愛憎む/千年の恋が冷める時
「––––––八恵!? どうした、八恵!!」
ハナビたちを局長に託し、僕は新しい力を振るって戦っていた。
分身を彼女の目前に、本体をその後方に置いた状態で《
自分の後方から殺気を感じたのだ。
危機を察して振り向き、そのタイミングで、八恵さんが巨大な姿のままなだれ込んできた。
そして、いつもの姿に戻った八恵さんは、苦しそうに呻いたまま、動かなくなってしまった。
「ぼぼっ……ぼ、ぼぼ……ぼぼ、ぼぼっ……」
思えば、少し妙だ。
《
まるで、八恵さんが意図的に手加減をしているかと思えてしまうほどに。
その部分への疑念もあって、彼女の一連の行動に得体のしれない不信感が生じてしまっている。
「一体、何がどうなってんだ?」
「––––––ぬらりひょん殿ッ! 警戒を!!」
すると、建物の方角からツムジさんが飛んできた。
その後方にはハナビも、アマグモさんも、ヒマワリちゃんもいる。尾上さんと局長も走って来ている。
状況の異質さを悟って様子を見に来た……だけではなさそうだ。明らかに緊迫したような顔を見せている。
「鮎川ァ……かどうか微妙だが、警戒を怠るんじゃねェ。新手がいるぜェ」
「……新手?」
この場に新手––––––僕と、八恵さんと、もう一人別の存在がいるというのか。
そこで微かに確信する。
僕の後方から迸った殺意の源こそが、それなのではないかと。
頭を疑問で埋め尽くしながらも視線を動かせば、呼吸の粗い八恵さんの、その背中。
海藻のように粗雑に伸びた黒髪の一部が、真っ赤に染まっているのが見える。
そして、そこに刺さった小刀も。
「まさか、この刀から庇ってくれたのか……!?」
「––––––そのようだね。一応聞いておきたいのだが、君は“骨杙”を知っているのかな?」
「ほね、ぐい…………」
……聞いたことがない。
異譚課に入ってまだ1年目の僕にはそもそも知っていることの方が少ないし、陸郷さんの記憶の中にも該当する情報は見当たらない。
ただ、その名前からはある程度の推測は可能だ。
それが杙だというのであれば、先の鋭い武具……ちょうど彼女の背中に刺さっているアレのような。
「それは怪異を確実に仕留めるために作られた呪物だ。人間相手には致命傷すら与えられないが、怪異であればその存在を一方的に殺すことができる」
局長の説明で目を丸くする。
彼の言葉が真実だとすれば、その傷を受けた時点で、八恵さんは––––––
「…………ひょ、うぜん、さん……」
「八恵……! どうして、俺を庇ったりしたんだ……!!」
彼女は、陸郷さんを恨んでいたはずだ。
契りを破り、一方的に見限って、約束を裏切った男を許せなかったはずだ。
それに、その巨躯で僕を庇ったとしたなら、僕の背後に迫っていた“骨杙”に気付いてからでは遅くなるはず。
「ぼぼ……ごめん、なさい。“八百比丘尼”の事件の後、私……百狗衆の人に取引を、持ち掛けられて……」
「百狗衆……?」
「なんだと……それは本当か、竹永くん!?」
また聞いたことのない言葉が出てくる。
どうやら局長はその名前を知っているようだが、その表情は険しいまま。
となれば十中八九、ろくな組織ではないのだろう。
雇われた……その言葉が正しければ、一連の行動はその百狗衆の指示に従った結果ということになる。
“逆刃羅”を盗んだのも、そのまま逃走し、戦闘行為すら辞さなかったのも。
すべて彼女本人の目的––––––“ぬらりひょん”を蘇生するために刀を盗もうとしているわけではなかったのか。
「いえ……瓢染さんに会い、たかったのは、本当よ……」
「取引、つったなァ。じゃあ、“逆刃羅”と“餓濫洞”を持ってくる見返りは……」
「えぇ。彼らは……鮎川恒吾を、始末する、代わりに……“ぬらりひょん”を、蘇生させてやる、って……。両脚以外の部分の在り処を、し、知ってるって……」
耳を疑った。
どうやら、真に狙われていたのは僕の命だったらしい。
それにその言い方では、あちら側には本物の“ぬらりひょん”を甦らせる手段が整っているかのようだ。
それが事実だとすれば、八恵さんの本懐も果たせるし、巨頭山の妖怪たちにとっても悪い話ではない。
もし本当に、一度死んだ妖怪が同じ自我を持ったまま現世に復活できるとしたら––––––
「––––––言っちゃ悪いがよォ、そりゃ話が上手すぎるぜェ」
しかし、そんな僕の期待感も、尾上さんの冷たい声でかき消された。
「奴ら……斎賀百狗衆の連中はよォ、いわば任侠モノだァ。怪異を意図的に呼び出して暴れさせ、怪異退治を過剰な金額で受けて、マッチポンプを平気でやるようなクソ野郎共だぜェ?」
