一章:揺らぎ火と飛び火が出会い

 紅仁は自宅の庭を忍び歩きで横断していた。二階にある自室を見上げる。シーツで作った即席のロープは、窓から垂れ下がったままになっていた。

 続けて隣の部屋の窓へ視線を移す。妹であるカナタの部屋だった。

「つくづく、あいつがいなくてよかったな」

 三つ下の十五歳、今は別の島にある寮制の学校へ通っている。背は同性の中でもあまり高くない。笑うと覗く八重歯が特徴だった。

 紅仁からするとすぐ手が出るじゃじゃ馬だが、本人曰く異性からはモテるらしい。確かに容姿はいいし、問題ありに思える性格も、振り回される方が好きな男からは絶賛されそうだった。

「あいつに見られたら、絶対に殴られるからな」

 つぶやきながらロープを手繰った。やり始めたときは落ちないか不安だったが、今は登りも下りもお手のものだった。

 無事に窓の桟を越え、部屋の中に着地した。

 あとは眠るだけ。

「紅仁……」

 そのはずだったが、隙間風のような弱々しい声で予定が狂ったことを知った。飛び出しそうになった心臓を押さえつつ。寝違えでもしたような緩慢な動きで右へ顔を向ける。

 廊下への扉の前に、右手で左腕を握っている母の姿があった。

 樋谷弥夜、小柄で身体の線も細く、風に吹かれれば飛んでいってしまいそうだった。とても子持ちの女性には見えない。

 黒髪によって左目は覆われており、時折隙間から覗いたところで伏し目になってばかりだった。その挙動は存在感の薄さに拍車をかけていた。

 けれども、紅仁とカナタにとっては間違いなく母だった。こんな時間に黙って家を抜け出していた事実を押さえられるのは、世の常に反さず非常にまずい。

「た、ただいまー」

「どこに行っていたの……」

 問われて口ごもる。気の利いた嘘すら出てこなかった。

「外で『力』を使ったわね……」

 返事はできなかった。肯定の言葉を返すよりも雄弁な反応だった。

「それを使ってはならない……。そう言ってきたでしょう……」

 紅仁の持つ、火を扱う力。夜の街で、やんちゃの過ぎる少年たちに向けた力。

 物心ついたときにはもう備わっていた。弥夜は制御の方法こそ教えてくれたものの、使用を禁じていた。

 その理由は教えてもらっていない。

 幼い頃、カナタにせがまれて「母さんには内緒だよ」と、指先に火を灯してみせたことがある。妹が「すご」と目を輝かせた。その反応に気を良くして、さらに色々と披露した。手のひらの上で小さな渦を作ったり、背中から出して翼を模してみたり、兄妹で無邪気に楽しんでいた。

