第八話 君へ

「シン…?」

 呼ばれた気がして、目を覚ます。十分が経ったのか。それにしては長く感じる。

 辺りを探すがシンの気配はない。ただ、彼が可愛がっていた愛馬だけが、木に繋がれたまま、そこに残されていた。


 行ったのか? 俺を置いて──。


 そうなのだろう。#徒歩__かち__#で行ったのなら、デセーオの居所はここからそう遠い場所ではないに違いない。

 ルークスは起き上がると、馬の傍へ立った。そうして繋がれた手綱をほどくと。

「お前は自分の思うところへ帰るがいい」

 馬の鼻面を撫でると、ひと声嘶いて馬は歩き出した。しかし、その方向は森の奥。

 途中、立ち止まって振り返って見せた。

「シンの行き先を、知っているのか?」

 その問いに答えるはずもなく。ただ、向き直って立ち止まったまま、前方を見つめている。

「分かった。お前に任せよう」

 そうして馬に跨ると、手綱も引かないのに馬は奥へと歩き出した。

 小一時間程過ぎた頃か。辺りに木々が減り、石積みが目立つようになってきた。霧が立ち込め見通しは良くない。

 突然、馬が立ち止まった。闇の気配が濃くなる。


 ここは──。


 もしかしたら、デセーオが身を隠している場所に近いのかも知れない。

「どうした?」

 すると、馬はビクリと身体を揺らし耳を立て、そのままブルルルと鼻息を荒くし、その場で脚を踏み鳴らした。

「何か、あるのか?」

 馬が注視する方向へ目を向けると、霧が晴れ辺りが見通せるようになった。ツンと鼻先を掠める血の臭い。

 ハッとして足元に目を向けると、黒い塊が横たわっていたのに気がついた。その先にも累々と、折り重なる様に。


 人…だ。


 完全な姿で残っているものは一人としていない。いや、あそこにひとり。


 生きているのか?


 心臓がドクリ、ドクリと音を立てる。すぐに下馬すると、そこへと向かった。

 見てはいけないと、引き止める自分と、見なくてはと言う使命感。

 ここに倒れているのは、アルドルと同じ出で立ちに風貌。きっと同じ部族に違いない。

 何故、倒れているのか。その理由は分かっている。辺りに漂う闇の気配。

 闇の神子に襲われたのだろう。

「アルドル…?」

 うつ伏せに倒れているのは、確かにアルドルだった。しかし、赤い目は見開かれたまま。


 嘘だ。こんな──。


 片膝を付きその肩に触れた。地面には流れ出た血によって黒く染みが出来ている。

 気がつけばアルドルの足元に、ケオが蹲る様に倒れていた。その右脚の膝から下が無い。

「──っ」

 思わず口元を抑えた。

 ここに伏しているもので、生きているものは一人もいない。

 どうして、ここにアルドル達がいるのか。闇を倒しに来たのか。そうだとするなら、誰かが先導しなければ辿り着く事は出来ないだろう。

 その誰かを想像したくはなかった。けれど、彼しかいない。


 シン。


 俯いた顔を上げて、探すように周囲を見渡す。一段と深い闇が漂うそこに、倒れているのは。

「シン…!」

 黒い髪が見える。向こうを向いているため、顔は見えない。右腕に剣を持ち、仰向けに倒れていた。

 しかし、駆けつけた途端、その場に立ち尽くした。そうして、力無く膝をつく。

 顔は傷一つないのに、左半身が削がれた様に無くなっていた。

「なぜ…」


 君が、こんな姿にならなければならないのか。


 気づかぬうちに、頬の上を涙が伝っていた。

 確かに闇の神子を倒すつもりだった。それには命をかけねばならないとも、理解していた。生きて帰れる保障はないと。


 けれど、どこか君との未来を信じていた。


 生きて帰れると。

「シン…」

 腕を伸ばし、その頭を胸にかかえ抱きしめる。黒い髪に頬を埋めた。

 ほんの僅か前まで、自分にキスをし、愛していると口にした。

 生きていた。

 抱えれば、まだ温もりが残る。


 シン。どうして俺を置いていった? どうして独りで逝った──。


 いつの間にか、ルークスの周囲に闇が取り巻いている。その闇はまるで様子を伺うように距離を置いて渦巻いていた。

『光の、神子…。ルークス…』

 闇がねっとりとルークスに巻き付くが。

「君を独りでいかせはしない…。全ての闇を道連れに…」

 闇が突然、ルークスに吸い込まれ出した。ルークス自身は何も変化は起こっていない。ただ、シンを抱きしめているだけだった。

『おまえ…。なにを──』

 闇の中心から声が響く。デセーオの身体は既に闇と同化し消滅していたが、意識はあるらしい。

 その間にも闇は急速にルークスの身体へと吸い込まれ消えていく。

 デセーオが何か口にしようとしたが、その隙も与えず、一気にそこにある闇を全てその体に取り込んだ。

 一遍の闇も辺りには無くなる。


 神よ。私に、力を──。


 この命と引き換えに。亡くなったものの命と引き換えに。


 そうして祈ると、真上の空が突然、明るく輝いた。明けきらない空が、朝日を浴びたように明るくなる。

 と、そこから一本の矢のような光が一筋、落ちてきた。

 落ちた先はルークスのもと。

 一つ落ちたあとは、もう止まることなく次々と落ちていく。しまいには落ちる前に次の光が落ちてきて、気がつけば光の柱に包まれているかの様だった。

 闇はその光に滅っされて行く。

「──っ」

 ルークスは必死にシンを抱え、光の熱と内側を焼き付くそうとする闇の痛みに耐える。しかし、それも限界だった。

 先にシン生かすため、力を使い切っていたのだ。それが響いた。


 シン…。君と、生きたかった。


 強く抱きしめる。

 

 二人で、手を繋いで、ずっと──。


 シンの笑顔が脳裏に浮んで、消えていった。

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