーな世界ではあるが、それでも飯田の活躍ぶりは否応なしに耳に入ってくる。自分と飯田……かつては、同じくらいのレベルだったはずだ。
だが、今はどうなのだ?
「お前、いま何やってんだよ? おっ、まだまだ鍛えてるような感じだな」
そう言いながら、飯田は不意に手を伸ばしてきた。そして、将太の肩や腕の肉をつまむ。
「おお、きっちり鍛えてるじゃねえか。いや、現役の時より筋肉は付いてるかもしれねえな。お前、ジムに戻って来る気は無いのか?」
「いや、右目がヤバいからな……」
そう言って、将太は笑みを浮かべる。もっとも内心では、どす黒い感情が渦巻いていた。
そう、かつて将太は総合格闘技の試合に出場した。アマチュアではあったが、勝てばプロに昇格というものである。ところが試合中、組み合ってもつれた際に相手の指が目に入ってしまったのだ。
試合そのものには、どうにか勝利した。だが、それ以来、右目はほとんど見えなくなってしまった。
「飯田、お前の活躍ぶりも聞いてるよ。凄いじゃねえか。いずれは、アメリカに行くのか?」
将太が尋ねると、飯田は自信たっぷりの笑みを浮かべる。
「ああ、もちろんさ。日本じゃ、総合格闘技の評価は低すぎるし、いろいろ面倒なこともある。だけどアメリカなら、きちんと実力を評価してくれるからな。試合に勝って実績を作っていけば、地位も名誉も得られる。もちろん、ファイトマネーも日本とは段違いだけどな。やっぱり、アメリカはいいよ」
笑顔で語る飯田の顔を見ているうち、将太の胸に渦巻くドス黒い感情は、さらに大きくなっていった。
直後、彼はつまらないことを口にしていた。
「なあ、この前ネットを見てたら、総合格闘技はしょせんルールに守られたスポーツだから実戦では使えない、なんて言ってる奴がいたんだよ」
「ああ、いるなあ……そんな奴。ま、俺はそんなの相手にしないけど。どうせ、リアルじゃまともに闘えねえ奴らだし」
言いながら、飯田はまたしてもコップを口に運ぶ。その表情が変わってきている。明らかに、不快そうな表情だ。それと共に、将太の胸に渦巻く感情も、少しは晴れてきた。
だが、飯田がその後に発した言葉は、将太の心をさらにかき乱すこととなってしまう……。
「まあ、そいつらが何者なのかは知らないよ。ただ、そんなにルールの無い実戦とやらがしたいなら、日本で吠えてないで紛争地帯にでも行きゃいいんだよ。それか、傭兵になって戦場に行くとかな。そこで好きなだけ実戦的な技を振るってくれ、としか言い様がないな」
「え……」
想像もしなかった言葉に、将太は困惑した。一方、飯田は話を続ける。
「いやさ、もしそいつらが本気で実戦とやらがしたいんなら、日本にいてもしょうがねえじゃん。ルールの無い闘いを追究していきたいなら、それにふさわしい場所に行くべきだろうが。今の日本みたいに平和で安全な場所に居て、殺し合いに使える技を学ぶ……俺には意味が分からねえよ。いや、百歩譲って学ぶのは構わねえ。人それぞれ好みがあるからな。ただ他の格闘技を、ルールに守られてるなんて言い方で馬鹿にするのはおかしいだろう」
帰り道、将太はさらに苛ついていた。
飯田の言葉に対し、将太は何も言えなかった……日本という国に住み、平和で安全かつ便利な暮らしを甘受していながら、殺し合いについて語るというのは、間違っているのではないだろうか。
自分のしていることは、ただの犯罪なのか?
「クソ!」
将太は吠えた。そして足早に歩く。全身の血が、闘争を求めて沸き立っていた……人を殴りたい。殴りたくて仕方がない。その欲望に突き動かされ、将太は歩き続けた。
そして、探していたものを見つける。
「おい兄ちゃん、ちょっと待てや」
突然、擦れ違った二人組が因縁を付けて来た。肩がぶつかったのだ……いや、将太の方からわざとぶつかっていったのである。ふたりは憤然とした様子で、詰め寄って来る。ぼくはチンピラです、と宣伝して歩いているような外見の若者たちだ。
当の将太は内心、ほくそ笑んだ。こうまで簡単に引っかかってくれるとは……本当に救いようのないバカだ。将太を注意深く観察すれば、自分たちの手に負えるタイプではないことくらい分かりそうなものだが。
「てめえ、ちょっと来いや!」
言いながら、二人組は将太の襟首を掴み、
数分後、二人組はうめき声を上げながら、地面に倒れていた。顔からは鼻血、さらに両手で腹を押さえている。どちらも、将太の左ボディフックと膝蹴りで片が付いた。何とも呆気ない連中だ。
いつもの将太なら、ここで引き上げていただろう。だが、今日はこれで済ませる気にはなれなかった。
将太は倒れている男の足を掴んだ。相手の足首を自らの脇に挟む。
次の瞬間、相手のかかとに思い切りひねりをくわえる。ヒールホールドという関節技だ。一瞬で足を壊せるため、アマチュアの試合では禁じ手に指定されることも多い技である。
そのヒールホールドを、将太は手加減なしで掛けたのだ──
直後、凄まじい悲鳴が上がる。男はヒイヒイ叫びながら、足を押さえてのたうち回った。
それを見て、将太は舌打ちをする。これでは、誰かに通報されてしまう。さっさと逃げなくてはならない。将太は、その場をすぐに離れた。
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