慟哭ぶ/花嫁衣装とチェーンソー

 低級指定怪異譚“コインロッカーベイビー”。

 駅のコインロッカーの中に、遺棄された赤子の泣き声がするという怪談だ。

 低級指定なのは、通行人やロッカー利用者の不安を煽るだけの場合がほとんどであり、実際に幼児の遺体が残っていたり、一般人に危害が加えられたりといった事案は起きた記録はないからだ。


 だが、今回の赤子は訳が違う。

 僕はこの目で、眠ったままの本体が言葉を話す光景を見た。

 不安を煽るどころではない、罪悪感を際限なく増幅させるスキルを見せつけられた。



「ってか、コインロッカーじゃなくね?」

「多分だけど、マンションをそれに見立ててるんだよ」


 床を蹴って飛び、迫り来る翼をギリギリで回避する。

 宿木さんも未だ本調子じゃないのだろう、会話が出来るほどには動きに隙がある。

 どうやら向こうも、悠長に会話をする時間は与えてくれないようだ。


 しかし、縦横に区切られたマンションの各部屋を、コインロッカーに見立てているのか。

 確かにどちらも、区画を利用するには料金が必要だし、各部屋には利用者のプライベートが秘められている。

 その解釈なら、“コインロッカーベイビー”も発現可能なのか。


「でも、“コインロッカーベイビー”ではないだろうよ」

「敢えて言うなら“マンション東棟ベイビー”かな?」


 そりゃあ良い。現代の新妖怪だ。

 新種の誕生の瞬間に立ち会えたのだから、きっと名誉あることだろう。



 ––––––だなんて、考えているのがいけなかった。

 いつの間にか、視界から宿木さんが消えている。気配すら感じない。

 森の闇の中に潜むフクロウの技術を、スキルとして応用しているのか。

 背面を狙われるのを避けるべく、壁に背中を付けて周囲を睨む。


 それに、先ほどツムジさんが言っていた。

 部屋に結界が張られていたため、彼の秘技を使う羽目になった、と。

 《風遁:破柱凍風ばじとうふう》は、周囲の気圧を意図的に下げ、超高密度の大気を柱状に集約して撃つ大技だ。

 コンクリートの壁はもちろん、怪異が張った結界であっても割ることが出来る。


 ツムジさんがそこまでしなければならないほど、固い壁が部屋を覆っていたのだ。

 この場はまさに、フクロウにとっての夜の森。

 音も無く獲物を狩れる、格好の狩場なのだろう。




「––––––恒吾殿ッッッ!!」


 側面からの衝撃。同時に、その反対方向に向かって身体が動かされる。

 ツムジさんが低空飛行をかけ、そのままの勢いで僕を自分ごと押したのだ。


 直後、僕がもと居た場所に爪が突き刺さる。

 ツムジさんの機動力と反応速度が無ければ、今頃穴だらけだっただろう。



「––––––やっぱり速いわね。カラスのくせに」

「半年そこらのヒヨッ子には、負けないでござる」


 僕を庇うように前に立ち、刺股の先を相手に向ける。

 周囲にそよ風が吹き、彼女が散らした羽がツムジさんと僕の周辺を旋回し始めた。

 くっそぉ、カッコいいなぁこの人!!

 俺も敵の一部を操ったりしたいよぉ!!



