第16話
未だ一月ながら、完全に年始の華やかさが消え、いつもの慌ただしさが戻った頃。
「車両購入の補助金制度。こんな物あったんですね」
と言っても、対象年齢は15歳から。そして補助金が振り込まれるのは車両購入費の支払い後。しかも、車種の条件まで付いている。その上、金額もそこまで多い訳ではない。今後に期待、と言った所。思えばあの大きな車の事すらよく知らない。
「………アステリオス。高いですね」
オーダー製のモーターホーム。記憶だけ頼りにオーダー製品の車両の欄から見つけた。だが、その額や底冷えする程だった。今の自分ではどうあっても手が伸びない。
「………まぁ、それは置いといて」
ベッドから起き上がり、スマホをしまう。
「カジュアル防弾服の売れ行きはなかなかですが、もうひとつ欲しいですね」
結論から言ってしまうと武器だ。いくらカジュアルと言っても防弾服はとても高価な代物で、その頑丈さが売りなのだ。何度も何度も買い替えるのは難しい。デザインの流行り廃りこそあるだろうが、せいぜい一年に3回から4回ほど買うかどうかだ。
盾が売れるなら、次は矛だ。
「銃の製造にはライセンス料が発生しますから、自作のナイフが限界ですかね。でも錬鉄なんて私は出来ませんし、工場だってまだ手にする手段は限られますし————せめて高等部に入れば————いえ、それを言ったらいつまでも出来ませんね。オーダー本部が取り仕切る工場、確か製鉄所があった筈ですね」
立ち上がってデスク上のノートパソコンで検索する。
確かにオーダー本部主導の工場地帯があると確認できる。しかも。
「個人での依頼も取り扱い可能。あ、民間業者もありますね。でも、結局何が作れて何が作れないのか分かりませんね。それに、何が欲しいかどうかの聞き取りの結果も、まだ出てません———いえ、分かり切っていますね」
サイナ商事ネットショップの新たな機能。それは、購入者と購入希望者による投票窓口。早い話が、次にどんなサービスを求めているかのお客様アンケート、というものだった。既に100にも通じるアンケートと希望の投稿が行われており、集計完了次第、結果を私のアドレスに送られてくる機能をシズクに作って貰ったが、
「シズクさんも言ってましたね。イサラさんをお客様として迎えた時、見た目よりも機能重視、そんな人にはやっぱり自分の為にチューニングされた武器が好まれる。私も同意見で~す………」
いっそ工場のひとつでも買い上げてしまおうか。だけど、その場合従業員までまとめて雇う事になる。人件費は毎月掛かる、絶対的な必要経費。もし予告なく下げでもしたら、即座に彼ら技術者は私を見限るだろう。銃器の製造から加工まで可能な腕を求める企業など、腐るほどいる。最悪、訴訟にまで至るだろう。
「行き詰まりを感じます~………」
この安物ノートパソコンもそろそろ買い換えたい。その為には、やはりまとまった資金が必要だ。しかも、次の資金に通じる投資に近い何かが。ただ預金をすり減らすだけでは、通帳を見るたびに心身共に衰弱してしまう。
「あれ、」
スマホではなく、備え付けの受話器からの呼び出し音だった。つまりは、この寮のコンシェルジュからの通話だ。
「荷物の配送でもありましたか?」
受話器を手に取り耳を澄ませる。
「サイナ様、仕事を依頼したいという方がいらしています」
「仕事————どなたですか?」
「オーダー中等部の同学年と名乗る女性です。今、映像を映します」
壁に設置されているインターホン画面。そこに監視カメラの映像が届く。一階の玄関付近を見下ろ光景の中、ひとりはコンシェルジュ、そしてもう一人は背の低い少女。あの私の顔を、と言って去って行った少女だった。
「お知り合いでしょうか。確かにオーダー中等部の生徒手帳をお持ちですが」
「————談話室の空はありますか?」
「ただちに手配します」
そこで受話器を置き、制服を手に取る。
「仕事の依頼、さてどう来るでしょう」
私の過ごしている寮には多くの機能が備わっている。最上階の温水プール、インストラクターこそいないが使い放題のジム。個人スクリーンが壁に備えられている鑑賞室。その中のひとつ、仕事の為に誂えたような防音室。監視カメラも恐らくないだろう。部屋にあるのは巨大なモニターと円卓、それぞれの革張りの豪奢な椅子。
