四章:揺らぎ火の心に闇が

 紅仁とレミは、金髪を揺らしながら大通りを邁進していた。顔を拭う余裕もなく、そろってあごから汗を落としている。

 走り出してすぐ、紅仁はレミから、島内で能力が使っている気配が二つする、と告げられた。距離の感覚から、交戦状態だろうとも伝えられた。すべてが予想どおりであれば、戦っているのは母と統制派の能力者だった。

「甲のお母さまが統制派か共生派を抜けた人間だったとしたら、おそらく統制派の指名手配リストに入っています。スカウトするまでもなく、襲われているはずです。フリードと共にこの島に来ているのが、乙の知っている女性なら、そういうのをきちんと覚えているタイプですから」

「指名手配とは仰々しいことで」

 戦争に関わる組織の元メンバー、ありそうな話だった。母が能力に詳しいこと、過去を明かさないこと、目立つのを極端に避けていたこと、すべて納得がいく。

「統制派は組織を抜けた人間に容赦しません。元共生派相手でも同じです。将来の敵となる可能性がわずかでもあるなら、彼らは排除しようとします」

「統制派っていう名称は伊達じゃないね。恐怖政治としては大正解だ」

 紅仁は軽い口調を意識したが、声は強張った。

「……甲のお母さまの名前をうかがってもよいですか」

「弥夜っているけど、知ってる? 片目を髪で隠してて、細くてちっこい人なんだけど。クラスでは目立たないタイプ」

「ミヨ……。もしや甲のお父さまのお名前は、樋谷勇悟というのでは」

 レミが出した名前は、まさに紅仁の父親のものと合致していた。

「……父さんもか」

「お二人とも、かつて共生派にいたと聞いています」

 ずっと知ることのできなかった過去の一端が、あっさりと明かされた。掘り下げて聞きたいところだったが、その余裕はない。

「君の言っていた気配ってやつだと、二人との距離はあとどのくらいなんだ」

「もう少しのはずです。三分とかからないはず……」

 しゃべっている最中、レミは息を呑み、足を止めた。後続だった紅仁は、勢い余って彼女を追い越してしまう。振り向いて彼女へ「どうしたの」と呼びかけた。

 彼女のから血の気が引いていた。唇を噛んでいる。

 何かあったと察するには、十分すぎた。

「……いえ、なんでもありません。急ぎましょう」

 再びレミが前へ出た。紅仁は生唾を飲み込んでから、それに続く。

 紅仁はだんだんと意識が浮ついていくのを感じた。息が苦しくなる。見慣れた景色の中を走っているのに、だんだんと自分がどこにいるのか分からなくなってくる。

 狭い路地へ入り、うねうねと曲がる道を進む。ある角を曲がったところで、レミが「これは」とつぶやいた。紅仁も続けて目をやる。

 まず頭に入ってきたのは、臭いの情報だった。鼻をつまみたくなるほどの鉄の臭いが充満していた。発生源は火を見るより明らかだった。

 地面にも壁にも、血が飛び散っていた。紅仁は凄惨とも感じることができなかった。あまりに現実味のない光景に、神経が麻痺してしまっていた。

 さらに異質なのは、大量のナイフが転がっていることだった。本数は数える気にもならなかった。

 そして、その中心には。


「八全では挑むには、少々荷が勝ちすぎました」

 着物の女の声が正面から聞こえてきた。弥夜は何が起きたのか分からなかった。確かに勝負を決めたはずだった。敵ののどをかき斬り、視界が真っ赤に染まるはずだった。

 だが今、地面に溜まっている赤色は。

「ですが、あなたも十全ではありませんでしたね」

 自分から流れ出た血だった。自然と膝が折れ、身体が地面へと落ちる。

 弥夜は肩から腹にかけて、ばっさりと斬られていた。

「私の能力を知らなかったことがすべてです。ご存じでしたら、結果は違っていたかもしれません」

