第10話

 早くに飛び出して正解だった。まだ誰も到達していないらしく、車列を作る事なく無人街へと踏み入れられた。やはり、ここは訓練の為だけに作り出された街だ、真っ先に作り出されているのがゲートであり持ち込む武器を確認する停止所。

 それだけならオーダー街に入る時にも同じものがあるが、ここは違う。訓練、言い換えれば実験とも呼べる行為、更に言い換えれば実験中の爆弾による破壊行為も許可された実験室。武器の確認はただの儀礼だ、もしくは破壊行為後の有無を調べる為。

「同い年の運転する車に乗るのって初めてだったーー!」

 と、降りながら背伸びをするイサラ。だが、すぐさま「暑い」とエアコンの利く車内へと戻ってくる。イサラの声に、後部座席の二人も同意して「私も」と言う。

「すごいじゃんサイナ!全然酔わないし、ヒヤリともしなかった!私も早く免許取らないとなぁ。やっぱり世界が変わるよね。足とバスとか電車じゃあ無理が来る気がする」

「はい。私もそう思います。三年になれば強制的に取れるなら、と思ってましたけど、やっぱり早いに越した事はありません。次の長期休みには取りに行きませんと」

「わかるー。取っても車自体が無いとーって思ってたけど、レンタル前提でも取るかー。まぁ、維持費とか考えると、まだまだ買うのは難しいけどー」

 口々に褒め称える同級生に、少しだけ申し訳なくなった。

 ————これは、決してオーダーの為だけに取った訳ではない。全ては———

「お褒めに預かり光栄で~す♪」

 だけど、否定はしなかった。素直に褒め言葉は受け取っておくのが正しいと感じた。車での生徒など自分達程度かと思ったが、既に何台もの車が止まり、広大な駐車場を陣取っている。SUV、ワンボックス、セダン、ステーションワゴン、恐らく外車などが見える。思っていたが、男子達の方が免許を取るのが早いらしかった。

「あ、せんせい」

 イサラが窓から外を差して、そう知らせた。流石に無視は出来ないと全員で外に出て我らが担任の元に集まる。思っていた通りだ、あのビッグスクーターは担任の物だった。車に比べれば小さい、けれど、紛れもない車体に跨って来た担任は。

「あ、あの車。まだ動いてたんですね」

「もしかして、先生の代から。じゃあ、すっごい昔から動いてたんですね」

 殺気だった。確かな殺気がこめかみを過ぎ去って行った。だが、視認さえ出来そうな視線と殺気を中心に受けた筈のイサラは「ん?」と気付いてもいない。このある種の空気が読めない性格は、実力を伴っているのだから成り立つ強靭性だった。

「せ、せんせい、外は暑いですね~、もし良かったら車に」

「とっても嬉しいお誘いありがとうね、サイナさん。だけど、教員はこれから集合場所に向かわないといけないの。みんな、暑いから脱水症状には気を付けて。見学室には冷房が掛かっていますけど、中には直接見たいと出歩く人もいるから。じゃあ、あとでね」

 そう告げ続けながら担任は、まばたきを一切せずに、視線をイサラから一切離さずに言い終える。しかも、首が折れそうな程こちらを見ながら無人街へと向かう。が。

「あと、その車乗るなら気を付けて。いわゆる————いいえ、なんでも」

 それだけ言って背中を向けてしまう。激怒も激怒、相当に恨みを買われてしまった。恐ろしくも悲し気な背中を最後まで見送り、イサラへと目を向ける。皆で。

「イ、イサラさん……」

「ん?どしたの?」

「……いいえ、でも……いいえ」

 過去にイサラに使われた言葉を発しようとした自分を抑えた。イサラの顔は純粋無垢で何も悪い事などしていないと、言っている。実際、この空気に気付いていないらしく、「なんだっけ?見学室?に行こうよ。暑くて仕方ないし」と車に戻っていく。

「イサラさん、ごめんなさい私の口からはとても————」

「ありゃ、イサラっちが悪いわー。でも、気付かないんだよねーあの子って」

「わ、悪気があった訳じゃあ……いつか気付いてくれます、きっと……」

 気付く訳がない。そう断言できる後ろ姿に一握の希望を向けるが、きっとわかるまい。イサラがあの担任と同じ状況で同じ言葉を使われない限り。そして、不思議そうに自身の荷物を握って、振り返って声を掛けてくる。

