第三話 若い衆を遊里へ連れていく

 勇次が突然、歓喜の声とともに目を輝かせた。


「こいつ! こいつ、もらうぜ、半十郎さん!」

「ええっ⁉」


 お亮と半十郎が声を揃えて驚愕する。


「ちょいと、勇次。まがきに並ぶことも考えとくれ」


 これではまた、邑咲屋は川越芋ばかりだと揶揄されてしまうではないか。客は籬と呼ばれる格子の中に座る遊女を品定めし、見世を選ぶ。やはり器量もある程度大事な要素のひとつなのだ。

 だが、勇次は全く意に介さない。


「そこは客引きの腕の見せ所だ。俺ら妓夫ぎゅうに任せとけって」


 自信たっぷりに袖をまくり上げる勇次を見つめ、こいつにゃ敵わねぇなと半十郎が苦笑する。

 お亮はどこか納得いかない表情だが、弟の見立ての確かさには絶対的な信頼を置いているだけに文句のつけようがなかった。

 無事採用された三番目の女が、恐る恐る問いかける。


「あのう……、なんでおらが選ばれたんだ? おら、自分でも不器量だと思うべな」


 勇次は無邪気な笑みを浮かべ、きっぱりと言い切った。


「おめぇの瞳には〝いろ〟がある」






 早速、その日のから彼女は張見世に並ぶこととなった。遊女たちの教育係である番頭新造のお甲が化粧を施しながら耳打ちする。


「勇次さんに〝色〟を認められたんだ。自信持って座ってな。いつまでもおどおどしてるんじゃないよ」


 遊女上がりのお甲は、これまで勇次の見立てで売れっ子になっていく遊女をことごとく目の当たりにしてきた。だからちょっとやそっとの不器量では驚かない。女は化粧でどうにでも化けられるのだ。


「あの綺麗な男の人は……?」

「勇次さんかい? あの人は女将おかさんの弟で若い衆をまとめてる若頭だよ。それにここの跡取りでもあるからね、将来は邑咲屋の妓楼主様さ」


 そこへ仮眠から起きた噂の主があくびをしながらやってきた。


「お、化粧すればちっとは見られるじゃねぇか」


 にこにこと、あくびで艶を増した瞳を投げかける。恥ずかし気に目をそらす女にはおかまいなしだ。


「名は? 年は?」

「えっと……稲……十七歳……」

「お稲か。本庄の百姓って言ってたな。なに作ってたんだ?」

「えっと……米と……」


 お稲がのんびり答えている間に、勇次は次の言葉をすでに考えていた。


「じゃあ、おめぇは〝る〟だ」

「ほたる?」

「稲穂が垂れる、で〝穂垂る〟。はい、決まり」


 あとはよろしく、と立ち去ろうとしたところでふと振り返る。


「そうだ、変な客に当たっちまったら我慢しねぇですぐに俺らを呼ぶんだぞ」

「変な客?」

「ああ、たまにいるんだよ。あんなこととかこんなこととか、とてもじゃねぇが言葉にできねぇような行為を求めてくる変態野郎がよ。だから、運悪くそういう危ねぇ奴に当たっちまったときにゃ遠慮なく俺らを呼べ。そのために俺ら妓夫ぎゅうがいるんだからな」


 泣き寝入りだけはするなと頼もしい笑顔で吉原つなぎの裾を小粋にひるがえし、彼は廊下を去っていった。穂垂るは耳を赤く染めたまま、いなな後姿をそっと見送る。


「惚れちゃ駄目だよ。遊郭内で女郎と若い衆の色恋沙汰はご法度なんだ。ばれたらただじゃ済まないよ。よく覚えときな」


 お甲にぴしゃりと釘を刺され、穂垂るは姿勢を正した。


「はい」


 返事は「はい」じゃなくて「あい」、自分のことは「おら」じゃなくて「わっち」、ありんす言葉は吉原特有のものだから真似してもしなくてもよし、などなど、朱座遊郭の不文律を事細かく教え込むのも番頭新造の務めだ。


「新入りはもれなく最初、勇次さんにポーっとなっちまうんだ。でもあの綺麗な見た目に騙されちゃいけないよ。怒らせたら獄卒みたいにおっかないんだから」


 折檻で半殺しにされた若い衆を何人も見てきた自分が言うのだから間違いない、それでも中には本気で惚れてしまう遊女もいるが、彼が遊女を相手にしたところは一度も見たことがない、とまくし立てる。


