第4話 魔王遺構

 遺構の中には、以前も来たことがある。その時はもっと人がいたが、人数以外はここもそう変わらない場所だった。


 黒く奇妙に整った四角い石が散りばめられた、ちょうどあのドラシアン卿の城の広間ほどもある、四角い部屋。明かりはあるようなないような、それでもなぜか周囲はよく見える。


 魔王という存在が遠い昔に存在して、各地にこの遺構を建造し、そうして先ほど湧いていた獣のようにいともあっさりと魔物たちを生み出し広めた、のだという。その惨状は今の比ではなく、過去の勇者……本物の勇者が元凶たる魔王を仕留めるまでは地上は屍の累々と横たわる地獄であった、と伝えられている。全て、同行していた語り部の手によるものだ。


 そして何より際立つものは、音だった。ごうごうとよくわからない和音のようなものが流れ、移り変わっていく。楽曲のようにも聞こえたが、何かを決定的に欠いている、そんな印象だった。


 遺構の中で戦う場合、この音がなかなかの曲者で、相手の気配を読みにくくなる。見回したところには瘴気の塊はどこにもなかったが……いや。


 最奥に、人影のようなものが見える。瘴気のように揺らめいてはいない。おれたちと同じような人間の形だ。


「……先客か?」

「別口の人ですかね」


 二人で呟いた瞬間のことだった。


 ぴいん、と高らかな弦の音が響いた。ハープの撥弦音だ。そう大きな音でもないはずなのに、その音は広間全体に広がるように聞こえた。何一つ動いていないはずなのに、壁に貼られた石がぱたぱたと裏返っていくような感覚すら覚えた。光が見える。静かな黒に沈んでいた部屋に、白い明かりが灯ったような。


「なんだか」


 ハープの音が、これまでずっと鳴っていた音を支配していく。流れているのは確かに音楽だった。おれにはそれ以上のことは掴めないが、専門家のレナルドにはさらに何かわかることがあるのだろう。


「酒場で、大勢でてんでバラバラに合奏をした時、一瞬だけ奇妙に音が揃ったことがありました」


 まるであの時のような、と続けたかったのだろう。


 ひゅうと風が吹くような速度で、レナルドは何かに激突され、後方に吹き飛ぶ。そのまま壁に強くぶち当たり、大風の時の案山子みたいに力なくくずおれた。


「九の頭、一の尾。金色の目を光らせ、万の鱗を鳴らす」


 奥から聞こえる呪文のような声と共に、目の前に突如として現れた瘴気の影はみるみるうちに形を取った。


「現れ出でよ九頭蛇ヒュドラー


 その声がきっかけなのか、それとも単に同時であったのかはわからない。もやのような黒は凝り、名前の通りいくつもの頭を持つ巨大な蛇の姿がそこにあった。


 おれも昔はこういった魔物退治の物語をよく聞いたものだったが。


「語り部、確かこいつは毒が……」


 声をかけようとして、倒れたままの相手に気づく。心臓がさっと冷えた気がした。やられたのが毒であればまずいし、そうでなくともあの速度で撥ね飛ばされたのなら、下手をすれば命が危うい。


 奴は頼れない。一人で叩き切るか、あるいは逃げるか。いくつもの目がおれを見ている。誇りだのは抜きにしても、このまま逃げ去るのはやや難しそうだ。


 ふと、シャルロッテ姫の顔が浮かんだ。


『どうぞ、ご無事で。お命に代わるものは、何もないのですから』


 どうやらこの運のない勇者は、初戦から——。


「行け」


 ぴん、とハープの音が走る。大蛇はおれに向けて一斉に牙を剥いた。おれは腰の剣を抜き放つ。敵だ。この蛇も、奥の人間も。


 姫。おれはどうも初戦から、あなたの言葉を守ることができそうに、ない。


■ ■ ■ ■


 毒が息や血の類に含まれてはいなさそうなのが幸いだった。代わりに噛まれては一巻の終わりだ。あちこちから襲い来る牙を弾き、隙を見て頭を落とす。それしかない……はずだったのだが。