「どうしたのーー!!はやく行こーよー!!」

 ただの見学とは言え、事実上の実践での攻防だ。イサラを始めとする面々が、私自身も含めて浮足っていく。無人街の奥、中間より手前に入った時、壁のないテントを発見する。そこには見知った教員らが座っている。この暑い中に大変な事だ。

「見学だな」

 女子の体育、訓練や教練を受け持つ教員がペットボトルを横に置きながら聞いて来た。全員で手渡された確認証明、怪我をしたくなければ動くな。直接見たいのなら怪我をしても文句を言うな、が丁寧な言葉でしたためられている紙にサインし終える。

「……確かに。念のため言っておくと、半分近くが結局外へ直接向かってその眼で訓練を見る事を望む。君達は、どうせそこのイサラは最初からその口だろう。まず最初にこのビルの指定の階に入り、見学室からそれぞれのチームの場所の把握が出来る。それから各々向かいなさい。ちなみに、邪魔はしないように。行きなさい」

「あのーせんせー」

「なにか?」

「暑くないんですかー?」

「暑いさ。文句あるか?」

 嫌な役割、貧乏くじでも引いてしまったらしく、この教師も不機嫌だった。

 それ以上何も言うな、と言いたげな先生を横目に隣のビルへと入りエレベーターを使って指定の階へと登り、涼しくて楽ーと、朗らかな顔でいる科学教師の前を素通りする。そこには多くのモニターが壁一面に揃っている。しかも、デスクにもモニターばかり。どうやら男子のひとグループに一台のモニターが宛がわれているらしく、既に位置についている男子を上から見下ろしている。確実にドローンでの撮影だ。

「すっ涼しーい!!でも、これから結局外出るんだよね」

「では、イサラさんもここで見学すれば、」

「そうも言ってられないよ。やっぱり直接見ると臨場感が違うからさ」

 お目当てのチームか人員か知らないが、イサラは壁のモニターからデスクのモニターまで嘗め回す様に確認していく。私もそれに倣って確認する。

「確かー、目標物の確保と自拠点での占有が目的だったけー?」

「ええ、そう聞いています。でも、私も詳しく教えて貰っている訳ではなくて」

「きっと、男子側も同じだと思いますよ」

 「え、」と問い返す彼女に対して、私は背中で答える。

「何もかも教えて貰っていないのは、あちらも同じかと。恐らく、目的の物すら未だに教えられていないのではないでしょうか」

「そ、そんな、そんな感じな訳?あ、あり得るー、いや、逆にあり得る?」

 なんとなく二人も合点がいったらしく、モニターに視線を向ける。

 そう、恐らく当事者達だってろくに知らされていない事ばかりだろう。だけど、彼らには時間があった。いつ予告されたか知らないが、時間だけは知っていた筈だ。場所だけ告げられて、依頼内容は現地での知らせ、という仕事は授業によれば最も避けるべき依頼であると言われた。だが、刻一刻と変わる現場で最初から一貫して同じ目標など無いとも教えられた。これは、割の合わない危険な仕事の模倣だ。

 或いは、仕事など度外視した、秩序維持の為にしなければならない使命だ。

「うんうん、よしわかった。行ってくるね!!」

 想像通り、誰よりも早くイサラは去ってしまう。

「まだ一時間もあるのに」

 あの決めたら確実に目標へと最短で向かう姿勢は得難い物だ。確実に全て知っていて、承知して外に出ていったのだ。私は、まだ恐れがあった。

「外に出たら怪我をしても文句を言わない、それは高い確率で怪我をする意味……」

 前面と側頭部のみの最軽量を目指したヘルメットに、関節の節々に取り付けた曲がった装甲。車から飛び出ても決してちぎれないアラミド繊維の戦闘服。先端を取り除いたとしても実銃を用いての模擬弾に、重く頑強な刃を潰した模擬刃刀。

 しかも、それを100人規模で行うのだ。近場で見守るだけで怪我をするのは目に見えている。当事者達で怪我を恐れる者などいまい。既にオーダーの洗脳が済んでいる者ばかりだ。銃声ひとつで震え上がっていた子供の姿など、そこにはいない。

