第七話 あなたへ

「ルークスが闇の神子と行ったと?」

「は…」

 士官の一人が恭しく頭を下げ答える。

「まあ、そうなるか…」

 オレオルは顎に手を添え思案する。

 目的は闇の神子の討伐だろう。あの広間の惨状を見れば、このまま放っておくわけがない。

「警備隊長のオレオル様が、ルークス様を行かせるよう指示しました」

「確か、ルークスの弟だったな。その男はどこに?」

「外の警備に出ています。連れてきますか?」

「すぐにな。話を聞きたい」

 士官は頭を下げると部屋を退出していった。

 あの後、光の館へと急いで踵を返したが、途中、闇の神子達に行く手を阻まれ。

 結局、光の館に戻った頃には、全て終わっていた。そして、ルークスは閉じ込められたはずの部屋から姿を消した。闇の神子とともに。


 あの男が一人で死ぬのは構わないが、ルークスまで道ずれにされてはな。


 しかし、光の神子が束になっても打つ手がないとは。とうとう目覚めたのか。デセーオと言ったか。

 闇の力。闇の神子を媒体にして、この世に闇をもたらす。強い光が現れたということは、それだけ強い闇が生まれた証拠。

 ひとつ、ため息を吐き、窓からのぞく夜空に目を向ける。


 ルークスとともに、他の時代に生まれたかったと言ったら、不謹慎だろうか?


 まだ、夜は明けそうにない。長い夜になりそうだった。


+++


「お呼びですか?」

 士官の案内で一人の偉丈夫な青年が入ってきた。

 濃い茶色の髪に深い青の目。こちらを鋭い眼差しで観察している。

「君は、…ライオだったか。ルークスの弟だったな? 光の館を守ってくれてありがとう。礼を言う」

「いいえ。私は領主の命に従ったまで。それに…私個人としては兄を守りたかったので」

「兄思いだな。それで──君は闇の神子とその大切な兄を行かせたという報告があったが。それは事実か?」

「はい。兄の選択を優先しました」

「それが、死を意味しても?」

 その言葉に、深い青の眼差しがこちらを突き刺すように向けられた。

「何が待っていようと、兄の選んだ道なら間違いはありません。それに、それが兄の幸せに繋がると信じています。意に添わぬ環境で、ただ、生きながらえることばかりが幸せとは限りません」

 オレオルの口の端に笑みが浮かぶ。

「まるで知っている様だな? 君の兄と私の関係を。まあいい…」

 ライオはじっとオレオルの動きを見つめている。あのルークスがわざわざ弟に心配させるような話をするはずもないことは分かっている。この男も勘がいいのだろう。

「…もう下がっていい。暫くこの館を守ってくれるとか? 私はこのまま、闇の神子を追う。館の警備を頼んでも?」

「勿論。領主の指示でもあります」

「ありがとう。では、もう下がっていい。ご苦労だった」

「は」

 ライオは頭を下げ、退出していった。

 その背を見送った後、

「ただ、生きながらえる、か…」

 閉じられた扉を見つめ、そう呟いた。


+++


 綺麗だと心から思った。

 雪のように白い肌。明け方の空の様に薄いブルーの瞳。

 触れる度、湖面の様に揺らぐ瞳に魅入った。

 益々惹かれていく自分がいる。

 

