第28話 遺恨

「―会長、おはようございます。……ヴァーリオンも」


 教会へと足を進めていると、正門に立っていた少女から呼び止められる。名門貴族『ナルテル家』の次女、シルヴィ・ナルテルだ。


 どこか気まずそうに挨拶を告げるシルヴィに対し、レオハルトも軽い挨拶を返す。

 シルヴィのこうした態度は今に始まったことではないが、しかし『魔術師襲来』の時に助けてからというものそれが酷くなった様に思える。


 もともと学年の中でも最上位に位置する〝優等生〟である彼女と、教会内で〝落ちこぼれ〟と呼ばれているレオハルトは何かと対立することが多く、レオハルト自身シルヴィからあまり良い感情を向けられていないことを自覚していた。


 とはいえ、以前は言い争いだろうと、レオハルトを相手に唯一まともに対応してくれる相手だった彼女だが、今は用があって話し掛けたとしても簡単な返事のみでどこかへ行ってしまうなど、明らかに接触を避けられているのは明らかだった。


 特にここ数日は酷いもので、レオハルトを視界に収めた途端に彼女は急いでその場から立ち去ってしまう有り様で、余計に余所余所しくなってしまった彼女への対応に少々困っていた。


 今はレオハルトの隣に自分の先輩であるミーネットの手前もあり、すぐに踵を返すことはないようで、彼女と向かい合って挨拶することにレオハルトはどこか懐かしみを覚えていた。


 レオハルトがシルヴィの様子を見ていると、不意に彼女は睨み付けるように視線を返してきた。だが、そんな視線に反してその声は動揺したものだった。


「……何?」

「いや、別に……特に何か用があったわけじゃない」

「そう……」


 努めて以前のように振る舞おうとしているシルヴィの様子が見て取れ、レオハルトは困り果ててしまう。


 レオハルトが落ち着きのない彼女にどう接したものか、と考えていた時だった。ふとシルヴィはミーネットからの言葉が返って来ないことに気付いたらしく、ミーネットへと視線を向けた。


「会長……」


 そこには、明らかに普段とは違って沈んだ表情を浮かべるミーネットの姿があった。『学生会』という生徒主導の組織の中心に立つミーネットに憧れや尊敬の念を抱く女性は多く、『学生会』で書記としてミーネットを支える彼女もまたそんな女性の一人だった。


 先日の『魔術師』襲撃の際には数少ない教員に代わって生徒達の引率を行い、避難してきた人々の誘導も行っていたミーネットだが、その頼もしい姿は、今はない。


 友人達を失って悲しみに暮れる彼女の姿にシルヴィは悔しそうに唇をかみしめていた。


「……あれ? シルヴィ? あ……もう教会だったんだ」


 そんなシルヴィの視線を受け、ミーネットは俯かせていた顔を上げて周囲を見渡していた。レオハルトと共に教会へ向かっていたはずだが、友人達のことで頭を悩ませていた彼女は意識をそこに向けており、自分の居た場所を咄嗟に忘れてしまっていたようだ。


 やがて自分の状況を理解したミーネットはいつもと同じように人当たりの良い笑顔を作りながらシルヴィへと声を掛けていた。


「ごめん、気付いてなくて……ちょっとぼーっとしてたみたい。おはよう、シルヴィ」

「いえ……大丈夫です。おはようございます……」

「……」


 周囲から見てもミーネットが無理をしているのは明らかであり、そんなミーネットの様子にシルヴィもつらそうに表情を歪めていた。


 二人の少女のやり取りを見ながら、レオハルトは再び王都を見渡す。


 ―みんな無理をして生活している……この二人だけじゃない。他にも同じように違和感のあるやり取りをしている人間は居るだろうな。


 ある日突然日常が崩壊し、それを皮切りに人は非日常へと蝕まれていく。それを生み出したのが『魔術師』という存在なら、人々は彼らを憎み、恐れ、断罪することを望むだろう。


 自分達の大切なものを奪っていった存在―そんな者達を許せるはずがない。それを考えると、レオハルトはアミナを庇うことに対してどこか後ろめたい気持ちを感じずにはいられなかった。


「あの―」


 レオハルトがそんな葛藤に頭を悩ませていた時だった。

 声量の小さい声が聞こえ、レオハルトはその方向へと視線を寄せる。しかし、その過程で彼は疑問を抱かずにはいられなかった。


 何故ならその視線の先にいる人間がそんな小さい声を発する人間だとは思えなかったのだ。だが、そんなレオハルトの疑問に反して、彼の視線の先に居た少女―シルヴィは口を開くと先程と同じように小さい声でレオハルトへと声を掛けた。


「何か……悩みごとでもあるの?」

「どうしてそう思うんだ?」


 普段から自信に満ちあふれ、強い口調で相手と話すシルヴィらしからぬ様子に驚きながらレオハルトは言葉を返す。しかし、普段とは違う彼女の様子に困惑してしまい、少し強い口調で返してしまっていた。


 結果として、少し強い口調でレオハルトから尋ね返されたシルヴィは、やはりこれまでの彼女とは異なり、どこか弱々しい様子で気まずそうに視線を逸らしながら頭を下げてくる。


「え? いや、その……なんとなくって言うか……。ただ普段と少し雰囲気が違うかなって思っただけ……なんだけど……気のせいだったらごめんなさい」

「……すまない。少し言い方が悪かった」


 レオハルトはアミナのことで頭を悩ませていたこともあって余裕が無くなっている自分を恥じながら頭を下げると、その行動を見たシルヴィは少し驚きの表情を浮かべていたが、やがてレオハルトから視線を外して小さな声で呟いた。


「やめてよ……。それくらいのことで謝られたら、私は今まで……」


 しかし、その言葉は途中で本人が遮ってしまい、最後まで聞くことはできなかった。だが、レオハルトはそんな彼女の行動におおよその検討が付いてしまっていた。


 ―……自尊心の高いシルヴィのことだ。僕の実力を疑っていながらその僕に助けられて今までの自分の行いを恥じているのかもしれないな。


 常に貴族の誇りを常に持つシルヴィは、同時にその自尊心の高さも有名だった。彼女は直接レオハルトを馬鹿にするようなことは一度も無かったが、それでも時にはレオハルトの腕を疑い、そのことで対立したことも多い。


 そんな彼女の心情を察したレオハルトだったが、あえて口にすることはしない。それが、彼女の誇りを傷付けてしまうだけだということは明白だったからだ。


「……それじゃあ、僕は行くよ」

「あ、うん」

「……また後で」


 レオハルトがその場から去ろうと声を上げると、明るく振る舞うミーネットの後にシルヴィが小さい声でどうにかそう応じてくれた。そんな彼女に対してレオハルト自身は特に不満などを感じていたわけではないが、これはシルヴィ自身の問題だろう。


 そんな同期の葛藤を感じつつ、レオハルトはその隣を通って教会へと入っていく。いずれ、彼女が自分の行いに向き合うことができた時、それを受け入れてあげようと思いながら。

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