愛憎む/陸郷瓢染という男
陰陽道への理解も、呪術を操る技量も申し分なく、流石は名家である安倍の生まれといったところだろうか。
ただ、自らの境遇に裏付けされた自尊心の大きさを隠せてはいないし、いわゆる克己心がその成長を大幅に停滞させてしまっているのが問題点だ。
と言っても、そんな人間だからこそ他人に注意されるより自分で自分の欠点を見つけ出す方が良いため、俺からわざわざ指摘してやる道理なんて無いのだが。
「…………なんだ、そんなに人の顔をじっと見て」
「いや、美形で腹が立つなぁ、と思ってな」
実際のところ、非常に顔立ちが整っている。
そのせいで大衆からの人気もあり、宮中でも多くの女性たちから慕われているんだとか。
普段から……おそらくは幼少期から、周囲の人間に持て囃されて育ってきたというのも、その自尊心の肥大に一役買ってしまっているのだろう。
本当に、傷ましい限りだ。
彼が安倍の生まれであることこそが、陰陽師としての真の素質から遠ざけてしまっているのだから。
もちろん、そんな後ろめたい事ばかり考えているのは、彼の美形を羨ましく思っているから……という事など無い。本当だ。憧れてなんていない。
「…………
「いや、別に羨ましいわけじゃ……いや、すまん」
変な勘違いをされても困る。
ここらで彼の顔に関して考えるのは控えよう。
兎にも角にも、そんな危うい心持ちの美青年であっても、現在は俺の相方なのだ。
彼の暗い部分ばかり評価するのではなく、彼の為人(ひととなり)を前向きに捉えようではないか。
「––––––と言うより、奉常! 俺のことは下の名で呼んでくれと言っただろうが!」
「私は、お前のそういう馴れ馴れしいところが苦手なんだよ」
馴れ馴れしいだなんて心外だな。
どんな相手であっても仲良くなることが俺の心情だし、その馴れ馴れしさだって俺の数少ない長所なのだ。そんな言い方はよしていただきたい。
そもそも、名家のご子息様が俺の名前を言い淀む必要なんて無いのだ。
俺の名前はそんなに高名なものではないし、陰陽道に関わる家の生まれでもない。
この仕事に就いている理由だって、幼少期に怪異と関わった経験があったってだけのことだ。
奉常にしてみれば、自分よりも格段に劣っているであろう男だろうに……何故だか余計な遠慮をしているように見えて仕方がない。
まぁ、無理強いするつもりもこちらには無いけれど。
「––––––というか、そいつ、一昨日の“火車”だろ。大丈夫なのか?」
「言っただろ。この子は悪い子じゃない。優しい怪異なんだよ」
呼び方の話を逸らす目的かはわからないが、奉常が俺の手元に視線を向ける。
その先に居たのは平均的な大きさの黒猫。俺の右手は今まさに、黒猫の顎の下をやさしく撫でまわしている。
何を隠そう、この子こそ俺と彼とで対処したばかりの怪異だったりするのだ。
話は数日前の夜にまで遡る。
とある屋敷の蔵に火の手が上がり、その中に蓄えられていた米が全て燃えてしまったらしいのだ。
正直なところ、件の屋敷の主人がこれまた粗暴かつ乱暴な性格をしていたため、俺としても民衆にしてもそれほど可哀想だんて思わなかったわけだが。
そんな不人気な主人が言うには、最近踏み潰した猫が自分を祟っているのだとか。
いや、お前が踏み潰したと言うのであれば自業自得だろうに! と思わざるを得ないけれど、調査の依頼をされてしまったからには動かない訳にはいかない。
気持ちよくない人間ではあるが、金払いが良かったからな。
蔵の焼け跡を調べたり、夜通しの見張りやらを奉常とこなし、そして一昨日の夜。
引き車の輪のような形状の炎を浮かべた、輝く眼の黒猫が現れた。
今度は屋敷を燃やしに来たのか、あるいは主人本人を殺しにかかったのか、どちらにしても主人への怨念が根にあるのは火を見るよりも明らかだった。
奉常は、どんな事情があろうと怪異は追い払うべきだと言っていたが……俺からしてみれば視野が余りにも狭すぎると言わざるを得ない。
俺には、あの炎でお手玉をする黒猫の怪異が、被害者に見えて仕方がない。
にゃーにゃーと引っ切り無しに鳴いているのは、威嚇でもあり、怨嗟でもあり、非難でもあるはずだ。
よって、俺はあの猫を自分の飼い猫にすることにした。
もとより悪い話の絶えない依頼主様だし、お灸を据えるという意味でも、実りの無い喧嘩は両成敗するべきだろう。
屋敷を今以上に燃やすことは許さないが、だからといって二度と燃やされないという保証も用意してやらないということだ。
俺の提案に対して、奉常と主人は文句ばかり言っていた。
だが最終的に、根負けしてくれた奉常が呆れながらも主人への説得をしてくれた。彼もなんだかんだで、俺の扱い方がわかってきたという事だろうか。
言葉の通じない相手への説得は困難を極めたし、右手に火傷は負ってしまったものの、式神を猫じゃらしのように動かすことによって懐柔は成功を収めた。
報酬の金額は思っていたよりも少なかったが、可愛い家族が増えたわけだし、これ以上を望むと言うのは贅沢過ぎるというものだ。
そんで、本日に至る。
黒猫には「ハナビ」という名前を付けてやった。由来は単純、火を扱うからだ。
本当に踏み潰された猫が怨霊となって出て来たのか、それとも猫の代わりに復讐をする役割だったのかは不明だが、今となっては些細な事だろう。
「……組織の奴らが苦虫を噛みつぶしたような顔をしていたぞ。怪異を手懐けて共に暮らすなど、私から見ても常軌を逸している」