「女に興味ないんだべか?」

「あっちこっちで浮名は流してるみたいだけどね」


 大仙波新田、石原宿、川越五河岸……。ときには川越夜船を利用して浅草花川戸まで遊びに行くこともあるらしい。

 ひつじの刻頃に扇河岸を出港して翌朝には千住、昼には花川戸に到着するという高速船「川越夜船」。隅田川と合流する新河岸川を利用した舟運は、川越と江戸を結ぶ重要な交通手段だ。これのお陰で物資の運搬などが盛んに行われるようになり、川越は江戸の台所として繁栄を極めることとなる。それは時代が遷り、明治の世となっても変わらない。


「やっぱり吉原で遊ぶんだべか?」

「今は吉原より根津の方が人気らしいよ」


 穂垂るは首を傾げた。吉原は有名だが、根津だの千住だの言われてもさっぱりわからない。


「ま、とにかく、勇次さんに惚れても無駄だってことさ。あの男が女郎に入れ込むなんてことはまず有り得ないね」


 子供の頃は禿かむろや振袖新造とままごとみたいな恋愛ごっこを楽しんでいたようだが所詮は子供の遊び、いつしか遊女への興味は失われていった。子供時分からこんな環境で育っているから女に夢を持てなくなってしまったのだろう、とお甲は分析する。


「それなら大丈夫だがね。おら……わっちには故郷くにに言い交した男がいるだに」


 故郷の本庄に遊里があるにもかかわらず川越を選んだのは、女郎姿を惚れた男に見られたくなかったからだ。貧しい村であるがゆえ身請みうけは無理だとしても、十年の年季を務めあげれば晴れて男と夫婦めおとになれる。彼は必ず待っていると約束してくれた。その言葉を信じ、その想いだけを支えに川越までやってきたのだ。

 お甲が冷めた目つきで微笑む。こんな遊女は腐るほど見てきた。十年も男が待っていたためしは万に一つもない。きっぱり断言できる。まぁ、士気に関わるのであえては言わないが。


「ほかの男に抱かれる覚悟はできてるかい」

「目ぇつぶって我慢するべ。あの人のことだけ考えてればよかんべ」


 ふふんとお甲が鼻を鳴らす。


「目は開けときな。つぶってたら口吸われちまうよ」


 この仕事はどうしたって身体を許さないわけにはいかない。ならば、せめて唇だけは惚れた男のためにとっておけ、というのがお甲の言い分だ。


「あい」


 穂垂るはお甲の眼を見てはっきりと返事した。

 この子は強い子だ。おそらく売れっ子になる。勇次が見つけた穂垂るの〝色〟とは、この強さも含めているのかもしれない。並の人間では見えない〝色〟が、勇次には明確に見えていたのだろう。

 勇次が姉のお亮とともに邑咲屋へ売られてきてから十年以上見てきているが、相も変わらずその才能には脱帽するばかりである。






 師走二十五日。各妓楼が通りに背を向けて松飾りを設置し終えると、朱座遊郭は一気に年の瀬の空気に包まれた。営業は大晦日まで続く。

 邑咲屋では来年引っ込み禿の胡蝶が十五歳になり、いよいよ振袖新造に昇格する。太客や得意先に配る土産の手配や衣装の用意などやることは山ほどあった。三が日の紋日もんびの後は四日から十日までの七日間で新造出しの挨拶回り——いわゆるお披露目道中をせねばならず、例年にも増して準備に大わらわだ。

 加えてその合間を縫い、勇次は若い衆の唯一の楽しみに付き合わなければならない。


 恥じらいを捨てた遊女たちが胸をはだけた状態で跋扈する妓楼内。子供のころから見慣れた勇次にとってはただの肉塊にしか見えないが、思春期以降に雇われた若い妓夫などはすぐに欲情してしまう。それを処理するため、月に数回、定期的に遊里へ遊びに連れて行ってやるのだ。

 ただし一度に全員を連れて行って見世を留守にするわけにはいかないので、三、四人ずつ、三日に分けて連れていく。勇次はその都度飯盛女と遊ぶこともあれば、全員分の玉代だけ払って帰ってくることもある。時間は半刻(約一時間)の一切ひときりのみ。昼見世の終わる七ツ(午後四時頃)から夜見世の始まる暮れ六ツ(午後六時頃)までの一刻(約二時間)が彼らの休憩時間だからだ。


