愛憎む/そして生まれたぬらりひょん

 御上へ精一杯の嫌味を伝えにいった後、屋敷の近所の方にも遠出をするという名目で挨拶周りを行った。

 皆して「寂しくなる」と物悲しい顔を見せてくれたが、最後は笑顔で背中を押してくれた。

 しかし、これから死ににいくのに保存食を大量に貰ってしまった。どうしよう。


「お前はお人好しがすぎるんだよ……。勿体ないなら私が貰っておこうか?」

「悪いなぁ、奉常。せがれと仲良く食ってくれ」


 干し柿やら魚の干物やらが入った袋を手渡し、奉常にも別れの挨拶を済ませる。

 受け取った直後、彼は非常に珍しい表情を俺に向けた。



「……陸郷、ハッキリ言うがこれは罠だぞ。過激派にとって邪魔なお前を消すために、それっぽい理由をたてて、研究の尊い犠牲だからと言って殺すつもりなんだぞ?」


 わかっている。仮に本当に怪異を滅ぼすための怪異になれたとしても、怪異となった時点で陰陽師にとっては駆除対象だ。

 どうあがいても、敵視されている状況に変わりはない。

 上がその実験を承諾し、上からの名目で呼ばれたからには、嫌でも逆らえない。


 しかし、それでも俺は明日を迎える必要がある。

 怪異になることを受け入れる必要がある。

 過激派と穏健派の対立を激化させないためにも、俺が御上の苦しい事情を汲んでやるべきなのだ。

 なによりあの連中は、自らの利益のためには手段を選ばないきらいがある。

 俺を庇い続けてくれた奉常や穏健派の方々へ、これ以上に迷惑をかけたくない。

 いずれ訪れるかもしれない強大な怪異を討つためにも、京の都に生きる人々の明日を支えるためにも、陰陽師側が勝手に自壊していてはならないのだ。


 俺は、そのための人柱になる。


「お前は優しすぎる。そのせいで、自分の首を絞めている気がしてならなくてな……」

「奉常がそう言ってくれるだけでも、ありがたいってもんだぜ?」

「……はぐらかしやがって」

「それにさ、下の名前で呼んでくれって言ったろ~」

「…………」


 神妙な面持ちのまま、無言で返されてしまった。

 せっかく和ませてやろうと思ったのに、これでは余計な世話をかけてしまったのと同じだ。

 しかし、彼のそんな心遣いが嬉しく思う。

 御上から厄介な仕事を押し付けられながらも、頻繁に文句や皮肉を言いながらも、それでも俺に従事してくれた、日の浅いながらにお互いを知り合った相方がそう想ってくれることがありがたい。


