第6話 姉


「お兄ちゃん!?お兄ちゃん!お兄ちゃん!」



お兄ちゃんは壁を背にして脱力していた。何度も呼んだけれど起きない。

心臓のあたりに耳をあてるとトクットクッと小さな音が聞こえる。

口に手を当てると小さな息がくすぐったい。



「驚かせないでよ……」



わたしはその場にへたり込んだ。



–––––恐かった。



聞きたかったことはいくらでもある。

なんで死のうとしたの?とかなんでそんな痩せてるの?とかそこまでしてなんで会社に行こうとするの?とか。


でもその全てがお兄ちゃんを責めてしまうようでわたしは躊躇った。



「自分の命で脅すとか……最低」



さっきまでのやり取りを思い出して落ち込んでしまう。

いくらテンパったとはいえしてはいけないことだ。



「むむっ……」



お兄ちゃんをベッドで寝かせようと引っ張るけど、軽い。


想定よりも軽いその体にまたジワリと感情が溢れそうになるが唇を噛んで押し留める。



「泣いてる場合じゃないよね」



四苦八苦しながらもベッドに運んで毛布をかける。


ベッドを背にしてこれからのことを考える。

どうしたらいい?何をしたらいい?お兄ちゃんを想う気持ちと今目の前で起こったことに気持ちの整理が追いついていかない。


同情して、感情に浸って、同調するのは簡単だ。

どこまでも一緒に落ちていける。


わたしが働いてお兄ちゃんを養うのもいいだろう、退廃的な生活を送って泥のように交わって生きるのも悪くない。


けれど、それはお兄ちゃんの望むものではないだろう。慰めにすらならない。あるのは、妥協と諦めだ。


そんなのは、わたしの知る好きな人の生き方ではなかった。



「千歳お兄ちゃん……」



名前を呼んで頬を撫でる。

安心したように笑ってくれたりしたらいいのに、表情にはなんの変化もない。

やっぱり都合よくはいかないね。


冷静になれ。

これはもうわたしだけではどうにも出来ない。

わたしには人生経験というものが足りなかった。自分が憎らしい。


ポケットに手を入れてスマートフォンを手にすると連絡先を表示して目的の人物に電話をかける。


本当は頼りたくない相手だ。でもわたしが最も信頼する人だった。



「お姉ちゃん……たすけてっ……」



コール音が2回鳴って相手が出た瞬間にわたしの口は勝手に動いていた。



⭐︎⭐︎⭐︎



フリーランス。


ああなんて素敵な響きっ!

なんて思っていたのは最初だけだった。


どこにでもあるようなネット広告に釣られてwebデザイナーのスクールに入り、人生初めて多額の自己投資をした。


想像していたより簡単な世界ではなかったし、最初の頃の稼働時間はブラック企業もびっくりするほどだった。

ただ、ずっと家で仕事が出来るので多少気持ちの面では緩和されるぐらいだ。


大学卒業後は就職することも考えたが既に社会に出た同級生から、やれセクハラだパワハラだの愚痴を聞かされるたび、私の中で社会への憧れは塵となって消えた。


だから、チマチマとアルバイトで稼いだお金を自己投資に回して、現在はありがたいことにwebデザイナーや動画編集などを仕事にして、収入と時間をある程度自由なものにできていた。


愛する妹の美優は初恋のお兄ちゃんを追っかけて東京に行ってしまったが、これで追いかけられる。フフフ。

まあ、絶対嫌がられるけど。


でもその嫌がる表情も可愛いんだよなあ!

幼い頃から気になる年上の異性がいる状況は、美優をあっという間に美少女にさせた。

スタイル、ファッション、食べ物にいたるまでこだわっていた。

あなたは女優かな?と何度思わせられたことか。


あまりにも美少女すぎてモデルや女優を勧めたこともあったが、美優は「興味ない」の一点張りだった。それはそうだ。誰かに見てほしいのではなくがもう決まっていたのだから。


“家族に勝手に応募されて”ムーブをしてみるか考えたものの、日課である妹の部屋をクンカクンカしようと勝手に部屋に入ったときに、たまたま視界に入ったゴミ箱に芸能プロダクションであろう名刺やこの時代には珍しいラブレターが多数捨てられているのを見て、『あっ勝手になんかやったら殺されそう』と思って諦めたのは記憶に新しい。


そんな妹のことを思い浮かべながらズズズっとコーヒーを啜ると不意にスマホが震えた。


スマホの画面には“♡愛する天使 美優♡”の表示。

私は滾った。


滾った……が、美優から連絡がくることは珍しいので一瞬手が止まった。

ワンテンポ遅れて応答すると、多分生きてきて初めてくらいのレベルで衝撃が走った。



「お姉ちゃん……たすけてっ……」



その声は僅かに震えていた。

そして、何より私をと呼んだ。それだけで返答は簡単だった。



「わかった。今どこにいるの?」



今にも何か溢れてしまいそうな美優をなだめつつ、状況を聞く。

こんな時にもわかりやすい状況説明や漏れ出しそうな感情を抑えて相手に伝えることは中々出来ることじゃない。妹は立派だ。


関心や心配をしながらも最低限の服装に着替えて車のキーを持つ。

財布、車の鍵、スマホ。持ち物チェック。



「今から出るから、着いたらまた連絡するね。食べられるものあったらなんでもいいからお腹にいれて。カップラーメンくらい置いてあるでしょ。お腹にもの入れないと落ち着かないからね。…………大丈夫、途中で適当に買って行くから!それじゃあ、また後でね」



早口で伝えたいことだけ伝えると、途中、「勝手に?!」なんて言っていたけれど、我が妹ながら育ちが良いなんて感想を思ったりする。

同じ家で育ったはずなのにな!なんでだろ!


靴を履き、家を出ようとすると母に呼び止められた。



「これからお出かけ?どこに行くの?」



トテトテと近寄ってきて心配そうに私を見上げる母は身長146cmかつ童顔ということもあり、狙ってはいないだろうけど、『んぎゃわいいいいいい!!(可愛い)』と抱きしめたくなる可愛さをもっている。


ちなみに私はシスコンでマザコンだ。それも重度の。業が深い。


でも、今はそれどころではない。己の衝動を抑えつつ母に一言告げる。



「東京」



それだけ告げて家を出ると、背後から、『え?ママは!?』とか聞こえたけど気にしない。

一瞬、伝えたほうがいいのかと考えたが、美優のことを考えたらその考えはそっとしまうことにした。


車に乗り、エンジンをかける。



「お姉ちゃんが今行くからねぇえええええ!!」



私は夜の街を愛車(軽ワゴン)で爆走する。

普通にスピード違反で捕まった。クソが。


そうして、私が東京の千歳の住むアパートに着いたのは深夜のことだたった。

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