五章:心の内に

 あたりは静まりかえっていた。不気味さを感じるほどだった。冷えた空気が身に染みる。

 この場所はこんなにも寒々としていただろうか。家へと帰ってきた紅仁は身体をさすった。

「ひょっとして、中に敵がいて、ズドンなんてことない?」

「ドスンはないです。気配を感じませんから」

「じゃあ、あってドンガラガッシャンかあ」

 紅仁は家の中へ入った。レミの言ったとおり、誰の気配もなかった。

 あるべきものすら、なかった。

 しばらく玄関で立ち尽くしてから、レミの存在を思い出した。

「妹の部屋は上だ。ついてきて」

 正面の階段を上がる。手前に紅仁の部屋があった。昨晩のことが頭をよぎる。もう何年も昔のことのようだった。拳を強く握ってから、ゆっくりと息を吐く。自室の前を通り過ぎ、奥の部屋へ行く。

「ここを使っていいよ。掃除はしてあるから、変な臭いはしないと思う。仮にしたとしても、妹の臭いだね。駄目だったら相性の問題」

 実際、ほんのり木材とほこりの臭いが漂っている程度だった。

 左奥にはベッドと化粧台、右手には机があった。持ち物は整然としまわれている。紅仁はつい苦笑する。ここの主がいたら、床は間違いなくものでぐちゃぐちゃだ。

「綺麗にしてありますね」

「寮に入ったってだけで、ここはまだちゃんと妹の部屋だからね。見た目はあんな感じ」

 机の上にある写真を指差す。カナタが昨年、長期休暇で帰省したときに、家族で撮った一枚だった。母を真ん中にして、紅仁とカナタが左右に立っている。母は控えめな笑顔なのに対し、カナタは弾けるような笑みを浮かべていた。紅仁は一人渋い顔をしていた。

「左が妹さんですか。お名前は?」

「カナタだ。見た目どおり生意気」

「生意気というよりは、元気が有り余っているような感じですね。甲はどうして、こんな仏頂面なんですか。便秘ですか」

「惜しい。歯に肉の筋が挟まってたんだ」

「言われてみると、確かにそんな表情ですね」

「……ツッコミ役は嫌い?」

 軽口をかわす。乗ってくれたレミのはからいが紅仁には痛い。強がりを見透かされている。写真を見ていながら母のことには触れないのも、その証明だった。

 それでも、やめられない。やめれば、自分の意識を手放してしまいそうな気がした。

「そういえば、晩ご飯はどうするつもりなの」

「特に考えていませんでした。乙だけなら、一晩抜くぐらい朝飯前ですが、甲はそうもいきませんよね」

「ややこしい表現だなあ」

「食材があるなら、何か作ります」

「何かはあると思うよ。台所を見に行ってみようか」

 二人で一階の台所へ移動した。紅仁は一瞬だけ額にしわを寄せる。整然と並べられている調理道具、食器棚の中に並ぶ三人分の皿やコップ、日頃この場所を使っていた人間の影が色濃かった。

 後ろについてきているレミには聞こえないように息を吐いて、紅仁は奥の食材置きのそばにかがむ。備蓄を確認して「ふむ」とあごに手を当てた。

「シチューくらいなら作れそうかな」

「甲は料理ができるのですか」

 レミが背後から手元を覗き込んでくる。彼女の髪が、触れそうなほど近くにあった。

「まあ、人並みには。妹と一緒に教え込まれたんだ。料理に関しては俺の方がうまいよ。あいつは明確な答えがないと駄目なタイプだから『調味料の適量って何?』って、よくぼやいてた」

