File8:愛憎む(いとおしむ)
愛憎む/東の局長、現る
「はぁ……はぁ……はぁ……」
急がないと。
破れたり折れたりした警備用の“形代式神”を踏み潰し、全速力で走る。
警備を行っていた職員たちには申し訳ないが、こんなところで妨害されるわけにはいかない。大人しく眠っていてもらおう。
……いや、「申し訳ない」だなんてあまりにも身勝手すぎる。
今更後戻りなんて出来やしないのだ。腹を括るべきだろう。
手元には、綺麗な装飾で飾られた日本刀。
巫術係の有する保管庫の奥……そのさらに奥の厳重警戒態勢を暴力で踏み荒らして、やっとの思いで手に入れたものだ。
危険な呪物による影響の遮断を名目に、監視カメラ等の機材が設置されていなくて本当に助かった。
だが、既に伝達用の“形代式神”が事務係にまで飛んでいったはずだ。
急いでここから離れよう。
一気に踏み切って、身体を丸めながら窓の方へ飛び込む。
ガラスが割れ、けたたましい高音だけを残して、施設の外へと逃げる。
冷たい夜風が吹き、冬の無慈悲な寒さを全身で感じる。
それに煽られて、長い黒髪がぶわっと広がってしまった。
そういえば、お互いの仕事や事務が忙しくてデートに行けていない。
麦わら帽子は“二宮金次郎像”との勝負で、失ってしまったままなのだ。
「……ごめんね、ひーくん」
胸の奥に鈍い痛みを感じたが、私はそれを無理やり押し殺す。
再び思い切り踏み切って跳躍し、月光の照らす夜の街へと、私は消えていく。
かつて失ってしまった大切なものを、両腕で抱きしめながら。
◆◆◆
「失礼します……」
「うむ。入りたまえ」
季節は冬。日中でも肌寒さが顕著になり、昨晩は粉雪まで降ったという、そんな時期のことだった。
僕は上から呼び出され、とある部屋へと向かった。
重たい扉を押し込み、おずおずと室内へと入る。
招かれたのは警視庁異譚課、その関東支部の本部施設。
僕たちが普段から利用している場所であり、東日本においては最大の関連施設でもあるらしい。
国内には複数の支社が置かれており、関東支部は京都にある異譚課の総本山と比較しても見劣りしないほどの設備と人員が用意されているらしい。
そして、僕が入室したその空間は事務係のセクション。その中でも限られた人員しか立ち入りを許されない最奥の部屋だ。
事務係は、その名の通り事務作業を行う担当。
介入係の含む全係に指示を送る以外にも、本庁との相互の情報共有や、怪事件における異譚課への引き継ぎ業務なども担ってくれている。
「突然呼びつけてしまってすまないね、鮎川くん」
「ったく俺まで巻き込みやがってよォ……」
部屋に居たのは一人と一匹。
一方は僕の直属の上司、尾上さん。
もう一方は、灰色のスーツを着込んだ、落ち着いた雰囲気の壮年男性。
髪は微かに白みがかっているが、精悍な顔立ちと衰えを感じない強い瞳には、ただならない気迫を纏っている。
それもそのはず。彼こそは事務係のトップにして、関東支部の局長。
つまりは異譚課関東支部の最高責任者。
名を、
かの高名な陰陽師“
正直な話、約一年前の採用試験を合格した際に初めてお会いしたのみで、それ以降の面識は無かったりする。
つまるところ、僕はガッチガチに緊張しちゃっているのだ。
だって職場のトップオブトップよ!?
何かとんでもないことをやらかしたりでもしなければ、直接面と向かって話す機会なんて無いはずなのだ。
しかも上司である尾上さんまでいるとなると、「責任をとって辞任」的な展開にもなりかねない!