「みんな、目つきが違いますね~」

 あれで中学生だ?ふざけるなと一蹴してしまう。そこにいるのは戦士ですらない。紛れもなくオーダーだ。権力をねじ伏せ、逃げ惑う為政者を掴み上げ、銃を片手に檻へと叩き込む、恐ろしいオーダーだ。女子にとっての夏も急激な成長を見込めただろうが、それは男子でも同じだったようだ。きっと本当に殺し合いをして来たのだ。

「あのバスの丸刈りなんて、消えて正解でしたね。ここには立てない」

 どれだけ殴られようと、どれだけ心を失おうと。オーダーの洗脳が済んでしまえば、それで終いだ。あとは自らをここに堕とした力持つ者の弱みを握り、徹底的に追い詰め、最後に撃つ。それを機械的に出来るオーダーになってしまった己を誇ることもない。哀れだ、彼らは、この夏でその糸口を手にしてしまったのだろう。

「もう終えた人もいるかもしれませんね。だけど、絶望はまだある」

 そうだ。どれだけ屈強でも、鋭い刃を持とうとそれを持つに至った過去がある。

 絶望だ。絶望を消し去る事は出来ない。出来ないから機械的なオーダーになる他なかった。ならば、それを慰撫すれば。心の奥底に潜む魔物を私が飼いならせば。

「サイナっちー。いい感じのグループ見つけた?」

「う~ん、正直わかりませ~ん」

「私もー。正直、一学期の頃からそんなに知らないし親しくもなかったからわからないんだよねー。あー、あと一時間もあるなんてー。誰でもいいから目ぼし付けとけばよかったー」

 デスク備え付けの椅子に座り、伸びをしてしまっている。

 分からんでもない。私もどれが大穴だ、なんて知らないのだから。しかも始まるまで何を求めて走る、のかすらわからないようでは見世物としては三流にも劣る。

「あれ、あの子は」

「なんか気になる相手でもいたみたいだよー。無言で行っちゃったー」

「まさか、恋愛……?」

「そこまでは知らないけどー」

 気だるげな彼女もどちらかと言えば好戦的な性格であった筈だが、どうにも食指が動かないらしい。モニターもそこそこにスマホへと目を移してしまう。私も、と思って椅子に腰かけると、続々と女子生徒が入室して来る。歓声に近い声、暑い事を嘆く声、遠いし帰るのがめんどくさいとぼやく声。車で来た私達は正解だった。

「あ、ソソギっち」

 気だるげな友人がそう告げた。私も見やると、あのソソギが訪れていた。高い背丈に長い足、長くなった髪で首の下まで隠す眉目秀麗な姿。完璧な容姿をほしいままにするソソギがそこに立っていた。だが、入学試験でもその後の成績でも万全な彼女なら興味がない、と無視するのも今考えたが、どうやら人並みに興味があったらしい。

「ソソギっち、ってお知り合いですか?」

「んー、入学行事のアレでちょっと話しただけ。なーんか意外、ここ来るんだー」

「私もです……」

 知り合った人には皆、それを付けるらしい意外と交友関係が広い友人と共にソソギを見つめると—————その隣にいる少女に息を呑む。

「なに、あの子……綺麗過ぎない————」

 ソソギが月を差すのなら、彼女は紛れもない星だった。美しいという言葉すら足りない。目鼻立ち、手足、背の高さ、身体の凹凸まで全てが黄金比の中央を射抜いている。いや、彼女こそが黄金比の体現者だった。愛らしくも美しい顔立ちからは、まるで光を放っている様子さえ見え、あのソソギの隣にいるのがまるで霞んでいない。

「————敵、ですね————」

 容姿に自信のある私の今までの信念を、こうも見事に砕くかと、もはや嫌味にも感じない。ただただ恐ろしい。ああも、何故燦々と神々しいのか、疑問すら持ってしまう。作り物にしても完璧すぎる。整形でさえ、どうしても手術した執刀医の癖や院での限界が見えるというのに、あまりにも美というものを知り尽くした、それこそ神の手を持っていると謳われる者が、生涯分の心血を注いで作り上げた可憐さだった。

