第六話 願い

 そこには目を覆いたくなるような惨状が広がっていた。

 白い磨き抜かれた大理石の床には、灰色の衣を纏った下位の神子から、上位の白い衣も纏った神子まで、血だまりの床に伏している。

 意識の有りそうな者から、既に息絶えたであろう者まで、累々と折り重なり、または一人離れた場所で横たわっていた。

 身体からは黒い闇が立ち昇っている。闇の力に食われ、焼かれたのだ。


 これは──。


 倒れた神子の先、天井に届くほどの黒い渦があった。とぐろを巻く様に#蠢__うごめ__#いている。

 その中にポッカリと白い顔が浮かぶ。

 デセーオのものだった。まだ、人型を取っているのが伺える。

 それと向かい合う様に対峙する人影があった。その身体からも黒い煙のように、闇が立ち昇っている。

 見覚えのある背中。


 シン──。


 自分が知るシンは闇に染まってはいなかった。しかし、今、目の前にいる彼はすっかり闇を帯びている。


 デセーオに…やられたのか?


 闇に染まったものの行く末を思い唇をかんだが、今は悔やんでいる場合ではない。

 その着衣はボロボロに切り刻まれているが、傷は乾き血は止まっているようだった。この争いで付いたものには見えない。

「シン!」

 堪らず声をかけた。するとデセーオと対峙したまま、ハッとしたように視線だけこちらによこす。

「なぜ来た!」

 開いた口から闇が溢れた。ルークスはそれに怯むことなく強い眼差しを向けると。

「闇の神子に襲われたと聞いて、向かわないわけがないだろう!」

「去れ!」

「言われて立ち去ると思うか?」

 構わずシンの傍らに立ち、同じく闇と対峙する。

 目の前に迫るそれは、遠くで見るよりおぞましく見えた。

 真っ黒な闇が蟲のように動き回っている。それが時折、こちらを威嚇するように鎌首をもたげた。

『お前は…ルークス…。最上の、光の神子…』

 闇に浮かぶ顔がニタリと笑む。

「よくも皆を! ここでお前を滅する!」

 ルークスはシンの前へ躍り出るようにして先に立つが、シンが引き留めた。

「ルークス! やめろ! 奴に深手は負わせたが、致命傷になってはいない。まだ近づくのは危険だ!」

「なら、今がチャンスだ。奴はまだ人型だ。斬りつけた事で弱っているはず。もう一度、斬ることはできるか? そこを狙う」

「できるといいが…。なかなか手強い」

 シンはそう答えながらも剣を闇に向けた。

 一歩、前へ進むとデセーオも後退する。シンの強さは分かっているのだ。やたらと襲ってはこない。

 と、その時、背後で悲鳴があがった。

 振り返ればこの状況を認めた幼い神子が、氷ついたようにそこへ立ち尽くしていた。

「下がっていろっ!」

 ルークスの声に弾かれたように子どもの神子は広間を飛び出してく。

 その一瞬、気を抜いた隙をついて、デセーオがルークス目掛け襲いかかってきた。

『ルークス! 光の神子!』

「っ!」

 闇の圧に押され、倒れこんだ。瞬間、息もできない程の濃い闇に取り込まれる。

「ルークス…!」

 シンが剣を下ろし、こちらに駆け寄ろうとした。

 しかし、ルークスに襲いかかろうとしたそれは、そう見せかけただけで、先にあった広間の出口から飛び出していった。

「くっ…!」

 黒い風がどっと湧き起こる。シンはルークスを抱き起し抱え込んだ。

 暫くして風が止むと、闇はすっかり去った後だった。後に残されたのは倒れ意識を失くした神子ばかり。

「すまない…。俺のせいだ」

 その言葉に、シンは腕の中のルークスを見下ろすと。

「いや…。いずれ逃げられていた。ああなっては止められない。それに、行き先は分かっている…」

「どこへ?」

「闇の館の建つ場所から更に奥。そこには、今より遥か昔、闇の神殿があった場所がある。デセーオはそこで闇とつながっている。そこに傷を癒しに行ったはずだ。行って奴を倒す…」

 シンの切り裂かれた着衣の合間に見え隠れする傷口から、再び血が流れ出していた。動いたことで傷口が開いたのだろう。

 それ以上に闇が身体にまとわりつき、当人も苦しげに息を吐き出している。


 闇に侵され始めている──。


「シン。俺も一緒に行く」

「駄目だ。あなたはここにいるべきだ。主だった光の神子が皆、負傷している。誰か指示を出すものがいなければ。それに、この先は危険が伴う。とてもじゃないが、あなたを連れては行かれない…」

