二章:同じ空の元では何が繰り広げられ

 大通りまで逃げてきたところで、レミは足を止めた。二人とも肩で息をしていた。

「もう大丈夫な感じ?」

「一旦は平気でしょう。同じ島にいるかぎりはなんとも言えませんが」

 紅仁を掴んでいた彼女の手が解かれる。まだその柔い感触は残っていた。

 レミが両手を上げて、大きく伸びをする。へそが覗いた。紅仁は口元に手を当てる。

「どうかされましたか」

「いやいや、ありがとうございます」

 彼女は「はあ」と首をひねっただけだった。

「それで、もう色々話を聞いてもいいのかな」

「構いません。なんでも訊いてください。わけの分からないことばかりでしたでしょうから。乙のスリーサイズも今なら大特価で公開します」

「今月は懐がピンチだから、また来月ね」

「来月だと値上げになります」

 大通りの途中にあった噴水広場へ入ると、二人はどちらともなくベンチへ腰を下ろした。水が一定のリズムを刻んでいる。そこへ雑踏と喧噪が混じり、街の平穏を奏でていた。ついさっきまで繰り広げられていた戦いが、嘘のようだった。

 けれど、眼前の少女の存在が、夢でなかったことを証明していた。服の脇腹あたりは破けたままになっている。

「さてとどこからがいいのかな」

「根源的な部分からがいいかと。甲は、戦争が起きていると聞いてピンときますか」

 紅仁は首を横に振った。レミが「そうですよね」と幾度かうなずく。

「世界では今、二つの勢力による戦争が行われています。このログロープ島は世界の端に位置していますから、そんなことを知らない人がほとんどですが」

 フリードという男の話と同じだった。二人で共謀して騙そうとしている可能性もなくはないが、かぎりなく低い。ついさっきあった戦いの肌感は本物だった。

 本当にこの島の外では戦争が繰り広げられている。それが事実であることを前提にせざるをえなさそうだった。

「その戦争の原因は。さっきの男は、俺たち能力者だって言っていたけど」

 レミはすぐには答えず、噴水を眺めた。目を細める。

「事実です」

 彼女の真剣な表情に、紅仁は居住まいを正す。

「戦いは、もう百年以上も続いています。きっかけになったのは、ある国で起きた反乱でした。能力者たちが徒党を組んで、その国の王を討ち取ったんです。そして彼らは、能力者のための世界を作ると宣言しました。そこから戦火が広がっていったんです」

 耳を疑った。彼女はさらりと告げたが、百年以上という言葉を頭がはねつけていた。

「反乱が起きた理由は能力者たちへの差別です。そこへの反発が戦いへ発展したわけです」

「差別があったんだ」

「ある、と現在形にするべきでしょう。風当たりは今もなお強いです。甲は身に覚えがないんですか」

「全然だね。少なくとも俺は」

 聞いたことはないが、母は経験していてもおかしくなかった。

「それは珍しいですね。乙も幸運なことに目立った経験はありませんが、乙の仲間たちは、大なり小なり経験していますが」

「……まあ、そうだろうね」

 自分もレミも、身体から火を出せるという一点を除けば、ただの人間以外の何物でもない。ただ、その一点が自分たちを普通から隔絶する。周囲の人間の反応は容易に想像がついた。紅仁はのしてきた不良たちの目と言葉を思い出す。

「乙等能力者は、大前提として人間ですが、異質な存在と見なされやすい存在です。反乱を起こした能力者たちも、そういう扱いを受けていたのでしょう。彼らの入念な準備に加え、反乱をまったく想定していなかったために、その国は、あっという間に国王を討たれてしまったそうです」

 レミとフリードのような連中を相手に準備なしで戦闘となれば、運命は決まりきっている。日常生活でも十二分に活用できる能力だが、戦闘ならより一層の成果を期待できた。

「反乱を成功させた能力者たちは続けて『能力者による世界統制』を掲げました。世界は最初、どこでも起こりえる革命運動が、その国では偶然実を成した程度と受け止めていたのですが……」