最低限だが、秘密の話をするには最高の場所だった。
「はじめまして、そう言わせて貰いますね♪」
「………」
彼女は気が弱い、というのはわかった。だが、何故だろう。彼女の眼は決して弱者のそれはではない。確実に自分ひとりで世界を見据えている、人と話すのが苦手なのは、その必要性を感じないから捨て置いている、無駄なパラメーターを上げる気はないのだろう。私が復讐以外目的がないのと同じだ。要らないと言っている。
「では、早速ですがお尋ねしますね。何をご入用でしょうか?」
「………」
「じゃあ、まずは私がどのような仕事、サイナ商事が出来る仕事をご紹介しますね♪」
そんな物は求めていない。早く本題に入れ————そう聞こえた。
「それはまたの機会にしますね。仕事の依頼と聞きました、私に何をして欲しいと?」
「………武器、欲しくない?」
うつむき気味に、前髪越しにそう呟いた。息を呑む事はしなかった、だが、確実に動揺を感じさせただろう。あまりにも彼女の一言が、私の求めているものと合致したから。考える事数舜。笑顔は崩さず、彼女の心を量る。
「————単刀直入ですね。何故、私が武器を求めていると?」
「………あなたは武器を欲しがってる。………それも大量に………」
「う~ん、否定はしませんけど、今もサイナ商事は銃器の扱いを」
「違う………そんな大量生産品じゃない………個人の為の、その人にしか扱えない武器」
遊びのない言葉だった。高い幼い声。だが、それは都合がいいから敢えて使っているようにも感じた。或いは、芯のある強い声は要らないと切除したようにも。
「————共同経営をお望みですか?」
「………私は武器、作品が見える………」
「作品———武器以外も作れる、と言いたいんですね。確かに現在、武器造りが出来る加工所、工場、製鉄所、技術者を求めています。しかし申し訳ありませんが、現状サイナ商事は、」
「あなたは何が欲しい?」
その声、この目に射抜かれる。
確実に私の方が腕力は上の筈だ。その気に成れば傍らのアタッシュケースを拾い上げ、盾にも鈍器にもなる。談話室から飛び出して部屋に閉じ込める事だって可能だ。だが、彼女には————それが通じる気がしない。全て見越している気さえする。
「自分の作品を売りたいと。では、ククリナイフなどはいかがですか?」
「ククリナイフ………」
「はい。製作にはどれぐらい時間が掛かりますか?可能ならば一か月程で期待したいのですが。では、今日の所はこれで失礼しますね♪」
「待って………」
立ち上がる瞬間すら与えず、静止を求められる。
「難しいでしょうか?」
「私は………持ってる………ククリナイフ。………どれがいい?」
そう言ってスマホを見せられる。画面には大量の写真。それらは全てナイフ。
もしかしたら彼女は刃物を使った芸術家なのかもしれない。そんな気さえさせる膨大な量だった。
「沢山持っているのですね」
「違う………全部、知ってる………全部、作った………」
「既に製作経験があると、では確認しますね」
受け取ったスマホをスクロールさせる。切れ味の程はわからないが、それらの見た目は確かな一品に見えた。握り、刀身、鞘、全て大量生産の後がない。全て自作の一点物。似た物もあるが、男性女性子供老人など、千差万別な手と用途を想定しての————。
「———これは」
「そう………それは、あなたの為………」
言葉を失う。何故だと問いそうになる。たった今私が想定した、想像した通りのククリナイフが写される。あり得ない、思考を盗撮されている気がした。
曲がった刀身を持った、片手で握る事を想定した大型の刃物。ククリナイフは別名グルカナイフ。戦闘も確かに用途のひとつだが、農作物の刈り取り、狩猟、儀式になどにも使われる誇り高い一振り。私が求めたのは、その万能な用途を持つ刃物。
—————色、刀身、グリップまで全てが想像した通り、むしろ私こそが彼女の作品を見て、意識の根底に置いていたのではないかと疑うレベルの寸分違わぬさ。
「どうやって………」