 しかし、ルークスは詰め寄ると。

「ここは大丈夫だ。直にオレオルも戻って来るだろう…。それに、この指令を上から受けた時に、とうに覚悟はできている。シン、一緒に行かせてくれ」

「しかし…」

 ルークスは俯くシンの二の腕を掴むと、その顔を見上げた。頭ひとつ分、長身なシンの灰銀の目が迷いに揺れている。

「君を一人で行かせられると思うか? 立っているのもやっとだろう。助けが必要だ。それに…俺は、後悔したくない。…シン。君とともに生きたいんだ。例え先は見えなくとも、この時を一緒に過ごしたい。君に出会って強くそう思った。そう思えたのは君だけだ」

 まっすぐ、シンを見つめた。すると、観念した様に視線を落とし。

「…分かった」

 ルークスの真摯な眼差しと吐露した思いに、シンは渋々頷いた。折れないと分かったのだろう。

「よし。そうと決まればすぐに行こう」

 出立の準備を整えるため、シンを支えながら共に広間を後にした。

 廊下へ出た所で聞き慣れた者の声を聞く。

「ルークス! いるのか?」

 被っていた兜を手に、髪を乱したライオが頭を左右に振りながら、館へ入ってくる所だった。

「ライオ!」

 ルークスが声をかけると、直ぐに姿を認めてこちらに駆けてくる。

「ルークス! 怪我は?」

「俺は大丈夫だ。どうしてここへ?」

「光の館が襲われていると連絡を受けたんだ。領主の命を受けてここへ来てみれば、闇の神子の兵が溢れていて。もう、だめかと。間に合って良かった…」

 そう言うと、ホッとしたようにルークスの頬に触れてくる。そうしてふと傍らの存在に気づき。

「彼は…?」

 ルークスに支えられて立つシンに不信の目を向けた。シンはシンで不思議そうな目でライオを見つめている。

「ライオ。彼はシン。私の…大切な人だ」

 その言葉にシンが目を瞠ってこちらを見下ろしてくる。それに構わず先を続けた。

「シン、彼は俺の弟だ」

「弟…」

 何か合点が行ったのか、シンはそうかと呟くと。

「ライオ。早速で悪いが俺はこれから闇の神子を追う。君には兄さんをここで守って欲しい。大切な光の神子だ」

「シン! 俺は離れない。一緒に行くと言っただろう? 君も認めたはず…!」

 その言葉に咎める様に傍らを振り仰げば。

「やはり、だめだ。彼がいるならあなたを任せられる。それに…。じきにオレオルも到着するというなら、なお安全なはずだ。彼も、君を大切に思っているのは事実だ。二人の側にいれば安全──」