「実際に世界統治が進んでいったわけだ」

 紅仁の言葉にレミがうなずく。

「彼らは自国での革命成功を皮切りに、瞬く間に周囲三島を制圧してしまったんです。そこまで被害が出て初めて、世界は丙等の脅威を正しく認識しました」

「あちゃー。テスト範囲が事前に知らされてても、勉強しなきゃ無意味なのと同じだね」

「それを適切なたとえと認めるのは釈然としませんが、似たようなものです」

 うなりながらも彼女は肯定した。「よっしゃ」と紅仁はガッツポーズをしてみせる。

「彼らの脅威を認めた各島の上層部は、彼らを鎮圧しなければならないと決断しました。ですが、なかなかうまくいきませんでした」

「そりゃあそうだ。さっきみたいな奴がゴロゴロいるんじゃね。みんなアイスにされて、夏にぴったりの思い出になるだけだ」

 レミとフリードの戦闘、あれはさながらマジックショーだった。雑兵が束になったところで抵抗できそうにない。

「そのとおり、能力者の集団に既存の兵隊は大いに苦戦を強いられました。まともに戦うことすらままならなかったそうです。そこである国の首脳が、一つの決断をしたんです」

「制服がTシャツ短パンの隊を作る」

「……乙の仲間も全員同じ服装だと思っているんですか」

「もしかするともしかするかもしれない」

「実はこのログロープ島の外では、これが流行の最先端なんです」

 レミの口調があまりに自然で、紅仁は半信半疑に「まじで」とこぼした。

「嘘です、半分は」

「どこの半分が本当なの」

「このあたりです」

 ボールを掴むように、レミが身体の前で手を広げる。クエスチョンマークが頭の中で増殖した。冗談なのか意味を捉えられていないのか判断に困る。

「話を戻しましょう。その決断というのが、能力者へ協力を仰ぐことでした。餅は餅屋、能力者の相手をするなら能力者と考えたわけです」

「協力を仰ぐなんてよくできたもんだね、自分たちが差別していた相手に」

「……当時の為政者たちがどう思っていたのかは想像しかできませんが、屈辱とくらいは思っていたかもしれません。ですが背に腹は変えられませんから、ぐっと堪えて頼み込んだのではないでしょうか」

「そんなもんなのかなあ。眼前に危機が迫っているなら、まあありえるか」

 昨日助けた男性は、打ちのめした少年たちと同じ目をしていた。追い詰められなければ、紅仁に助けなど求めない。

「そうして、能力者集団の侵攻に対抗する組織ができました。それが乙の所属する組織の前身です。能力者以外の人間と手を取り合っていくことを目標としたことから『共生派』と呼ばれるようになりました」

「あの間違いなく冷え症の男が言っていたやつか。『共生派』ね」

 口の中で転がしてみた。どうにも曖昧な味をしている。わざわざ「共生」とつけているあたり、能力者という存在の前提をどう定義しているのかが透けていた。

「一方、冷え症の男、フリードの所属している組織が『統制派』です。反乱を起こした側ですね。能力者以外の統制を目論んでいるため、そう呼ばれています。もしかすると、自分たちから名乗り出したのかもしれませんが」

「それで君たち共生派と統制派が戦っていると。うんうん、分かった」

 レミとフリードの関係性は理解できた。この島からは見えていない世界のことも。

「それにしても百年っていうのは長いね。始まった年に生まれた子供が死んじゃうじゃん」

「どちらも押し切るだけの力を持っていないんです。ある国を統制派から取り返していたら、その間に別の国を奪われる、といった具合で。能力者の人間もそうでない人間も、もう大勢犠牲になっているのに、情勢はずっと五分五分です」

「気の遠くなる話だね。そんなに時間が経っているんなら、統制派のリーダーが世代交代したときに、力を失いそうなもんだけど」

「それが、統制派も共生派も、誕生から百年経ってなお、トップは変わっていないんです」

 紅仁は「は?」と間抜けな声を出してしまった。

「ご存じないですか。世界には長寿の種族がいくつかあって、どちらのリーダーもそれなんです。だから、今もなお組織のトップを続けています」

 そんな種族の存在は初耳だった。ログロープ島の教育に生活と島の内部のことは盛り込まれていたが、外の情報はあまりなかった。そのことに対して紅仁は疑問を持ったことがなかった。

「世界は広いっていうのは本当だね。ひょっとして、君も実は百歳超えてるの」

「いえ、乙はぴちぴちの十八歳です」

 紅仁と同い年だった。そこには親近感を覚える。

 だが、それよりも前段に同年代であるという以上の何かがあった。初対面であるはずなのに、心に根差しているような深いつながりの感覚。

 正体が、掴めない。

「びちびちって表現は、俺も知ってるよ。今の流行でしょ」

「ええと、すみません。死語をわざと使ったつもりでした」

「死語だったの。それこそログロープ島ではまだぴちぴちだよ」

 妹も好んで使っている表現だった。それが古いという。カナタが聞いたらどんな顔をするのか、紅仁は気になった。

「んで、その十八歳ぴちぴちの君は、この島に何をしに来たの。あの男もだけど、物見遊山ではなさそうだ」

「難しい話ではありません。統制派も同じ目的だったと思います。乙は、あの男から何か言われませんでしたか」

「そういえば、統制派に入れみたいなことを言われたかな」

「まさにそれが乙と丙の目的です。言ったとおり、戦いは長く続いていますし、世代の交代も起きています。双方とも当初いた能力者を失っているわけです。しかも、そもそも能力者の数は非常に少ない。だからこそ、乙等も統制派も、能力者をのどから手が出るほど欲しています」