「視野が広いと言ってくれ。俺は一方的な見方で物事を図るのが嫌いなんだ」
「…………遠回しに私の視野が狭いと言っているんだよな?」
いけない、お坊ちゃんの自尊心を傷つけてしまったかも。
どうにか誤魔化さないと……。
「いやぁ……正直な話をすると、お前が羨ましかったんだよ」
「……何だと?」
「ほら、お前は家柄も良いし、嫁も子供もいるだろ? 家族の暖かみとか羨ましいなぁ~ってずっと思ってたんだぜ?」
こういう時は、相手をさり気なく立てつつ自分を下げることが必要だ。
お坊ちゃまに対しては、見え見えのおべんちゃらでもそれなりに役に立つ。
完全なる余談だが、嫁さんが居ること自体はめちゃくちゃに羨ましい。お偉いところ生まれのべっぴんさんという話だ。以前に自慢された。
「…………よしてくれ。お前が褒めたりするだなんて気色悪い」
と言いつつ嬉しそうな顔をしているじゃないか。
気真面目そうな雰囲気をしているくせして、結構扱いやすいところがまた面白い。
彼が俺の扱い方を覚えてきているのと同じように、俺も彼のおちょくり方をわかってきたということかな。
「というか、お前にだって良い仲の相手がいるじゃないか。順調なんだろ?」
「……まあな。寂しがりなところが玉に瑕だが、可愛い女だ」
そもそも彼と恋愛話なんて滅多にしないため、なんと言えばいいか言い淀んでしまう。
だが彼の言も真実だ。俺には想い人が居る。
出身が近く、幼い頃から人生の大半の時間を共有してきた間柄にある女だ。
少々嫉妬深いところもあり、頻繁にこの屋敷にも訪れるほどの寂しがりではあるが、そんなところも俺への愛情だと思えば可愛らしい部分だし–––––––––––
「––––––痛だだだだッッッ!?」
右手に鋭い物が刺さったような痛みが走る。
ハナビだ。しかも火傷を負ったところをご丁寧に引っ掻いてくれている。
さっきまで可愛らしく手を舐めてくれていたというのに。何だよこの仕打ちは。
「くくくっ。ヤキモチでも妬かれたんじゃないか?」
笑われちまった。とんだ恥さらしだぜ。
生憎、俺にはこの猫をオスかメスかを判別する知識がないためらからないのだが、もしかしてコイツはメスだったりするのだろうか。
ハナビに限った話ではないが、俺には怪異の言葉がわからない。
と言うより、怪異の言葉を理解できる人間自体が非常に珍しいのだ。
安倍家の人間であれば怪異と意思疎通を行えるだけの才覚が血に流れているのだろうけど、平民生まれの俺にはそんな素質はない。
だから、この黒猫の本心を知りたくても、知り得ないのだ。
以前助けてやった蛇の目傘の付喪神も、遠くの山で知り合った巨大なカラスの怪異も、今も子供たちと遊んでいるのだろう“座敷童子”も、俺に対して好意的な身振り手振りをしてくれていたが、その真意は残念ながら届いていない。
そもそも、俺の立場を鑑みるとそう易々と怪異たちに会いに行くことが出来ない。
実のところ俺は、組織から疎まれている。
宮中のお偉いさん方がどんな噂をしているかは知らないが、自分が同業者からどんな評価を受けているかは理解しているつもりだ。
曰く、怪異を退治しない変わり者。
曰く、怪異と会話を試みようとする愚か者。
曰く、確かな実力を有しながらもそれを持て余す不真面目な者。
罪の無い怪異は保護観察処分としてくれる穏健派の中には、俺の考え方に同調してくれる者だっている。
だが、怪異の存在を良しとしない過激派の連中からは、俺をすぐさま排斥するべきだという意見が今もなお根強く提示されているそうなのだ。
奉常は気を遣ってか、滅多にそういった話はしないのだが……彼が俺の相方として派遣されたのは、俺の行動を逐一監視するためだ。
安倍家の人間としての経験値稼ぎという名目で誤魔化されてはいるらしいが、過激派の主張を抑え込むための穏健派による苦渋の決断といったところだろう。
きっと、奉常もそのことを理解している。
“火車”の対応に関する話をしたのも、暗に組織の意見を俺に伝えようとしているのだ。
彼なりに俺の身を案じてくれているのだろう。なんだかんだで、恩義を大切にしてくれる男だ。
「というか、なんでお前はずっと俺の自室に居るんだよ」
「…………実はな、陸郷。組織からお前宛てに伝言を預かっているんだ」
早く言えよ。お陰でお前と軽い恋愛話をする羽目になってしまったじゃないか。
だなんて冷たい事を考えてしまったが、奉常の表情を見て引っ込んだ。
言い出せなかったのは、言い出し辛いことを仰せつかっているからだろう。
下らない話で茶を濁したいと思ってしまうほどに、異質な内容の伝言なのだろう。
やはり心優しい男だ。嫁さんと子供と仲睦まじく出来ているのも頷ける。
「いまさら遠慮なんて不要だぞ。ハッキリ言ってくれ」
「……すまない。これでも一応、共に仕事をする相方だからな」
素直じゃないなぁ。
だが、言ってくれなきゃ伝わらない。
伝言を預かっている以上、俺に伝えなければ彼が叱責されてしまいかねない。
俺のせいで彼に迷惑をかけるのだけは、何としても避けなければ。
だが、そう息巻いた俺でも度肝を抜かれてしまった。
言い辛い内容だなんてとんでもない。そんな言葉でも言い表せないほど、俺へ充てられた内容は常軌を逸していた。
「––––––何でも、お前を怪異にするための実験を行うらしい。それを承諾し、参加するのが、私の預かったお前への伝言……いや、命令だ」
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