「シン!」

 ルークスはシンの胸ぐらを掴み引き寄せる。普段、ここまで人前で激高した事は無かった。

「俺は君になんと言われようとついていく。シンの元以外、俺の居場所はない!」

「ルークス…」

 シンは困った様な、どこか切なげな表情を浮かべるが。それを見ていたライオは。

「シン。兄さんはこうと決めたら引かないんだ。申し訳ないけど、兄さんを託していいか?」

「ライオ…?」

 ルークスはライオを見上げる。

「兄さんは今までずっと独りだった。その兄さんがやっと大切なものを見つけたんだ。こんな状況だけどね。…兄さんを頼む」

「いいのか? 俺と行くと言うことは──」

 シンの表情は慎重になる。しかし、ライオは笑って肩を竦めて見せると。

「例え何があろうとも、ここで兄さんを引き止めるつもりはない。兄さんの選択だ。それを尊重する」

 その言葉に、ルークスは泣き出しそうになる。

「ライオ…。すまない」

「兄さん、ちゃんと無事に帰って来るんだぞ。で、シンと幸せになってくれ。約束だ…」

 ルークスは一旦、シンから離れると、ライオを抱きしめる。背を伸ばさないとその背を抱くことが出来ない位、大きくなった。


 あの、赤ん坊だったライオが。


 ライオはルークスの背を軽く叩くと。

「さあ。もう行った方がいい。兄さん、絶対、シンと帰って来るんだ」

「ああ。約束する…」

 目の端に滲んだ涙をライオが指先で拭ってくれた。それを合図に、ルークスは腕をほどき、再びシンの元に戻る。

「ライオ。お前も無理をしないと誓ってくれ。俺も…お前には幸せになって欲しい」

「分かってる。ここは任せてくれ。さあ」

 ルークスは頷くと、再びシンと歩き出そうとすれば。その足元にどこからか現れたノヴァが、頭をこすりつけてきた。

「ノヴァ…。いい子だ」

 シンはしゃがむと、その頭を撫でる。

「済まないが、ライオ。このノヴァを預かってくれないか? この先は連れてはいけない」

「いいよ。家にも二匹いる。ノヴァ、おいで」

 呼ばれると、ノヴァは大人しく指示に従った。しかし、ライオの腕の中で、ずっと鼻先で声を上げて鳴いている。

 そんなノヴァを、シンは優しい眼差しで見つめた後。

「ライオ。ありがとう」

 それにライオは笑んで見せた。

 そうして立ち上がると、再びルークスと共に歩き出した。


+++


 シンの乗ってきた馬に二人で跨り道を急ぐ。

 ルークスはシンの背側に乗った。手綱はシンが握るが、背後から抱えていなければ、その身体は直ぐに前へ倒れ込みそうになる。

 道中、闇の神子に会うことはなかった。ライオ達がそのほとんどを始末したのだろう。追ってくるものもいない。


 あとはデセーオのみ。


 シンの案内で館の更に奥、森の最深部へ向かう途中、暫しの休息をと、近くにあった沢沿いに洞窟を見つけ身を隠した。

 既に深夜は過ぎているだろうか。

 入口の岩からはコケやシダ植物が垂れ、丁度良く中を隠していた。

 沢はそこから湧き出している様でとても澄んでいた。木々の間から除く月の光を受けてキラキラと水面が輝く。

 シンの身体についた傷はすべて癒した。

 闇を帯びた者にそれは苦痛ではあっただろうが、身体は人の物。癒やしの力によって再生していく。

「…痛かったな」

 ルークスはそっと最後に残った腕の傷口に手を置いた。

「いや…。少し熱いだけだ。心なしか腕が軽くなった気がする」

 シンは闇の神子とは言え、今までデセーオからその力を分け与えられていない。

 そこまで闇に染まってはいない為、通常の人と変わらない反応だけで済んだのだろう。

 その言葉に、ルークスは躊躇った後。

「その、君が受けた全ての闇を…消してもいいか?」

「…消せるのか?」

 驚きに目を瞠る。

「ああ。君のように闇に染まって間もないものなら出来る。ただ…」

 言いよどむと、シンがそっと肩に手を置き。

「あなたの負担になるのでは?」

 ルークスは首を振る。

「違う。ただ、方法が少し…。君が嫌でなければ」

「嫌とは?」

「肌を…触れ合わせる。性的な行為はないんだが…」

 するとシンが笑った気配。

 伏せた視線を戻すと、目があった。ドキリとするほど熱い眼差し。

「あなたに触れていいというのなら、こんなに嬉しいことはない。それは性的な行為でもいいのか?」

「シン…」

「好きだ。ルークス」

 まるで挨拶の様に自然とその言葉を口にした。頬に手が添えられ、ひたと眼差しが向けられる。

「ひと目見た時から、好きだった。ルークス。会って間もない俺の言葉は軽く聞こえるかもしれないが。愛している…」


 シン。


 泣き出したい衝動に駆られた。

 腕を回しぎゅっとその首元へ抱きつくと、同じく背に腕が回され、強く抱き返される。

「好きだ。あなたの事が、とても…」

 今までこんな感情を誰にも抱いた事は無かった。

 灰銀の瞳を覗き込み、どちらともなく口付けを交わす。

 今、この時を得られた事に、感謝したかった。

 シンの唇が頬から首筋へと滑って行く。思わず声を漏らすとシンがフッと笑んだ。

「嫌だったら言ってくれ。無理強いはしたくない。…本当は触れるだけで済むのだろうから」

「嫌なものか。頼む。今は何も言わないでくれ…」

 互いに口付けを交わした後、

「分かった」

 シンは着ていたローブを脱ぎ地面に広げると、ルークスをその上へそっと横たえた。

 僅かな月明りが木々の間から零れるばかり。その時だけ、世界は二人だけとなった。

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