第17話 語らいの時
「まあまあまあまあ、背中に乗って空を!」
シャルロッテ姫は相変わらずの散らかった部屋の中、おれたちの語る話を聞いて青い目を丸くしていた。レナルドの歌は、まだ試作だそうだが。
「それは本当の僥倖ですよ。あの方、あれで好き嫌いが激しくていらっしゃるから」
「気が良さそうな風でしたけどね」
「私も何度も使いを送りましたけれど、そんな特別扱い、あなた方くらいです。本当に」
本当に、本当に、本当に、と何度も繰り返してから。
「羨ましい!」
ぐっと小さな両手を握ってみせる。
「私も昔、誘われたことはありますけれど、お父様に止められてしまって」
それはそうだろうなあ、としか言いようがないし、飛行の経験もほとんどしがみついてばかりでそういいことばかりでもなかったのだが、レナルドの奴は絶景の話ばかりするので、姫の中では憧れが募ってしまったようだった。
「それで、遺構の話も聞かせていただいたのですね」
「遺構と言うよりは、魔王と魔の者の話、ですか」
魔の者の末路については、伝えるべきか否か迷ったところはある。だがレナルドは、あのお姫様がそれくらいで気分を悪くするもんですか、とわかったような口を聞く。それで、彼らの大部分が魔王の死の後に命を落としているらしいことまで伝えた。
「……私の立場からすれば、世を乱したのですから当然、と言わないといけないのですよね」
つまり、そうは言いたくないのだろう。
「歴史の話を、いろいろと聞いたり読んだりしました。こういう時は、得てしてやり過ぎるものです。魔王が本当に一人きりであったのかはともかく、罪の軽かったかもしれない者も一様に処刑をされたのかと思うと」
ふう、と小さく息をする。疲れさせてはいないかと冷や冷やしながらおれたちは報告を続けた。
「スウリさんと、会って話してみたいのだけれど、きっと私のような者は一番恨まれているでしょうね」
そうだろうな、と思う。自分たちを滅ぼしかけた相手の、一番上の立場に近い者。それも……あちらからすれば、ぬくぬくと城で暮らすばかりの恵まれた立場だ。
「僕はやっぱり、魔王と勇者とが何か縁がある仲だったかもしれない、って話がどうにも気になりますね」
少々暗くなった空気を振り払うように、レナルドが言い出す。それとも単に興味のままに喋っているのかもしれない。
「勇者の物語は、同行していた語り部が詳細に歌い残して、完璧に近い形で今に残っている、かなり特別な歌なんですよ。逆に言うと、あえて残していなかったことがあるなんて当たり前なのに、これまで聞いたことがなかった。誰も歌以外の話に当たっていなかったんです」
おれは、その時ふと、今まで何も気にしていなかったことが頭の中に引っかかった。
「『失くした金貨は、古き衣の隠しを探せ』ですよ。昔の話を調べてわかることだって……」
「なあ、なんで勇者の名前は残っていないんだ?」
ふと、沈黙が降りる。魔王が詳細を知られていないのはともかくとして、勇者と語り部だっていつも勇者と語り部だ。どこどこの騎士何何、だなんてお決まりの名乗りが出てきた試しがない。
「それは最大の謎なんですよね」
「お城の記録にも残っていないのです。火事があったりで燃えてしまったのかも」
「何か呪いにかけられたとか、反対に呪いを防ぐために名前を秘した、なんて話もあります」
「名前を残せない呪いなんてあるのか?」
ああでもない、こうでもない、とおれたちは当てもない話に花を咲かせていた。妙な気分だった。初めて姫の私室を訪れた時はあれほどの緊張と畏怖に打たれていたというのに、何だか今は気楽だった。礼を失することがあってはならないが、しかし……ああ、そうだ。
昔、気の置けない仲間たちとこんな風に語らったことがあったっけ。懐かしい、あんまり懐かしい思い出だ。
「それでは、またお二人には別の遺構を見ていただくのがいいのかもしれませんね」
「それなんですが、お父上にお話は通してるんですか?」
「もちろん。私の勇者と語り部、と特別に扱っていただいております」