 そこへ別の部屋にいたはずの弥夜が飛び込んできた。紅仁は足音が聞こえた瞬間に火を消していた。だから見られていないはずだった。

「紅仁、それを使ってはいけないと言ったはずよ……」

 それにも関わらず、弥夜は力を使ったことを咎めた。紅仁は戸惑いながらも「うん」とうなずくしかなかった。

 今もまた、彼女はどうやって知ったのか、紅仁が力を使ったことを把握していた。

「もう二度と使わないで、お願い……」

 手を握られる。揺れる瞳が紅仁を捉える。心まで貫いてくるような視線。強い罪悪感が頭をもたげた。

 そして、母の見ている人間が自分だけではないことに気がつき目を逸らした。

 母も息子に求めるべきではないものを向けていたと気がついて「ごめんなさい……」とつぶやいた。

「悪いけど、約束はできない」

 紅仁は、ゆっくりと母の指をはがした。「どうして……」と弱々しい声が心に刺さったが、それを散らすかのようにかぶりを振った。

「力は使わないと意味がないから」

「その力は危険を呼び寄せるの……」

「それって、どんな」

 弥夜は顔を伏せた。「それは……」とだけ口にし、黙り込んでしまう。

 紅仁は待った。返事がなければそのときは。

「話すことはできないわ……」

 一番聞きたくなかった言葉。長く大きい息を吐く。

「それじゃ納得できない。きちんと話してほしい」

 弥夜は首を横に振った。

「どうして話せないのかだけでも」

「話したらどうなるのかが分かっているから、話せない……」

 彼女の手が持ち上がり、紅仁の頬に触れる。また例の目だった。

「あなたはあの人に似すぎているもの……」

 顔の輪郭をなぞられる。ひんやりとしていた。女としての母を感じ、紅仁は頬を引きつらせる。

 彼女の言葉や動作の至るところに、父である樋谷勇悟の存在がちらついていた。もうこの世にいないのに、影を感じる機会は非常に多かった。

 彼のことも煙に包まれていた。紅仁が産まれてすぐに死んだというが、理由は教えてもらっていなかった。どんなことをしていたのか、どういう出会いをしたのか、それらもぼかされていた。

 ただ、どんな人間だったのかだけは形成できていた。当たり障りのないエピソードであれば、母はいくらでも教えてくれた。

 引きこもっていたかったのに無理に外へ連れ出された、話をしている最中に居眠りされた、冬でも汗ばみそうなほど暑苦しかった。

 理想のために全力を尽くしていた。

 もう一つ、彼の生き様を想像する材料を紅仁は持っている。自室に、父が遺した言葉があった。紙片に書き殴られたものではあるが、そこにはきちんと「紅仁へ」と記されている。

「とりあえず、今日はもう寝なさい……。明日またちゃんと話しましょう……」

 弥夜は手を下ろすと、紅仁に背を向けた。その小さな背中へ何か言いたかったが、浮かぶ言葉はなかった。

 あとには静寂しか残らなかった。


 翌朝、紅仁は近所の公園に出てきていた。ぼんやりと空を見上げる。子供たちが時折、あの人はなんだろうという怪訝な視線を向けてくるが、黙殺していた。

 家には居づらかった。居間で母から「おはよう」と声をかけられたとき、生返事しかできなかった。本当は問い詰めなければいけないことがたくさんあったし、彼女の方も昨晩のことをもっと突っ込んでくるべきだった。

 実際には親子そろっていたたまれない空気を生み出すばかりになり、紅仁が先に耐えかねて逃げ出してきた次第だった。

「空はなんにも考えなくていいからいいよな」

 何かを口にしたかっただけだった。空だって本当は悩みを抱えているかもしれない。雲が多すぎるとか、ピンクとかもっと奇抜な色になってみたいとか。

「ピンクはちょっときついな」

 ため息をついて視線を下ろす。ふと公園の外にいる男が目に入った。歩き方がぎこちない。周囲が非常に気になるらしく、首がせわしなく動いていた。

 怪しい。直感がささやいていた。

「ううーん、気になる」

 頭をかいて、紅仁は腰を上げた。

 男は人の多い通りを避けていた。無理に静かに歩こうとしているようで、むしろ一歩一歩が仰々しかった。どうあっても犬の糞を踏まないようにしている、そんな風にも見えなくもない。紅仁は口元に手を当てながらそのあとをつける。

 やがて男は路地裏へ入っていった。なんとか人が擦れ違える程度の横幅しかない。一度立ち止まった紅仁は、視線を泳がせた。足で二度ほど地面を叩いたのち、また進み出す。

 建物の間を縫うように伸びる道には、陽の光がまったく届かない。まだ午前中なのに、夕方近くの暗さだった。男の背中はかすかにしか捉えられない。ほどなくして道が右に曲がっていた。彼の姿が、紅仁の視界から失せる。