 誰から教え込まれたのかは、意図的に省いた。習っていたときは単に情操教育の一環程度としか捉えていなかったが、今なら目的が理解できた。

 自分が子供のそばからいなくなってしまったときの備え。

「君はできるの、料理」

「……火力ならありますよ」

「なるほど、焼き専門だ」

「調節も利きます」

「焼き専門なのは変わりないね」

「煮込みも蒸しも可能ですよ」

「訂正する。コンロ専門だ」

 紅仁は調理スペースにじゃがいもをゴロゴロと転がした。

「シチューなら乙も作れますよ」

「いやいや、お客さんには作らせないよ」

「お客さんではないですし、甲は休んでいた方が」

「いいから。何かしていた方がいいんだ」

 効果覿面で、レミは「それならお願いします」と、それ以上は渋らなかった。

「何か手伝えることはありますか」

「大丈夫だよ。ドジ属性もないから、大船に乗ったつもりで待ってて」

 胸を叩いてみせる。

 動いて気を紛らわせたいのは、本音だった。


「ごちそうさまでした」

 レミは両手を合わせた。「お粗末」と、紅仁が苦笑しながら食器を片づけ始める。慌てて手伝った。

 シチューは美味しかった。お店で食べるような突き抜けたものではないけれど、口にしていてどこかほっとできる味だった。以前、仲間に作ってもらったものと同じ感覚だった。姉のように慕っている人から差し出された、いわゆる家庭の味というもののはず。

 確信を持てないのは、レミがそれを知らないからだった。物心ついたときには、すでに共生派の拠点で暮らしていた。両親はどこの誰なのか、まったく分からなかった。

 台所から居間を見渡す。敷居をまたいだときからずっと、独特の匂いがあった。建築素材と生活のものが混ざりあって生まれる、家それぞれの匂い。共生派の居住スペースでも、各人の部屋ごとで匂いは異なるが、家族単位での違いを体感する機会は少なかった。

 紅仁はシンクに洗い物をつけている。動作に迷いがない。常と同じことをしているような、自然な動きだった。だから忘れてしまいそうになる。彼があまりに無残な状況に叩きこまれてしまったことを。

「そういえば、シャワーとか使う?」

 突然話しかけられて「はい?」と上ずった声が出た。

「ああと、違うよ。下心とかそういうのはないから。心配なら、俺のことは縛り上げてくれてもいいし。これも別に、そういう趣味だから言ってるわけじゃないよ。たぶん、そういう趣味じゃない、たぶん」

 また冗談だった。レミは答えに窮した。本当は、彼は想像を絶するほどの悲しみに沈んでいる。母親があまりに突然の死を迎えたのだから、当たり前のことだった。だからこそ、その軽口があまりに聞いていてつらい。

 こちらもなんでもないような態度をするべきなのでは、と理性が告げるが、感情が納得してくれない。結局、振り切った態度は取れず、真面目に返すか、相手の調子に乗るか、中途半端な応対になっていた。

「いえ、そこまでは別に。一晩くらい浴びなくてもどうってことないですし」

「遠慮しなくていいよ。あるものはどんどん使った方がいいって」

「ですが着替えは乙の宿ですし、甲にわざわざついてきてもらうのも。裸ならなれますけど」

「なるほど、それなら大丈夫だね」

「では、それで」

「ごめん。さすがに止める。ちょっと待ってて」

 紅仁は身のこなし軽く、居間を後にする。出ていく直前の横顔は、動きとは対照的に硬かった。

 一人残されたレミは居間の椅子に腰を下ろした。両手の指を絡ませ、うつむく。

 ミヨを救うことができなかった。後悔で胸がいっぱいだった。

 ここで彼女は、戦いと無縁な毎日を、幸福に暮らしていた。

 天井を眺める。二階からは紅仁の立てる物音が聞こえていた。

 今日出会ったばかりの少年が、気がかりでしかたなかった。母親の死に対してのショックをうまく表に出せていない。彼はそういう悲しみ方をしてしまう。

 自分が確信を持っていることに、レミは戸惑った。初対面の人間のことをどうして理解できている気がしてしまうのか。

 思えば、最初に彼を目にしたときからおかしかった。フリードの勧誘を中断させるために放った炎、そこから発生した煙、それが晴れたとき、紅仁を認識した。

 どちらかといえば幼さの残った顔立ち、それと相反したどこか妖艶めいた赤い瞳、厚みのある唇。型へチョコレートを流し込んだように、ごく自然に彼という存在が頭に入った。

 レミは右手を開く。フリードから逃げ出したとき、紅仁の手を握った。あのとき、全身が熱くなった。自分に宿る炎が際限なく噴き出してきそうな、強い衝動が全身を駆け巡った。