「なるほど、勧誘ってわけか」

 紅仁は大きくうなずいた。フリードの態度が、レミが来る前後で変化したのは、紅仁は引き入れるべき人材だからだった。

「フリードも乙も、スカウトを担っています。それでお互い面識があります。かれこれ三度目くらいだったかと」

 弛緩した空気を漂わせているレミを見ていると、言わずにいられないことがあった。

「……あんな無愛想なおっさんがスカウトして、ついていく奴いるのか」

 レミが「……いないこともないのでは」と苦笑した。

「それに彼にはバディがいるんです。おそらく、先ほどはたまたま別行動だっただけで、この島にも一緒に来ているでしょう」

「あいつのバディってことは、そいつも能力者か」

「ええ、敵ながら、なかなか面白い女性ですね」

「あいつ、あんな『俺、職人です』みたいな雰囲気なのに、女連れでお仕事してるの」

「そうですよ。それも自分より一回り下の子を連れてますからね。ああ見えてやり手です」

「そりゃあ、スカウト担当になるわ」

 紅仁は頭の中にあるフリードの情報欄へ『若い子好き』と付け加えた。

「そういったわけで、乙の目的も勧誘です。一緒に戦ってほしいと、そう考えています。もちろん無理強いはしません。ただ、統制派に見つかってしまったのは、かなりまずいんです。統制派は自分たちの味方にならない能力者は……」

「敵になるかもしれないから、殺してしまう」

 紅仁が先を引き取ると、彼女は目を見開いた。うつむいて「そういうことがありえます」と力なく告げた。

「それはそうだろうね。農作物の邪魔になりえる雑草なんて、先に抜いちゃうし」

 軽口を飛ばす。レミは首をかしげた。

「甲は怖くないんですか」

「そんなに壊れた人間じゃないよ。今もおしっこ漏らしそうだし」

 彼女の目がいぶかしげに細められる。

「実感が湧かないだけだよ。死ぬなんて真面目に考えたことないし、殺意を向けられたような経験もないし」

 それにと、心の中でだけ続ける。初対面の少女の顔を見つめた。フリードに対しては全開だった警戒心が、どうしても彼女相手には働かない。それどころか、無条件に安心してしまっていた。

 彼女が一緒なら、どうにかなる。

「それで、あのキンキン男に見初められちゃった俺は、どうしたらいい状態?」

「統制派に目をつけられた以上、いったんこの島を離れ、乙等の拠点へ来てもらうほかありません。無理強いはできませんが、乙としては、これがベストだとしか言えません」

 統制派に殺されたくなければ、こちらへ入れ。それくらいの意味合いにも取れる言葉だった。だがレミの痛ましげな表情が、悪意ある勧誘の可能性を否定していた。

「判断は甲にお任せします。明日までは待ちます。その間は全力で甲を守ります」

 実質、考えられる時間は今日一日。紅仁の脳裏に浮かんだのは、母と妹の姿だった。

「一つ訊いていいかな」

 レミが「なんでしょう」と緩やかな動きで首をかしげた。ほのかに揺れた金髪と、眠たげな瞳に、紅仁は目を奪われる。

「どうかしましたか」

「いいや、なんでもないよ。ちょっと宇宙からの交信が来てね」

「今はもう、そういう系統のキャラクターは流行ってないですよ」

「ええ、本当に? まだまだ現役のつもりだったよ」

 大げさに手を上げた。レミは意に介さず「それで」と続きを促してきた。

「いやさ、君たちの拠点へ行くのがベストなんだろうなっていうのは分かるんだけど、ちょっと問題があってさ」

「問題というと」

「母親と妹がいるからさ、二人をどうしたもんかと」

「それは確かに問題ですね」

 レミは言われるまで気がつかなかった、といった調子だった。

「そそそ。統制派の連中って、軍門に下らない奴の身内も狙ってくるもんなの」

「そこまでした例は聞いたことがありません。乙等が探せるのはあくまで能力者の気配だけですから、対象の家や交友関係は分かりません。そこを調査するような労力はさすがに払っていないのではないかと」

「……気配?」

 彼女が何気なく口にした単語が引っかかった。

「ええ、甲も分かります、よね?」

「気配って、なんかこう、霊感とかそういう類のあれ?」

「感覚的には近いかもしれませんが」

 だんだんと彼女の顔がしかめ面に変化していく。紅仁は直感する。

 おそらく、おかしいのは自分の方だ。

「……この島に能力者が何人いるか、分かりますか」

「俺に君にさっきのかき氷にそのバディがいるから、二人と二食かな」

「はずれです」

 彼女の指が答えを示す。すべてが立っていた。

「五人ねえ」

 確かにそれなら、勘定は合う。

「本当に分かっていないんですか」

「本当に分かってない。君の口振りからすると、普通は分かるものなのか」

「同じ島の中にいれば、能力者は互いに気配を察知できます。加えて能力が使われれば、もっとはっきり正確な距離と方向も」

 島にいる能力者は自分と彼女と、フリードとそのバディ、そしてあと一人は。

「それは……、まずいかもしれない。たぶん、この島にいるもう一人の能力者は」

 自分に能力の制御方法を教えてくれた人間、目にしていないのに力を使ったことを看破した人間。それができたのは、自らが能力者だったから以外に考えられなかった。

「俺の母親だ」

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