 もっと、早くに出会いたかった。


 せめて数年でもいい。

 もう少し、長く彼といられたなら。


 この僅かな時間を惜しむように思いを交わした。

 ルークスの施術によって、既に身体にあった闇はかき消されていた。互いにこの先に起こるであろう事に覚悟は持っている。

 しかし、どこかで未来はあると信じていた。ルークスと共に穏やかに生きる未来が。

「シン…、少しだけ、眠らせてくれ。少しだ。十分でいい。時間が来たら起こしてくれ…」

「分かった」

 その白い胸には朱い痕が散っている。

 もう、遠慮はしなかった。後悔のないよう一つ一つの行為に思いの丈を込め、記憶に刻んだ。

 着衣をもとに戻し、ローブでその身体を包み直す。

 それでも、ルークスには生きて欲しかった。


 どうか。ルークスに幸せを。愛しい人──。


 額に口づけそっとその場を離れる。そして二度と振り返らなかった。


+++


「アルドル?」

 闇の神子の後を追い、森深くに続く道沿いに人影を見た。馬にまたがり松明を手にしている。

 そこに浮かび上がる精悍な横顔には見覚えがあった。紅い目の青年。その背後には五十名程の兵がいる。弟のケオの姿もあった。

「良かった。シン。待っていた」

「アルドル、どうしてここに?」

 馬をその傍へとつける。アルドルは肩を竦めて見せると。

「少しでも、ルークスの力になりたくてな。ルークスはどうした? 無事なのか? オレオルに光の館へ連れ戻されたようだが」

「ルークス、酷い目にあったんじゃ…」

 ケオの言葉に僅かに笑んで見せると。

「無事だ。彼は…置いてきた」

 確かに意に沿わない目にはあっただろう。だが、それは口にしなかった。

「そうか…。あの後、あんたを追ったが、結局、オレオルの兵に追い払われて、手も足も出なかったんだ。そうしてる間にあんたはどっかに連れてかれちまうし…。まあ、行き先は闇の館だと分かっていたからな? その館まで来て様子を伺っている最中、闇の神子が急に出陣してな。急いで村に帰ったんだ。そのせいであんたを助け損ねた。すまねぇ…」

「いいや。俺の方こそ色々世話をかけた。済まなかった」

 シンの言葉にアルドルは苦い笑みを浮かべると。

「だからこれは、罪滅ぼしだ。それにルークスの為でもある。デセーオを倒せば、もう彼に危険は及ばないだろう?」

「そうだな…。奴を倒せばルークス達、光の神子は救われる」

「それなら意見は一致したな? そうと決まったら直ぐに向かおう。奴の状態は?」

「人としての身体はかなり深手を負っている。まだ奴が人間でいるうちに倒すことが出来れば、闇は依代を失い消滅する」

「人間でなくなればどうなる?」

「奴が闇と完全に同化すれば、剣など意味がない。一瞬で俺たちなど消されるだろう」

「そうか…。それなら急いだ方がいいな」

「ああ。行こう」

 そうして、森の奥深くへ分け入った。

 ある程度まで行くと、段々と木々がなくなり、代わりに崩れた廃墟跡が現れた。

 廃墟と言っても、ろくに建物の形を留めてはいない。ただ、所々に石が積まれている程度。

 その奥に、異質な暗闇がある。

 禍々しい気を放っているのが、感じ取れた。シンは立ち止まると手で後から来たアルドル以下を制する。

「あれか…」

 アルドルが眉をひそめる。部下の兵が身構えた。

「そのようだな。俺が先に行く。そこで待て」

「分かった」

 シンが先にその闇へと歩を進めた。


 これは──不味いかもしれない。


 シンの様子にアルドルは闇から視線を外さず、ケオを後ろへと押しやる。

「兄さん、今更庇ったって!」

「お前は下って──」

 そう言いかけた身体がビクリと揺れた。どっと生温い風が吹き抜ける。それは、血の匂いがした。

 と、ぐらりとアルドルの身体が前のめりに倒れて行く。

「アルドル!」

「兄さん…!」

 支えようとしたケオの甲斐もなく、どっと地面に伏したアルドルの身体の下からは赤い血溜まりが出来ていた。目は開いているが、既に息はしていない。

「兄さ──」

 次にまた風が通り抜け、ケオの身体が突然、傾いた。その右脚、膝から下が消えている。

「ケオ! 皆、下がれ!」

 黒い風が次々と人を薙ぎ倒していく。そこはあっという間に血の海と化した。

 ケオとアルドルの元へ戻りかけた所へ声がかかった。

『…シン』

 人ではないモノの声。

 剣を手に振り返った瞬間、強い衝撃と同時、熱いものが傍らを通り抜けた。


 ルークス…。


 薄いブルーの瞳に、自分が映る。

 今までにない幸せを感じた。


 最期の言葉は、声にならなかった。

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