 さて今月は、熊次郎に約束させた通り、石原宿の飯盛旅籠が目的地。普段の吉原つなぎからよそ行き用の藍染め小紋に着替え、総髪を整えながら若い衆はそわそわと浮足立っている。

 昼見世の主な客だった武士たちがめっきり減ったせいもあり、年末は遊び納めということで少し早めに上がらせてもらうことにした。これで二切ふたきりゆっくり遊べるだろう。


「新しい水茶屋ができたってよ」


 すでに第一便として遊んできた若い衆が、今日の三便目の連中に耳打ちする。そこの女将がまたいい女で……と聞いては、うぉーっ!とさらに盛り上がる。


「若頭、早く行きましょうよ」


 未の中刻(午後三時頃)を知らせる時鳴鐘の音が聴こえると、自称一の子分・権八が催促しにやってきた。すでに今月三回目の勇次は面倒くさそうに濃茶の縞の羽織を羽織る。裏地には富士山と白虎の鮮やかな刺繍が施されていた。天保の倹約令以降派手な着物は見られなくなったが、その代わりに裏地の派手な紋様で洒落込むのがいきとなったのだ。

 権八が憧れの眼差しで勇次を見上げる。自分もいつかこういうのが似合う男になりたいと密かに夢見ているらしい。


「あんなねちょねちょした女のどこがいいんだよ。化粧が濃いだけじゃねぇか」


 いい女を平気でこき下ろせるところも羨ましい限り。いいからいいからと勇次の手を引き、裏口から引っ張り出した。


 朱座遊郭のある小仙波こせんば村から石原宿まではおよそ半里。大仙波新田とほぼ変わらない。

 川越城下十七町の外側東南端にある小仙波村から西北端の石原宿へ行くには、城下町最大の目抜き通りを抜けていく。所々に蔵造りの老舗が並ぶ商店街は新年を迎える準備で慌ただしく、道行く町民たちもせわしない。


「おや、邑咲屋の若頭、今年も世話になったね。来年もよろしく」


 城下町を歩いていると、たまに馴染み客に出くわす。


「いつもご贔屓ひいきにありがとうございます。また来年もよろしくお願いいたします。良いお年を」


 礼儀正しく頭を下げると、後ろに控える若い衆もそれにならった。チャラチャラと雪駄せったのベタガネを鳴らしながら闊歩する男たちは目抜き通りを北上し、高札場の辻に差し掛かった。

 人の往来激しい辻は、年末になると日勧進や鉢鐘などの物乞いがいつにも増して多くなる。彼らも元日くらいはゆっくり過ごしたい。そのために、少しでも多くの銭を稼ごうと必死なのだ。

 事情を知る勇次は懐から財布を取り出し、一文銭を数枚ずつ、それぞれに恵んでやっていった。

 札の辻を西に曲がると商家が徐々に減っていき、少しは喧騒も落ち着いてくる。さらに西へ進み、赤間川に架かる高沢橋を渡れば石原宿はすぐそこだ。

 明石屋、伊勢屋、撞木しゅもく屋……と軒を連ねる旅籠を通り過ぎると、たまさかウロウロしていた熊次郎にばったり出くわした。石原宿は黒駒組の庭場なのだ。


「おう、勇次、来たか。おめぇも大変てぇへんだな、わけ連れて何度も何度も」

「まぁね。こいつらにも楽しみがなけりゃ仕事に身が入らねぇし」

ちげぇねぇ。で、今日はどうする? おめぇも遊んでくか?」

「いや、今日はこいつらだけでいい。俺はちょっくらあがり(茶)でも飲ましてもらって帰るわ」


 権八たち若い衆三人は飯盛旅籠へ、勇次は一人、新しくできた水茶屋「和泉いずみ屋」へと分かれた。

 暖簾のれんの隙間からちらりと垣間見えた店内には侍の姿が目立つ。実入りの減った武士たちは、玉代が安めの飯盛旅籠へと流れていたらしい。


「いらっしゃい、お兄さん、今日もいい男だねぇ」


 女将のお志摩が色目を流して出迎えた。

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