愛憎む/餓濫洞と逆刃羅
“
初めて聞く名前だ。
巨頭山の妖怪たちも、この刀のメンテナンスをしてくれていたクロガネさんですら、そんな名前を使ってはいなかったはずだ。
みんなは一様に、“形見”あるいは“左脚”と呼んでいた。
「質問を変えよう。君は“ぬらりひょん”について、どれだけ知識を得ているのかな?」
……正直な話、それほど詳しくない。
一応、基礎知識として異譚課文献係にあった資料には目を通した。
自分がどういった能力を使えるのか、そのヒントになるものを得るための勉強だった。
だが、その為人であったり、人間が怪異になったのか、生まれながらの怪異なのかといった情報までは一切の記載が見つからなかった。
“ぬらりひょん”本人と交流の深かったであろう巨頭山の妖怪たちにも、深い話を聴くことは出来ていない。
彼らに再び寂しい想いをさせたくなかったし、彼らの方も「今の主は僕だから」と自ずから詳細を開示するようなことはしなかった。
僕を慕ってくれている彼ら彼女らの心の傷を抉る様で、踏み入れてはならない領域へと土足で入り込むような感覚があって、聴き出せずにいたのだ。
正直な話をすれば、先人のことを知らなくとも僕は戦えた。みんなと仲睦まじく暮らすことが出来ていた。
しかし––––––––––––
「クロガネさんから、“右脚”の存在自体は、聴いたことがあります」
「……クロガネというのは?」
クロガネさんとは、巨頭山の妖怪たちにとって父親のような存在だ。
その正体は、“
「蹈鞴」というのは、金属を精錬する際に使用する送風装置、あるいはその装置の組み込まれた砂鉄精錬炉のことであり、その名前を有しているクロガネさんは金属加工のエキスパートだった。
そのため僕が大学生だった間、夏休みの度に訪れては刀のメンテナンスをお願いしていた存在なのだ。
いつだったか、ふと疑問に思っていたことを聴いたことがある。
この刀が“ぬらりひょん”の左脚で造られているのなら、右脚はどうなったのかと。
『あるぞ、右脚の刀。確か……信頼できる人間に託した、と言っておったかのぉ』
“ぬらりひょん”が自身の脚を加工した際、その術をレクチャーしたのは誰であろう、クロガネさんだったそうなのだ。
だから名称は知らずとも、もう一本の刀があること自体は知っていたのだ。
「おい、鮎川はともかく“八尺様”にも関連があるってのかァ……?」
「その通りだ。彼女の目的を探る上で、“ぬらりひょん”の事を深く知る必要がある」
局長と僕の言葉を聴き、色々と不満げだった尾上さんがやっと身を引いた。
自分がこの場に呼ばれたことの重要性を把握したのだろう。
彼としても、自分の直属の部下が異様な行動をしていて、色々と心配なのだろう。
目線で話を続けるように促すと、局長が再び説明を開始した。
「昨晩……竹永八恵は巫術係の保管庫からある物品を強奪し、そのまま逃走した」
なるほど。そうなると確かに今の彼女の状態は失踪ではなく逃走だ。
大所帯で捜査網を敷いているのも、明確な犯罪者として追跡をしているからなのだろう。
「その物品こそ、我々が密かに管理していた“
そして、再び度肝を抜かれた。
尾上さんは嫌な予感が当たったようなバツの悪い表情をしており、僕はといえば無意識にも腰元の刀を握りしめていた。
“右脚”は……もう一本は、異譚課にあったのだ。
そして局長は、それを全て把握したうえで、黙っていた。
「実はと言うと……“ぬらりひょん”が刀を託したという人物こそ、私の祖先でね。強大な力が悪用されることを避けるべく、秘密裏に厳重管理していたんだ」
「……僕に伝えてくれなかったのは?」
意図せずとも語気が強まってしまう。
僕を信用してくれなかったことへの不満からか、あるいは巨頭山の怪異たちへの申し訳なさを感じてしまっているからか、どうにも感情をフラットに保てない。
「悪意があったわけではない。君も知っての通り、“ぬらりひょん”は特級指定の怪異譚だ。可能な限り弱体化させておいた方が安全だし、それに君を今以上に怪異化させるのは正直言って憚られてしまってね」
