【試し読み】ミイラと花守【文学フリマ京都9「お-68」】

兒玉弓

【試し読み】ミイラと花守 第四話より






 この朝、夏の女神・夏之売神なつめのかみは、浄土寺と多賀神社が臨む海の沖合に舟を浮かべてメバル釣りをしていた。

 夏之売神は自身の素性を隠すために、以前天狗との賭けに勝った時に質草として譲り受けた透明な隠れ蓑を頭からすっぽりかぶっており、神にも妖にも人にも鳥にも魚にも気付かれず、のんびりと釣り糸を垂れていたのだが、

「釣りをしながら花見でもしようと思うていたら、龍にも羽衣にも見まがう桜吹雪に遭遇しましてね」

 さらにその後は釣りどころではなくなった、と、後日天狗に桜の花びらがびっしりついたままの隠れ蓑を見せながら言ったそうだ。



 そして今、伊織いおり房前ふささき摩多羅神またらじんは、多賀神社と浄土寺をつなぐ細い参道を歩いている。参道の両脇にも桜はあるが、覆いかぶさるようにクスノキやケヤキの古木が枝葉を伸ばし、トンネル状態になっている。木漏れ日と桜の花びらがちらちらと落ちる土の参道を、鯉の幻影がすいと泳いでいく。

 茶トラ猫のアマゾンは、伊織に縦抱きにされたまま眠っていた。伊織とすれば、疲れているかもしれない猫を引き続き連れ回すのは嫌だったが、面妖な今の状況下でアマゾンと離れ離れになる方が怖かった。


 遠い鳥の声や風の音を聞きながら浄土寺の西門の前まで来た時、つと摩多羅神が房前を見た。

「房前大臣は人間なのか」

「そうです」

「そうか、そうは見えぬが。では、この先に進まない方がよい。常なら人間などどうなっても知らぬが、わたしのこの道具を海から拾ってきてくれた恩人であるからな。房前大臣が今この門を潜り寺の境内に入れば、桜風の中にその身は散り去り、ミイラの友と二度と会えなくなるであろうよ」

 摩多羅神の言葉に、伊織は足を止めた。どういう意味か摩多羅神に聞くべきか、いやその前に房前を返すべきか。しかし房前は飄然と、

「では漏刻博士に護符をもらおうか……このたぐいの事象に対してなら、護符をくれるはずだから……無理ならここで待ちますが」

「ロウコクハカセ。ああ、殿から聞いたことがある名だ。この町にいる古い友人だと殿が懐かしんでいた。そうか、房前大臣も昵懇じっこんか。ならばわたしも挨拶に同行しようかな。それとも後にするか。殿には早くお会いしたいし」


 話を進める二人に伊織が口を開こうとした時、一陣の風が門の向こうからやってきた。風はたっぷりと桜の花びらを含んでおり、視界全体に花吹雪が舞った。目を細めて驚くうち、第二陣、第三陣と桜風は続き、四方八方から強く吹き付けてくるようになる。体全体にまとわりつく花吹雪は強さを増し、視界は桜色に染まり。

 伊織は猫をしっかり懐に抱き込み、目を閉じた。桜の風に合わせて、ざあっざあんと音がするのだが、それが波の音のようだと思っていると、風が波のように、寄せては返す力に変化してきた。背中や腕を押され押し戻され、

「ちょっと、早く門をくぐってくださいよ」

「後ろが詰まっているのよ」

「押しちゃえ」

「引いちゃえ」

 風ではない、細い指だ。手のひらだ。それらにもみくちゃにされ、引きずられる。

 するとこの騒ぎに目を覚ましたアマゾンがここで一声、にぎゃーあ、と鳴いた。

 伊織の体から風や力が離れる。

 伊織が慌てて目を開けると、アマゾンの宝石のような目がこちらを見ている。チョコレートを核にブドウの果肉が鉱物となって円い結晶になったような。つるりと光って、そのチョコレートの瞳に間延びした自分の顔が映っている。と、その目の中にひょいといくつもの白い顔が現われた。

「わあ、猫がいる」

「かわいい猫が鳴いたよ」

 声は頭上からした。伊織は慌てて立ち上がり、周りを見回した。

 伊織とアマゾンを囲んでのぞきこんでいたのは、水干烏帽子すいかんえぼし姿の白拍子たちだった。太刀を左腰に差し片手には扇。白く塗った顔に皆揃いの化粧をしていて華やかに美しいいで立ちだ。白拍子舞の出番を待っているのか。

 伊織はアマゾンを抱きしめながら、「おはようございます」と挨拶をした。花祭りの演者だ、とつい思い、だが花祭りは夕べが最後のはずで、雨で中止になったがまた今日続きをやるのだろうか、と等と考えながら視線を広く飛ばして、絶句した。


 伊織はいつの間にか門をくぐり、浄土寺の境内に立っていた。境内には桜の花吹雪が続いていて、そこに百人ほどの観客がおり、石舞台で演舞中の獅子と、面を付けた軽業師に歓声を上げていた。

 観客は百「人」と数えていいものか。ひときわ目立つのは観客席の中央に張られた陣幕の中心、床几しょうぎに腰かけた僧衣の入道だ。手足長く姿勢よく、遠目にも貴人だとわかる。その入道を中心に、簡素ないで立ちながらも威勢のいい男女の集団がまず二十人程おり、その周辺にまたいくつかの輪が出来ていた。明らかに人ではない異形のものたちが半分以上だが、桜吹雪の勢いが強く、すぐそこの風景もはっきり見えない。

 伊織はアマゾンを胸に抱きながら気付いた。

 この降り続ける桜の花びらは、ここにある桜の総量を越えてないか。

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