 紅仁は再び足を止めた。右手の親指と人差し指を擦り合わせる。

「鬼が出るか蛇が出るか」

 慎重に曲がり角へ近づいた。道の先はまったく見えない。

 身体を一瞬だけ前に出し、即座に後ろへ下がった。

 銀色の鈍い光が飛び出してきた。後退していなければ、それは紅仁の脇腹を抉っていた。

「まいったね、当たっちゃった。今日は冴えてるなあ」

「なんなんだ、お前。どういうつもりだ」

 舌打ちとともに男が角から出てきた。その手にあるのはナイフ。

「その言葉、そっくりお返しするよ。そんな物騒なものもって、これからどこで何をするつもりだったのさ。刺さったら痛そうじゃん」

「俺が何をしようと、俺の自由だろうが」

「人を刺していい自由なんて、俺は知らないよ。もしかして最新の教科書にはそう書いてあるの。人間も食材なので刃物OKです、みたいな」

「黙れ」

 取りつく島もなかった。男がナイフを構え直す。

「……まだ何かしでかす前なら、このまま帰って二度寝することをおすすめするよ」

「黙れって言ってるだろ!」

 彼が一歩踏み出すと同時。

 紅仁は右手から火を放った。

 男の顔が驚愕で強張ったのが見えた。

 次の瞬間には、彼は赤に呑み込まれていった。続けて通りに煙が充満する。

 晴れた頃には、男は地面に伏せていた。そのそばに落ちているナイフを、紅仁は拾う。

「こういうのは持たない方がいいよ。キャンプ以外ではね」

 呼びかけてみるが反応はなかった。警戒しつつ、身体に触れる。気絶しているだけのようだった。

「いやあ、危ない危ない。さすがに人殺しは勘弁」

「そいつはお前がやったのか」

 紅仁は素早く振り向いた。緩んでいた警戒心が一気に最大値へ達する。

 いつの間にか背の高い男が立っていた。つり目ですっきりとした鼻立ちをしている。黒いワイシャツにジーンズを履いていた。

「ええと、自警団の方?」

「違う」

「じゃあ、この人の知り合い?」

「知らない奴だ」

「そう、それならよかった。それじゃあこれで。ちょっと漏れそうなんで。後ろじゃないですよ、前です」

「待て」

 股間を押さえて、その場を去ろうとしたが、それはできなかった。

 進もうとした先に、氷の壁が現れたからだった。

「……あれ、今日ってそんな寒かったっけ」

「その落ち着き具合だと、やはりお前が能力者か」

「能力者ってなんですか。授業中にしかトイレへ行こうとしない精神は立派だなって、先生からよく言われましたけど」

「話がある」

 男は眉一つ動かさない。紅仁は嫌でも察する。

 この男は、自分とは別の世界の住人だ。

「俺は『統制派』に属する氷の能力者だ。名前はフリード=コンスタン」

 フリードと名乗った男の周りには、冷気が白い霧の形を取って浮かんでいた。

「これはご丁寧にどうも」

 後ろ手で、壁となっている氷をまさぐってみる。指で押して破壊できるようなやわな代物ではなさそうだった。

「礼儀どおり、自分から名乗ったんだ。お前も名乗れ」

「それはちょっと考えさせてほしいですね。ママから、知らない人に名前は教えるなって言われていて」

 こっそり氷へ背中をつけた。火の力を接地面へゆっくりと伝える。男の横の突破を試みるよりは、まだ脱出ルートとして現実味があった。

「つまらない冗談だな」

「そりゃ失礼。あんたとはセンスが合わなそうだ」

 紅仁は神経を研いで、フリードの動きを観察した。すぐさま危害を加えてきそうな様子はない。だが目的が分からない以上、楽観はできなかった。

「奇遇だな、俺もお前とはセンスが合わなそうだと思っている」

 フリードは胸のポケットから煙草を取り出した。マッチで火をつけ、煙をくゆらす。

「だが仕事は仕事だ。話はしておこう」

「話?」

「俺たちの組織に加われ」

 まるで想像していなかった方向だった。紅仁は眉をひそめる。

「組織ってなんのです。かき氷愛好会?」

「『統制派』と『共生派』という言葉に聞き覚えはあるか」

 軽口は無視された。おとなしく、質問に対して首を横に振る。彼は「やはりか」とこめかみを指でかいた。

「こんな辺境の島ではな。いちから説明するしかないか」

「おいしい氷の作り方を?」

「お前は知らないだろうが、外の島々ではあちらこちらで戦いが起きている。どんな戦いか予想できるか」

「かき氷シロップの争奪戦」

「俺たちだ」

 フリードが自分の胸を手で叩く。口元は一ミリも緩んでいない。紅仁が続けて「んん、スランプか」とつぶやいたのも無視で徹底していた。

「能力者同士が戦っている。それこそ、こんな風にな」

 彼が言い終わるかどうかというところで、紅仁の眼前で赤い渦が爆ぜた。

 視線を左へ滑らせていく。

 そこには新たな人影。噴煙の中に立っていた。

 それは一人の少女。

 金色の髪がたなびく。その間から覗いたのは青色の瞳。まぶたは眠たげに三分の一ほど落ちていた。

 彼女と自分だけを抜き出した写真の中にいる、そんな幻想を紅仁は抱いた。

 強烈に引きつけられる。磁力を帯びたかのように、彼女に視線を吸われた。

「甲等の甘言を聞かせるわけにはいきません。それは歪んだ理想です」

 少女は紅仁と同じくらいの年頃に見えた。半袖のTシャツに七分丈のズボンという、やたらとシンプルな服装をしている。大きさがあっていないのか、だぶついていた。ぼんやりとした目つきや間延びしたしゃべり方も相まって、今の場面に似つかわしくない、柔らかすぎる雰囲気をまとっていた。