 闇が引き、世界が晴れていく。着物の女は鞘へ刀を納めた。足元がふらついていた。息も荒く、立っているのがやっとのようだった。

「とはいえ、やはり余裕とはいきませんでしたか。修行不足ですね」

 彼女は壁へ身体を預けた。倒れ伏す弥夜を見下ろす。

「果てるまでの時間はあなたの自由です。好きなことを考えてください」

 そう告げ、彼女は身体を引きずりながら、通りの影へと消えていった。

 弥夜は一人取り残された。何も聞こえない。闇の能力の中に転がっているようだった。

 ひどく寒かった。

 温い液体が、顔の上を流れた。何度も何度も、謝罪の言葉が頭の中を回る。

 ごめんなさい、ごめんなさい。

 あの人の笑みがよぎる。言い繕う言葉は出てこない。

 続けて、子どもたちの姿が浮かんだ。

 手を伸ばす。

 口を動かす。

 指は空を掴み、声は形にならなかった。

 ただ静かに、赤い液体が地面を侵食していくばかりだった。


 数分ののち、同じ場所。

 狭い路地の裏道、血の臭いが満ちた空間。

 中心にあるのは、夥しい出血をしている女の身体だった。

 あまりにも赤くて、どこが傷なのか、はっきり分からなかった。

 紅仁はふらふらと近づいていく。

 彼女のそばにひざをつく。ズボンが血で濡れた。

 地面に伏した彼女の身体を起こす。まだ温もりがあった。

 けれど、それだけだった。

「母さん……」

 間違いなく母だが、母ではなくなっていた。その髪をかきわける。薄く目が開いたままだった。ただでさえ薄かった瞳の光は、完全に失われていた。そっと塞ぐ。

 物心ついたときから、母は母だった。控え目で社交性はお世辞にも高くなくて、息子から見ても存在は地味だった。

 けれど、いつだって紅仁たち子供のことを気にかけてくれていた。自分もカナタも、その一点だけは疑ったことがなかった。

 昨晩、叱られたときもそうだった。自分を心配して言ってくれていることは、痛いほど分かった。消え入りそうな声も、頬を撫でた手の感触も、すべて覚えている。

 改めて母と真正面からぶつかるつもりだった。軽口も封印する気だった。

 けれど、もう叶わない。

 紅仁は彼女の身体を抱きしめた。自分の体温を分け与えれば目を覚ます、そんな幻想を持った。

 つまらない冗談にも苦笑しながら反応してくれた。

 熱を出したら、心配そうな表情で看病をしてくれた。

 カナタと喧嘩したら、二人とも頬をつねられた。

 喧嘩して帰宅したら、悲しそうに眉を下げていた。

 それから、それから、それから。

 無意識に思い出が溢れてくる。それをせき止めたくて、紅仁は母の身体をもっと強く抱きしめた。記憶までどこかへ飛んでいって、母の何もかもが失われていくような、そんな恐怖が全身に走った。

 いつ聞いたのか、母の声が頭に浮かぶ。

「私はこの子の母親です……。あなたの好きにはさせない……」

 かすんだ景色が呼び覚まされる。時間も場所も分からない。しかし、確かに過去にあったこと。

 誰かが言葉を返す。それに対して母は「嫌です……」と強く拒絶した。

「絶対に、守る……」

 そう言ってくれたのに。

 意識が今へと戻る。腕の中に抱えた現実は、果てしなく残酷だった。

「母さん……」

 つぶやくことしか、できなかった。

 レミは紅仁のそばへ寄った。できることはなかった。肌に冷たく突き刺さるような痛々しい別離を、なすすべなく見守るしかなかった。

 ミヨと樋谷勇悟のことは顔こそ目にしたことはないが、存在は昔から耳にしていた。共生派の誰もが一度は聞く名前でありながら、古株以外は組織を抜けたという事実しか知らない。

 レミは以前、姉のように慕っている古株の一人に彼らのことを尋ねたことがある。「私から言えることは何もないわ」と返事を断られて以来、不要な情報として処理していた。だからミヨのことは何も知らない。