「………言った、私には見える………知ってる………生まれるべき形が」
「生まれるべき形————未来が見える?」
自分で言って、ひどく現実味のない言葉だと思った。馬鹿馬鹿しい、未来が見える訳がない。そんな事が可能なら彼女は、こんな所に来ていない。今頃御子か巫女として敬われている所だ。一大宗教の教祖にでもなれる。
「………未来じゃない………形がわかる………でも、限界もある」
「限界?」
「今の技術では………製作不可能な物もある………だから、限界………」
ある意味正論ではあった。確かに、彼女が未来の武器が見えるのならそれを作り続けて国々に売ればいい。だけど、どれだけ形がわかっても、その術がなければ形に出来ない。————違う、それだけじゃない。
「————オーダーに保護されている」
未来の武器がわかる、なら各国は死に物狂いで彼女を求める。そして、全ての知識を明かした所で、殺してしまえばいい。そうすれば未来の武器を独占できる。
「………そう。………保護………取引した………」
「いつから」
「少し前………言えない………」
取引。つまりは保護を条件に知識を、未来の武器が見える自分を使っている。
「なら、どうしてオーダーはまだ既製品を————」
「私が………生まれたと気付かれたら………」
「あ、」
「そう………私は、いない………」
それは存在の否定そのものだった。
「————再度、お聞きします。私に何を求めているのですか?」
ようやく本題に入れた。彼女は、何かを求めて私の元に訪れた。しかも、護衛もつけずに、たったひとりで。本来ならあり得ない光景だ。こんな国家戦力にも匹敵し得る存在を、オーダーが放置しているなんて。
「………私は、わからない………」
「わからない?何がわからないのですか?」
「………誰が求めているのか………だけど、届けないといけない………」
いずれ生まれるべき武器はわかる。しかも、写真が指し示す通り、武器を作る技術も設備も持っている。オーダーに与えられている。だけど、それを届ける、誰が求めているのかは————わからない。
「———私を使って武器を、あなたの作品を人の手に届けたい。そうですね?」
「………あってる………保管庫もある………」
私に無い物を全て兼ね備えた人だった。私も自分の事業を持っているが、大量生産をするには保管庫たる倉庫が必要だった。それはストックすればストックする程、かさむ重量税にも通じる。その上、一時の旬が過ぎれば、ただのゴミになってしまう。
だから一点物のオーダーメイドを選んで在庫を持たない様にしている。
彼女は、誰が求めるかはわからないが、いずれ生まれるべき作品がわかり、オーダーとの取引で保管庫の中に大量の未来の武器をストックしている。
—————あまりにも都合が良過ぎる。まるで必ず全弾命中する機関銃だ。
「聞かせて下さい。なぜ、それを私に?」
「………言えない………」
「それは、オーダーとの取引ですか?」
「違う………これは………私の使命………生まれた理由………だけど、オーダーは約束を破った………私の使命を……奪った————許せない」
僅かに瞳孔が開かれる。唇を強く噛み締める彼女は、野生動物にも見えた。
「ダメです」
「………ダメ……出来ない……」
「そんなに噛んではいけません」
アタッシュケースを手に取り、円卓に沿って彼女の元に行く。近づく私に怯えた彼女だが、やはり肉体的には自信がないのだろう。動かず見るだけにされる。
「動かないで下さい。今、血を拭きます」
アタッシュケースを広げる。中には医療用のコットンが入っており、それをピンセットで掴み上げる。また彼女の前髪をかき上げ、血のにじむ唇に押し当てる。
「まず、あなたの提案はすごく魅力的です。話して貰えて、とても嬉しいです」
「でも……ダメ?」
「最後まで聞いて下さい。話さないで」
淡い桃色の唇から血を吸い取り、軟膏を取り出して患部に塗っていく。
「あなたの能力は分かりました。信じ難いですが、ひとまずあり得ると判断します。では、次の段階。あなたの作品を私が販売し、皆さまの手元に届けるとします。その時、私に支払えるものは、あなたの作品を売った時に支払われる代金の一部です」