「歪んでいるのはどっちだ『飛び火』」

 煙の内側からフリードの声が飛んでくる。彼の周囲には氷の壁が張られていた。蒸気が上がっている。

 先ほどまでの彼は非常に友好的だったのだと、紅仁は思い知る。空気がまったく違っていた。すべてを凍てつかせるような、冷たい殺意を孕んでいる。

「少なくとも、甲は間違いなく歪んでいますよ」

「奇遇だな、俺もお前に対して同じことを思っている」

 二人の言葉は刺々しかった。紅仁は息が詰まりそうだった。指一本動かすのも危険に思えた。

「甲と同意見なのは、ぞっとしませんね」

 強烈な爆発音が上がった。

 強烈な奔流がフリードを飲み込む。

「火……」

 紅仁と同じ力だった。

「炎を防ぐのに氷を使うのは、どうにも不可思議でなりませんね」

「生憎、耐火装備は持っていない。あり合わせで済ませるには、これしかない」

 相当な勢いの火だったが、フリードには届いていなかった。氷の壁は激しく煙と水を吐きながらも、防壁の役割を完璧に果たしていた。

「単純な相性なら有利なはずですが、甲を相手に有利だと思えたことは一度もありませんね」

「褒め言葉として受け取っておく」

 フリードが足で地面を叩くと、氷の壁から槍が突き出た。少女は軽く身体をひねってかわす。

 紅仁は二人の戦いに釘付けだった。自分が非行少年たち相手にしていた喧嘩とは、次元が違う。手汗が止まらない。

 彼らのそれは、命のやりとりだった。

 フリードが手から氷を生やす。棒状に伸びていき、やがて槍の形になった。ほのかな輝きを湛えていて、おとぎ話の道具のようだった。

「前にも思いましたが、その獲物はいるんですか。氷だけでも十分に戦えるでしょう」

「言っておくが、少数派なのはお前の方だ。武器を使わない方が珍しい」

「芸術家肌ですから、個性派なんです」

「抜かせ」

 槍の穂先が少女目がけて突き出された。彼女は最低限の動きでひらりとかわす。

 お礼と言わんばかりに火を放つ。フリードは舌打ちをして、横へ飛んだ。

 その動きを待っていたかのように、少女は一気に距離を詰める。

 彼女の右拳が叩きこまれた。紅仁からはまともに当たったように見えたのだが、よくよく見ると、腕でガードされていた。水蒸気が上がる。

 どうやらフリードは、鎧代わりに全身へ氷を張り巡らせているらしかった。一部分が溶けていることで境目が認識できるが、それがなければ分からないほどに薄い。

「相変わらず、その氷の装甲は面倒ですね」

「こっちからすれば、面倒なのはお前の方だ」

 面倒とは言いながら、フリードの態度には余裕すら漂っている。どちらかと言えば、攻めているのは彼の方だった。

 一方の少女も落ち着いていた。軽やかにステップを踏み、攻撃をかわしている。防戦一方ではなく、隙を見てはカウンターを試みていた。

 端から眺めているだけなら、演武のようだった。二人とも、あまりに戦い慣れし過ぎている。紅仁はつばを飲み込んだ。

「しかし余裕がないな、共生派は。勧誘すら許さないとは。道を選ぶ自由を奪うのは、お前らの主義に反するんじゃないか」

「誤った道に進まないようにしたいだけです。甲等の目指す理想が幸福につながるとは思えません」

「一つだけ警告だ」

 フリードの槍が少女の脇腹を掠めた。服が裂かれ、ほんの少しだけ赤い飛沫が舞う。二人の視線がぶつかった。