「……気に食わない人間に呪術を吹っ掛け、どんなに無害な怪異でも一方的に殺すための“骨杙”を製造し続けている。我々の理念にも、あるべき社会にも反している組織だ」
「まず間違いなく、竹永へ持ち掛けた取引は嘘だろうよォ……。そもそも鮎川の命を引き換えにしてる時点でクソだぜェ」
尾上さんと局長の言葉を聞き、八恵さんは悔しそうに涙をこぼし始める。
だが、その表情に見えるのは失望ではなく、諦観に近いものだ。
彼女としても、百狗衆の言葉の真偽を勘付いていたのだろう。
だから、彼女に抱いた違和感の正体が、今になって僕にもわかった。
「––––––だから、奴らを騙すことにしたんですね」
「……あ、やっぱり、バレてた?」
いつの間にか僕の髪色は黒に戻っていたが、今の僕には些細なことだった。
尾上さんや局長は怪訝な顔をしたが、僕にはわかる。
彼女はやはり、手加減を加えていた。
その目論見はおそらく、八恵さんに関与してきた百狗衆の逮捕。
自らがピエロ役を買って出て、異譚課を裏切ったフリをしていたのだ。
そしてその思惑通り、百狗衆の人間はこの現場に来ていたのだから、彼女の読みも当たっていたわけで。
「だからと言って、無断で“逆刃羅”を盗むとは……」
「ごめん、なさい……。こうでもしないと、ひーくんが、殺されちゃうかも、だから……」
だが、八恵さんにも読み違いがあった。
最大の誤算は、相手方が“骨杙”なる呪物を持ち出したこと。
間違いなく、僕を刺し殺すために用意し、あの場で投擲したのだろう。
僕は7割が怪異となった《ぬらりひょんモード》になっていたし、殺せなくとも、致命傷は与えられていたはずだ。
ましては正真正銘の怪異である八恵さんでは、恰好の餌食である。
「ぼぼぼ……騙してたバチが、あたったね……」
「八恵さん……! 局長、助かる方法は無いんですか!?」
行き場のない悔しさをぶつけるように、局長へと問う。
だが、彼は依然として顔色を変えず、首を横に振るだけだった。
「–––––残念だが……。そもそも“骨杙”の逸話は強大で、本来は人の手には負えない怪異を強引に祓うためのものだ。仮に“八尺様”という怪異譚の残滓が残ったとしても、それは竹永くんとは違う“八尺様”になってしまうだろう」
その点では僕の《
だが、怪異の生まれた原因にも触れず、怪異の想いに寄り添いもしない“骨杙”は、異譚課が掲げている理念にも僕なりの考え方とも反している。
到底、許容できるものではない。
だからこそ……自分があの時庇われていなければ、八恵さんが傷つくことが無かったのではないかと考えてしまう。
僕がもっと上手くできていれば、もっと早く気付けてさえいれば、こんなことには––––––
「ひーくん、これを……君に……」
震えた腕が伸び、握られていたものが僕の手へと託される。
それは、絢爛な装飾の施された、重みのある日本刀だった。
“逆刃羅”––––––陸郷瓢染の右脚を基に造られた、もう一本の忘れ形見。
「やっぱり、これは……ひーくんが持ってないと、ね……!」
「…………いいんですか? 僕は、陸郷さんにはなれないんですよ? 力を使わせてもらってるだけの……偽物ですよ……?」
それは、僕が18歳の誕生日からずっと考えていたことだ。
妖怪たちの忠心に感謝しつつも、心の何処かで抱いていた感情。
僕はどうやっても、陸郷瓢染にも、初代“ぬらりひょん”にもなれない。
彼らが抱いているのは既視感で、面影で、彼らにとって理想通りの“ぬらりひょん”になることは、きっと僕には出来ないんだ。
それは、八恵さんの愛した陸郷さんも同じ。僕では、真の意味で彼女の想い人にはなってあげられない。
どう繕ったってそれは演技で、その場しのぎでしかない。
「ダーリン……」
「…………あるじ、追い詰めてごめんね……」
警戒にあたってくれていたハナビとヒマワリちゃんが、申し訳なさそうな顔を見せる。
違う。違うんだ。みんなが悪いわけでも、みんなを責めているわけでもない。
僕の実力が足りないだけなんだ。
僕じゃ、みんなの期待には応えられないのかも知れないから。
「陸郷さんの記憶を見て、彼の生き様も、みんなとの思い出も知って……やっぱり思ったんです。僕じゃあ、この力と責任を負う資格なんて––––––」
そこまで弱音を吐いて、そこで声が出なくなった。
いや違う。出せなくなったんだ。
唇が、ふさがれて。
八恵さんの弱々しい、それでも綺麗なままの顔が、目の前にあって。
永遠にも思えた数秒が過ぎ、驚いたままの僕の唇から、やっと八恵さんが離れる。