「………いらない……私は、届けられるなら」
「それこそダメです。良い商品には確かな価値を。経済の基本です。タダで得られる、与えられる物には必ず綻びが生まれます。あなたの作品に、ではありません。私達の関係に必ず亀裂が入ります。あなたは、もっと有利に話を進めるべきでした」
彼女は確かに対人関係の構築が得意ではない。それはどうでもいい。誰だって得意不得意がある。彼女は、自身にしか備わっていない特異な能力をより特化させる事を選び、それ以外を放置して来た。それが彼女の選択であり、正しい選択だ。
「私を選んでくれた事、とても誇りに思います。あなたのその能力、正確には分かりませんが、超能力、ESPと呼ばれる部類かと思います。過去にそういった方、いえ、オーダーはあなたのような力の持ち主を集めていると聞いた試しがあります」
「………そう。オーダーは………連れ去る代わりに……保護を約束した」
「そんな稀有な能力者が、自分の足でここを訪ね、直接私に交渉しに来た。オーダーの保護を受けているあなたが。きっとあなたにしかわからない考えがあっての事だと思います————だから、言えます。ひとりで来るべきじゃなかった。その能力、使い潰されるのが目に見えています」
自分が善人とは思わない。オーダーにいる上、既製品の銃器の売買までしているのだ。本当の善人からすると、あの無自覚な死の商人達とそうは変わらないだろう。
「第三者、意味は違いますが、交渉人を間に挟み、私の逃げ場を奪うべきでした。しかも対価が要らないなんて。あまりにも自分が見ていません。商いをする者として許し難い蛮行です。自分の使命があるというなら、それに繋がる行動を取るべきかと」
「………私を、拒絶する……否定する……」
「いいえ、違います。これは提案です」
傷の治療を終え、私は立ち上がって彼女を見下ろす。
「使命さえ果たせるなら、他は要らない————私は、それを否定しません。あなたの邪魔はしませんし、対価を支払えるなら手伝いもします。あなたの作品、どうか私に卸して下さい。あなたの使命の手伝いをさせて下さい。その代わり、その未来の武器が見える力を使って、利益を与えて下さい。これが条件です」
「………利益……」
「あなたはオーダーに能力を買われ、設備も与えられている。だけど、オーダーはその能力を恐れている。当然です、自分の思考を覗かれている、自分の持つ武器よりももっと強力で、革新的な物を用意出来るなんて。受け入れる人はいません、居てもあなたを使い、貪る事しか考えない俗人だけです。奴隷になんかなってはいけません」
「奴隷……そう、私は……」
「見返す必要はありません。だけど、あなたの原動力たる復讐心。それは必要です。重ねて言います、あなたの作品を売って利益を得る。人間社会において、これは絶対的なルール。どれだけあなたが人間離れしていても、いえ、人間の世界で生きるのなら交渉すべきです。さぁ、言って下さい———私の作品を売って、お金を作ってくれと。利益を約束するから、あなたの事業を使わせてくれと」
まぶたを閉じ、思案する事数秒。彼女の中にどれだけの葛藤があったかわからない。オーダーに下ったのは保護と使命の為、だけどオーダーは約束を破った。
裏切られたのだ。彼女の復讐心、それはとてつもない業火だ。
「………利益を約束する……だから、売りたい。私の作品を……お願い」
「ええ、ええ!!お任せ下さい♪必ずや皆様の手元にお届けします♪」
手を引いて立ち上がらせる。待つ気などない。驚く彼女を引き寄せ、初めての商売仲間を得た事を本心から喜ぶ。戦闘、技術、そして商売でも友人が出来た。
「私はサイナ、あなたの名前は?」
「………名前はない……与えられなかった……」
あり得る話だった。彼女のこの力がいつ発現したかはわからないが、物心つく前から、否、特異な能力を目的に血を掛け合わせて来たのなら、その完成体である彼女は必要以上に人と合わせたりはしないだろう。何が理由で逸失してしまうかもわからない。
「では、キズキさん、でどうですか?」
「キズキ?」
「第一印象ですが、なかなか悪くないのでは?いかがでしょうか♪」