「幸福は、語れるようなものじゃない」

「甲が語れないだけです。乙はいつだって語っています」

 彼女は堂々と言い放つと、足元から火柱を立てた。フリードも同様に氷柱を生やして、攻撃をいなす。

「甲等は何も求めていない。ただ復讐を欲しているだけです。幸福には繋がりません」

「俺がいつ、復讐が目的だと言った。思い込みは誤りの元だぞ」

「統制派にいるということは、そういうことでしょう」

「そういうやつもいるのは否定しない。だが、全員じゃない。少なくとも俺は違う」

「では、どうして統制派にいるんですか」

「お前に語らないといけない理由があるか」

「それなら、乙からすれば甲は何も考えていないのと同じです」

「お前からすれば、だ。だから幸福は語れない」

 フリードが指先から氷のつぶてを打ち出した。槍も構えて少女の方へと踏み込む。

 俊敏な動きだったにも関わらず、少女はつぶてを火でかき消し、続けて右半身を引いて槍を避けた。槍の先端を掴む。途端に氷が溶け出し、地面に染みを作り始めた。

 フリードが舌打ちし、槍を手放した。改めて作り直そうと、右手から氷を精製し出す。

 そこへ少女が踏み込む。反応できずにいるフリードへ、燃え上がる拳をお見舞いした。同時に拳の先から、火がうなりを上げる。

 フリードの巨体が派手に吹っ飛んだ。壁に叩きつけられた彼の口から「あぐっ」といううめきが漏れた。

 紅仁は少女が追撃すると思い、その動きを見つめていた。だが彼女は予想に反して、紅仁の方へと走ってきた。

「逃げますよ」

「賛成するけど、あの人は放置でいいの。敵なんじゃ」

「乙の任務は戦闘ではなく勧誘です。甲を危険にさらしたまま戦う理由がありません。大丈夫、丙も無理には追ってきません」

 戸惑っている間に手を掴まれた。柔らかで温い。

 瞬間、頭から足先までの細胞すべてが爆発したような、強く不思議な感覚が全身を駆け巡った。思わず少女へ目をやると、彼女もまた紅仁へ強い視線を向けていた。

「今のは一体……」

 つぶやいてから、少女は我に返って首を左右に振った。

「とにかく離脱しましょう」

 彼女は逃げ道を塞いでいた氷の壁へ、大砲のような火の塊をぶつけた。ぼっかりと穴があく。

「こっちへ」

 紅仁は手を引かれた。抗う余裕はなかった。いや、そうする必要を感じなかった。初対面の少女に対し、警戒心が湧かなかった。

 持つことができなかった。

「一つだけ訊いてもいいかな」

「話ならあとでゆっくりしましょう。なんだったら、一昼夜でもいいですよ」

「君の名前は」

「堂々とスルーとは、甲はなかなか見所がありますね」

 少女は眉を動かさずに応じる。本当に感心しているのか、皮肉なのか、まるで分からない。

「レミです。以後、お見知りおきを」

 紅仁は彼女の名前を口の中で転がした。まったく記憶にないものなのに、妙に心がざわつく。これまで耳にしたどんな言葉よりも、特別な響きを持っていた。

「甲は」

「俺は紅仁」

「紅仁……」

 レミも紅仁と同じように、名前を頭の中で反芻しているようだった。記憶と心がうまく結びつかないのか、眉をひそめていた。

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