 そして、当然の疑問に行き当たる、何故、今の今まで彼女を知らなかったのかと。

「あの人は?」

「し、知らない。あの日、ソソギっちはひとりでいた、あの子じゃない……」

 この場にいる事があり得ない容姿、芸能界の手先でもいれば土下座でもして愛玩の道へと引きずり込む少女は、ソソギから一切離れずモニターへ視線を向ける。だが。

「———行きましょう」

 ソソギが首を振ると、二人とも去ってしまう。今のは、見どころのある男子生徒を見つけたから直接見に行く、という流れではなかった。どうやら、今モニターに映し出されている男子生徒達は、彼女のお眼鏡には叶わなかったらしい。

「ふぅ……」

 ひと安心。並びに、どうやらソソギ自身は実力者でも、慧眼の持ち主ではなかったらしい。この中にはあの人がいるというのに、ソソギは気付かずに去ってしまった。

「まぁ、それならそれでいいですけど♪」

 あのソソギとあの少女の容姿で、あの人を探し出されて射止められれすれば、二度と誰にも振り向かない傀儡が完成するだろう。それこそ既成事実でも作って迫らなければならない事態に陥っていた筈だ。緊急事態を自分で作るなんて悪手、到底容認できない。しかも、私は大きなハンディキャップを背負っている。

「この肌を見せる訳にはいきませんから……」

 ついぞ諦めた皮膚に手を当てる。夏場の中でも装着し続けた長袖のYシャツにタイツの中。手首の手錠の痕など見せてしまえば、私が————私が—————。

「サイナっち?どうした感じー?」

「シズクさんを見つけて」

「シズクっち?あ、ほんとだ」

 思えば2クラス合同での体育や訓練でも会わない、本当の別クラスであるシズクとの、学校行事での参加は久しかった。手を振ると、あちらも手を振って返して隣へと腰掛ける。あの日以来、僅かに会い難かったシズクから歩み寄ってくれた。

「あっついね。無理にでも車で来るべきだった、かな」

「それねー。実はさー私らサイナっちの運転で来たのーすごいっしょ?」

「え、車!?いいなー」

 恨めしそうに唇を尖らせるシズクが睨みつけてくる。

「私達はペットボトル片手に歩きだよ。あの車道、アスファルトの照り返しが酷くて。しかも海の上だから逃げ場も無いし。学校側も冷たくない?臨時でバスでも出してくれればいいのにさ。任意とか言って、ほとんど強制参加じゃん。あー嫌になる」

 暑さで愚痴が止まらないシズクに苦笑いを浮かべる。

「まぁ、そういうなってー」

「とか言いながら、席を譲る気ないんでしょ?」

「まぁーねー」

 握りしめていたペットボトルの蓋を開けて、ゴクリと飲むシズクはなおの事こちらを睨んでいる。だが、シズクの交友関係はかなり広い。しかも、この大人びた整った、間違いなく美少女の容姿を使えば男子の車に乗せて貰えるのではないか?

「で、どんな感じ?」

「まだ始まってませんよ。それぞれ確認するには丁度いい時間ではないでしょうか」

「そうする」

 立ち上がって壁に所狭しと並べられたモニターを確認しにシズクが行くが、数分で戻って来てしまう。

「気になる方はいましたか?」

「……そこそこね」

 いない、と言いたげだった。

「まぁまぁー。そうカリカリしないしなーい。シズクっち、私ら車で来たっていったじゃん」

「また自慢?」

「そう言わずにさー。なんかさ、あの車、うちの担任が乗るのを気を付けろって言ってさー。なんでも代々受け継がれて来た年代物らしくてー今度廃車になるみたいでー」

「————ッ!!」

 シズクの反応が変わる。その雰囲気に、思わず二人して顔を見合わせる。

「そ、それって……あのいわくつき……」

「いわくつき?いえ、別に大人しくていい子で」

「え、マジで知らないの?誰持ってきた人、高等部の誰か?」

 声を潜めるシズクに合わせて首を振り、

「イサラさん、です……」

「アイツかー!」

 顔に手を当てて大きく首を振るシズクが、少しだけ面白かった。

「いい、あれは————いや、あれで帰る気なんだよね。じゃあ、言わないでおく」

「え、なになに?言ってよー。いわくつきって何?なんか先生も言いたげだったけど」

「だって可哀想じゃん。これからあの車に乗って帰る人に言うなんて。知っちゃいけない知識だよ。席を譲って欲しいとか考えたけど、あれに乗るのはいや」

 なんの話か置いて行かれた私達は、モニターを眺めるシズクの横顔しか見れなくなった。それから何を言っても、「言わない」の一点張り様から察するにでまかせでもないらしい。