「……!? 恒くん、ツムジさん、壁見て!」


 琴葉ちゃんの言葉を受け、宿木さんの爪が突き刺さった壁を見る。

 複数の穴が円状に出来たからか、その部分が崩れ、壁に穴ができている。

 壁に穴が空いたとなれば、隣接する住民の部屋にも穴が出来たということ。

 しかし、隣室からは叫び声はもちろん、何の物音も響いてこない。


 琴葉ちゃんの視界に映ったのは、きっと穴の向こうの光景だ。

 家具が一切無く、灯りの付いていない、空っぽの部屋が広がっていたのだろう。


 結界の中は、薄い壁に仕切られた304号室が、上下左右に永遠と続いているのだ。

 この部屋に縛られた怪異が張る結界としては、非常に分かり易い。

 お陰様で、他の住人に迷惑をかけることなく仕事ができる。




「ツムジさん、琴葉ちゃんが時間を稼いでくれ!」

「御意!」


 瞬間、壁とは反対方向から突風が吹いて来る。

 僕は壁に叩きつけられ、そのまま崩れる破片と一緒に隣室へと雪崩れ込んだ。

 壁を抜け、壁を抜け、壁を抜け、壁を抜け、壁を抜ける。

 ようやく側頭部に響く鈍痛が消えた時、視界に広がったのは何もない部屋だった。

 304号室の生き写しが、ただ静かに存在していた。



「––––––っ痛あああ!! 加減とか無いんか!!」


 数秒遅れて琴葉ちゃんが瓦礫を伴って流れ着く。

 多分だけど、《風遁:緊鋲風きんびょうぶ》を使って僕たち二人を押し込んだんだ。

 少し荒っぽい手法だが、これで時間を稼げる。



「……ごめん。気付くのが遅くなっちゃった」

「……いや、僕も“姑獲鳥”に気を取られてた。油断したわ」

「この部屋の入居者だけどさ、半年前からは必ず赤ちゃんの居る家族だったの」

「あれ、子供はいないとか言ってなかったっけ?」


 瓦礫にまみれながら、隣に寝転がって、情報を交換する。

 二人の怪異を祓うためには、祓う側も事情を理解しないといけない。


「赤ちゃんを奪われたら、その存在を忘れちゃうみたい。育児用品とかはその場に残るけどね」


 宿木さんは「赤ちゃんの肉が一番美味しいらしい」とか言ってたな。

 我が子の機嫌を取るには、お気に入りのエサを与えるのが一番手っ取り早い。


「それにしたって毎回子持ちの家庭ってのは都合良すぎだけど……」

「いや、偶然じゃなくて人為的なものだよ」


 その絡繰りには、心当たりがある。

 あの赤ん坊––––––“マンション東棟ベイビー(仮)”のスキルが、「結界と異空間の生成」と「対象の罪悪感の増幅」であったとすれば、それは自分が悠々自適に過ごすための巣作りに活かせる能力だ。