 まるで、ずっと失くしていた大事なものを、長い時間を経てようやく見つけたような。

「あったあった」

 ぼんやりと感触の記憶に浸っていると、いつの間にか紅仁が戻ってきていた。腕に服を抱えている。「それは?」と尋ねた。

「妹の服。小柄な方だから微妙だけど、ものは試しってことで」

 紅仁が両袖を持って、広げてみせる。明るい水色のシャツだった。胸のところにワンポイントで文字が入っている。レミが着たことのない系統だった。

「そんな、そこまでしてもらう必要は」

 断ろうとしたが「いいっていいって」と持たされた。広げて身体に当ててみる。

「……小さいな」

「小さいですね。妹さんはいくつですか」

「十五歳」

 レミはコメントを差し控えた。

「仕方ない」

 何を思ったのか、紅仁はまた二階へ上がっていった。戻ってくるときには、別の服を携えていた。

「おしゃれとは縁遠いけど、これでなんとか」

 黒のシンプルなシャツだった。紅仁自身の服らしかった。サイズとしては問題ない。

「昨日洗濯したばっかりだから、汚れとかはないはず。ちょっとぼろいけど」

 差し出された服を受け取る。レミの鼻に、洗剤とこの家と彼自身の匂いが混ざった香りが届く。くすぐったさを覚えた。

「……お借りします」

 遠慮しようと考えていたのに、口が勝手に動いた。「どうぞどうぞ」と彼の目が柔らかく細められる。

「お風呂はどちらに」

 紅仁の視線を逃れ、そう尋ねた。彼が「あっちだよ」と指で指し示す。廊下に出て右手のようだった。「ありがとうございます」と、早口にならないように気をつけながら、お礼を告げて居間を出た。

 逃げ込むようにして脱衣所へ入ると、レミは大きく息を吐いた。強く拳を握っては力を抜くという動作を繰り返し、気持ちを落ち着けた。

 状況と自分の心とが釣り合わない。あの少年は、母親を失った直後だ。そんな人間といるのに、どこか浮ついている。不謹慎だと、自分を詰る声が頭に響く。けれど、それ以上に気味悪さを強く感じていた。

 自分はこれほど、他人の悲しみに疎かっただろうか。

 ふと、張り紙が張られているのに気がついた。正面にある風呂場の扉、そこには『兄貴は最後!』と書かれていた。一文字一文字が拳ほどの大きさで、ずいぶん勢いがあった。

「……妹さんが書かれたんでしょうか」

 血のつながりはないと聞いたが、兄妹としての絆がそこにあった。つい笑ってしまう。

 そして、すぐにレミは顔を強張らせた。

 紅仁は妹に対しても、責任を負わされている。

 母親を失ったばかりか、その事実を妹へ告げなければいけない。ほかの誰でもない、彼がしなければならない役割。服の胸部を握り込む。あの少年の世界はものの数時間で、あまりに大きく傾いてしまっていた。