「なんかよくわかんないけどー、私、そういう迷信とか信じないタチだからー」

「—————」

「言ってよ!!何!?いわくつきって何の話!?言わないなら今夜シズクっちの部屋に泊まりに行くから!!」

 それだけはやめて!!————と言い返すシズクと友人の諍いに、ひと目を引いてしまい、ひとり居心地の悪さを感じた私はお手洗いへと走った。

 


「ふーん、シズクっち、ドローンの見学にも来たんだー」

「まだ決めた訳じゃないけど、後学としてね。そっちは気になる相手でもいた?」

「それが始まらない事にはぜーんぜん。同い年の男子なんてみーんな同じ顔っていうかー、テストで学力はなんとなく知ってるけど、腕っぷし?の実力は知らないしー」

 微かにシズクの顔を見るが、シズクは気にした様子ではなかった。あの映像は見せていないらしく、友人は始まる時間である後数分を待っていた。

「サイナは。サイナは、どう?」

「……さぁ、どうでしょう。わかりません」

 誰も気にしない敵意。もはや敵意とも感じさせない針でシズクを刺す。

 モニター群が一斉に同じ映像を映し出す。上空から無人街を映す一点だけの星になったようだった。或いは、実際にその通り。オーダーが撃ち上げたという無人ミサイル、衛星観測システムというものかもしれない。

 男子生徒達は大きく分けて二つの拠点に分かれていた。東と西、という分かり易い分け方だが、それぞれのチームの拠点は更に細分化されている。限りなく西に近い東側のチームやその逆。だが、見たところ東軍西軍という枠組みでもなさそうだ。

「本当にランダムなんですね」

 分かり易く色付けされている筈もない。全員黒っぽいミリタリー色だ。

 目標物こそ、こちらには分からないが何処かへ向かい、戻って来た側が勝者、という上から見ても分かり易い訓練だった。全体を見渡す事は難しくても、個々人に目を向ければ————気になる相手がいる者、一番早く戻って来た者に目が行く者にとってもやり易い戦場だった。

 残り30秒のカウントダウンが開始される。

「始まった————」

 誰もがその時刻を確認した。始まった時、モニターからは開始の甲高い音が響く。

 動いたのは————動いたのは————車両だった。

「え、車?良い訳?」

 数台のワゴンが開始と同時に疾走し、無人街の中に土埃を立てる。強襲的な速度だった。自分が高速教習で出した速度にすら匹敵する速度で走り、目的地であろう場所へと向かっていく。もし運転を誤れば、大事故にすら通じる速度だというのに、運転手達は至って冷静に左右へと別れていく。

「多分、昨日じゃなくて、もっと前から無人街に用意してたんだよね」

「えーと、つまりずっと前から無人街の中を走ってたって訳?」

「走ってたどころか、暮らしてたんじゃない?土地勘を持って無きゃあんな速度出せないよ」

 そうだ、思い出した。無人街へのゲートは持ち込む武器や車両こそ確認されたが、いつ出る、という場所をレンタルする上で最も重要な確認はされなかった。

「シズクさん、もしかして」

「さぁ、どうなんだろうねぇ。わからないや」 

 針を刺し返して来たシズクに顔を向けたいが、今はそれどころではなかった。

 走る車体は血管を通る赤血球だった。迷いなく走り続ける車両群は決して一本道で列を成している訳じゃない。数台の車両が左右に分かれ、それぞれ別の場所を目指す。まるで————ずっと前から目標物を知り、その場所を知っているような走り方だ。

「私、彼らを侮っていました」

 一時間程前の言葉を撤回したかった。彼らは知っていたのだ、誰に教えられる事なく。男子生徒達には時間があった。紛れもない猶予が。だが、それは決して己を高める為だけの時間じゃない。敵を知る時間でもあったのだ。