だが、局長はあくまでも冷静に、そして温和に言い切った。
お陰で僕の中にあった過激な感情が落ち着きを取り戻していく。
こういった理性的な人だからこそ、尾上さんすらも上手くコントロール出来ているのだろう。
しかし、そんな理由がありながらも僕を呼び出したのは、そんなことを言っている場合ではなくなったからだ。
特級指定の“八尺様”が異譚課の監視から抜け出し、厳重管理する必要のあった“逆刃羅”が外へと持ち出されてしまっている。
危険な爆弾が二つも、手元から逃げ出してしまった状態だ。
「––––––ったく、身内の恥とはいえ不味い状況だなァ。俺たち揃って、面目丸潰れじゃねーかよォ」
「だからこそ我々は総力を以て、“八尺様”の捕縛と“逆刃羅”の回収をしなければならない」
尾上さんの皮肉を聞き流し、局長はハッキリと言い放った。
だが、僕は確信してしまっている。
“八尺様”の捕縛という命令においては、名言されていない含みがある。
抵抗する場合は、無力化や駆除すらも選択肢に組み込むべきだと、そういった隠された真意を感じ取ってしまった。
そう考えなくてはいけないほどに、あまりにも凶暴な存在なのだ。
「––––––なら、今すぐ捜索に行かないと」
意を決し、僕は部屋から出ようと歩みを進める。
だが、その進行方向に尾上さんが立ちふさがったことで、僕の足は止まった。
「それだけならメールで済ませればいい話だろォ。まだ何か、お前がするべきことがあるんじゃねェのかァ……?」
尾上さんの疑問を聴いて、僕は振り返る。
そこには、神妙な面持ちの局長が後ろ手を組んで立っている。
まだ、何か僕に伝えたいことがある。
八恵さんを止めるために、身内が離反したという非常事態を収束するために、僕にしか出来ないことがあるのだろう。
「……すまんな、尾上」
「いいからさっさと話せやァ」
僕と尾上さんは先ほどのポジションに戻り、再び局長へと目線を向ける。
「“八尺様”のスペックは、ハッキリ言って規格外のものだ。インターネットが普及した現代社会において、余りにも著名になりすぎてしまった」
以前に、尾上さんが愚痴っていたものと同じ内容だ。
怪異は周囲からの認識で形成されており、大衆が記憶している名称で縛られている。
だから、その名前や外見や能力が広まれば広まる程に、怪異の怪異性というのは比例して増していくのだ。
“八尺様”の知名度は、“大口真神”はもちろん“ぬらりひょん”すら凌ぐレベルだ。
介入係の人員が協力しても対処しきれるかはわからない。
「また、関東支部の全人員を竹永八恵の捜索に回すことは不可能だ」
「それは……そうですよね」
異譚課には、人間も怪異も含めて意外と沢山の職員が在籍している。
しかし、今も関東地域では怪事件が発生しているため、その対応をする職員が必要だ。
そしてそれは他の管轄も同じこと。
捜索網に裂ける人員を今以上に増やすことは叶わないということだ。
「……以上の状況を踏まえると、彼女の対処のためには、可能な限り少数かつ高スペックな存在の投入が必須になる。あるいは、異譚課に関連の無いアンダーコントロールの怪異が必要だ」
そして、ようやっと僕は局長の言いたい事が見えて来た。
“八尺様”も、“ぬらりひょん”も、特級指定の怪異譚だ。
それに僕のバックには、数百を超える妖怪がついている。その中には“くねくね”などの特級指定の怪異譚も含まれる。
「––––––つまりは、僕に……?」
「そうだ、鮎川恒吾くん。これから、君の怪異性を引き上げる」
“八尺様”を止めるために、“ぬらりひょん”としての力を拡張する。
それこそが、僕に与えられた任務であり、この部屋に呼ばれた真の理由。
ならば尾上さんは見届け人か、あるいは緊急時のセーフティのような扱いだろう。
「私の目には、“餓濫洞”の膨大な霊力と、君自身の魂が、密接に絡み合っているように見える。癒着と言った方が適しているかもしれないが。割合で言えば……人間が7割、怪異が3割といった具合かな?」