僅かにうつむいたが、悪くなかったらしくすぐさま顔を上げた。
「………キズキ、そう、キズキ……」
こうして私は彼女の作品を自分のネットショップで売り始めた。評判上々、痒い所に手が届く、こんな商品が欲しかった、私にはこんな物が欲しい、今のを改良をしてくれ、等々アンケートに高評価が多数届く。中には、何故私が欲しいものがある?誰にも言っていない武器の想定がどうして流失している?など、恐ろしいほど上質だ、というコメントも少数。だから、一度ショップでの取り扱いを停止する。
「オーダーメイド特化♪皆様の忌憚なきご意見をお待ちしておりま~す♪」
高価オーダーメイドだから、既に聞き取りを終えたから用意出来た、という体で売る事にした。無論、キズキは真にオーダーメイドの聞き取り通りの作品造りも可能だった。与えられた設備、保管庫も活用し、みるみるうちに事業は拡大。
そして—————一大決心をする。
「まずは車、店舗を持たない私には必須ですね♪」
とノートパソコンを開く。だが————。
「うぅぅ……ブルースクリーン……まずはパソコンですッ!!」
スマホを手に取り、予算に目途は付けないとシズクに意見を仰いだ。
「ふふ~ん♪さくさく快適です♪」
モニター、キーボード、マウス、CPU、マザーボード、グラフィックボード、メモリ、SSDというパソコンを構成する部品達に大枚をはたいた結果、あのおんぼろノートパソコンとは別世界の快適さになった。素晴らしい、これが文明の利器。
「電子機器の売買もいいかもですね~♪」
電源の立ち上げひとつ取ってもまるで違う。本当に一瞬で立ち上がり、揃えたソフトも一瞬で読み込んで開いてくれる。シズクがパソコンにのめり込むのもわかる気がする。いくら重いソフトを開いても、何十枚もある資料をダウンロードしても、その資料に単語で検索を掛けても、本当に一瞬で終えてくれる。
仕事の作業スピードが格段に違う。休日に朝から半日掛けていた仕事も、昼前には終えてしまう。しかも、パソコンにカメラを設置すればやすやすとキズキと会議も出来る。
「まぁ、パソコンはこの辺りにして————」
予約していた時間を確認する。
「車の試乗です♪」
「うーん、思ったより収納がありませんでした。まぁ、セダンタイプではあれが限界ですね~」
試乗したのはオーダー製のワイルドハント。重心が低く頑丈でハンドリングも操作性も素晴らしい一品だった。だが、慣れてしまえばそれらは全て気付かなくなる、気にしなくなる性能だった。慣れとは恐ろしい、それが理不尽であれば技術が磨かれる、かもしれないが、安定であれば、失った時の喪失感は底知れない。もうあの車以外運転できなくなってしまう。まず自分が欲しいのは、やはり収納があり、それでいて街中でも問題なく走行できる小回りの利く車————。
「いずれ、いずれはあのモーターホーム。アステリオスが欲しいですけど、まだ早いですね。あんな車で中等部まで行っていては、先輩たちに申し訳ありませんし」
中等部でも車の保有者はそれなりにいる。男子生徒など誰よりも早く購入するのが一種のアドバンテージ。プライドと成っているらしい。そんな中、あの巨大な車など乗りつけたら、嫌味のひとつでも受けてしまう。まぁ、容赦なく反撃するが。
「敵は作りたくないですね。買うにしても高等部からですよね」
ひとり、オーダー大のある地区からバスに乗り寮へと向かう。夕暮れの最中、街中を眺める————。特段何が変わる訳ではないが、やはり、あの事を思い出す。
「………やはり、夢だったのでしょうか」
クリスマスパーティーの夜。もう一か月程前に成るが、確かに私は学食とは別の棟で倒れていたらしい。シズクも口にしないが、確かに私は彼女の背中を追って足を踏み入れた。あまり向かわない別の棟、入学試験以来、出入りの少ない棟での出来事。
用が無ければ入らない場所で倒れていた。シズクとの喧嘩で、頭を冷やす為にあそこで月を見ていたのだろうか。思えば、皆に心配をかけたままだった。
「ソソギさんの一撃は重かったですし、仕方ないのかもしれませんね」
数度目の停留所、スーパーマーケットが軒を連ねる区画、降りて少し歩けば繁華街に通じるエリア。そこで見知った顔が乗ってくる。ミトリだった。
