第3話 大丈夫
カタカタカタカタカタ……
僕は一心不乱にパソコン向き合って仕事をする。
今の進捗状況は全体の30%というところか。今日一体何時に帰れるのだろうか。
一番近い納期のものからやっつけてはいるが、納期が重なったものもあるし……
「さ、佐倉!俺にも手伝わせてくれ。今日の仕事は終わるし。その量はさすがにやばいだろ。」
不意に背後から話しかけて来たのは僕より3年先輩の
普段から相談に乗ってくれる優しい先輩だ。黒縁メガネの奥の瞳が僕を心配そうに見つめる。
「……っ。大丈夫、大丈夫なので黒川先輩はお子さんも生まれたばかりですし、早く帰って嫁さん安心させてあげないと!」
「お前っ!自分の顔見てるか?顔色悪いし、クマだってひどいぞ!家に帰れてるのかっ!?」
ありがたいな、と思いつつ黒川先輩の肩越しにデスクの向こうから太井部長がこちらをじっと見ていた。
きっと僕を助けたら黒川先輩が……
「これは、僕の仕事なので、お気持ちだけいただきますね」
そう伝えると、黒川先輩は浅く頷いて席に戻っていった。
–––––大丈夫、大丈夫。
僕は何度も自分に言い聞かせる。
カタカタカタカタカタ……
「もうこんな時間か。……一度帰るか」
時計を見ると17時で就業時間の終わり。僕にとっては残業の始まりだ。
ふと袖口に鼻をつけるとなんとも言えない臭いがする。
これは一度帰ってシャワーを浴びないといけない。急げば18時頃には帰ってこれるだろう。
⭐︎⭐︎⭐︎
「あ……れ……?」
いつの間にかアパートに帰ってきていた。
会社を出て、それから……
そうだ。コンビニに寄って、なんとなく足が向いてホームセンターに行ったんだ。
手に持っていた買い物袋には、ゴミ袋とゼリー飲料と……ロープ。
いや、いやいやいや僕は何を考えてこれを……
「痛っ……」
足元がふらつく中、ゴミをよけリビングに入ると本棚に足をぶつけてしまった。
バタバタっと音を立てて数冊床に落ちた。
「アル、バム……?」
引っ越すときに持ってきたアルバムが落ちた拍子に開いていた。
生まれた頃に両親が僕を抱きしめている写真から始まり、入学式や卒業式、家族旅行の写真など忘れていた思い出が甦ってくる。
「ははっ……あれっ……?」
視界が滲んでよく見えない。
過去の幸せに目を合わせられない。
過去が幸せなら現在は?
僕が望んでいた将来は?
上手く呼吸ができない。……苦しい。
苦しいのに、アルバムをめくる手を止められない。
ページをめくり続けると1枚の写真が目に止まる。
それは、引っ越す前に最後に撮った写真。
そこには、
今思えば、僕の青春はこの二人といつも一緒だった。
正面の窓ガラスに目を向ける。
ボサついた髪、痩せこけた顔、伸びっぱなしの髭、窪んだ瞳と深く刻まれたクマ。
「……誰?」
ガラスの向こうの彼は、僕が手を動かすと同じ動作をする。立ち上がると同じように立ち上がる。
–––––––––そうか、僕か。
まるで誰かに操られるように体は勝手にロープに手を伸ばす。ロープを結んで、固定して、出来上がったそれは僕をきっと幸せにしてくれる。
ガラスに映った醜い僕を殺す処刑台がそこにはあった。
こんなに真っ暗な部屋なのに眩しいくらいに存在感があって、体がふわふわと高揚する。
椅子に足をかけて、ロープに手をかけるために手を伸ばす。
「……ああ、これで、やっと」
ガチャリと背後の扉が開く。
「千歳お、にいちゃん……?」
やけに聞き覚えのあるその声は震えていた。
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