愛憎む/痴話喧嘩すら喰らう影
ウチを抱えたまま顔を覗き込み、優しく微笑む人物。
その姿と声を聴き、ウチは思わず、その名を漏らしていた。
「ぬらりひょん様……! どうして……!?」
見違えるはずがない。怪異として生まれたばかりの自分を救ってくれた、心優しきウチらの頭領。
かつて人の身ながら怪異へと堕ち、死してもなお山の妖怪たちを守ってくれていた、その人だ。
「––––––親方様!? ま、まるで生き写しだ……!」
膝を付いたアマグモちゃんが驚いた顔を見せ、
「…………でも、今のあるじと、同じ顔してる」
感情の起伏が大人しいヒマワリちゃんまでも目を見開き、
「一体何が起こっているでござるか……!?」
ツムジちゃんはその混乱を素直に吐き出すしかなかった。
実際、みんにゃの驚きは痛いほど理解できる。ウチも同じ心境だからだ。
この目に映っているのは間違いにゃく“ぬらりひょん”だが、同時にダーリンでもある。
つまり、“陸郷瓢染”と“鮎川恒吾”の面影を同時に感じるのだ。
顔立ちや外見は二代目だが、その雰囲気や存在感は初代のものとしか考えられにゃい。
どちらでもあって、どちらでもにゃい。どちらか片方とも断定できにゃいし、別の時代を生きた二人が混ざり合ったはずもにゃい。
にゃのに、どうして……。
「ぬ……ぬらり、ひょんっ、さまぁ……!!」
どうしてこんにゃにも、胸が暖かいのだろう。
あの時の、家に入れてもらったばかりの頃に心が戻ってしまう。
瞳が熱くなって、頬を生暖かいものが流れていく。
可笑しいにゃあ。ウチは炎を操る“火車”にゃのに。どうしてこんなに涙が……。
「辛い役目を押し付けて悪かった。後は俺がやる。
アマグモ、ヒマワリ! 建物まで戻れ! ツムジはハナビを連れて上へ!」
「––––––な、ぎょ、御意に!」
怪訝な表情のままのツムジちゃんがウチに肩を貸す。
その様子を最後まで見守って、ダーリン?は再び口を開いた。
「“大口真神”が結界を張っているはずだ。そこで控えていろ」
…………やっぱり、誰かわからにゃい。
顔も、背丈も、声も、息の吐き方も、ダーリンのもの。ウチが間違えるはずがにゃい。
でも、その口調が、威圧感が、優しさが、懐かしく思えてしまって仕方にゃい。
目の前にいるのは、一体––––––
「貴方は……一体誰なのでござるか? どっちでござるか?」
ツムジちゃんがハッキリと口にする。
きっとヒマワリちゃんとアマグモちゃんも同じ疑問を抱えているはずだ。
問いかけられた人物は少し逡巡し、見慣れた笑顔で、懐かしい声を響かせた。
「誰かわからない––––––なら、それでこそ“ぬらりひょん”だろ?」
◆◆◆
思いついたままに言葉を選んでみたけれど、あんな感じでよかったのだろうか。
でも、ハナビたちは嬉しそうな顔をしていたし、上手く演じられているのだろう。
とは言いつつ、自分でも驚くほどに口調が合っていて、今の自分のまとう空気に違和感を感じないのが不自然だが……。
局長の補助を受けた結果、心身に流れる霊力の量は膨れ上がったようだし、自分の身体が人間のそれから離れつつある感覚もある。
体が羽のように軽い。少し力むだけで万能感が湧いてくる。
“餓濫洞”を抜いている時にも似た、それを遥かに凌駕する“異能力の実感”だ。
それに髪色が黒から白になっているし、気のせいか毛量も増えているようだ。
他にも差異があるのかもしれないし、今のうちにこの姿に慣れておきたいとも思うのだが––––––
「––––––ぼぼぼ、ぼぼぼぼ、ぼぼぼぼぼ、ぼぼぼぼぼぼ」
だが、自分のことを考えている余裕は無さそうだ。
自身へと突き付けられる鋭い視線、その元に目を向ける。
その見てくれは、まさしく大樹と百足が混ざったようだった。
白い布で胴体を包んでいながらも服とは思えないほど引き延ばされており、黒い髪は滝のようにあふれて顔を隠している。
伸びた胴の側面からは無数に細い腕が生え、そのすべてが拳を握って開戦の時を待っているようだ。
ただ、待っているだけであって、こちらへ牽制する素振りすら見せてこない。
「––––––久しいな、八恵。まさかお前まで怪異になるなんてな」
深く考え過ぎずに、口から洩れるままの言葉を紡ぐ。
“餓濫洞”の霊力を身体に流され、僕の頭にも流れ込んできた、俺の記憶。
その情景の中で現れたあの人は、およそ一千年前から変わらない笑顔の持ち主だった。
宇治元八恵。
現代まで生き延びた、怪異“八尺様”。
