第3話 森の中へ

「な、に、が」


 おれは走った。遺構のつやつやとした石張りの床ではない。森から飛び出すように転がり出て、踏み固められた土の街道でたたらを踏む。


「何が初心者向きだ、この」


 がさがさと音を立てる。影のようにぼやけた獣の姿が、目を凝らせば木々の合間にいくつも見受けられる。森から外へはまだ積極的に踏み出しては来ないだろう。湧き立てだ。


「漏れてるんじゃねえかよ、瘴気!」

「いや、僕だって正確な現状までは聞いてませんし……おかしいな」


 魔王の遺構からは、未だに瘴気とそこから生まれる魔物どもが湧き出してくる。とはいえ、基本は無駄撃ちはしない。弱くとも矮人ゴブリンくらいの形に凝るまで待ってから放たれる。数が多いならば余計に時間が要るし、大きく強大な魔物を作るのには、それこそ年単位かさらに長い年月が必要なはずだった。


 特に、この古く力も尽きかけている遺構においては、命の紛い物はそう何匹も湧き出るものではなかったはずなのだ。それがどうだ。


「何の獣だ、あれは」

「形だけなら大鼠ラットか何かかな。それこそ当てればすぐ散るくらいの簡単なものでしょう」


 街道から、目ばかりがいくつも光る森の中を見やる。鼠とは言え、普通の痩せた犬くらいの大きさだ。レナルドはさすがに神妙な顔をしていた。


「それも今ならの話で。放っておけばもっとしっかりした形になって、村やらを襲いに行くかも」

「そりゃ、そのままにしておくわけにはいかんよな」


 支給されたばかりの腰の剣を握る。いつでも抜けるようにしておかねばならない。と、おれの様子をレナルドは神妙な顔のまま見ている。


「何だよ」

「いや」


 何でもないです、非常時ですし、と顔を背けた。わけのわからない語り部だ。


「僕はまだ歌えませんよ」

「それはもう聞いてる」

「だから、お姫様にいい格好もできない」

「別にそれだけで、こんな仕事やろうとしてるわけでもなし」


 低い唸り声が響いた。おれはすらりと剣を抜き放つ。白銀とはいかずとも、鋭い白灰色の光が走った。レナルドは、肩に担いでいた小弓を構える。


「それでもあなたがやるというなら」


 指が弾いた弦は、びんと小気味の良い音を立てた。そういえばおれは、こいつのリュートをきちんと聴いたことがない。


「あれを散らすくらいなら、僕にもやれるはず」

「三つ数えてから撃て。おれが続く」


 じりじりと汗をかきそうなほどの、長く暑苦しい三秒だった。おれの合図とともに矢が飛ぶ。真っ直ぐに空を切ったそれは、そのまま枝を避けて、大鼠ラットのひとつに突き刺さった。


 身体に見合わない唸り声を上げて、煙か何かのように鼠がぱんと弾けて消える。それを見る間もなく、おれは大股に駆け寄って森に入り、剣を振り下ろした。本物の獣ならば足を狙うか。それとも腹か。だがこの紛い物はまだどこが強い弱いということもない。無造作に身体は揺らいで溶け出し、また弾ける。二匹目。こちらに噛みつこうとした奴を薙ぎ払う。三匹目。再び飛んできた矢がやや離れた奴を撃ち抜く。


 いいな、と思った。矢は、味方であるおれには万が一にも当たらないよう、遠くを狙った。打ち合わせをしたわけでもないのにだ。悔しいが、レナルドの奴とは意外にもやりやすい。


 四匹目。大きく開いた顎に剣を突き刺す。五匹目。もうおおよそどの程度で散らせるのかはわかってきた。踏み込んで首を押さえ、喉を掻き切る。六匹目——。


 そこに振り下ろそうとされた鋭い爪の生えた腕を、矢が刺し貫く。ついでにおれも腕を振って、小さく爆発した瘴気が溶けていくのを助けた。鼻と口は塞ぐ。万が一にも吸い込まないためだ。


「……終わりか?」

「そのようですね」


 立ちあがろうとして、その辺の木に頭をぶつけかけた。


「何やってるんですか。さっきまで様になってたのに、歌いにくいことするのやめてくださいよ」

「作れねえくせにさ……」


 様になっていたのなら、悪くはないが。おれは剣を鞘にしまった。本物の獣と違い、魔物退治の良いところは、見たところは剣が汚れないところだ。実際は帰ってから瘴気を清める過程が必要なのだが。