 しかし、少年の震える背中だけで、少なくとも彼女が、母親として立派な人間であったことだけは確信できた。

「せめて安らかに……」

 静かにつぶやき、両手の指を絡めた。

 祈りを解き、少年の肩越しにミヨの亡骸を覗く。

 傷は肩から腹まで、カーブを描いてついている。口の鋭さは、誰が下手人かを雄弁に語っていた。敵を殺めることに迷わない、フリードと共に行動する人間。

「薄雪、でしょうね」

 自分の身の丈の半分ほどある獲物を扱う、異国の服をまとった剣士が浮かぶ。

 ミヨは共生派を抜けた能力者だった。統制派はそういう人間のリストも作っている。あの生真面目な薄雪であれば、ミヨの能力も把握していたに違いない。

 一方のミヨは、薄雪の能力を知る由もない。彼女が組織を抜けたのは十年以上前で、薄雪が統制派で活動を始めたのは十年以内のことだった。

 レミは唇を噛みしめた。

 もっと考えを巡らせているべきだった。自分含め能力者が島内に五人いると分かった時点で、状況に気を配るべきだった。統制派が三人いると考えるのは、安直で早計に過ぎた。

 フリードを前に落ち着いていた紅仁にも疑念を持つべきだった。彼は、自分以外の能力者の存在に慣れていた。

 挙げ出すときりがなかった。無力感がじわじわと体内を侵食していく。

 自分はいったい、この島に何をしにきたのか。

 狭い路地裏に、嗚咽がいつまでも響き続けた。


 すっかり陽の暮れた大通りの歩道に、紅仁は佇んでいた。うつむいて、足元をぼんやりと見つめている。

 紅仁の背後にある建物の扉が開いた。出てきたのはレミで、慌てた様子で左右を見回す。

「こっちこっち」

 彼女に向けて手を上げる。笑ってみせたつもりだが、うまくできているか自信はなかった。彼女が気がつき、小走りで寄ってくる。

「お待たせしてしまってごめんなさい」

「いやあ、こっちこそみっともないところを見せてしまって、申し訳なかったね」

 紅仁は軽い口調でしゃべったものの、唇の動きはぎこちなかった。レミは「そんなことは」と言葉につまる。

 母の遺体は病院へ引き渡した。殺人事件扱いとなり、二人は先ほどまで自治組織で事情聴取を受けていた。

 確か、と紅仁は記憶を手繰る。意識してやらないと直近のことでもうまく頭に浮かべられない。

 他の島から来た狂人に襲われたという形にまとまったはずだった。レミから「共生派と統制派のことは伝えない方が無難だと思います」と言われ、それに従って受け答えした、はずだった。

「……甲はこれからどうするんですか」

「どうするかな。とりあえず、無理にでも晩飯は食うけど」

「乙等のところへ来ませんか」

 レミの提案に紅仁は目を泳がす。

「ここにいては危険です。甲は能力者で、しかもあの火と闇の子供です。統制派は間違いなく命を狙ってくるでしょう。この島に居続けるのは得策ではありません」

「悪いことした覚えはないんだけどな。妹のケーキを勝手に食べたのがいけなかったかな」

 紅仁はしきりに右手の親指と人差し指をこする。レミの視線に気がついて「おっと」と手を払う仕草をした。

「失礼失礼。貧乏ゆすりみたいなものでさ、じっとしてられない性分なんだ」

「甲は」

 レミが鋭い声を発する。紅仁は笑みを消し、彼女の視線を正面から受けた。

「素直に悲しむべきです」

 彼女の方が、悲しそうな顔をしていた。

 推測はしていた。無理にでも軽口を挟もうとする自分は、まるで電池切れの近いおもちゃのようになっているのだろうと。動くのもやっとなくせに、まだ大丈夫と証明するためにもがけばもがくほど、滑稽になっていく。