竹永八恵として僕の隣にいた、陸郷瓢染の恋人。
「ぼぼ、ぼ……瓢染、さん……」
思い返せば、彼女は一度だって「恒吾くん」とは呼んでくれなかった。
“足売りババア”の件で出会ってから、ずっと「ひーくん」の一点張り。
そんな彼女の心情に気付けないほど、俺は朴念仁ではない。
きっと八恵さんは僕を見ていたのではない。僕の受け継いだ力の方を見ていたんだ。
「悪かった。嘘を吐いて、お前を傷つけてしまった」
陸郷さんの裏切りにずっと怒っていたのだろう。
永遠を誓い合っておきながら、彼は上からの権力に屈し、気に食わない奴らの謀略を受け入れた。
彼女の気持ちを知っていながら、彼女の依存の深さに気付いておきながら、「真実を知って悲しませないために」と自分を正当化したんだ。
……なぜだか、自分事のように申し訳なくなってしまう。
「……俺のせいで怪異になっちまったんだろ? それについては何度だって謝る。だけどな––––––」
その結果がこれだ。
彼の言葉のせいで宇治元八恵は死にきれなかった。
“八尺様”に成り果て、彼女が裏切りを働いてもいなければこうやって向き合う機会すら得られなかった。
恋愛感情のもつれを根幹とする怪異譚などいくらでもある。
いくらでもあるということは、それだけ人の心を揺さぶる大きな感情なのだ。
死してなおも、生きながらえたい、呪い続けたいと思えるほどに。
「だけど、お前はやってはいけないことをした。俺は、お前を止めなきゃならない」
しかし、現状において彼女は容疑者に過ぎない。
僕がこの場にいるのも、彼女を止めるためだ。
“逆刃羅”を強奪して逃走、挙句の果てに追っ手を攻撃。立派な職務違反だ。
それに加えて、6年前に遡れば捜査情報の漏洩と“足売りババア”への殺害教唆の疑いまでかけられている。
これ以上、罪を重ねさせるわけにはいかない。
「だからさ……この千年、言いたかったこと、言えなかったこと、ぶつけ合おう」
右手の“餓濫洞”を構え、全身に巡る霊力に気を集中させる。
僕としては初めて使う膨大な力ではあるが、ハナビを救った際にコツは掴んである。
そもそも局長からはこの力を使うしかないと言われたのだ。選択肢はない。無理でも使いこなすしかないのだ。
「秘技、《
「ぼぼ、ぼぼぼ、ぼぼぼぼ、ぼぼぼぼぼ、ぼぼぼぼぼぼ、ぼぼぼぼぼぼぼ––––––」
さぁ、世界で最も物騒な痴話喧嘩を始めよう。
◆◆◆
ボロボロに砕けた壁の向こう側では、戦争が勃発していた。
窓にしては大きすぎるし、扉にしてはいびつすぎる枠の内側で、二つの膨大な力がぶつかり合っていたのだ。
片や、愛する者に救われた恨みつらみを拳に乗せる漆黒の大樹。
片や、千年の意思を継ぎ、人の身でありながら怪異性を伴う青年。
彼らは私の傍らで、尾上に守られながらその光景を見つめていた。
八つの瞳からは涙が流れ、そのどれもがかつての主人の戦いを目に焼き付けている。
千年に渡って積み重なったのであろう感情が溢れたのだろう、“火車”や“唐傘化け”は嗚咽を漏らし、“座敷童子”と“鴉天狗”にいたっては向き合い方に崇拝に近いものを感じる。
巨頭山の四天王––––––数十年に渡る調査の結果に辿り着いた、“百鬼夜行“の伝承の成れの果て。その中でも異彩の技量と存在感を放つ、四体の怪異。
同系統の妖怪たちからリーダー格として慕われ、付喪神や動物霊でありながらも人間に類似した姿を持ち、他の妖怪に引けを取らないほどの忠心を“ぬらりひょん”に捧げる……山を調査した異譚課職員がその様子から「四天王」と形容した存在こそが、彼らなのだ。
そして、安倍一族に遺された記憶が正しければ。
およそ一千年前、人造怪異として改造された陸郷瓢染を救いに行ったとされる四体の妖怪と同一の存在でもある。
安倍奉常に連れ立って儀式の場へ乗り込み、立場のある彼の代わりに、完全な怪異となる前の“ぬらりひょん”を助け出したという記録があったのだ。
その際に儀式に使用されていた“呪力”や“穢れ”を身体に取り込み、同類よりも高い霊力と人間に近い身体を獲得するに至ったのだという。
それこそが、“ぬらりひょん”という怪異譚を引き立てる要素の一つ。
“ぬらりひょん”が特級の指定を受けているのは、他者の認識を捻じ曲げる能力を有しながら、従っている怪異たちの量と質が非常に高いとされているからだ。
そのはず……だと、異譚課では考えられていたはずなのだが––––––
「––––––《
