天才博士とおとぼけ助手の実験記録 ~薔薇色の世界~

よし ひろし

薔薇色の世界

「おはようございますぅ、博士ぇ。――あれぇ~、何してるんですかぁ?」


 彼女が、バイト先である研究所の部屋に入ると、その部屋の主――自称天才博士・芥川龍虎あくたがわ りゅうこ、三十六歳。彼女は募集はしてないが、とても欲しいと思っている独身男――は、いつもの白衣姿で、部屋の中央に置かれたリクライニングチェアにゆったりと座っていた。その頭にはヘルメットにVRゴールが付いたような機械が装着され、そこから延びたケーブルが横のテーブルに置かれた機器に繋がっている。


「博士ぇ……、あれ? 聞こえないんですかぁ~」

 相変わらずの間延びした甘ったるい口調で呼びかけるが、芥川からの反応はない。

 彼女は楠木星奈くすのき せな。工学系の大学に通いながら、芥川の助手のバイトをしていて、彼氏はいないが、男友達は多い、ぴちぴちの女子大生だ。


「あれぇ、またなんかぁ、変な機械のぉ、実験ですかぁ?」

 ここはオーバーテクノロジーの研究をしているところで、過去にも現代科学ではありえないような様々な機械を造り出してきた。しかしどれもどこか欠陥があり、星奈にとっては変な機械という認識でしかなかった。

 星奈がすぐ傍まで寄ってきても、芥川からの反応はない。そこで星奈は腰をかがめ、芥川の耳元に顔を寄せた。


「聞こえますかぁ~、はぁ~かぁ~せぇ~~~!」

 車の行き交う道路の向こう側にいる人間と話すほどの音量で星奈が声をかけると、


「ぬあぁっ!」


 芥川が叫びと共に椅子から立ち上がった。そして、慌てて頭に付けた機械を取り外す。


「あっ、ああ……、星奈くんか。――びっくりするじゃないか、突然大声で」

 もともと厳つい顔を更にしかめて星奈を睨む。

「そんなぁ、怖い顔ぉ、しないでくださいよぉ、博士ぇ。またぁ、変な実験でぇ、気絶してるんじゃないかとぉ、心配してぇ、声をかけたんですからぁ」

「ああ、そうか、すまん」

「それでぇ、何をしてたんですかぁ?」

「うむ、説明しよう」

 そこで芥川は、先程まで頭に被っていた機械を星奈に掲げて見せて話を始めた。


「これは、人の理想の世界を造り出す画期的な機械マシンだ。装着した者の脳波や思念などを読み取り、内蔵した特製のAIチップがその者だけの理想郷を創造するのだ。装着者はその世界で、現実では叶わなかったような夢の生活、いわゆる薔薇色の人生を疑似体験することが出来るというわけだ。薔薇色の世界創造装置といったところかな。ふふふっ…」

 得意げな笑みを浮かべる芥川。どうだ凄いだろう、褒めてくれといわんばかりだ。


「ふへぇ~、面白そうなVRゲームですねぇ」

「違ぁうっ! ゲームなどという低次元なものではなぁい!」

「あん、怒らないでくださいよぉ。ただでさえ怖い顔が、更に怖いですよぉ…。そんなんだから、みんなすぐにぃ、バイト、辞めちゃうんですよぉ」

「う、うむ……。しかし、これは普通のVRマシンとは全く次元の違うものなのだよ。装着者の脳に直接働きかけることにより、繰り広げられる体験は現実そのものと変わらない充実感を得ることができるのだ」

「そうなんですねぇ……。それ、ちょっと試してみてもいいですかぁ?」

 星奈がくりくりとした大きな瞳に好奇の色を濃く浮かべながら、その機械をじっと見つめた。薔薇色の世界とやらがどんなものか興味津々のようだ。


「それは願ってもないことだ。実はこれ、友人に頼まれて造っているものだが、今月末には試作機を完成させる約束をしてしまってな。一年後を目処に製品化したいそうだ。ただ、まだ実験データが少なくて困っていたのだよ」

「え、友人――博士ぇ、友達なんてぇ、いたんですかぁ?」

 心から驚いたような表情で芥川を見やる星奈。

「し、失礼だな、星奈くん。私にだって友人はいるさ。たくさん――ではないが、その、それなりに、そこそこ、うん、数人は……」

 芥川は星奈から視線を外し、どこか悲しげな顔をする。友人といえる人間の顔を思い出そうとして、ほとんど出てこないことに改めて気づき、少し気落ちしたようだ。

 そんな芥川を見て、

「ちゃんといるんですねぇ、お友達。数じゃありませんよ、博士ぇ、友達は」

 珍しく励ますように声をかける星奈。

「星奈くん……」

「ま、多いに越したことは、ありませんけどねぇ。いろいろ便利ですしぃ」

「え……」

 おっとりとした星奈の顔に普段とは違う何やら計算高い色が浮かんでいるのを見て、芥川は思わず言葉を失った。

「ふふぅ…、ま、そんなことよりぃ、いいですか、それ、試してみてもぉ?」

「あ、ああ、もちろんだ」

 そこで芥川は軽く機械の説明をし、星奈を先程まで自分が座っていた椅子に座らせ、装置を彼女に装備していった。



「準備はいいかい、星奈くん?」

「はーい、いつでもいいですよぉ」

「わかった、行くよ――ポチっとな」

 芥川が装置のスイッチを入れる。

「あ、なんか来ましたぁ……」

 星奈が一声上げるが、すぐに静かになり、体から余計な力が抜けてリクライニングチェアに体重を預けるように身を沈めた。


「……よし、薔薇色の世界にうまく入り込めたようだな」

 モニタリングの画面を見ながら芥川が呟く。そしてそのまま、星奈の体調に異変がないか、慎重に観察した。自分が使った時には特に問題がないところまで完成させていたが、他人が使用するのはこれが初めてだった。

「……脈拍も脳波も問題ないな」

 モニタに映るグラフや数値を確認して、一安心する。


 ところが――


「あ、ああぁん……」

 星奈の口から突然悩まし気な吐息が漏れだした。


「えっ……」

 何か起きたのかとモニタを見るが、特に異常を知らせる数値は出ていなかった。その間にも、


「あぁん、ああぁ、いい……」

 星奈からなんとも色っぽい声が発せられていた。


 ゴクリ……


 芥川が思わず生唾を飲む。


「星奈くん……?」

 小声で呼びかけながら、顔を近づけて様子を探る。


「ああ、いいわぁ……。すごぉーい……」


「……」

 見ると星奈の頬が上気して朱に染まりだしているのが分かった。呼吸も少し荒くなっている。そして、着ている白衣の胸元を大きく盛り上げている豊かなバストが、荒くなった呼吸に合わせて上下に揺れていた。


「……えっと、星奈くん、大丈夫かな?」

 遠慮がちに呼びかけるが、反応はない。


「うーん……」

(どんな体験をしてるんだ? 星奈くんの薔薇色の世界って――)


 この装置はあくまでも個人として楽しむもので、スタンドアロンで動作するようになっていた。ネットに繋げることも出来るが、それはあくまでもサブ的な要素で、AIが世界を創る為に必要なデータを取る為とか、ユーザーが自分の世界を皆に見てもらいたい、もしくは共に楽しみたい、などの要望があった時だけ、外と繋がるようになっていた。なので外部から利用者が創り出した世界の様子を見れるようには造っていない。

 ただし、試作機ということで、内部のデータをリアルタイムで取り出し、外の装置で再現することは可能になっていた。


「ああ、あん……」


 ゴクリ……


(どんな世界なんだろう? ああ、見たい……、いや、ダメだ。これは星奈くんのプライバシーだ。見る訳には――)


「うふ、ふふふ…、はぁぁ~ん!」


「くぅ……」


(見たい…、いや、ダメだ……。うーん、でも、見たい。やっぱり、見たい。くーっ、見たいーぃっ!)


 芥川の手が、リアルタイムモニタのスイッチへと伸びる。そして、それをオンにしようとした、その時――


「きゃぁっ!」

 星奈の口から甲高い悲鳴が漏れた。


「えっ、あ、違う、私は覗き見なんて――」

 反射的に伸ばしていた手を引く芥川。


「いや、何、これ――!?」

 星奈が叫び、身を起こして頭の装置を自ら外した。

「どうした、星奈くん! 何かあったのか?」

 普通じゃない星奈の様子に芥川は慌てて彼女のもとに駆け寄った。


「はぁ、はぁ…、博士ぇ……」

 星奈は荒い呼吸のまま、ぼんやりとした顔で芥川を見た。

「どうしたんだ? 大丈夫か」

「ええ…、それが世界に突然ノイズが走って……」

「ノイズ?」

「はい、一秒ほどでしょうかぁ……。その後世界が一変してぇ――」

 そこで星奈が嫌なものを振り払うように首を左右に振った。

「世界が――、どうなったんだね、星奈くん。教えてくれ?」

「それは……」

 口ごもる星奈。

「何らかのバグなら、修正しなければならない」

「……わかりましたぁ。それが、その――突然服がはだけて全裸になってぇ、その様子を誰かがぁ、じっと見てるんですぅ。黒い人影が――」

「ぜ、全裸? 見られたぁ」

「ええ、そのじぃっとぉ――そういえばぁ、その人影、どこかで……。あっ――」

 星奈が視線を芥川へと向けた。そして、探るような目で見つめる。

「え、なんだ、星奈くん?」

「あの人影ぇ、博士に似てたような気がするんですけどぉ……」

「えっ――」


 絶句する芥川。

 自分が星奈の裸を覗いていた? そんな馬鹿な。

 私が星奈くんの――

 覗いて――


「あっ……」

 何かに気づいたような顔をする芥川。それを星奈はすかさず見透し、

「何かぁ、心当たりがあるんですねぇ?」

 詰め寄るように訊いてきた。


「あ、いや、それが、その――」

「博士ぇ、まさかこちらから分からないからぁってぇ、わたしのことイヤらしい目で見つめていたとか――」

 相変わらず勘の鋭い星奈であった。

「すまん。その、多分、私の思いが、その、星奈くんの見ている世界を覗いてみたいという思念が、その装置に影響してしまったんだと思う」

 芥川が深く頭を下げて素直に謝る。

「それってぇ、この装置が装着者だけでなく、傍にいる人間の思考も読み取ってしまったということですかぁ?」

「まあ、多分……」

「……そんな重大な欠陥、なんで今までぇ分からなかったんですぅ?」

「独りだったから――、テスト中はずうっと独りだったんだもん……」

 口を尖らせ、仕方ないだろうといったふてくされた感じで答える芥川。

 そんな彼を星奈は呆れたように眺めた。


「そうですかぁ…。仕方ないですねぇ、わたし以外にいませんものねぇ、こんなことに協力してくれる人ぉ」

「うん、まあそうだけど……」

「ということはぁ、この重大な欠陥に気が付けたのは、わたしのおかげっていう事ですよねぇ」

「ああ、そうだ。ありがとう、星奈くん」

「そうするとぉ、わたしも、この機械の開発に協力したってことでぇ、いいですよね」

「そうなるな」

「博士ぇ、この機械、いずれ一般に販売されるんですよねぇ」

「その予定と聞いている」

「その時ぃ、博士にも何らかのぉ、金銭がぁ、入るんじゃないですかぁ?」

「ああ、はっきりとは決めていないが、売り上げの数パーセントはくれるらしい。その代わり、開発費はほとんどもらっていないがな」

「ということは、わたしもぉ、その開発にかかわったんでぇ、貰えますよよね、協力費? みたいのぉ」

 ニコっとかわいらしく微笑む星奈。


「えっ……、いやぁ、それはどうかなぁ……。きみにはちゃんとアルバイト代を出しているわけだし――」

 渋い顔で芥川が言う。


「ええぇ、そうなんですかぁ。……残念ですぅ。――それじゃあ、この機械がヒットした時、開発秘話としてぇ、今日の話、してもいいですよねぇ」

 星奈の顔から笑みが消え、すうっと目が細くなる。


「開発秘話? なんだ、それは?」

「博士がぁ、助手でぇ、うら若き乙女のぉ、肉体にぃ、欲情したおかげでぇ、重大な欠陥に――」


「ああ、ちょっと待ったぁ!」

 芥川が慌てて星奈の言葉を遮る、

「うん、分かった。友人に話をつけておこう。星奈くんを開発協力者ということで。うん、どうにかしてくれるよ。えっと、最悪、私の取り分を少々分けてもいい。――それで、いいかな?」


「はい、了解でぇーす。後でぇ、きちんと書面にしておいてぇ、くださいねっ!」

 満面の笑みが星奈に戻る。そして、手にした薔薇色の世界創造装置を掲げて、

「それじゃあぁ、早速これの改良に入りましょ。今回は、きっちりと完成させませんとねぇ、博士ぇ。わたしの薔薇色の現金、いえ、現実の為にぃ、大ヒットするようなモノをぉ、造らないとぉ。うふ、うふふふっ……」

 妖艶な笑い声をあげる星奈を見つめて、芥川言葉を失った。


(女性って、怖い……)


 三十六歳、男、芥川龍虎、しばらくは独身生活が続きそうである……



おしまい

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