鏡の歌
第18話 勇者昔語り
勇者なぞになる前も、おれは大して変わらない魔物退治の生活をしていた。もっと貧乏で、もっと自由で、もっと賑やかではあったが。
大将気質のキスタ、物静かなバーラル、調子の良いマコール。おれを合わせて四人は、出自も性格もさまざまだったが、三年を越して一緒にいたのだから、馬が合っていたのだろう。
おれは多少の読みと算盤が出来たので、何かと契約の場面に引っ張り出されたが、口八丁で相場以上の礼金を掻っ攫っていくのはマコールだったし、結果生じた言い争いをどうにか収めるのはバーラル、最後に何だか何もなかったかのように話を纏めるのがキスタだった。
おれたちは、上手くやったな、
まだ、恐れも絶望も知らぬ小僧だった頃の、さほど輝かしくもないが忘れ難い、小さな思い出だ。
▪️ ▪️ ▪️ ▪️
「……さん、ルーさん」
荷運びの馬車に揺られながら、おれはいつの間にか寝入っていたらしい。レナルドが顔を覗き込んでいた。
「もうじき到着しますよ。本当に大丈夫かな」
「大丈夫も何も……」
身を起こした瞬間に、ぐらりと車体が揺れておれは側頭部を床にしたたかに打ちつけた。
「何も大丈夫じゃないじゃないですか。全く」
幸い、ただ打って痛いだけだ。どこを捻ったということもない。おれは大丈夫だ。おれは……。
「……着いたら少し、長めに宿で寝かせてくれ」
「それくらいの判断はできるんですね。いや良かった」
「旅籠は増えてなきゃ一軒しかない。部屋がないことはないだろ。『ばたつき鵞鳥亭』ってとこだ」
「詳しい人がいるのはありがたいですが」
言う間に、馬車はゆるゆると街の中央付近で停まる。このまま乗っていては次の町まで連れて行かれてしまうから、荷を下ろす作業の前にひょいと飛び降りた。
そう広いところでもない。橋の手前に大きな四つ辻があって、旅籠やら店やらが集まっていた。
「歌いやすそうな辻ですね」
「もう少し行けば広場もあるぞ」
「悪くない」
それでも前に訪れたコオルネよりはよほど大きな土地だ。おれの顔を覚えている者なんて、そうそういないだろう。あの後遺構がどうなったのかはわからないが、少なくとも今の街は平穏そのもので、旅籠も混み合っている様子はなかった。
どさり、とエニモールの宿よりは硬い寝台に横たわる。ここで少しでも力を回復しなければ、自分が生きて帰れなくなるぞ、と己に言い聞かせる。おれが明らかに動転して消耗をしているのは確かだ。それを自覚して、どうにか好転させなければならない。
目を閉じる。馬車での昼寝は疲れるだけだった。今度は少し休めるといい。余計なことを忘れるためには、何か憂さ晴らしでもしたっていい。
微睡みが襲ってくる。おれは身を任せる。沼に沈み込むように、ずぶずぶと眠りに落ちていく。
▪️ ▪️ ▪️ ▪️
昔の勇者みたいにやろうぜ、というのが合言葉だった。あの頃はまだ今みたいな勇者と語り部の組の制度はなかったか、あってもさほど知られてはいなかったのだろう。とにかく魔物が出たという話を聞けば倒しに行く、わかりやすくそれでも需要のある立場だった。
遺構の中にも踏み込んだことはある。今思えば、涸れた場所ばかりだったのだろう。運良く、強力な魔物と遭遇しすることはなかった。だから、おれたちは浮かれていた。
アシュエットにもそんな軽い気分で訪れ、そうして依頼を受けた。何も交渉しないのに、相場の倍取ったぞ、とキスタは満足そうに笑っていた。
思えば、そこで警戒をすべきだったのだ。
おれたちは、間違えた。遭遇すべきでない魔物と遭ってしまった。
▪️ ▪️ ▪️ ▪️
目を覚ます。また深く沈むように夢を見ていた。続きは、いつも同じだ。血の色しかない。
せめて街でも歩こうかと起き上がったが、窓の外はもう黄昏時だ。何かするのには少し遅い。行きたい場所があるわけでもなかった。あれば良かったのだが。
死んだ仲間の墓は、ここにはない。埋めるべきものがなかったからだ。
……作ってやりたいよなあ、と今さらながらに思い、膝に顔を埋めた。レナルドが部屋の扉を叩いたのは、その少し後のことだった。
▪️ ▪️ ▪️ ▪️
「ほら、少しでも食べて、いつもの明るい……いや、明るくはないな。まあ、そこまで暗くはないルーさんに戻ってくださいよ」
どん、と川魚の焼き物がおれの前に置かれた。少し焦げた野菜焼きも添えられ、普段の豆スープの食事よりはよほど豪勢だった。
レナルドに連れられた、旅籠の一階の酒場は賑やかで、救われるような思いがした。煮込んだ肉の匂い、果物の匂い、酔っぱらいの匂い。足音と騒ぐ声。少なくとも、くさくさと考え込まずには済んだ。
「それでもまだ良くなりましたよ。昼間まで本当にひどい様子をしてましたから」
「悪かったと思ってるよ」
「もっと飲んで暖めましょう。すみません、
飲むのは嫌いではない。余計なことを忘れられる。だから、忘れてしまう前に伝えようと思った。
「レナルド」
語り部でなくレナルドと呼ぶのは、少々改まった時に限ったつもりでいた。向こうもそれを知っているだろうから、少しびくりとする。
「何です」
「おれがこの仕事をしようと思ったのはな。お前みたいな語り部がついて、おれのことを語り残してくれるから、なんだ」
堅くぱりぱりとしたパンを飲み込んで、レナルドは真面目な顔になる。
「おれの仲間は、死んで何も残らなかったからな」
「長いこと一緒だったんですっけ」
「ああ、それなりに悪さもして、痛い目にも遭って、また稼いで……」
楽しかったよ、とこれは自信を持って言えた。
「お前は作れない作れないと言いながら、これまでおれの歌を歌ってきてくれたろ」
「そりゃ、仕事ですからね」
「歌えば残る。おれがいることが、いたことが」
悪酔いしたわけではないのを示すために、水をもらって思い切り飲んだ。
「お前の仕事は、いい仕事だよ」
「……嫌いではないですね。これしか取り柄がなかったんで、死ぬ気で覚えました」
「お前の故郷は」
「もっと北の、ここよりはだいぶ田舎です。祖父が歌に詳しい人で、親は嫌がったけど、僕と姉は祖父が好きでした」
そうして二人とも村から逃げちゃうんだから、仕方ない。親も嫌がるはずです。喉を鳴らして語り部は笑う。おれたちは二人とも、結局旅人だ。故郷から逃げて、彷徨い続けている。
「ルーさん?」
「いつか」
歌ってくれ、と言った。おれのことではない。おれの歌はもうあって、気恥ずかしがろうが何だろうが、こいつの喉からこぼれて形になっている。
ルーさん、ルーさん、困ったな。飲むと寝る人だったか。レナルドが揺り起こすのにも構わず、おれは机に突っ伏す。喧騒が遠ざかる。
いつか歌ってくれ、レナルド。おれの歌だけではない。それだけではなくて……。
おれの中だけに今はある、いなくなってしまった思い出たちの歌を。あいつらの歌を。誰かが残さなければ、消えてしまうだけのものを。
歌ってくれ、レナルド。
そのためにおれは、勇者になったんだよ。
そこで、おれの意識は夢よりも深い眠りの淵に落ちていった。
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