鮎川くんの振るった刀は“八尺様”の目元をかすめ、もう一人の鮎川くんの一閃で複数の腕が切り落とされていく。
視界を失ったのか、それとも腕を失った痛みに悶えているのか、大樹は大きく軋み、出鱈目に腕と黒髪を振り乱している。
その荒れ狂うような暴力も、彼は簡単に避けてみせるのだ。
異譚課でも無力化が困難とされていた特級指定怪異譚を、いとも簡単に、手玉にとるように翻弄している鮎川くん。
だが、その状態こそが想定外なのだ。
あまりにも、“ぬらりひょん”が強すぎる。
おかしい。想定を大幅に上回っている。上回り過ぎている。
私が行ったのはあくまで鮎川くんの人間と怪異との比率を反転させただけであって、その能力のスペックは二倍近く上昇するだけだと踏んでいたはずだ。
まさかとは思うが、私の想像以上に“ぬらりひょん”の力と彼の心を混ざり合って、本来のフルスペックを引き出せるようになった可能性がある。
事実、白髪になった彼の言動・仲間への呼びかけ方は、普段の鮎川くんのそれではなかった。
演技というにしても、いささか凄みというか……うまくは言えないが、本物らしさがやけに強い。
「––––––なっ!? 親方様ッッ!!」
“唐傘化け”の叫びで思考を現実へと引き戻す。
目前には、鮎川くんを押しつぶすかのように胴を投げうった“八尺様”が。
彼にもたれかかった状態で、そのまま大木が切り倒されるかのように、なだれ込んでいく。
不覚を取ってしまったのか、と一瞬思ったが、即座に考えを改める。
私の目線の先には、“八尺様”の背中に走る傷と、とあるものが映っていたからだ。
我々異譚課が忌むべき、おぞましい物品が……。
「にゃっ! 今すぐ助けに––––––」
「待て! 君たちは周辺の確認にあたってほしい……!」
“火車”を言葉で抑え、四天王に指示を飛ばす。
だが、私は“ぬらりひょん”とは何ら関係のない人間だ。彼らを動かせられるほどのすごみはなかったようで、怪訝な顔を返される。
おそらくは、何故そんなことを言ったのかを疑問に思っているんだ。
「尾上もだ。霊力を防御ではなく、警戒に割り当ててほしい」
「どういうことでござるか?」
「にゃあ! ぬらりひょん様が倒されたんにゃら、助けるべきにゃ!!」
訝しむ視線を受け、私は恐る恐る口を開く。
そも先ほどの光景は、“八尺様”が鮎川くんを圧し潰しために倒れこんだわけではない。
彼女は、彼を、ある物品から守るために庇ったのだ。
そして彼女はその背中に、その物品を突き刺されてしまっている。
私の眼にはそれが見えたのだ。
つまり–––––
「あの場に……“ぬらりひょん”でも“八尺様”でもない、第三者がいる」
別の存在が、彼らの戦闘に介入している。
それも、“八尺様”ではなく、鮎川くんを狙って。
「…………相手は、新手の妖怪?」
「いや、おそらくは人間。しかも同業者だ」
“座敷童子”の質問に答えると、周囲から再び疑問の表情が浮かぶ。
私とて驚いているし困惑している。だが、そうとしか考えられないのだ。
鮎川くんを庇って“八尺様”が負った傷……その由来は、投げられるほど軽量の短刀によるものだ。
それこそ、私が目を見張る原因となった物品であり、忌むべき殺意の象徴たるもの。
その短刀に冠された名は、“
かつて京都に現れた“
異譚課は原則として、無害な妖怪には保護と援助を施し、有害な怪異には発生原因や事件背景を調べることで再発防止を目指すことが義務付けられている。
「怪異だから殺すべき」「人間ではないから追い払うべき」という古く人間本位な考え方では、本当に守るべきものを守れないからだ。
かつての陰陽師においては、穏健派という派閥を源流とする由緒正しき考え方とされているのだが……。
その主張に相反する捉え方をする派閥というのも存在していたらしく、安倍家ではそれを、過激派として敵対視ないし警戒をしていたという。
ここまで話せば、もうわかるだろう。
一方的に怪異を死滅させる呪物と、一方的に怪異を払おうとする過激な一派。
異譚課とは根本的な考え方を別とする、そんな二つの要素に関連が無いわけがなく。
それが示す一つの事実、それが––––––
「あの場に、
それは、陰陽師の過激派が、現代にまで生き永らえた形。
怪異を悪用するヤクザ組織の名であり、我々が相対するべき犯罪者たちだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます