三話

 大人になれば、多少は自由になるお金もできたし、健康保険証も自分のものがある。

 二十代の頃、思い切って脳の検査をしたことがあった。自費なのでMRI単体で数万かかり、痛い出費だった。

 この頃はまだ発達障害という言葉は浸透しておらず、検査の結果もはっきりしたものではなかった。受けた診断では、脳からは明確な障害は見受けられないという。ただ、血流の低下自体はあり、外傷の後遺症である可能性もある、とのことだった。

 他の診断と組み合わせ、傾向は見られるため、希望するなら障害用の薬が処方できるとのことだったが、価格が高価だった。継続して飲むのは無理だったので、諦めた。


 この費用の問題は、ずっと立ちはだかることになる。

 お金さえあれば、高校生の時点で、カウンセリングが受けられた。でも無理だった。

 二十代の頃も、お金さえあれば、色んな治療の選択肢はあった。でも払えない。

 結局、お金。

 発達障害にも色々な支援策があると言われるが、そもそも診断を受けて治療をするのに、膨大な費用がかかる。

 発達障害だから満足に稼げないのに、支援を受けるまでにそんなに費用がかかるなら、諦める人が多いだろう。

 つくづく、福祉は必要な人には届かないと思う。


 では何が発達障害受診のきっかけとなったか。

 細かい理由はいくつかあるが、ひとつは、親しみやすくためになる発達障害のコミックエッセイを読んだからだ。そしてこのエッセイに出てくる病院は特定できて、遠くはあるが通える場所にあった。

 もうひとつ大きな理由は、SNSで障害年金が話題になったことだ。

 障害者手帳のことは知っていたが、発達障害でも障害年金が貰えるとは思わなかった。

 実際には非常に高い壁があるのだが、人生に行き詰まっていた私は「障害年金を貰えれば、非正規の薄給でも一人暮らしできるのではないだろうか」と考えた。

 実家に頼れるのに一人暮らしをすることは、障害者には推奨されない。しかし、ここまで読んだ方はお気づきかもしれないが、私の親はおそらく今で言えば毒親に分類されるため、離れたほうがいいと考えている。


 そんな不純な動機で、成人の発達障害を診ている病院に電話した春。

 予約戦争に負けた。

 初診は必ず電話予約しなければならないのだが、専門の検査になるので、受付時間が決まっている。その時間内に受付できたら、初診へ進める。予約受付時間に、私は外出中だった。だからなんとか時間を確保して、出先で準備をして電話をした。

 病院の電話なので、コールセンターのように順番待ちにはならない。かけてもかけても通話中になるのを、何度も根気よくかけ直す。

 誇張抜きに何十回とかけた。繋がらなかった。やがて受付終了のアナウンスが流れた。

 悩みに悩みに悩んで、やっとかけた電話。もうこの時点でかなり消耗していた。


 しかし予約が取れないことには先へ進めない。夏、私は再チャレンジした。そして、やっと予約が取れた。

 初診医は選ぶことができない。希望の医師がいたが、予約枠が二つほどしか空いていなかったので、その医師が不在の日に初診を受けることになった。

 初診で医師の判断により検査を受けるのだが、希望者はほぼ全員受けられるようだった。念の為、昔受けたMRIなどの検査結果を持っていったが「見ても分からないから」と言われ、初診は「検査を希望する」という話だけで終わった。

 費用については、保険適応外となり五万以上かかる。更に検査のために複数回病院へ足を運ばなければならず、それも専門の担当者がいる時でないと検査できないので、曜日や時間帯が限られている。検査の度に仕事を休まないといけない。

 ただでさえ収入が低いのにこれは厳しかったが、診断を受けたら良い方へ変わると信じて、私は検査に進んだ。


 予約から検査の完了まで、四カ月以上かかった。

 検査の細かい内容は権利関係に触れるため省くが、厄介だったのは、幼児期のことを多く質問されることだった。

 まず問診票に、母親の記入欄がある。そして、検査にも同行を推奨される。

 前述したように、母は私の体調不良はわがままだと思っていたし、今も幼少期の話を持ち出すと「自分の育て方が悪かったと言いたいのか」とヒステリーを起こすのでろくに話ができない。頼む気にはなれなかった。

 成人の発達障害を専門としているのだから、幼児期のことはわからなくても良いと考えていた。しかし、検査は「幼児期」と「直近」の聞き取りに限定され、中間の出来事は一切聞かれなかった。

 幼児期の記憶はないし、多くの困りごとは学生時代に発生していた。大人になってから困ったのも、社会に出た初期が多い。

 当然今も困りごとはあるから受診しているわけだが、多くの犠牲を払い傷つき精神を病むほどの努力を経て、ようやく擬態しているわけである。そうして辿り着いた現在勤務している非正規の職は、コロナの影響もあり全く口をきかない。全てチャットでやり取りする。そのため、具体的に「できないこと」の例を職務に限定して直近数カ月で尋ねられると、なかなか説明が難しかった。職場以外の対人などは聞いてもらえないのか。全くできないわけではなく、多大な努力で対処していることは困りごととして扱ってもらえないのか。

 結果的に、ほとんど困っていない軽症の人みたいな受け答えになってしまい、問題なしと判断されるのではないかと落胆した。前述した五感の過敏などは一つも説明できなかった。検査は検査項目に従って行うため、余計な話は聞かないらしい。

 しかし、聞き取り以外の知能検査系が軒並み悪かったせいか、結果はASDとADHD、つまり「発達障害」であると診断された。


 検査結果は初診医からしか聞けないとのことで、苦手意識はあったが、初診医から説明を受けることになった。

 しかし、入室してまず言われたのは「時間がないので、検査結果は紙面を見ておいてください」。

 ホームページによれば、予約は一枠三十分はあるはずだった。午後一番で、押しているということもない。

 そして、聞かれたのは「ADHDの服薬を希望するかどうか」、それのみ。ASDは薬がないため、対処できないらしい。

 漫画などでよく見る、昔話を延々聞いてくれるのはカウンセラーの役割で、精神科医はしないようだった。現在の症状だけ聞き、対処療法として薬を出す。そしてここでもカウンセリングを受けたいなら自費だからと料金表を渡された。もちろん払えない。

 

 なんだか拍子抜けだった。検査結果が出ても、風邪と同じように「お薬出しておきますね」。それだけ。

 あげく、ADHDの薬は種類が限られており、どこでも処方できるから近所に通えばいいと勧められた。

 あれだけ色々探して、やっと成人の発達障害を診てくれる、話を聞いてくれそうな専門病院を見つけたと思ったのに。近くのメンタルクリニックに行って、「ADHD疑いです、薬ください」と言えば、何万も払って何ヶ月も使わずとも、同じ結果が得られたのだ。


 私は服薬を選択したが、副作用がきつくて続けられなかった。その副作用の説明すら途中で遮られ、「合わないなら服薬やめましょう」とだけ言われたので、さすがに担当医を変えた。

 変わった担当医は、初診医よりは話を聞いてくれたが、内容は同じで「現在の身体症状に合わせた薬を出す」。発達障害の困りごとは薬で解決できず、現在は鬱症状の改善のためにひたすら抗鬱薬を飲んでいる。

 医療費が高いので自立支援医療制度を申請したが、この診断書も六千円ほどで高かった。

 元々の受診目的であった障害年金についてだが、医師に尋ねてみたところ、発達障害で受けるのはかなり厳しいらしい。障害者手帳は取得できるだろう、ということだった。

 障害者手帳を取得するためにもまた何千円も払って診断書と、複雑な手続きがいる。無理だと言われたが、障害年金を申請するなら、また専用の診断書と、社労士を雇ったり何だりのお金がかかる。障害年金は社労士を通さないとまず通らないらしい。

 障害により正規雇用が難しく、収入が少なく、煩雑な手続きも難しい障害者に、これらのハードルを自力で全て越えろというのがなかなか無理難題である。福祉とはなんなのか考えさせられる。

 自立支援の申請中も、隣で「今普通に見えるけど」と職員にタメ口で否定されている相談者がいた。何の相談かわからないが、聞いてるだけで辛い。


 結論として、発達障害の診断を受けた結果、私の生活に通院と服薬が足されただけで、事態は何も改善していない。無駄に金を払っている気さえする。しかし、断薬と服薬を繰り返した方が体に影響が出やすいらしく、惰性で通院している。


 貯金がそろそろ底をつく。

 私の人生は、これからどうなるのか。

 本気で詰んだら生活保護を受ければいいと自分に言い聞かせて、死なないようになんとか生きている。


 これが、私のケースである。

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三十歳過ぎてから発達障害だと診断されても既に詰んでるって話 谷地雪@第三回ひなた短編文学賞【大賞】 @yuki_taniji

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