「あはは……やっぱり、ドキドキしてるや」
「……や、八恵さん!?」
「……言ったでしょ、昔の恋を忘れたいって。私はもう、とっくにフラれてるから……。それに、ドキドキするってことはさ、鮎川恒吾くんに、恋……してるってことじゃない?」
照れくさそうな、どこか悲しそうな顔を見ていると、思い出したことがあった。
初めて八恵さんと出会った日。“巨頭オ”を救うために“ぬらりひょん”を受け継ぐ決意をした夜のこと。
彼女は僕の目を見て、嬉しそうに言っていたんだ。
『……バケモノ相手でも優しいんだね、君は』
僕はその目を、僕を真っすぐに見つめる目に、微かな危うさを感じていた時もあったのだけれど。
でも今なら、その目こそが、八恵さんなりの想いだったのだとわかる。
あの海のような、深く、黒い、底の無いような瞳。
「ひーくん、だから……きっと、ハナビちゃんたちもそうだよ……?」
「–––––––にゃぁ……! そうにゃあ!! ダーリンだから大好きにゃんにゃあ!!」
「…………うん! もう、あるじ以外の人は、あり得ない……!」
「出会ってから17年……心を通わせてもう6年でござる。今さら、ふさわしくないだなんて考えるわけないでござる!!」
「ですカラ親方様! そんなことはおっしゃらないで下さい!!」
八恵さんの言葉に連れられ、みんなが口々に思いの丈をぶつけてくれる。
いいんだろうか。特別な生まれでもない僕が、ただ力を借りているだけの僕が、ここまで言ってもらえるだなんて。
大切な存在たちから、そんな風に思ってもらえるだなんて、こんなに嬉しいことがあってもいいのだろうか。
気が付けば、僕の頬には涙が伝っていた。
八恵さんを守れなかった不甲斐なさと、みんなへの感謝で、自分でも感情を抑え込むことが出来なくなってしまった。
「––––––竹永。お前は鮎川のことに関して、職務違反に触れることはしてねェって……そういう意味で捉えていいんだよなァ?」
冷静なままの尾上さんが、情けなく涙するだけの僕に代わって口を開く。
八恵さんは静かに、それでも確かに頷いた。
そして、気を見計らったように、彼女の肉体が塵になって消えていく。
細い腕も、黒い髪も、溢れてしまった血も、涙の滲んだ笑顔も、すべて無くなっていく。
僕はただ、彼女の手を握って泣くことしか出来なかった。
「ごめんね……ひーくん……。帽子、買いに行きたかったなぁ……」
◆◆◆
結局、局長が言うところの第三者は見つからなかった。
八恵さんの遺体は残らず、証拠品である“骨杙”からは何の情報も出なかった。
「––––––なァ、竹永は本当に、“足売りババア”に情報を流したのか?」
尾上さんの抱いた、6年前の事件に関する問い。
その点に関しては局長も疑問視したようで、当時の状況の精査を改めて進めてくれるらしい。
僕としても、八恵さんが父さんの死に関わっていたとは、もう考えたくない。
“逆刃羅”は、正式に僕が受け取る運びになった。
あのように受け取った手前、僕としても、ハナビたちとしても、もう手放したいとは思えなくなってしまっていた。
局長も尾上さんも、そんな僕たちの我儘に理解を示してくれた。
結局、何も得られていない。
謎と恐怖だけが残っていて、大切な人まで失った。
“足売りババア”の発言の真偽も、
“雲外鏡”をアサガオちゃんに与えた人物も、
僕が斎賀百狗衆に命を狙われる理由も、
あの場で“骨杙”を投げた人物は誰だったのかも、
何もわからないままに、八恵さんは死んでしまった。
唇には、微かな血の味が残っていて。
心に杙を打たれてしまったような、重たくて、忘れられない感情が、僕の中を渦巻いていた。
彼女の最期の言葉が頭の中にずっとあって、忘れられない悔恨として、呪いの言葉として、僕を苛み続けている。
もうすぐ、春が来る。
異譚課に入って、もう1年が経つ。
だけど、後ろを振り返ってみると、散々な1年だった。
何度も死にかけて、傷を負って。得たものは少なく、失ったものは多くて。
それでも、僕は逃げ出したいだなんて思わない。
一度死んで、生まれ変わった18歳の誕生日から、僕はもう後戻りできないんだ。
だから、失うものを減らすために努力するしかない。
もうすぐ、春が––––––新しい季節が、巡って来る。
多くのものを、置き去りにして……。
ぬらりひょん警部補は後ろから刺す~警視庁異譚課介入係~ 御縁読人 @tenkataihei0917
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