 風呂場の中は静まりかえっていた。栓をひねった音が、妙に大きく響いた。シャワーから出たお湯が頭へ降ってくる。

「どうして乙は……」

 両手を開く。お湯が指の間をすり抜け床へと落ちていった。嘲笑われているような、そんな妄想が浮かんだ。

「ハロー」

 不意に脱衣所の方から声がした。ゆっくり首を上げる。

「あれ、中にいるよね」

「確かめたいのなら止めませんが」

「いや、まだ前科持ちになる覚悟ができてないから。いやもう前科はあるのか?」

 あの少年の声だった。どうして、何事もなかったかのような振る舞いを続けることしかできないのか。今日まで彼は普通に生きてきたはずなのに。

「コーヒーを淹れるんだけど、君も飲む?」

「あるのならいただきますが、甲が淹れるのですか」

「ほかに誰が淹れるのさ」

「それは確かにそうですが。実は近所のおじいさんがプロで……」

「それは師匠のことだね。そんな人はいないけど」

 また軽妙な調子が聞こえた。けれど、出会ったばかりのレミでも分かる。母親の死を知る前とはまるで異なっていた。

 けれど、彼の振る舞いの根底は変わっていない。

 彼は冗談を撒くことで、カーテンを作り出していた。自分の内側を隠す仕切り。

 その中を覗く術を、レミは持っていない。

「じゃあ、用意しておくよ。タオルも置いたからね」

「ありがとうございます」

 扉の閉まる音がして、脱衣所から人の気配が消えた。水の流れる音だけが静かに時間の経過を刻む。

 レミは指で前髪を梳く。何度も何度も。

 しばらくしてから、自分の両頬を叩いた。

「乙がすべきは、丙と丙の妹さんを無事に拠点へ連れて帰ること。それがなすべきことです」

 口に出すことで、見失いかけていた目的を取り戻した。

 じっくりと、疲労と無力感を洗い流し、シャワーを止めた。

 服を着ると、また匂いが漂ってきた。首を横に振る。流されかけた気分をつなぎ止める。

「どうしてこんな」

 うなりながら居間へ戻ると、コーヒーの香りがした。

「どうも、ありがとうございました」

 お礼の言葉は尻すぼみになった。レミはゆっくりと首を動かす。

 テーブルの上で、コーヒーの入ったコップが一つだけ湯気を吐いていた。


 ログロープ島に学校は二つだけある。島の南北にそれぞれ立地していた。子供は必ず通うよう義務づけられてはいたが、与えられる知識は最低限だった。もっと多くを学びたい子供は、ほかの島へと出ていく。そのためどちらの校舎も二階建ての小ぶりなもので、部屋数は全部で十個程度だった。子供たちが遊ぶための運動場に、敷地の大半が充てられていた。

 その片方である島南部の校舎、月明かりで砂が白く照っている。子供たちの姿はないが、大きな影が一つあった。

「もう歩けます。下ろしてください、フリードさん」

「黙ってろ。体力の無駄だ」

 薄雪を背負ったフリードがいた。薄雪の顔は青白く、呼吸も乱れていた。

「ですが」

 食い下がろうとする彼女を無視し、フリードは校舎の窓から中をうかがった。人の気配がないのを確認し、手近なガラスを割る。鍵へ手を伸ばし、施錠をはずした。

 中へと入り廊下を見渡す。静寂が漂い、温度以上に冷えていた。『保健室』の表示を見つけて、足を向ける。

 フリードが扉を開けると、薬物の匂いが鼻についた。あまり好きではないが文句も言っていられない。ベッドへ薄雪を寝かせた。

「とりあえずここでいいだろう」

「……すみません」

 弱々しい声だった。フリードは首を横に振る。

「別にいい。こういうときのための二人組だ」

 窓を開け、マッチと煙草を取り出した。煙をくゆらせる。

「フリードさんは、ミヨのことはご存じでしたよね」

「知っている。こんな島にいるとは思ってなかったが」

 窓を開けて、夜空を見上げる。フリードの脳裏に、影に包まれた女と暑苦しい男の二人組が浮かぶ。

 島にある能力者の気配は自分を除いて、四つから三つに減っていた。薄雪、今朝の少年、能力的に天敵である少女。ミヨが一命を取り留めている可能性はゼロだった。

 ミヨに対して思うところは特別なかった。特別に因縁のある相手ではなかったし、興味も持っていない。ただ、薄雪をここまで消耗させたのはさすがとしか言えなかった。

 闇、あれは厄介だった。一度だけ、呑まれたことがある。前後左右からすべてが消え去った。滅多なことでは動じないフリードがパニックを起こしそうになった、数少ない事例だった。結局そのときは、ミヨとその相棒の熱血漢が撤退を優先したので事なきを得たが、殺されていてもおかしくなかった。

 フリードは薄雪へ目をやる。唇を噛んで、身体の不調に耐えていた。してやれることはない。能力による消耗は、とにかく時間の経過を待つほかなかった。

 戦いから身を引いていたとはいえ、ジャイアントキリングには違いない。彼女の能力がいかに強力かを示唆している。

 強者と渡り合えてしまうのは、薄雪の不幸だった。

 不意に彼女が目を開いた。視線がぶつかる。

「ミヨは子供を迎えに行かないと、と言っていました」

「子供か。いてもおかしくはないな。共生派を去る前、腹が大きくなっていたという話があった」

 薄雪が「そうなんですね」と相槌を打ち、フリードを見続けてくる。詳しいところを聞きたいようだった。フリードは煙を吐き出す。

「俺は何も知らない」

 簡素な返答だったが、彼女は「敵方のことですしね」とあっさり引いた。その内心をうかがい知ることはできない。子供の親を奪ったこと、その事実をどう処理しているのか。尋ねるつもりはなかった。殺す、殺される、それが当たり前の世界に身を置いている以上、それを問うのはナンセンスだった。