「確かに俺は、もっと悲しむべきなのかもしれない」

 ポケットに手を突っ込み、壁に背をつけた。空を見上げる。瞬く星はなんの慰めにもならない。

「けど、もう涙が出なくてさ。どう悲しんでいいものやら。完全に冷静になったわけでもないんだけど」

「そんな……」

 レミが絶句する。紅仁も口にすべき言葉が見つからなかった。

 母がいなくなった。それだけの事実が重い。行き交う人々は、常と変わらずに過ごしている。だが、紅仁は普通の軸から弾かれてしまっている。もう日常が手中になかった。

「しかし、君のところに行くってことは、俺も晴れて戦闘員?」

 尋ねると、レミは首を横に振った。

「……無理強いはしません。戦いたくないのなら、それを尊重します。もちろん乙たちが守ります」

「それは厚遇痛み入るよ」

 また笑ってみせたつもりだが、レミの表情は硬いままだった。

「ちなみに君の意見はどっち?」

「……甲は」

 彼女は答えに詰まった。そのままうつむいてしまう。

「……まあいいや。戦うかどうかは後回しにするとして、とりあえず厄介にはなろうかな。この島に無理に残る理由もなくなったし」

 伸びをして歩き出す。レミも無言で続いた。

「出発は明日の朝一でも大丈夫? 準備にせめて一晩はほしいんだけど」

「それは問題ありません。ただ一つだけ条件があります」

「どんな? もしかして入会費的なものが……」

「今夜は乙と行動してください」

 レミの目は真剣だった。「あー」と紅仁は頭をかく。

「警護ってわけか」

「まだ統制派の人間がこの島にいる以上、乙を一人にするわけにはいきません」

 心の中で舌を出す。やはり冷静さを欠いている。今の状況で、一人にされるはずがないのは簡単に分かるはずなのに。

「甲は宿をとっていますから、そちらに来てもらってもいいですが、準備があるのなら、乙の家の方がいいと思います」

「そうなるよね」

 紅仁は額に手を当てて、息を吐いた。

「乙がいいのなら、ですが。最悪、庭でもかまいません」

「いやいや、うちの庭は寝転ぶともぐらの糞まみれになるからやめといた方がいいよ」

「……もぐら、飼っているんですか」

「飼っているっていうか、勝手にいるね」

「では庭で」

 レミの言葉は食い気味だった。「待って待って」と、手のひらを向ける。

「妹のベッドを使っていいから、庭はやめて。俺が落ち着かない」

「勝手に使っていいんですか」

「いいよいいよ。俺もたまに使ってるし」

「やっぱり庭に」

「嘘嘘嘘。使ってない使ってない」

 母のベッドもあるが、さすがに抵抗があった。

「というか、妹さんがいるんですか」

 レミが首を傾げる。共生派の中で紅仁の父親のことがどう伝わっているのか分からないが、紅仁より下の子供の存在を不思議に感じる程度の情報はあるらしかった。

「妹っていっても、血は繋がってない。母さんの知り合いの子供なんだ。まだ生まれたばかりのときに、船の事故で親が亡くなってさ。引き取り手が誰もいなくて、母さんが養子にしたんだ」

 母から伝え聞いた話なので、大筋しか知らなかった。無理に突っ込むこともしなかった。カナタの方はもっと詳しいところまで把握している。本棚に沈没事故について書かれた古い新聞記事を挟んでいたから。ただ紅仁や母の前で、その話はしなかった。

「妹さんは今も家に?」

「いいや、妹はユニガ島の寮にいる。俺より頭が良いんだ。長期休暇のときしか帰ってこないよ」

「ユニガ島ですか、それはまた」

 レミが驚いたのも無理はなかった。

 ユニガ島は、勉学と研究の施設に特化した島だった。似たような島はいくつかあるが、その中でも一、二を争う存在だった。学徒になるにしろ、研究者になるにしろ、ハイレベルな試験を突破する必要があり、実際にその環境へ飛び込める人間は、ごくわずかだった。

 そしてカナタは、見事に難関を乗り越えてみせた。

 妹が進学したいと言い出したときのことを、紅仁はよく覚えていた。元々わがままが多かったが、その中でももっとも激しかった。そのときばかりは、大半のことを許容してきた母が、顔を曇らせた。今になって思えば、情報が外に漏れないかを懸念していたに違いない。

「この島でも、ユニガ島は知られているのですね」

「いいや、知名度はないよ。俺もカナタ、妹から聞くまで知らなかった。あいつの学校の先生がたまたま知ってたんだ。この狭い島の中で終わらせるには、惜しい頭脳だったんじゃないか」

 最後に母が折れたのも、同じ想いからかもしれない。もっと単純に、子供の望みを汲んでやりたかっただけなのかもしれないが。

 そこまで考えて、紅仁は思い至る。

 母はもういない。その事実をカナタに伝えなければいけない。

 至極当然のことなのに、まったく頭になかった。

「あんまりこの島の外のことを知らないんだけど、君らの本部のある島へ行く途中に、ユニガへ寄ることはできるかな」

「……できます」

 レミははっきりとうなずいた。

 もう一つ、尋ねておくべき事項があった。

「ちなみにだけど、妹も狙われる可能性はある?」

「低いとは思いますが、絶対ないと確約はできません。能力者でないからと放置されるかもしれませんが、能力者である甲をあぶり出すために、利用しようとする可能性を捨てきれません」

 紅仁は「なるほどね」と相槌を入れ、右手の親指と人差し指を擦る。

 カナタに勉強を続けてもらいたい気持ちは強い。彼女がどれだけの努力のすえ、ユニガ島に今いるのか、すぐそばにいた紅仁は痛いほど知っていた。だが、危険にさらすわけにはいかなかった。