うげぇぇ……僕何かやっちゃったんだろうか。
確かに、一年目のくせして勝手な判断ばかりしているし、尾上さんからも八恵さんからも無茶し過ぎだと注意を受けてばっかりではあるけれども……。
「……何ガチガチになってんだよォ。この集まりはお前キッカケだろォ?」
「…………へ、僕がキッカケって、どういうことですか?」
「先月の“学校の七不思議”事案にて“足売りババア”から得た情報について、君に伝えたいことがあってね」
不安が、一瞬で困惑に変わった。
どうやら僕の失態に関して咎められる訳ではなさそうだが、“足売りババア”の事となると話は変わって来る。
『––––––確かぁ、“八尺様”って名乗ってたっけねぇ。お前さんの家に“ぬらりひょんの左脚”が在るって教えてくれたんだよ』
“トイレの花子さん”……もといアサちゃんが引き起こしてしまった児童失踪事件において、僕は自分のトラウマと対峙することになった。
“雲外鏡”によって映し出された“足売りババア”の虚像は、僕の強い恐怖と明確な認識を糧にして存在そのものを復活させることに成功した、というのが巫術係の宇嘉野さんの見解だ。
つまるところ、僕の胸中のトラウマは、それほどまでに大きくて明確なものだったということだ。
だからこそあの老婆は、本人しかしらない記憶を有していた。
本人と寸分違わない存在として現れたからこそ、僕にも知らない事実を知っていた。
その内容こそ、「かつての僕への襲撃は、“八尺様”による情報提供があったから」というもの。
結果論ではあるが、僕の精神が擦り減ったのも、僕の父が殺されたのも、元を辿れば“八尺様”のせいということになってしまう。
そして、“八尺様”とはつまり、竹永八恵さんのことだ。
「…………言い方は悪いですけど、わざと僕を襲わせたみたいですよね」
「君のお父様が殺害された当時、既に竹永八恵は尾上の部下になっていた。そして同時に、君を中心とした“百鬼夜行”が形成されていることも調査を経て知っていた」
「鮎川を襲わせたかどうかはともかくよォ、俺らの調査結果を第三者に横流ししたのは確定って訳だなァ……」
僕の父が殺されたのは、高校一年の頃。
その時には既に、竹永さんはその強大な戦闘力を異譚課の下で振るっていたそうだ。
僕が思っていた以上に前から異譚課に監視されていたことにはビックリだけど、そこから“ぬらりひょんの左脚”が僕の家にあることを把握できたのは不自然な気がする。
“百鬼夜行”が形成されていたとしても、当時の尾上さんたちに“左脚”の存在を知る方法はあるはずないのだ。
「……確か、尾上さんたちは“左脚”の存在を、ハナビの説明で初めて知ったんですよね」
「あァ。だから竹永が、お前と会う以前から“左脚”のことを知っているのはおかしいんだよなァ」
色々ときな臭い。
彼女は全てを把握したうえで、僕の父親を見殺しにしたのだろうか。
心が荒み、徐々に生きる気力を失っていく僕を、平気な顔してずっと眺めていたというのだろうか。
そう考えると、よくわからない感情が込み上がって来る。
憤慨なのか、失望なのか、忌避なのか、それとも…………。
「それで、竹永は今どうなってんだァ? 監視してんのかァ?」
「––––––現在、彼女は逃走中だ」
「はァ!?」
「へっ!?」
名状し難い感情に翻弄されていたら、思いにもよらない情報が飛び込んで来た。
八恵さんが逃走中……!? 異譚課の監視から逃れ続けているというのか?
どうにもタイミングが良すぎる。いや、悪すぎると言って方がいいのだろう。
僕たちが彼女の真実を探ろうとする最中に、彼女は突如として行方を眩ませたのだから。
「もしかして……僕に伝えたかったことって、それですか?」
「いや違う。竹永八恵の逃走に関連はしているが、本題はこれからだ」
「何を悠長に話してんだよォ、オイ? 竹永を野放しにしたままにしてんじゃねェよォ!!」
血走った目で尾上さんが食って掛かる。
彼と局長は旧い友人であるらしく、お互いに砕けた会話が出来るのだそうだが、それにしたって今の言いようは乱暴が過ぎる。
だが、尾上さんを咎めることは出来ない。現代社会において知名度の最強な“八尺様”は、怪異離れした規格外のスペックを有している。
自由自在に動き回る核爆弾を放っておくという方が無理な話だ。
「……落ち着け、尾上。既に西小路班を含む複数のチームによる捜査網を敷いている。音切くんも、とっくに合流しているはずだ」
慌ててスマホを開く。
画面にはメールアプリからの通知が表示されており、その差出人は琴葉ちゃんだった。
『西小路さんたちと合流したんだけど、恒くん居ないの? 別動隊?』
「いつの間に……!」
「……だったらよォ、どうして俺と鮎川はこんなところに呼び出されたんだァ?」
そうだ、そこが最大の疑問だ。
状況から鑑みても、八恵さんを見つけ出すには一人でも人手が多い方がいい。
だというのに“ぬらりひょん”も“大口真神”も、こんな部屋に立ち往生している。
局長は、一体何を伝えようとしているんだ?
「……鮎川くんにも、竹永八恵にも、大きく関わる話をする必要があるのだよ」
やはり落ち着いた様子で、彼は口を開く。
その眼には、部下の疑惑に対して狼狽している様子はない。これから自分が行おうとすることが、明らかに必要なことであるのを確信しているように見える。
そして、僕の目を真っすぐに見つめながら、口を開いた。
「––––––君は、“
「がらんどう……さかばしら……?」
知らない言葉だ。
だが、何かの物品を示していることは察せられる。
それが、僕にも八恵さんにも、深く関わっているのだろうか。
僕の怪訝そうな顔に対して局長は頷き、僕の左腰を指さしながら言い放った。
「“ぬらりひょん”の両脚を基に造られた、二振りの妖刀だよ。
ちょうど君が持っているものが、“餓濫洞”だね」
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