「ハナビのこと、頼んでいいかな?」

「私に懐くとは思えないが……頼まれてやろう」


 やはり、頼りになる男だな。

 明日を迎える前に、彼と話せてよかった。



「––––––“仏心鬼影ふっしんきえい”」

「は?」


 何だ急に? 呪術にまつわる言葉か何かだろうか。

 我ながら間抜けな声が漏れてしまったが、表情のみで聞き返す。


「私の家に遺されたかの高名な陰陽師“安倍晴明”の言葉だ。より正確に言うのであれば、彼の言葉ではなく、彼の生き様を表しているんだが……」

「意味は?」

「『仏のような人相であっても、優しい心を心身に宿していても、その姿は時として鬼となり、誰かにとっての恐ろしき影になる』という意味らしい」


 それは……誰にでも当てはまる危うさを示すと同時に、陰陽道のことも指しているのだろう。

 誰にだって得手不得手があって、好き嫌いがあって、誰かへの親切は誰かへの妨害になり兼ねない。

 陰陽道も似たような一面がある。

 怪異という影と渡り合う術を持つということは、怪異に近づくということ。

 官吏などと高尚な立場があるために民衆から嫌悪されることは無いが、日頃から怪異と触れて異質な物事を研究しているのだから、それは正常なものとは言えない。


「ってことは、俺の存在そのものだな。怪異に優しくすればするほど、御上は困るし過激派は怒りだす。俺の懇意は、誰かにとっての害悪ってわけだ」

「……いいや、それだけじゃない」


 奉常からの皮肉をゆっくりと咀嚼していると、彼の方から否定してきた。

 驚いた。また俺に冷たい言葉を投げかけて来たのかと思ったのだが。



「かの吾人が遺した言葉には、もう一つの意味がある」




  ◆◆◆




 結局、眠れないままに日の出を迎えた。

 早朝と言われてもはっきりとした時間を伝えてはくれなかったので、眠らなかった方が良かったのだろうけど。

 あの気に食わない悪漢は、そういった小さなところでも嫌がらせをしてきたわけだ。

 話の非現実さに呆気にとられ、そういった点に気付けなかった俺にも非はあるのだろうけども。


 恨み辛みを独り言ちていたら、いつの間にか件の屋敷に辿り着いた。

 入り口にはご丁寧に待っていたのだろう、悪漢こと武弦が立っていた。

 俺を視認したのだろう。威圧感のある笑みを浮かべ、口を開く。


「臆さずに来たことだけは、褒めてやる」


 お前に褒められたって嬉しかないやい。

 俺がわざとらしく不満そうな表情を浮かべつつ、彼に追従して屋敷の中に入った。


 既に護符と注連縄で一定の空間が確保されており、俺を寝かせるのであろう薄い布も敷かれている。

 恐らくは、俺の心身に穢れを注ぎ、それが外部へと漏れ出してしまわないようにするための部屋……のようなものだろう。

 いや、部屋というよりかは処刑台だな。俺専用に拵えられた死地とも言える。




「––––––では、始めさせていただきます」


 それからの段取りは、驚くほど円滑だった。

 ろくな説明も無く、気を遣った声かけなどもなく。

 即座に死装束を着せられ、寝かされ、そして開始の声掛けを受けた。

 そんなに俺のことを殺したいですか? まぁ、だからこその布陣なんだろうけど。


 チラと横目に見れば、戦原いくさばら陰露院かげゆいんの姿を見受けた。

 あの二人も蛇蔵武弦と並ぶ、過激派の筆頭に数えられる人物だ。

 せっかく呪術の才能があるんだから、もっと余裕をもって仕事すればいいのに。

 それが出来ないからこそ、俺を恨んでいるのだろうけど。

 その点で言えば、彼らだって“仏身鬼影”が当てはまる。彼らなりの正義は、俺にとっての障壁であり相容れない邪悪だ。



「歯ぁ食いしばれよ、“気違い陸郷”……!」


 数秒遅れて、体の内側に何か重たいものが流れ込んでくる。

 流動体のようなものは視認できず、俺以外の人間は距離を置いて、円を描くように並んでいるだけだ。

 つまりは、これが穢れの感覚。

 陰陽師がこれまでの歴史の中で忌避し続けて来た、触れてこなかった実体。

 人と怪異との差異であり、人が触れてはならなかった異物。


 だが、それほど嫌な感覚でもない。

 明らかに自分とは異なるものだが、拒否反応のような痛みは感じない。

 これに比べたら、ハナビに手を引っ掻かれた方がはるかに嫌だったろう。


 驚くほどにゆっくりと、自分の中が変わっていく。

 痛みの無いまま、自分の内側と外側が引っ繰り返って混ざっていくようだ。

 自分が蛞蝓になったような、体感的にも引き延ばされた現実の中、俺は奉常から教えられた言葉を反芻していた。



『かの吾人が遺した言葉には、もう一つの意味がある』


 それは、表面通りの意味しか読み取れなかった俺へ奉常が付け加えてくれたこと。

 誰彼構わず好かれるような人間などいない、そんな皮肉めいた言葉に隠された偉人の真意。


『誰かにとっての仏が、誰かにとっての鬼であるのなら……、どんな悪鬼の身にも、仏の御心が隠れているとも言える。見えないだけで、どんな化け物にだって寛容さが宿っている』