ふふ、と花が開くように笑う。抜かりがないのはいいが、その言い方は何とも面映ゆい。とはいえ、
「スウリさんはお一人で旅をされているとはいえ、かなり急いで回られているようですね。もうひとつ東の遺跡は他の方に頼んで、次はこの辺りを回っていただくのがいいのかもしれません」
姫は壁際に立ち、地図の一点を指さした。おれは地図を読むのはさほど得意ではなく、文字もイヴ―リオに習ったおかげで少し読める程度だ。だが、そこに記された地名には見覚えがあった。アシュエットという街だ。覚えている。確か、大きな橋があって……。
その街から半日も歩かない辺りに、遺構を表す丸印が描かれている。
やめてくれ。おれは全身から熱が引くような気持ちがしていた。
「ルーさん?」
やめてくれ、とおれは頭の中で叫びながら、ゆるゆると首を横に振った。
「何かありました?」
「……前に、そこに入ったことが、ある」
その時は二人旅ではなかった。代わりに語り部もいなかった。四人で潜り、四人で戦い、何も恐れることもなかったはずなのだ。そう、気の置けない仲間たちと。
出てきた時は、おれは独りきりだった。仇は倒した。だが、おれもぼろぼろにやられかけていた。仲間は置いてきた。何も持ち帰らなかった……。
「……別のところにしましょうか。こちらは他の方にお任せして」
「いや」
おれがあまりにひどい声で喋ったせいだろう。姫とレナルドは明らかに心配顔になる。優しいことだ。
「一度、戻らなきゃならないと思っていたんだ。もしかして、骨や遺品が残っているかもしれない」
「大丈夫ですか? 無理は毒ですよ」
大丈夫だ、とオウム返しをして、心配をかけるのも無理はないな、と深呼吸をした。
「ああ、すまん。いける。行かせてくれ。何だか……呼ばれている気がするんだ」
レナルドが口をへの字に曲げる。何を言っているのかという顔だ。
「物語でも、たまにあるだろう。自分と決着をつけなきゃならないんだよ。おれは……」
ひんやりとした何かが手に触れた。何か最初はわからなかった。目を落とすと、目の前にシャルロッテ姫の綺麗な顔があって、おれをじっと見つめていた。その手は、おれの荒れた手を握り締めている。
「行かれるのなら、お任せをします。カミュア様。でも、覚えておいてくださいね。私、待っていますから。あなたの歌だけではなくて、あなた自身のお帰りを」
最初からそうだなったな、と思う。このお姫様は、何より送り出す相手の命の心配をしていたんだっけ。
「どうか、自棄になるようなことのないよう。お父様が始めたこのおかしな習わし、私、お話を聞くのは好きですけれど……。誰かが戻ってこなかったことを知るのは、いつだって、嫌です」
父は隠しますけれど、私はずっと知っている。しばらく顔を見ない人がいることに気づく、その時がどれほど辛いか。
その心を寄せる誰かが、たった一人のおれにはなりませんか。それだけ思って、なるはずがない、とすぐに捨てた。だが、ひんやりとした手の感触は、おれの心を多少は緩ませてくれた。
「今日は、本当に楽しかった。あなた方にお任せして良かったと思っています。ですから、またお話をさせてください」
すい、と姫はおれの元から離れてまた椅子へと戻った。疲れの色もあるようだ。だからおれたちはそのまま部屋を辞した。
廊下を歩く。普段なら宮廷ではじっと黙ったまま、礼儀正しく過ごしていたのだが。
「……姫様のおっしゃる通りですよ」
僕は歌だけ持ち帰るのは、ごめんですからね。それだけ言って、レナルドはすたすたと先に行ってしまった。
廊下に、少し歪んだ鏡がある。おれは自分の顔を映してみた。なんだか久しぶりに眺めたような気がする。黒髪、しっかりとした眉、勇者を始めてからは少し小奇麗になった気がする顔つき。……拭い去れない、暗い落ち込み、死の気配。
この顔を見ていたのなら、あの反応になるのは当然だろうな、と思う。
おれは。
おれにまとわりつく、この重みと淀みとを斬り払いに行かねばならないのだ。これから。
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