 断たれた断面が、ゆっくりと盛り上がる。傷が治っている……だけならまだいい。盛り上がった肉塊の中からは、やがてぎろりと金色の目が光る。


 頭が、再生している。


 何かあったはずだ。昔語りの中の勇者は、どうにか策を巡らせてこの蛇を退治したはずなのだ。レナルド、おい、起きろ。お前の得意分野じゃないのか。声をかける余裕もなく、牙はおれを掠めていく。


 ハープに率いられた音楽も、悩みの種だった。感覚でわかる。これはおれのためのものではない。あくまで九頭蛇ヒュドラーのためのもので、耳を傾けていると力が吸い取られていくような気すらした。


「おいっ」


 おれはなんとか頭をひとつ斬り伏せ、人影に声を掛けた。


「あんたは何だ! どうしておれらに喧嘩を吹っ掛ける!」


 音楽は止まらない。冷たい高音が旋律を奏で続けていき、背後でぞわぞわと禍々しい伴奏が続く。


 嫌な予感があった。未だ解き明かされていないこの魔王遺構の、謎の現象をこうも確かに操ってみせる相手。


「お前、魔王か……?」


 初めて、低い笑い声が聞こえた。いくつくらいの男なのか、それとも女なのかはよくわからない。ただ、触れれば凍ってしまいそうなほどにざらついた響きだった。


 おれは、あんな声で笑いたくはない。


 そこでようやく気づいた。叩き斬るたびに首の再生速度が落ちている。上手くやれば全ての首を落とすこともできはしないだろうか。


 だが、その時に急に気がつく。剣が重い。握る手に痺れがある。おれの方も確実に削られてきている。口の中が渇いて嫌な味がする。


「切り裂く刃も要らず」


 声が響く。音に負けて、足がもつれかけた。


「叩き割る力も要らぬ」


 目の前の頭を斬り捨てた跡に、おれの頭ほどもある蛇がぬるりと生えた。


「ただ刺し貫く鋭さが、一雫で命を枯らす」


 大きく開けた顎には、他の頭よりもずっと長く、短剣ほどもある牙が濡れて光っていた。ゆっくり、ゆっくりと近づく。逃げようとしたところを、おれは警戒を怠っていた尾に撥ね飛ばされた。床に倒れ伏し、初めて明確な痛みを覚えながら、なんとか剣を振ろうと試み——。


 びん、とその時、鳴り響く音とは明らかに異質な音がした。人影の鳴らすハープではない。もっと低く、もっと柔らかで弱い、それでもこの部屋の中では奇妙に響き渡る……。


「レナルド?」


 一瞬動きが遅れた九頭蛇ヒュドラーの牙を、どうにか剣でいなす。片目の視線だけで振り返った先には、咳き込み、よろめきながら立ち上がり、弓ではなくリュートを構えた語り部の姿があった。


「勇者の剣に明き灯火、万の命を燃やし尽せば」


 囁くような声は、音を捻じ曲げ、場を塗り替えるような力があった。おれの剣に、薄く炎のような光が灯る。蛇がようやく少し怯むような様子を見せた。


「すみません、向こうのやり口から何かわからないか、探ってました」


 語り部の歌です。そう言われても何が何だかわからないが、おれの薙ぎ払った剣は、それまでと同じく蛇の頭を断つ。身体が少しばかり軽くなった気がした。薄い光が、蛇の傷口を灼いていく。


「勇者は、炎の剣で九頭蛇ヒュドラーの頭を灼いて倒したんですよ。ここならそれができる」


 そういえば、昔聞いた物語はそんな風だったろうか。


 リュートとハープの音が、重なって、もつれて、妙な調和を見せる。なんだか十人がかりで演奏でもしているかのような、おかしな空間だった。


「魔王と勇者の伝説は」


 本当にあったんです。


 その感慨がどこからどう発生しているのかは、正直おれにはよくわからない。が。


 おれの振り上げた斬撃は、確かに蛇の残り僅かな首を撥ね飛ばした。

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