たしか……局長は陰陽師の血族による加護もあって、霊的エネルギーへの正確な観測・直接的な干渉が可能だったはず。何時だったか、尾上さんが教えてくれた。
それにしても、大学生時代に尾上さんからは「人間8割、怪異2割」と伝えられたはずなのだが。ちょっと割合が変動している。
「てめェよォ、まさか“
「……す、すいません! “足売りババア”が相手だったので……!」
「ッたくよォ……。まァしゃーねェ、さっさと話進めろォ」
よかった。緊急時につきお説教が短く済んだぜ。八恵さんに感謝しないとだな。
僕らのやり取りを気まずそうに静観していた局長は、軽く咳払いし、再び説明を再開する。
「これから私の能力で、“餓濫洞”の霊力を強制的に君へ注ぎ込む。割合としては、一時的に人間と怪異の比率を逆にする具合だな」
逆の比率となると……人間が3割、怪異が7割。
陰陽師としての、霊力の流れへの介入技術を使えば、それが可能ということだ。
逆に言えば、それだけ怪異性を引き上げなければ“ぬらりひょん”でも“八尺様”には勝てないということだ。
「おめェ、さっきと言ってること真逆じゃねェかよォ……!!」
「だから一時的にと言っているだろう。私としても、いつでも鮎川くんが人間に戻れる状態にはしておきたいと考えているんだよ」
尾上さんが再び、局長に噛み付く。
僕の身を案じてくれた上での行動だ。なんだかんだ言って優しい犬である。
しかし、局長が直々に伝えてくれていれたんだ。八恵さんを止めるには、そして異譚課の為には、そうすることが最善手ということなのだろう。
何より、こんな僕を頼ってくれたことが嬉しい。
誰にも相手にされず、誰からも疎まれていた僕は、いつの間にか贅沢者になっていたようだ。
仲間が出来て、優しい上司もたくさん居て、重大な指令を与えてくれている。
僕は、それに応えたい。
父さんに、母さんに、“巨頭オ”たちに、そう誓ったんだ。
「僕は……約束したんです」
そして、それは八恵さんに対してもそうだ。
『––––––ひーくんはさ、私の為に、死ぬことって出来る?』
それは、数か月に投げかけられた言葉だ。
“八百尾丘尼”の事件を終え、八恵さんが僕に問いかけて来たものだ。
僕はそれに対して、恥ずかしい台詞を返してしまった。
だが、今でもその返答を下げるつもりはない。
これは、尊敬する先輩への恩返しでもあり、仲間としての約束でもある。
「…………やってくれるか?」
「はい。僕は……八恵さんの為に命を懸けます」
たとえ彼女が望んでいなくとも、命を張ってみせる。
今以上のバケモノになっても、彼女の真意を確かめてみせる。
「––––––では、さっそくで悪いが始めよう。時間が惜しいのでね」
僕の決意を見届け、その表情のまま、局長が右手をこちらに向ける。
腰の刀と、僕の心臓の位置と、その間に流れているのだろう霊力を撫でるように。
一方の僕は、全身の血液の流れを認識していた。
頭のてっぺんを通って時計回りに、つま先まで流動していく気持ちの悪い感触。
全身がむず痒くなって、内臓の位置まで判るような感覚があって。
「……ぅ、ぐぉぁ––––––––––––」
僕は膝を付き、倒れた。
全身の皮膚と筋肉が裏返るような気がして。
自分が自分でなくなるような悪寒がして。
嫌悪感と恐怖が胃から漏れ出そうとして。
視界が滲んだようにぼやけて、耳の穴からはホワイトノイズしか入ってこない。
四肢の感覚が消えていく。僕は今、どんな姿勢で悶えているんだ?
いや、そもそも僕ってなんだ。
ここはどこだ。ぼやけて見える人影は誰のものだ。
この体は、誰のものなんだ。
この体は––––––。
僕は––––––俺は––––––。
ぼやけた視界が白んで、ブツンと、黒く染まる。
意識は、そこで途絶えた。
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