慟哭ぶ/母親の幸福

 中途半端に終わらせていた説明を再開しよう。


 アタシの質問に否定的な反応をした場合、速度に特化した《スカーレットフォーム》が発現する。

 なら、この顔に対する心からの称賛を貰ったとすればどうなるのか?


 その答えが、《クリムゾンフォーム》だ。


 口元の傷から溢れた鮮血は柔らかなフリルに変わり、鮮やかなレースを編み、全身を覆い尽くす。

 同時に薔薇の花弁とツタを形成し、美しい衣装は狂気と過激さを増す。

 血にまみれたように赤黒いウェディングドレスは、称賛を与えてくれた相手に対する感謝の結晶だ。


 そして、その相手に仇成す者を決して許さない。

 その怒りを体現したのが、手元に生じた大型のチェーンソーなのだろう。

 振るう前から血を浴びた刃は、低く鈍い音を撒き散らしながら、目の前の相手を惨たらしく斬り刻む。


 欠点は二つ。

 一つ目は、柔らかそうに見えるドレスが非常に重いという点。

 総重量は通常時のアタシの倍近くあり、機動性に難があるのだ。


 もう一つは、恒くん以外の返答では発現できない点。

 同時に、恒くんが相手では《クリムゾンフォーム》しか発動させられない。

 何故ならば、彼は絶対に、アタシが言って欲しくないことを言わない。



 つまり!!

 この姿こそ、アタシと彼の愛の結晶!!

 真の意味での花嫁衣裳!!

 おかげでテンションが上がりまくって、無意識に口が悪くなっちゃう。


「おんどりゃあああああああああッッッッッッ!!!」


 こんな風にね。

 でも、「おんどりゃ!」って言った方が気合が入るんだよ?