 僕が感じた罪悪感は、そう簡単に振り払えるものじゃない。

 事実、僕自身もまだ指先が震えている。

 あの重圧は、一般の人間では到底耐えられない。


「大家さんも、周辺の住人も、罪悪感に縛られているとすれば……」

「このマンションの住人全員が、あの赤ちゃんの鳥巣ってこと?」


 それにはきっと、“姑獲鳥”も巻き込まれているはず。

 怪異を退けた後も、やらなきゃいけない仕事がありそうだ。



「アタシたち、お互いに遠回りしちゃってたね」

「やっぱり経験不足か」

「……でも、ちょっと安心しちゃった」


 僕は少し、琴葉ちゃんの独白に驚いた。

 こんな状況下では、あまりに無責任な言葉だ。

 でも、気持ちがわからないでもない。


「自分だけが足引っ張ってる気分だったんだけど、恒くんも似たような感じでさ。あぁ、アタシは一人じゃなかったんだなぁ~って」

「僕はけっこうピンチだったけどね」

「……やっぱり、アタシって嫌な女だね」


 そう自虐しつつも、彼女は穏やかな笑みを浮かべる。きっと本音じゃない。

 高校時代から自信過剰な彼女は、めったに自分を卑下するようなことを言わない。


 僕も同じ気持ちだ。この子が「嫌な女」だなんて、微塵も感じない。

 自分のせいで誰かが傷つく恐怖は、僕が数年にわたって苦しんで来た感覚だから。

 その孤独を理解してくれる人が隣にいるのは、すごく安心できるから。


 逆を言えば、そうでもしないと心が保たない。

 罪悪感というのは、あまりにも恐ろしい感情だ。



「……あぁ、嫌になるほど、良い女だよ」

「それって褒めてる?」

「褒めてる」


 思わず、笑みが漏れた。

 寝っ転がっているのは敵地で、仲間が今も戦闘中で、一歩間違えれば死ぬかもしれない状況で。

 赤子を喰らってほくそ笑む、最悪の怪異が巣食う空間で、二人で笑い合う。


 一頻り笑って、彼女は上半身を持ち上げた。

 そのまま膝を折り、僕の顔を、目を見て、問いかける。

 静かにマスクを破り捨て、美しく、痛ましく、微笑んだ。




「––––––ねぇ、アタシ、キレイ?」

「うん。世界一だよ」



 それは、開戦の合図。

 それは、暴虐の号令。

 それは、僕にしか使えない魔法の呪文。


 鮎川恒吾と音切琴葉を永遠に苛み続ける、呪いの言葉だ。



「ありがとっ!」


 彼女は笑って、鮮血に溺れる。




  ◆◆◆




 不味い。しくじった。

 昼間との戦況の違いは、私が羽を撒き散らしすぎたことだ。


 我が子の結界によって、周囲に遠慮する必要が無くなったからだろう。

 昼間には見なかった暴風が、突風が、旋風が吹きすさぶ。

 羽がどんどん抜けていく。

 軽くて大きな羽は、強い風に対してあまりにも無力だ。


 それに、彼の意識の裏に隠れることが出来ない。

 あのカラス人間は、私が落とした羽を部屋全体に躍らせている。

 私が動けば、羽が揺れる。

 羽が揺れれば、気流が変わる。

 風を使う能力なら、気流の微かな乱れにだって気付けるだろう。

 裏に回っても、視覚に逃げても、この空間に空気があれば絶対に見つかる。



「若輩者に一つ、助言を授けてやるでござる」


 焦燥に溺れる私の側頭部を、カラス男が薙ぎ払った刺股がぶつかる。

 脳が揺れ、視界が乱れ、彼の発言すらぼやけて聞こえる。



「一芸に頼っているようでは、大事な御方を守れないでござるよ」



 その皮肉は、固い刺股よりも強く、鋭く、私に突き刺さる。

 目の前のバケモノは、手を変え品を変え、私の能力に対抗し、今や完封さえしている。

 一方の私には、この状況を打破する秘策が思い浮かばない。


 今の私では何も守れない……その現実を突きつけられた気がした。


「……とはいえ、恥ずかしながら拙者も力不足でござる。お楽しみは譲るでござるよ」



 その言葉の意味を考えて、遅れながらも気付いた。

 彼らによって作られた瓦礫の穴。

 その向こう側から、何かが崩れる音が断続的に響いている。

 音はどんどん大きくなり、エンジンのような低い音まで聞こえて来た。


 揺れる視界で凝視すれば、真っ赤なウェディングドレスが、暴れている。

 鈍くて重たい音を響かせながら、こっちに目掛けて走ってきていて、そして––––––



「––––––おんどりゃあああッッッ!! 《花嫁ノ変死体ファンデ・バーガンディ》ィィィッッッ!!」


 穴の空いていた壁を、分厚い刃が切り開いた。

 まるで子供がハサミで紙を切り裂くように、極めて乱雑に、大胆に、壁が上下に分断される。

 それは、血のように赤黒いチェーンソーの刃だった。

 駆動音を過剰なほど鳴らして、ギザギザの刃が回転し続けている。


 紅蓮に染まったウェディングドレスは非常に大きく、普通の人間よりも2倍近い身長を誇っている。

 要所は真っ赤な薔薇の花で飾られ、リボンの代わりに茨の付いたツタが絡まっている。

 まるで、新郎を惨殺した直後のような、凄惨で暴力的な花嫁姿。

 両手で巨大なチェーンソーを抱え、切っ先を私の胸に突き刺しながら、低い唸り声をあげた。




「《鮮血化粧ドレスアップ:クリムゾンフォーム》ぅぅぅうううううううッッッッッッ!!!」

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