 煙草が不味い。吸い出したばかりだが、さっさと潰してしまった。

「そういえば昼間会ったという少年は、仲間にできそうでしたか」

 フリードは眉根を寄せ、赤い瞳をした少年を思い出す。ほんの数分だけの邂逅だったが、ひどく印象に残っていた。

「脈はあったかもしれない」

「それは惜しいですね。『飛び火』の邪魔がなければ、うまくいったかもしれないのに」

 薄雪が唇を尖らせる。「そうかもな」とフリードは賛同してみせたものの、本心ではなかった。地面へ視線を落とす。

 雰囲気だけで判断するのなら、性根は統制派に向いていそうだった。だが、おそらくこちらに転ぶことはない。長年の勘が告げていた。

「どうかしたのですか」

 薄雪に訊かれ「別に」と、目を閉じた。

「『飛び火』とやり合うつもりはない。お前が回復次第、島を出るぞ」

「いいのですか。また小言をぐちぐち言われそうですが」

「あいつの小言なんて、生活音みたいなもんだ」

 フリードたちは同じ人間の顔を思い浮かべていた。あれこれとうるさい統制派の指令役。二人でいるときによくくさしていた。

「……確かにそうですね」

 彼女はそう口にすると、肩から力を抜いた。

「休ませていただいていいでしょうか」

 フリードは許可の言葉を口にしようとして、こめかみを震わせた。窓の外をにらむ。

「悪いが、もう少しだけ起きていてくれ」

 ここまで接近していれば、相手が能力を使っていなくても分かる。

 能力者が向かってきていた。

「レミ、でしょうか」

「正直言って、分からないな」

 自分たちの実力を知っているレミが、わざわざ単身で乗り込んでくるとは考えにくかった。薄雪が弱っていることを踏まえても、勧誘任務中に功を急いで討伐しに来る性格でもない。

 では例の赤眼の少年なのかと問われると、フリードは答えようがなかった。統制派に入れてほしいと請われる可能性はゼロに等しい。

 だが自分たち以外に、この島にいる能力者はその二人しかいない。とにかく警戒するほかなかった。二人で息を殺し、望まぬ訪問者を待ち構える。

 砂を踏む音がした。

「隠してもだめだめ。臭いが残ってます。校内は禁煙ですよ、先生」

 緊張感にそぐわない陽気な声だった。居心地の悪くなる、嫌な響きだった。

 窓の外に赤い瞳の少年が現れる。顔には薄い笑み。

 気味が悪い。

「……なんの用だ」

「前置きも言わせずに本題を訊くのは、マナーがなってないね。こういうのはあたりさわりのない世間話から入るもんでしょ」

「お前と無駄話をする気はない」

 彼の目がフリードは気に入らなかった。気の抜けた外面のくせに、そこだけは常に隙を見せない。

「無駄話も雰囲気を作るっていう点で、まったく無駄ではないんだけどなあ。まあいいや」

 少年がわざとらしく肩を竦める。フリードは「なんの用だ」と再度尋ねた。

「仲間に入れてもらえないかなーと思って来たんだ」

 後ろで薄雪が「任務達成ですか」と漏らしたのが聞こえた。

 この少年が仲間になる。あの眠たげな女の理想論に辟易としたか。それとも、何か差別を受けて過ごしてきたのか。

 そんなはずはなかった。

「お前はそういうタイプの人間じゃない。何を考えている」

 少年は妖しく目を細めた。

「嘘は言ってないよ。本当にあんたたちの仲間になりたいんだ」

 彼は右手を目の前に掲げた。

 まるで魂を吸い取ろうとしているようだった。

「あんたらと同じ、人殺しに」

 赤い赤い、憎しみに染まった炎が破裂した。

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