 それは、逆説的な物の見方だろう。

 同じ状況を他者からの視点ではなく、自分からの視点で見ている。

 誰彼構わず好かれる人間がいないなら、善性のみの人間が居ないということ。

 もし本当に居たとしたら、死んで化けて出るだなんて事象は起きていない。

 きっとその危うさは俺でも、奉常でも、安倍晴明でも一緒だ。


『安倍晴明は怪異と渡り歩き、“十二天将”と呼ばれる異形の式神を率いつつ、それでもなお国の為に職務を全うし続けた』


 だが、かの偉人はやりきった。

 彼が亡くなってそれほど時間が経っているわけではないけれど、歴史に名を遺している。

 目前の青年の家系が陰陽道という学問の担い手たる由縁を築き、都を異なる存在から守り続けた。

 心の中に鬼を抱えながら、鬼を相手に、最後まで生きた。



『なぁ、瓢染。お前が誰かの為に戦い続けられるのなら、きっと––––––』


 もしそうだったら、俺にも……、俺が怪異と成り果てようとも––––––




  ◆◆◆




「––––––かわ!! 鮎川ァ!!」

「ッッッ!?」


 目を覚ますと、そこは無機質な天井だった。

 きっと僕は寝転んでいるのだろう。尾上さんと局長が覗き込んでいる。

 僕の惚けた顔を見て安堵してくれたのか、お二人の表情がいくらか緩んだ。


「……鮎川くん、気は確かかな?」

「えぇ、大丈夫で…………それより局長、僕を八恵さんの捜索に行かせてください!」


 だが、彼らの心配を押し退けてでも、僕には行かなくてはいけない場所がある。

 今すぐにでも会いに行かなくてはならない人がいる。


 僕は、夢を見ていた。

 誰かの瞳が映した光景が、僕の脳内に情報として雪崩れ込んで来た。

 そして僕の胸の中に残るこの感情は、それが単なる夢であったことを否定してくる。

 この夢は……いや、この記憶はきっと––––––



 ゴンゴン。

 鈍い音の発生源は、この部屋に備わった唯一の窓だった。

 カーテンで遮られているが、誰かが叩いたのだろう。



『––––––恒吾殿! ツムジでござる! お伝えしたいことがあるでござる、開けて下され!』



 窓の向こうから、ツムジの声が聞こえる。

 そういえば、ツムジたち四人を建物の周辺に待機させておいたはずだ。

 何か情報を掴んだのだろう。はやく話を聴くべきだ。


 そう考えて急いで立ち上がろうとした……僕を、局長が優しく止めた。



「––––––それには及ばないよ、鮎川くん。ほら、部屋の角にあるアレを見てくれ」


 局長の指さした方向を見る。

 そこは、部屋の隅っこ。二枚の壁が垂直に交わり、床のフローリングを貫いている、その境目。

 小さな皿の上には、白くて見るからにザラザラとした山がそびえ立っている。

 あれは、塩だ。盛り塩だ。

 ただ一点だけ、その先端部分が真っ黒に変色していることのみが気がかりなのだが……。


「黒い食塩なんて……ありましたっけ?」

「いや、ねェよそんなもん。穢れて、黒くなっちまってんだよォ」


 ですよね。見るからに異様な物品だ。

 穢れてしまっているのだとしたら、その原因は怪異によるものだろう。

 それに、「部屋の隅に置いた塩が黒く変色する」という事象には聞き覚えがある。

 ちょうど、僕が遭いに行きたい怪異譚だったはずだ。


「……来ているんですね、ここに」

「あァ。はなしの通りだな」

『恒吾殿! 早く開けて下され! どうしたのですか!?』


 勝手に納得している様子に腹が立ったのか、窓の向こうの存在は、尚も話を続ける。

 いつも冷静なツムジであれば、しないであろう強い語気だった。

 やっぱり、偽物なのだろう。

 よく聞く“八尺様”の逸話によれば、扉越しに他者の声をまねるのだとか。


「局長、八恵さんは……“ぬらりひょん”を甦らせようとしてるのかもしれません」

「“ぬらりひょん”を……? だから、右脚である“逆刃羅”を盗んだと?」

「なんでお前がんなことわかるんだよォ?」


 局長が訝しみ、尾上さんが詰め寄ってくる。

 申し訳ないけれど、その点について細かく説明している暇はない。

 局長に再び目線を向けると、僕の意思を読み取ったのか、強く頷いてくれた。


「––––––鮎川くん。すまないが、ぶっつけ本番で使ってもらうことになりそうだ……いけるか?」


 窓からの怒号を意に介さず、冷淡に問いかける。

 もちろん、これから始まるだろう戦闘についての懸念だ。


「……えぇ。大事なことは、もう教わってきましたから」


 尾上さんはまたしても不思議そうに僕を見たが、局長は安心したように息を吐く。

 やはり、僕の身に何が起こったのかを把握しているような様子だ。全部が片付いたら、もう一度話を聴くべきだろう。



『––––––どうして! どうして開けて下さらないのだ!? どうして……どうして、どうして、どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテ––––––』


 怒号は嗚咽に変わり、狂気に染まっていく。

 窓を小突く音が、一枚の薄壁を殴り、叩き割らんとするほどに強くなっていく。


『ぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼ…………!!!』


 そして、瓦礫が弾ける。

 窓ガラスはおろか、窓枠が、それが埋め込まれた壁まで吹き飛ぶ。

 土煙から生えて来たのは、無数の拳。

 ムカデの脚かのように蠢き、その根元が部屋の中へずるりと流れ込んでくる。


「……“餓濫洞”も回収しに来たようだな」

「鮎川ァ、気張れよォ……!」


 刀を……“ぬらりひょん”としての自分を引き抜く。

 今の僕でも勝てないような相手であることは百も承知だ。


 だが、昔のようにおめおめと逃げることも、ひたすらに怖がっているばかりじゃ居られない。

 僕がやらなきゃ、いけないから。

 貴女を救えるのは、“ぬらりひょん”しか居ない。


「迎えに来たよぉ……ひーくうううううううん!! ぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼ!!」

「––––––––––––秘技、《識促絶空しきそくぜくう》……!!」


 八恵さんの為に、この命を懸けてやる。

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