愛憎む/仏心鬼影
およそ5年間に及ぶ学生時代の特訓の最中、僕は尾上さんから怪異との戦い方を知り、西小路さんと斬鬼さんからは刀の扱い方の全てを叩き込まれた。
その過程で得た技は、四つ。
“ぬらりひょん”の左足で造られた刀……“餓濫洞”に秘められた認識改ざんの能力を活かした剣戟であり、相手の意識を逸らしたり、誤認識を一方的に与えるなどといった効果を発揮する。
警部補として任務に従事し、自分の弱さと未熟さを痛感し続ける中で、僕は新しい技を模索すること考えた。
「一年目の新人が焦る必要はない」だなんて尾上さんからは言われたけれど、僕の視点では怪異の実在を知ってもうすぐ六年になるのだ。
意志の弱かった自分を変えるためにも、慕ってくれている妖怪たちを安心させるためにも、可能な限り早く一人前に成熟したい。
そういった使命感と焦燥が生まれるのに、この五年はあまりにも十分な長さだった。
閑話休題。
僕が思案していた新しい技というのは、誤認識を与える能力の発展型。
《
つまりは、「誤認識した偽りの存在にも、質量が保有させられている」……ように感じられる状態を作るのだ。
早い話が、分身の術。
居るように見えるだけの分身体だあっても、触れられた、斬られた、蹴られたといった感覚すらも誤認識してしまえば、それは質量を持ったもう一人がいるのと同義ではないだろうか。
敵対する相手にそういった誤解を与えられれば、僕の対応できる場数の量は格段に増えるだろう。
それこそ、五つ目の技にして秘技、《
「––––––おぉ!? 鮎川くんが二人に……!」
「あの馬鹿野郎ォ、無茶しやがってェ……」
二人の上司から真逆の反応が聞こえてくる。
だが、その返答が出来るほどの余裕は僕には無い。
実質的に二人分の行動・作用が可能であるこの能力には、致命的な問題点がある。
それこそ、分身体の動きを本体である僕が考えなくてはならないというもの。実質的に二つの身体を動かさなくてはならないのだ。
そして、八恵さんはそんな時間をみすみす与えてくれるような相手ではない。
「ぼぼぼ! ひーくんが増えたわ!! ぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼ!!! まとめてもらっていこうかしらぁぁぁぁ!!!!」
「––––––ぐおッッッ!!?」
上機嫌に殴られた。二人まとめて。
蛇のように図太く伸展された胴体は、側面から無数の細く白い腕を生やしている。
以前タイマンで戦った“足売りババア”とは手数が違う。
加えて、樹海のように生い茂った長い黒髪の塊は彼女の顔面を覆い隠しており、どの面を向いているのかを判別するためにはある程度挙動を見なくてはならない。
「ぼぼぼぼぼぼぼぼ……私、言ったわよねぇ……? 相手に触れられる分身ってことは、こっちからも触れられるってことなのよ……ぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼ!!!」
二人同時に複数の拳を叩き込まれる状況なんて、なかなか無いでしょうに……。
まさかこんなに早く、その弱点を突いて来る相手と戦う羽目になるだなんて。
だが、これ以上に汎用性のある技があるわけでもない。
他の四つの技を見舞うためにも、手数を増やして隙を突くべきなのだ。
局長の施術によってスペックが跳ねあがっているのであれば、そのやり方でも食い下がれるはず––––––––––––
「ぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼ––––––」
「––––––《
降って来た無数の拳が、淡く輝く壁に妨げられて、直前で止まる。
傍を見れば、尾上さんが《自己抑制結界》を解除して自身の力を解放していた。
「鮎川くん、問題が発生している」
「……問題?」
「君の怪異性なんだが、7対3の割合から変動が見られない。霊力の通る道は開いたが、君の方から無意識的にせき止めてしまっているようなんだ」
……どうして?
局長にはしっかりと霊力を流してもらったはずだ。夢に見た光景から察するに、この身体に何も起こらなかったとは到底思えない。
それに、《
尾上さんからこの技の使用を可能な限り控えるように言われていたのは、そういった理由があるからだ。
僕の怪異化が進めば、僕がいざという時に人間へ戻れなくなるから……といった優しい配慮があっての勧告である。
その懸念を押し退けてでも、怪異化の促進を決断したというのに、どうしてパワーアップ出来ていないんだ?
僕の方から無意識的にせき止めているなら、本心では怪異化を恐れているのか?