 これはテストじゃない。実戦形式の訓練だ。実戦ならばルールなどない。

「————見つけ出したのですね。陥れられる状況の情報を」

 いつ知らされたのか。一週間前か一か月前か。先輩から聞いたかもしれないが、同じ訓練内容をオーダー校が用意するとは思えない。だからこれはあり得ない。

「オーダー校の先生達の情報を奪い、気付かれずに今まで隠し通した————見られたって思われたら訓練内容を変更されちゃうしね。いつ訓練が通告されたかわからないけど、その間ずっと隠し持つなんて。相当、腕のいい潜入がいたみたいじゃん」

 あれだけ気だるげにしていた友人など、モニターに噛り付いて無言でいる。

 100人の中から集まった数人のチームで、これだけの事が出来る潜入など何人も選出できるとは思えない。だが皆が皆、自分の有利な情報を手にする方法がある———交渉だ。お前たちの目標物の情報を渡すから自分の目標物の近くにいる、お前達の手を借りたい、と。これは脅迫であって交渉術でもある。

 車を用意する代わりに目標物まで運んでくれ。運転する代わりに2チームで目標物を守ってくれ。同じ目標物を狙う敵の拠点への進行を防ぐ代わりに、お前たちが拠点まで運び込んでくれ。絡み合うそれぞれの思惑を潜り抜けた者が先手を取れる。

「後衛部は楽ではない、ですね」

 男子側とは正直疎遠であったが、男子同士は何重ものネットワークで繋がっている。そのネットワークの中央、全てを牛耳る誰かがいたならば、その気になれば、誰がどこで何を探しているのか、スマホを手に取る感覚で調べ上げられるだろう。

「これって、もう訓練は終わってるよね。答え合わせみたいなもんじゃん」

 シズクの言霊だけが響いた。ここにいる者全員が感じ取った答えだ。

「そうとは限りませんよ♪」

 将棋で最強の陣はなんだ?一切動いていない、まっさらな最初の陣だ。だって敵を迎え撃てばいいだけだからだ。自らの宝を守り続けられればいいのなら。だが、必ず一手ずつ動かさねばならない状況のなか、そんな陣形は瞬く間に崩れる。しかも、向こうの玉を取らねばならない。だから当然、綻びが生まれる。しかも。

「これは交代に攻めや守りをするゲームじゃありません。ルール無用の妨害だって出来ます♪」

 車の一台を上空から見ろしていたドローンから次の映像が流れる。

 突然、画面中央の一台がスピードを緩め、遂には止まってしまう。気だるげだった友人が「え、なんで」と呟くが、続けてドローンが進行方向の映像を流す。

「あれは————スティンガー」

「タイヤを正確に確実にパンクさせる設置型の針。正確にはスティンガースパイクシステムというものかと♪」

 アメリカの警察でも用いる装備のひとつだった。上向きに伸びる鋭く頑丈な針山を幾つも作り、それを鎖状に繋ぎ伸ばした形態。針は注射器の様に中が空洞の鋼で、タイヤに突き刺されば即座に、安全に停車出来る。れっきとした秩序維持の為の武器だった。

「流石にタイヤの換装は出来なかったようですね~♪」

 この道が通れないのなら別の道を辿ればいい。その逡巡、既に計画されていたであろう別プランへの移行に掛かる—————だが決してゼロに出来ない時間の最中、真後ろから別の車両が後退を防ぎ、脇道から数人が車両を取り囲む。

 詰みだ。この状況では無理に車両を動かせば人を轢く。殺しや重大な怪我をさせてしまう。

「なんでぶつけないの?」

「それは、レンタル同士だからでは?」

「「あー」」

 二人とも納得してくれた。初めての大規模な訓練でも、男子生徒達はなおも冷静だった。この日の為に時間を惜しんできたが、金にはどうしても限界がある。

 デスク上のモニターから目を離すと、上手く成功しているチームはどうやら少ないらしかった。壁のモニター群では、そこかしこから銃撃と急ブレーキの光景が走り、目的のチームの攻防に女子生徒は一喜一憂している。無言で見ている者もいるが、その人だって拳を作り、モニターから目を離せないでいる。

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