 八恵さんからは「はしたない」とか言われちゃうけど。

 というか、“八尺様”モードのあの人だって暴力的だと思うけどな~。




「琴葉ちゃん! “ベイビー”はこっちで対処する! そっちを––––––」

「おまかせあれええええええええッッッ!!」


 “姑獲鳥”の胴体を貫いたまま、思い切り走る。

 《花嫁ノ変死体ファンデ・バーガンディ》は全体重をかけてチェーンソーを突き刺し、その状態のまま押し込む技だ。

 血が凝固した刃はそう簡単には折れないし、刺した後も回転し続けている。

 常に損壊を与え続け、身体の外部からもダメージを与える。


 うめき声をあげる“姑獲鳥”をそのままに、何枚も壁を割る。

 壁を割り、壁を割り、壁を割り、壁を割り、壁を割る。


 でも、ずっと走り続けることは叶わない。

 外見に反して重たいこのドレスは、確実にアタシの体力を奪っていく。

 だんだんと息が切れ、昂っていたテンションが落ち込んでくる。



「––––––––––––はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」

「ぐっ……がふっっっ」


 乱れに乱れた髪の奥から、大量の血液が噴き出した。

 胴体からの出血も馬鹿にならない。間違いなく致命傷だ。

 今回の事件でヘマをしてしまったからこそ、ここでミスはしない。

 確実に、この怪異を斬り飛ばす。


 優しい恒くんなら情けをかけたかもしれないが、罪のない赤ちゃんたちを襲ったのは事実だ。

 住民たちが聞いたという泣き声は、きっと襲われた赤ちゃんたちのものだろう。

 自分たちの子供の声を聞いて、その存在を忘れて、怯えていたのだ。

 その事実は決して揺らがない。

 自分の子の為に、他人の子を殺すなんて、許すわけにはいかない。



「あなたも母親なら……その痛みが解るはずでしょ……?」


 アタシでは、正しく理解は出来ない。

 狂おしいほど大好きな人はいるけれど、それは母性ではなく、恋愛感情だ。

 でも、どちらも「他人への執着」なのは同じだろう。


「怪異になっちゃうほど苦しかったなら、その苦しみを、他人に味わわせないで……!」


 それは、アタシが異譚課に入った理由の一つだ。

 恒くんのように、アタシも誰かの心の支えになってあげたい。

 だから、この人に説教してやる。

 この女性の心を、人としての感情を、思い出させてやる。


 貫かれたままの女性は、喉に血を絡ませながら息を漏らす。




「あ……あの子に、つ、伝え、て……」




  ◆◆◆




 あの時以来、この赤ん坊は黙り続けている。

 さっきの言葉が母親への命令だとするなら、黙っているのはそれを伝える相手が居ないからだろうか。

 せっかくなら恨み言でも吐いて欲しかったのだけれど。


 何故ならば、僕は調書を書かなくてはならないからだ。

 悪そうな怪異がいたので、ぶった切って祓いました。だけだったら、警察官が担当する必要はない。

 怪異譚の全容を把握し、記録し、再発防止のために出来ることを探さなくてはならない。


 う~わ、めんどくせぇなぁ……。

 この刀で斬ったら、マジで秒で終わるんだけどなぁ。


「……恒吾殿」

「わ、わかってるって! でもさ、喋んないんだもん!」



 地縛霊を相手にするのであれば、《解刀濫間かいとうらんま》を使えば一発だ。

 刀を介して、地縛霊本人と縛られている場所との繋がりを斬り分けることができる。


「むぅ……大家さんとか住民に事情聴取し直さないとだし、こっちは終わらせちゃうか」


 鞘から上身かみを抜き、怪異と場所を斬り離すイメージを描く。

 あとは、ゆっくりと赤ん坊の身体を斬るだけでオーケーだ。





「––––––恒くん、ちょっと待って」


 明るく、けれど冷静な声が響いた。

 琴葉ちゃんだ。いつものスーツ姿に戻っている。

 つまりは、“姑獲鳥”は倒せたということか。


「あの人から、言葉を預かって来たの」


 琴葉ちゃんは物憂げな顔を浮かべつつ、赤ん坊の手前で膝を折って座った。

 そして、優しい声色で、宿木さんからのメッセージを伝える。



「あなたのお母さんが…………生まれてくれて、ありがとう、だって」



 それは、我が子への感謝だ。

 育てることはおろか、産むことすらままならなかった彼女が、最期に遺した愛情だ。

 ずっと抵抗し続けた彼女は、罪悪感に負け続けた彼女は、果たして笑って逝けたのだろうか。


 その言葉を理解したのか、寝てばかりだった赤ん坊は、微かに口を開き––––––













「うるせぇなぁ」





 冷徹に、悪態をついた。






「だまってメシよこせ、フクぬいでアシひらけ、おまえの–––––––––」




 その言葉が途切れたのは、琴葉ちゃんが赤い顔面を踏み潰したからだ。


 カサカサに乾いた皮膚はひしゃげ、粗雑な呪詛は強制的に止められた。

 既に遺体だからか、体液なんて一滴も漏れず、静かに怪異の本体は潰れてしまった。



 今の僕は、どんな顔をしていただろう。

 きっと目の前の彼女と同じ、悲哀と憎悪がグチャグチャに混ざった、そんな顔だったはずだ。




  ◆◆◆




 あれから、二日経った。

 大家さんを含めた東棟の全員への事情聴取は完了した。


 全員が、ずっと泣き声が聞こえていたことを自白した。

 大家さんに至っては、意図的に小さな子供のいる家庭を住まわせていたことも語ってくれた。

 きっと、あの赤ん坊を祓ったことで、罪悪感の鎖から解き放たれたんだ。

 そのおかげもあってか、驚くほどあっさりと非を認めていた。


 この人たちの処罰は、果たしてどうなるのだろうか。

 家庭内暴力を見て見ぬフリをして、一人の女性とその中の子供を見殺しにした……それは罪として咎められるのだろうか。


 どちらにせよ、それは僕たちの管轄じゃない。

 介入係は怪異への直接的対処が任務だ。そういうのは処理係に任せよう。




 余談だが、八か月前のあの夜、命を落としたのは二人と一匹だけではなかった。


 借金取りから追われ、焦って信号を見なかった男性が一人、大型トラックに跳ね飛ばされたらしい。


 それがどんな人物なのか、僕は知らない。

 知らないけれど、身勝手な男だったであろうことは、何故だか確信できる。




「あのさ、聴いてもいいかな?」

「何~? アタシのスリーサイズ? 上から––––––」

「そうじゃなくて! 子供の話だよ」

「え、あ、えっ!? アタシと子供を作りたいの!?」

「そうじゃなくてさぁ!!」


 僕をからかって、朗らかに笑う琴葉ちゃん。

 きっと、僕を元気づけるためにふざけてくれているんだ。

 この子だって、辛かっただろうに。



「琴葉ちゃんはさ、子供欲しかったりする?」


 こんな事件があった直後にするべき質問じゃないのは理解している。

 でも、いつか母親になるかもしれない人に、どういった思いがあるのか聴いてみたかった。

 母性という感情は、どのようなカタチをしているんだろう。



「……どうなんだろ。今のアタシって子供を授かれる身体なのかな?」


 たしかに、その点を見落としていた。

 既に一度死亡して、“口裂け女”に存在を与えてもらった彼女は、果たして子を成せるのだろうか。

 彼女の身体は人間のそれと、怪異のそれとが複雑に絡み合っている。

 生物として保有していた機能は、後天的に怪異になっても働くのだろうか。


「でも、恒くんと幸せな家庭を作りたいな~、とは思うよ」


 幸せな家庭か。

 その言葉では子供の有無はわからないけれど、少なくとも幸せは掴みたいということなのだろう。

 相手として僕が指定されているのは、恐れ多いというか、気恥ずかしいけれど。


「う~ん、これは女じゃないとわかんないかな~?」




 宿木若菜も、その夢を抱いていたのかな。


 彼女は、最後まで他人に人生を使い潰された。

 怪異になってまで、罪悪感という檻に閉じ込められて、利用させられた。

 今の僕たちの実力では、彼女を心から救うことは叶わなかった。


 彼女が掴みたかった幸せは、どんなカタチをしていたのだろうか。

 彼女は最期、どんな思いで天に召されていったのだろうか。

 今となっては、何もわからない。



「……でも、笑ってたよ。あの人」



 そっか。

 なら、君の言葉を信じよう。


 女性同士じゃなきゃ解からないことも、きっとあるはずだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る