「お前も悪くなかったよ。援護は助かった」

「……どうも」


 こちらも上手く矢を拾えたらしい。折れた一本は打ち捨て、背負った矢筒に戻す。こいつの荷物はリュートも弓も背負うから、最低限動けるようにまとめたおれよりも多い。小山のようだ。


「しかし、どうなってるんでしょうねえ。遺構が息を吹き返したのかな」

「何か妙なことになってはいそうだな。見に行くか?」


 またレナルドはまじまじとおれの顔を見る。なんとなくわかってきたのだが、こいつはおれが真っ当な勇者らしいことを言い出すとこの態度になるのだ。良いのか悪いのかはわからない。


「そうですね、何も持ち帰らないのでは、土産も何もないですしね。お姫様もがっかりでしょう」

「姫のことはいいだろうが」


 言いながらも、そりゃあ依頼主であるのだから、何かしらの成果を上げて褒めてもらえるに越したことはないだろうとも思っていた。歌がないのは興醒めだが、下手な語りでも、少しは笑ってくれるだろうか。


「ともかく、様子見だけでもやっておかなきゃならんだろう、仕事だからな」

「真面目な人で良かったです」


 本気なのか皮肉なのか知らないが、ともあれ意見は一致した。森の中の魔王遺構の偵察だ。瘴気はまだ燻るように漂ってはいるが、周りの木々を枯らすような強さではない。先の鼠は数がいたから焦ったが、遺構の力が急激に増した、というほどのことは起こっていないようだ。そうでなければ困る。偵察で終わらなくなるだけならともかく、帰れなければ意味がないのだ。


 木の陰に入ると、急に空気がひんやりとして辺りが暗くなる。まだ日は高いから歩けないほどではないが、足元が悪いのに加えて本物の獣や、大鼠ラットか今度はもう少し強力な魔物の襲撃にも備えねばならない。


 森の香りは澄んで心地良かったが、そこに浸るわけにもいかなかった。


「なあ、あの……呪歌だかで獣払いをしたりはできないのか?」

「はい?」


 頓狂な声が返ってきた。


「いきなりなんです、御伽話みたいなことを」

「御伽話? いや、よくあるだろ。語り部が魔物を眠らせたり海を割ったり」

「そんな魔法か何かのようなことは、語り部だってできませんよ。歌の中の話です」


 呆れながらもおかしそうにくつくつとレナルドは笑う。おれはすっかり騙された気分でその様子を見ていた。


 騙された。そう、言葉通りにおれは騙されたのだ。語り部というのは何でもできると、そう子供の頃のおれに吹き込んだ奴がいる。それを、まんまと受け取ってしまっていたというわけだ。頭がくらくらするくらいに恥ずかしかった。


「獣払いも、歌いながら行けばまあ、小さなものは避けられるでしょうが、大きいものは逆に寄せてしまうかもわかりませんね」


 やります?と言うので丁重に断った。


「新しい歌以外ならできるんだな」

「そりゃあ、覚えているものならたくさんありますし」


 おれでも知っているような、三つの金貨の歌だの、騎士ローレルの冒険譚だのから、何も聞いたことがないパン屑のバラードとか言うものまで、レナルドはいくつかの題名を挙げる。知らないと言ったら、冒頭のところまで口ずさんですらくれた。パン屑が台所から世直しの旅に出る、妙としか言いようのない歌だったが、それでも興は乗る。


 この語り部は、楽しい時には楽しい顔をして素直に喜んでいるようなので、歌は好きなのだろう。それが、何がどうなって歌を作れなくなったのか。そこにふと興味が生じた。まだ好感を持ったとも言い難い仲だが、語ってもらわなければ困るし、作れない理由は気にかかる。


「ああ、見えてきましたよ。あれです」


 考えはレナルド自身の声に破られる。木がまばらになって日当たりの良い空間、その真ん中に石造りの遺構の入り口があった。つるつるとした、周囲からすれば違和感のある黒い石が組み合わさって、小さな門のように立っている。それだけで、奥には何もない。


 この門を潜れば、先の魔物が生まれてくる魔王遺構の中に辿り着ける、というわけだ。


 おれはレナルドに視線をやる。語り部は頷き、おれたちは二人で門へと入っていった。


 それが全ての始まりとなることには、全く気付かずに。

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