それとも、何か別の……。
「恒吾殿ッ!」
「…………大丈夫そう。安心した」
振り返れば、瓦礫の山の向こう側からみんながやって来ていた。
ツムジさん、アマグモさん、ヒマワリちゃん、そしてハナビ。
皆、土ぼこりを肌に付け、衣服も所々破けてしまっている。やはり僕が眠っていた間、部屋の向こう側で八恵さんと戦っていたのだろう。
「ダーリン、アイツ強すぎるにゃ!!」
「“百鬼夜行”を呼び出しても、勝てるかどうか……」
アマグモさんの思案に同意する。
数百の妖怪そのものを攻撃の手段としても、あの状態の“八尺様”に通用するかは定かではない。
あんなバケモノ染みた状態の八恵さんは初めて見るし、きっと僕が見て来た中でも最高のスペックを誇っているのは間違いない。
だからこそ局長は僕の怪異性を引き上げ、同じ特級指定怪異譚の力を限界まで引き出そうとしたんだ。
「––––––みんな、頼みがある」
ならば、僕がやらなきゃいけない。
頭の中でとっくに成り立っていた仮説から鑑みても、僕が決着をつけるべき案件だ。
だから、その為に確かめるべきことがある。
「どうにか時間を稼いでくれ」
無責任な言葉だと、言い放ってから思う。
具体的な作戦もないし、相手はこの場の誰よりも強い怪異だ。
尾上さんの張った結界だって、どこまで持つかわからない。
だが、四人は真っすぐに僕の目を見つめ、頷いた。
「御意」
「…………わかった」
「断る理由がにゃいにゃぁ♪」
「親方様、信じております」
そう言い残して、彼らはバリアの向こう側へと飛び出す。
小さな竜巻が巻き上がり、複数の火花が飛び散り、蛇の目傘にぶつかった拳がはじき返され、そして驚くほどこちらに降って来る殴打の数が減っていく。
みんなが、僕を信じて頑張ってくれている。
捜索隊がここまで来るのにもまだ時間がかかるだろうし、僕もへこたれてなんかいられない。彼らが傷ついてしまう前に、対処をしなくては。
「……鮎川くん、何を––––––」
「局長、“ぬらりひょん”の正体って、誰ですか?」
その言葉で、局長の表情が固まった。
この人の家系であれば……由緒正しき安倍家の人間であれば、きっと記録が残っているはずだ。
安倍家がこの千年余りで関わって来た怪異も、厄災も、その全てが受け継がれているはずだ。
“餓濫洞”と“逆刃羅”の存在を知っていた彼が、それを知らないはずがない。いや、その点について調べていないはずがない、と言った方が正確かも知れないが。
「––––––“陸郷瓢染”ですよね?」
「…………やはり、“餓濫洞”の霊力と感応したんだね?」
首を縦に振り、そして局長はこうなることを予期していたのだと確信する。
僕が見ていた夢は、“ぬらりひょん”の霊力を注がれた結果として出力されたもの。
血液と一緒に全身を巡った霊力は、もちろん僕の脳組織にも入り込んだはず。
そうして、僕の記憶に“ぬらりひょん”の記憶が……“陸郷瓢染”を自称する人物の過去が介入したんだ。
ならば、きっと同一人物なのだろう。
“ハナビ”という名前の黒猫が、彼に懐いていたことも確証の一つだ。
あの夢が途切れた後、かの人物は人造怪異に……“ぬらりひょん”となった。
妖怪たちを引き連れて、過激派陰陽師からの追跡から逃げ続けて、そして巨頭山を終の棲家としたわけだ。
そして、自身の死期を悟った“ぬらりひょん”は、自分のせいで招いた不始末から決して逃げようとはしなかった。
巨頭山には、怪異を引き寄せるほどの妖刀、“餓濫洞”を遺し、
信頼できる友人だった“安倍奉常”には、もう一本の“逆刃羅”を送った。
「……“逆刃羅”には、持ち主の霊力を増幅させ、その状態で安定を保たせる力がある。これは私の推測だが、きっと奉常様の身を守るために送ったのではないだろうか?」
局長の推測を聴いて、僕は思わず笑ってしまった。
あまりにも、優しすぎる。
悪いのは過激派の連中や、その圧力に屈した当時の上層部だというのに。
妖怪達にも、陰陽師側にも、お互いに自衛の手段を用意するだなんて。しかも、自身の身を削って作ったものだというのだから、僕からすれば正気の沙汰ではない。
それに、それだけじゃない。
夢から覚める直前、彼の頭の中にあった想いだって、怪異にしては優しすぎる。
“仏心鬼影”……安倍奉常から送られた、安倍晴明の言葉。
たとえ怪異と関わろうとも、穢れに触れようとも、自らがバケモノになろうとも……それでも誰かの為を想う心があれば、鬼に呑まれることは無い。