 ありのまま起きたことを伝えれば、彼女は分かってくれる。自分の身が危険だという理由以上に、自分に何かあることで紅仁がどう思うかを考えてくれる。

 その優しさが、今はつらかった。カナタは「家族」を大事にする。だからこそ、紅仁の一言で彼女の可能性を簡単に閉ざせてしまう。

 それは、あまりに、重い。

「妹も一緒に、共生派の拠点へ連れていってもいいかな」

 それでも、ほかに選択肢はなかった。苦しくても背負わなければいけない責任。

 レミは「かまいません」と二つ返事で快諾してくれた。心なしか、瞳がうるんでいた。

「助かる。生意気だけど、そこまで悪い奴ではたぶんないから。たぶん」

「甲の中で妹さんはどういう評価なんですか」

「天才で天災。才覚と災いね」

「なるほど?」

「一つ訊きたいんだけど」

「なんでしょう」

「母さんの能力ってなんだったんだ?」

「詳しくは知りませんが『闇』だったと聞いています」

 答えを聞いて「なるほどね」とつぶやいた。母のイメージにぴったりとはまる。目立たないが、温かく包み込んでくれる優しい闇。

 ずっとその中で、生きてきていた。

「能力といえば、あの氷男じゃない、もう一人この島にいるっていう奴は、何の能力者なんだ」

「十中八九、薄雪という『時』の能力者です。フリードと長くコンビを組んでますし、それにあの傷は」

 そこまでしゃべって、彼女は突如口をつぐんだ。あとを紅仁は引き取る。

「母さんの傷が、そいつの獲物と一致するわけか」

 レミが軽くうなずく。刀という、独特な武器について説明してくれた。

「武器も気になるけど、能力のことも聞きたいな。『時』って言ってたよね。なにができるの。なんだか強力そうだけど」

 話を聞いてきたかぎり、母は戦場を潜り抜けてきた強者のはずだった。それを破るほどの能力は、率直に脅威だった。

「……あれは、確かに強力ですね。『時空支配』の薄雪、彼女の能力は、手で触れたもの、あるいは手に持っているものが触れたものの、時間を操作するというものです。周囲より遅くすることも、早くすることも可能です。自分自身にも使えます。限度はあるようですが」

 レミはいくつか例を挙げてくれた。

 薄雪が自分の時を早めれば、周囲よりの追いつけない速度で動くことができる。敵の攻撃を寸前で避けたり、避けられそうだった攻撃を無理やり当てたりと、凶悪な効果だった。

 相手の時を遅くするのも可能だった。刀ごしでもいいので、相手に触れさえすれば、だんだんと動きを鈍化させられる。つばぜり合いも対象だった。効果が続くのは、実時間で長くて三分程度ではあるらしいが、戦闘中の三分はあまりに致命的だった。

「ただ強力である分、代償もあります」

「代償?」

「乙やフリードのような能力と違って、丙の力は他人にも影響を与えられます。そういう系統の大半は消耗が激しいんです」

「使えば使うほど、疲れるってことか」

「そうなります。元々能力は連続で使えば使うほど、疲労が溜まるんです。乙や甲も同じです。使い過ぎれば身体が動けなくなります」

 紅仁は右手の拳を開いて、じっと見つめた。レミから聞いたような異変は体験したことがない。

「薄雪の『時』は、反動が大きい諸刃の剣なんです。ほんの数秒間だけ自分が早く動けるようにしただけで、動くのも困難な状態に陥るようです。以前、フリードともども二人とも逃がしてしまったときがそうでした」

 母の亡骸を思い出す。込み上げてくる吐き気は無理に飲み下した。

 母が倒れていたそばの壁に、その場を離れていく血筋が伸びていた。薄雪の残したもの。追いつめてはいた。敵が奥の手を使わないといけない状況になるほど。

 だが最後には討たれた。

 指を擦る。

 擦る。

 何度も。

 やがて止まる。

「君はそいつより強いの?」

 想定外の問いかけだったようで、彼女は「え」と目を丸くした。

「前にその女とあの氷使いの二人と戦ったときは、逃げられたわけでしょ。結構やり手なんじゃない」

「どうでしょうか。フリードとは何度か戦っていますが底が見えないですし、薄雪とは一度だけで、たまたま味方との連携がうまくいっただけですから。とはいえ、フリードはともかく、薄雪とは対等以下ではないとは思いたいですね」

「なかなか強気だね」

 紅仁は苦笑を浮かべた。

 確信が持てた。

 レミは、強い。

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