「ミトリさーん」
「あ、こんにちは」
朗らかな笑みを浮かべる天使。クリスマスパーティー以降、数度噂を聞いていたミトリだった。噂はその献身性と看護、治療技術。及びその容姿。栗毛な髪をショートにまとめた少女が、私の隣に腰かける。
「サイナさんも買い物ですか?」
「いいえ、車の試乗で~す♪」
「もしかして、もう買うんですか?」
目を丸くして、これも愛らしい顔を作る。
「悪くないのですが、やっぱり高い買い物ですからね。ひとまず保留です」
「そ、そうですね。中等部1年生で車の購入は難しいですよね」
ここで買う、と言えばもっと愛らしく驚いてくれただろうが、流石に嘘は言えない。ミトリは買い物カゴを胸の前に置き、目が合うとまたも微笑んでくれる。邪気がない、清廉な雰囲気を持つ聖女だった。また、母性に近い物も持ち合わせていた。
「あ、すみません。勝手に座ってしまって。頭の怪我は大丈夫ですか?」
「ミトリさんのお陰で問題ないと言われました♪ありがとうございます、看護して貰って。そういえば、沢山の買い物ですね、今晩は友達と一緒ですか?」
「と、ともだち………えっと、その………」
世間話の一環として聞いたが、ミトリが顔を下に向けてしまう。
「す、すみません。言い難い事でしたね………」
「い、いえ!そういう訳じゃなくて………」
意外な反応だった。自分ひとりで食べきるから気まずい、という感じではない。友達と、という単語が遠からず近からず、と言った感じ。まさか————。
「————男性、とですか?」
ミトリにのみ聞こえる様に囁く。
「………はい」
素直な人だ。そこは正しくても違う、と言うべきだ。これは聞く人が聞けば大事件になる。あのミトリが男性と一緒に夕飯を取る、しかも確実にどちらかの部屋で、トドメにミトリの手料理、とは。信じ難い、いや、ある種正しい光景だった。
「おめでとうございます………上手くいくよう祈ってますね」
「そ、そういう関係じゃ………はい、ありがとうございます………」
抱きかかえるカゴを恥ずかしそうに、だが頬を染めながら見つめるミトリの顔は、見た事のない形をしている————ああ、これは———乙女のそれだ。あの見学室での私と同じ、一心不乱の恋だ。そうか、はたから見ると私もこうであったのか。
「ちなみに、どちらの部屋ですか?」
「………彼の部屋です」
思わず飛び上がりそうになった。その清楚な容貌とはかけ離れた、あまりにもあまりにも大胆な行動だった。しかも、時刻は間違いなく夕方。朝や昼ではない。夕飯の時刻、流石に泊まる、という事はしないだろうが、その場合男性に送られるという意味だ。
しかし、男子寮に買い物カゴを持って突入など、通い妻という奴じゃないか?
「………聞いていいですか?どんな人ですか?」
自分もよくよく物好きだった。放っておけばいいものを、彼女はこの後の時間を楽しみにしている。何を作るか決めて、今その手順の暗唱さえしているかもしれないのに。
「………ちょっと困った人です」
「困った人———見た目は?」
「………………素敵です。本当に……」
困った———つまりはダメな人。しかも素敵とは。つまりは————顔の良いダメな人。驚き、ではなかった。ミトリ自身が何でも出来て、人の世話を出来る女性なのだ。自分と同じような何でも出来る男性に惹かれる線は薄い気がする。しかし、ミトリが顔で選ぶとは考えにくい、あり得ないとは言わないが、いや、意外と面食いか?
「写真とかないんですか?」
「しゃ、写真なんて………そんなに親しくは………」
信じられない。つまり、ミトリから好意を寄せたという事だ。ミトリは、今夜決戦に出る気なのだ。確実に落とす為に、手料理まで振る舞うなんて。
「ミトリさんって意外と………」
言葉に出さず、口の中だけで囁く。
その後、ミトリは女子寮————ではなく件の男子生徒がいるらしい寮へと駆けていく。完全に個室の男子寮。やはり、二人きりという事だった。
「顔が良くてダメな人。そんな人いるんですね………」
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