その言葉を反芻した時、頭に浮かんだ人物は、一人だった。
宇治元八恵。
目の前で狂瀾のまま踊る、“八尺様”の本来の姿。
彼女を守りたい一心で、かの人物は怪異に成り切らなかった。
そして彼女のもとから離れて、逃げ続けたんだ。
「凄い人、だったみたいです。迷っていた僕とは大違いだ」
「……その迷いが、力を引き出せなかった理由か」
「僕がどれだけ“ぬらりひょん”に近づいても、“陸郷瓢染”にはなれません。だから、これでいいのかって考えてしまったんです」
ハッキリ言えば、彼と僕は赤の他人だ。
子供が居なかった訳だから祖先でもないだろうし、そもそも生きている時代が違う。
彼の甘すぎる考えだなんて無視して、目の前の“八尺様”を駆除することこそが、異譚課介入班としての英断だろう。
それに、結果論とはいえ彼女は怪異になってしまった。
千年の時を生き永らえ、この国でも著名なバケモノになってしまった。
それでも、心優しいバケモノの本懐を、僕は果たしてあげたい。
何故ならば、僕は“餓濫洞”の継承者だから。
“陸郷瓢染”の力を受け継いだ、二代目“ぬらりひょん”なのだから。
「でも、もう迷いません。これ以上、僕の仲間は傷つけさせないし、八恵さんにも傷つけさせない」
「そのために、“ぬらりひょん”を演じる、と……」
無言で頷く。
これが、僕の答え。
あの言葉の、僕なりの捉え方だ。
その意志を確認した局長は、険しい表情のまま一歩退いた。
僕の身を案じながらも、やり方を尊重してくれるらしい。冷静なようで、意外と人間味のある人だ。
こんな危機的状況で知りたくはなかったけれど。
右手で“餓濫洞”を強く握り、目を閉じ、意識を集中させる。
全身を包む強烈なプレッシャーと騒音を無視し、内なる自分の根源と向き合う。
迷いと不安を押し退けて、身体中に巡ったあの人の決意を引き寄せる。
あとは、自分を騙す言霊を唱えるだけだ。
その言葉で、僕は僕自身を誤認する。
「––––––奥義、《
◆◆◆
全身が軋み、積み重にゃった痛みが臓器にまでダメージを及ぼしている。
得意にゃ炎とは違った、肉の内側から響く熱さが精神を犯してくる。
まさか、本気を出した“八尺様”がここまで強かっただにゃんて思いもよらにゃかった。
それと一緒に、ダーリンを取り合ってわーきゃー言えていた頃のことを思い出す。
正直に言うと、妙にゃ親近感があった。
ダーリンを……鮎川恒吾を見つめにゃがら、何処か別の方向へ想いを馳せているようで。似たようにゃ感覚があって、自分と同じ危うさを感じていた。
「––––––邪魔だぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼッッッ!!!」
「ッッッ––––––」
でも、そんな感傷に浸っているべきじゃにゃかったみたいだ。
後悔に足を引きずられているうちに、日の光を遮った拳の雨が降って来る。
避けられるほどの体力は、もう無い。
アマグモちゃんとの距離は遠すぎるし、ツムジちゃんもヒマワリちゃんも手一杯だろう。
思えば、ウチにゃんてただの化け猫だ。位の低い妖怪だ。
人間ににゃいがしろにされた猫たちの無念、それが寄り集まっただけ。
炎を手繰っても、火花を散らしても、圧倒的な呪怨とスペックは上回れない。
おまけに燃費も悪い。お腹が減ってまるで身体が動かにゃい。
文字通り、火の車ってやつだにゃん。
「時間を稼げ」って、頼ってもらえたのに。
飼い猫のくせに、大切な主からの命令もろくに達成できないにゃんて。
不甲斐にゃい。情けにゃい。恰好悪い。
そんな無念で胸を満たし、せめてもの抵抗に、炎の天井を生成––––––
––––––しようとして手を止める。
いや、止めるしかなかった。
側方から勢いよく“何か”が接近してくる。
ものすごい速度で飛来する物体はウチを抱きしめて、そのままの速度で拳の暴雨を回避した。
「……ハナビ、無事か?」
意図しない横移動が収まった直後、自分の頭上から優しい声がする。
お姫様だっこで抱えられ、ウチの顔へと目線を向けてくるその人物は。
細くも筋肉質な身体、決意に燃える瞳、黒いスーツに映える白く長い髪。
そしてその顔は、この6年で向かい合ってきたものであり、17年前から守り続けたものであり、そして––––––
「ぬらりひょん様……っ!?」
一千年もの間、想い続けていた人だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます