第9話
夏休み終わり。私は一大決心をする———否、した。
夏休み中に数度登校したが、久々に感じる教室の椅子へと腰を掛ける。未だ車両こそ買っていないが、そう遠くない内に金銭が溜まるのを事業の開始で予想された。
「ホームページ閲覧数もかなりの物ですし、発注も予約も舞い込んでますし、なかなかの滑り出しなのではないでしょうか?着手金は貰いものですけどね」
スマホを操作しながらそんな言葉を口にする。
財布の現金は目に見える財産であった。正直、これに手を付けるのは最後の最後にしたい。やはり、自分の家は富める者だった。オーダーがよく利用する銀行に口座を開設した時、私の過去の名前を知られてしまった————応接室に通された私は、身構え、銃を持っていない事に後悔した。
「…………ナイフとボタンだけでは準備不足でしたね」
まさか銀行内で幽閉されるとは考えてもいなかった。
あの部屋と屋敷の経験が頭に過り、確実に切れるようにナイフを手と袖の中に隠していたが、その必要はなかったらしい。銀行の支店長と名乗る男性が私の前のソファーに座り、微笑みかけて来た。
「あなたの事業に興味がある。融資したい————家との関係などとっくに切れているのに。私をきっかけに家との関係を模索でもしたかったのでしょうね」
私は、勿論頷いた。オーダーに金を貸す事の意味をあちら側はよくよく理解している筈だ。扱い物は銃火器に防弾服、爆薬、おおよそ世間一般のコンプライアンス的にあり得ない数々の品物だというのに、あちら側からそう言ったという事は、私の事業は金になると踏んだのだろう。つまり、私の判断は間違っていない。
「私に憑りついて、家も人脈も金も奪う気でしょうけど、お生憎です。あの家は私が必ず潰しますから、いくら貸し付けても立て直せず焦げ付くでしょうね————そもそも、何故私がオーダーに来たのか考えもしていない。結局銀行なんて数字しか知らない世間知らず。人の金で儲けてる無自覚な彼らには、いい薬になるかと」
オーダーという組織は事実上の国営部隊だ。貸し付ければ、必ず取り返せて、金になると考えたのだろうが、爪が甘い。オーダーなど誰も彼もが金欠だというのに。
「一円でも多く請求されたら、乗り込んで差し上げましょう。逮捕権を持っているという意味を思い知らせてあげますよ。まぁ、しばらくは頼りにしますけどね」
幾人かが登校して来たので、そちらに目をやり知り合いに軽く笑みを向ける。
皆それぞれ夏休みを堪能した様子だった。仕事やバイトに明け暮れ、どうにかしばらくの生活に余裕を持てると答える者や、高等部に足を伸ばし科の体験をして来た者—————それらは総じて実家になど帰っていない。帰れる筈もない。
「捨てられたから、ここに来たのですからね」
オーダーは確かに金儲けができる。
しかも世間一般に犯罪にあたる銃器の売買に改造、仕事によっては債務の強制的な回収なども出来る。本来ならアンダーグラウンドな世界を公にし、暴くも利用するも可能なのだから。その世界に恨みを持つ者、明るい者なら特に。
「恨みを晴らしながら、知識と経験を使って暴き立てる。楽しいですよね~」
しかも、それは終わりがない。ひとつ解散させたのなら構成員は必ず新たな組織に入り、或いは自ら作り出す。議員などいい例だ、ひとり消えても、その息子や後任が確実に選出される。しかも、何も知らない善意の者など絶対的にいない。
「サイナさん。私、前の与党の議員秘書を捕まえましてね」
「あのニュースのオーダーはあなたでしたか」
「でも、所詮秘書だから尻尾も良いところなんですけどね。今は中等部三年と高等部の先輩方が本人の行方を追っていて、居場所を掴んだら法務科に報告するらしくて」
意気揚々と、朗らかに話す彼女は一学期は己が悲運を恨んで呪っていた。だが、夏を経験した彼女は数倍も大きく頼りに見えた。堕落させる相手としては僅かに外れるが、今後の仕事相手として見るなら紛れもない合格点だった。
「あ、ホームページ見ましたよ。すっごい見やすくて読み込みも早くて」
「見て頂けましたか♪何かお入り用でしたら、いつでも発注して下さいね~」
「あ、私も見た見た!!」
と、登校してきた生徒達が話しかけてくる。何も知らない人から見れば女子中学生の他愛もない朝の語らいであろうが、多少頭が動く人間からすれば、今後の捜査対象や強襲逮捕の矛先にすら通じる内容だった。恐ろしくて仕方ない事だろう。
「結局、官僚って政治家使ってるから責任感無いんだよね。法案出した政治家が捕まっても、元をたどれば個人的に作って、通せって命令した官僚達が諸悪の根源って話ばかりだから。政治家を尻尾にして、また同じような法案出して、別の政治家に出させて通せって命令して。何が楽しんだろ?まぁ、お陰で私達の仕事が多いんだけど」
「あるあるですね。国防法案って言って、大量に軍需産業に投資する直前に、大量に軍需企業の株を買うなんて事してます。そして、その企業に天下りをして、繰り返した結果、元の省庁に帰って、また法案を出してって。そんなに捕まりたいの?」
彼女らも、総じて己が運命を呪っていた側だというのに、今はこの立場を心底楽しんでいる。自分とは似て非なる存在だ。私は、ここに訳も分からず落とされたから、この立場を使って復讐をしようとしている。彼女達とは違う。彼女達は、そんな事は考えてもいない筈だろう。だって、楽しいのだから。楽しいから過ごせている。
「サイナさんは、何かお仕事を?」
「う~ん。私は、この夏は事業開始と拡大。あと、運転免許を取りに————」
「あ、取ったの!?すごい!」
「まだ車は買っていないんですけどね。もし運転手が必要な時は、お呼びくださいね。すぐに駆け付けて———有料で担当しますからぁ♪」
そう言って、笑い合う。きっと、これが青春という奴なのだろう。
同じ制服を着て、それぞれがそれぞれの役割を楽しんで全うする。無論、その中には金銭という存在こそ介在するが、単純な仕事とは違う。好きな相手と好きなだけ時を過ごして、好きな選択肢を選ぶ。何者にも邪魔されない十代の特権を楽しんでいる。
「そうそう、サイナさん」
「はい、なんですか?」
「今日の放課後、時間はありますか?もし良かったら、男子達の組手を見て行きません?」
僅かに胸が高鳴った。確実に私は今、牙を生やした。爪をスカートに刺した。
「組手、ですか?組手なんて見ても別に楽しくは」
「私もそう思いますけど、なんでも高等部の教員達が集まって自分の科にスカウトする目安にするとか。けれども、そうは言ってもまだ一年生だから大まかな目印程度らしいです」
そんな筈がない。高等部とは自分の意思で好きに仕事をするは勿論、国外へも赴ける程の責任と、自由な銃器の所持に携帯が出来る圧倒的な力を持つ生徒を指導する側だ。そんな彼らがただの目印程度で、中等部まで訪れる筈がない。確実に、何か目的があってここまで来るのだ。私の彼を、もし奪うのであれば、その先を見つけないと。
「…………ええ、今日は学校だけの予定だったので、ご一緒してもいいですか?」
「はい、勿論!実はですね、それが本来も目的じゃなくて、サイナさんに仕事の依頼を、」
そこから先は話半分だった。私のあの人が参加するかもしれない組手の時間が待ち遠しくて仕方がなかった。その後、久々の登校に遅刻寸前でイサラが廊下を走って「セーフッ!!」と叫ぶも「はい、遅刻ー」と飛び込む寸前で女性教師の指示棒で突かれる始末だった。皆、笑うに笑えないのは、それが刃物だったらと悟るから。
「イサラさん、入学直後はなかなかの成績でしたが、期末試験は必死に勉強しましたね。とても成績が上がっていて、先生、とても嬉しかったです。どうしても点数が伸び悩んでしまう子って、別のもので点数を取ろうと必死になってしまうから」
「あ、あははは……なかなかな点数ですみません」
「いいえ。決して怒ってません。この学校はあなた一人でも、秩序を維持できるように、言い方を変えれば外の人間が萎縮するように教える場です。だから、この場での埋め合わせだけに必死になるようでは、困った事になってなっていました。だけど、あなたは未来の為に総合的な成績を選んだ。それってなかなか出来る事ではありません」
と、言いながら未だにイサラの顔を指示棒で突いているのだから、この教師は恐ろしい。満面の笑みの中、もう用済みになった捕虜で楽しんでいる気さしてくる。
「けれど、分かっているでしょうね。時間は絶対的。それも久々の登校であれば、なおの事、守らなければならない。時間を守らない人って、置いて行かれても仕方ない事ですよ。ここが学校で良かったですね。現場であれば、逃走や行方不明者扱いになっていましたよ。では、お小言はここまで。さぁ、席に座って座って」
同年代と比べると、少し背の低い教師に諭されたイサラが弱々しく席へと歩いている。笑い者にする者などいない。皆、明日は我が身だと知っているから。
「えーと、じゃあ。みんな、おはようございます。久しぶりにみんなの顔が見れて、先生、すごく嬉しいです。察しの通り、毎年数人消えているのが恒例ですが、今年はなんと誰も欠けていないと報告を受けています。別のクラスの子もみんないい子で嬉しいです。本当は、何人いなくなるかな~って、先生達は楽しんでいたんですよ」
きっとブラックジョークの類だろう。朝日に移されたホワイトボードの前にいる先生は、恐らくは心底嬉しそうに笑みを浮かべて、みんなの顔を眺めている。
「だけど、だからその子は悪い子って訳じゃないんですよ。いなくなっても籍はオーダーにありますから、高等部になれば自由に仕事を受けられるので、それまで隠れる子か、もしくはしばらく顔を見せられない事態に巻き込まれているか、のどちらかですから。久しぶりに学校に顔を見せたからって、いじめちゃダメですよ。先生、そういう子嫌いですから。逮捕して起訴しちゃいます。勿論、無視もダメですよ」
入学初期に比べれば、いくらか砕けた言葉遣いになった女性教師は楽し気に最後まで続けた。しかし、隠れるや顔も見せられない事態とは、それはどちらも同じ意味では?と思っても、私は聞く気もなかった。自分から言わないで消えるとは、そういう意味だからだ。
「今から全体朝礼があるので、講堂に向かって下さい。朝から大変かもしれないけど、少しだけ校長先生の話に付き合ってね。きっとあなた達の今後にも通じる大事な話だから。じゃあ、廊下に整列。速やかに行動開始。はい、始め」
ざわつく筈もない。行動開始という単語を教師が使ったのだ、全体の指導者である教師が使ったという事は拒否権も手を抜く権利もないという圧倒的な命令である。
可及的速やかに整列が終わり、渡り廊下を通過し、早々と講堂に到着した我々は、与えられている番号を元に布張りの席へと座る。講堂と呼ばれているこの場所には、数度しか足を運んでいないが、青い紫のカーテンが掛かる舞台が印象的で記憶に残っていた。そして数分もしないで全生徒が集まり、舞台の幕が上がる。
「えー、まずは生徒の皆さん。おはようございます。これは、もう担任の先生としましたかな?だけど、しますね。校長も先生ですから」
少しだけ場を和ませる気だったらしく、初老より少し先の年齢を思わせる中等部校長は優し気にそう言った。一年生は、少しだけ空気が軟化するが、これはもう飽きた光景らしく他学年は、首の凝りを取る音が聞こえた。それはそのまま我々とは次元違いの実力を持っているから出来る準備だった。
「全員揃っているようなので、朝礼を開始します————夏季休暇、夏休みはどうでしたか?みんな、それぞれ自由に過ごしたかと思います。三年生は勉強に科の選びに奔走したかと思います。一年生は初めての仕事をしたかもしれませんね。二年生はもしかしたら、余裕を持ち始めたかもしれませんけど、三年生の様子をよく見てよく覚えておいて下さい。今の時間を無為に過ごしてはいけませんからね」
それはそのまま一年である、我々にも言っているのだろうと察した。
「夏休み早くに運転免許の件は送られたと思います、知っていると思いますが、」
外の校長の話を詳しく知っている訳ではないが、きっとこういう長いつまらない話なのだろう。その癖、他の教員達が目を光らせているから心臓に悪い。
「あぁ……私のあの人はどこに…」
口の中だけで言葉を発し、眠気を覚ます。
気付かれない程度に微睡んでいると、ようやく校長の話が終わったらしくマイクから離れた。終わりの兆しを感じさせる行動に、私も首の凝りを取ろうかと思った。
「では、全体に報告します」
校長の隣から現れた、確か副校長?とか名乗っていた男性がマイクの前を取る。
「言うまでもない事かと思いますが、三年生には今後卒業訓練があります。ここでの点数が志望の科への推薦に直結する為、手を抜かない様に。他学年の方々は今からでも連携する相手選びを忘れない様に。その一環として、今日の放課後それぞれの学年の男子生徒による実践形式の訓練があります。真剣実弾こそ使いませんが、重量を持った模擬刃刀に先端を無くした弾丸を用いた実銃での戦闘です。団体戦ですので、決めているチームと話し合い、遮蔽物も用意していますので、好きに盾にしなさい」
にわかに息を呑む音がそこここから聞こえた。
「男子生徒には、前々から話していましたので聞いていた人は知っていると思います。夏は過ぎましたが、残暑の季節での戦闘なので耐久訓練でもあり、集中力を培う目的でもあります。いずれ女子にも同じ訓練をする為、忘れないように。あと、捕虜を取るのは自由ですが、もし捕虜への暴行などが見受けられた場合、即座にそのチームでの訓練は中止————興奮したから、は言い訳にしないように」
男子側は十分に訓練や勉強をする時間があり不公平だ————などとは思うまい。だって、それ相応の厳しい採点や訓練が実践として開始されるからだ。しかも、もう夏休み明けとは言え、優に30度を軽々と超える日々が続いているのだ、脱水症状など即座に降りかかる事だろう。そして、女子はその逆、言わない事で緊張感を高め、いずれ行う為に日々努力しろと言っている。きっと女子は真冬だ。しかも。
「オーダーは国際組織なのだ。オーダーが被疑者に暴行などしていると知れたら、オーダー加盟国から襲撃を受ける。それは、君達の行動でも生じる重い罰だ。忘れないように」
暴行が見受けられるとは、暴行が見当たらない暴力、つまりは脅迫や交渉ならば構わないと言っているに違いない。オーダーだって武器を使う組織なのだ、言葉を武器に使うのならそれはそれで構うまい。無論、それに皆が気付いているに決まっている。
「もし今の自分には務められないと感じたのなら、その旨を担当教師に伝えなさい。自分の実力を見誤らず撤退出来る、激しい戦闘の現場からいない事こそが、最大の防御である。だが、それには責任が付きまとう。後衛部は敵の奇襲から主力部の安全を確保する義務がある、決して楽などとは思わない事だ」
先ほどと言葉遣いが変わった副校長は、恐らくそういった戦闘をして来た歴戦の猛者なのだろう。それが、オーダーなんていう後のない子供達の世話をしているなんて、劇的な転身だ。自ら買って出ない限り、任される事はないと感じる。
「詳しいルールは既に送っている通りだ。察しの通り、目的さえ叶えばルールなどない。殴打、関節、蹴り、技、射撃、罠。殺しと致命的な負傷をさせなければ全て許される。言うまでもないが、爆破も可能だ」
爆破、という言葉に少しだけ非現実実を覚えたが、あり得るだろうと考え直す。
「後から違反だという意見も受けるが、こちらからの中止命令が無い限り常に続行し続けて貰う。そして、諸君の関係について。この訓練から生じる亀裂に関しても、我々は保証も補填もしない。全て自分達で行って修復も放置もして貰う。よほどの事が無い限り、もしくは多くの生徒から訴えられれば案のひとつも作るだろうが、今言えることはそれだけだ。誓っていうが、身体の故障を狙う技を全て承服する訳じゃない」
その、ある種善性の言葉に顔を上げる。
「これは訓練だ。訓練での怪我など既に日常だろうが、わざと怪我をさせる事態になど置く気はない。繰り返すが、これは訓練だ。訓練で日常生活に支障をきたすレベルの怪我、損傷を恣意的に行えば、その傷における全ての訴訟に我々は全力で支援する。言ってしまおう————気に食わないから訓練の名を借りて、殺そうなどと考える輩がいるのなら面を上げろ————」
————あり得ないと思った。その副校長の言葉にではない。
放たれる殺気だった。眼光は変わらない、何か手に持っている訳じゃない、あるのは目の前のマイクだけだ。だというのに、遠い舞台から副校長が放つ殺気としか感じられない痛みに————私達一年生は皆呼吸を忘れている。
「目を離さない者、顔を下げた者、ようやく顔を見せた者様々だが、そんな真似をした時、腕から先が飛ぶのは自身だと覚えておくように。我々は常に見張っている。銃口を使っての脅しは慣れたものだろうが、実際に撃たれた者はまだ多くない。初めて撃たれた銃弾が殺傷能力のない弾丸である事に感謝して身を預ける事だ」
話は終わりだ。そんな言葉を語外にした副校長は数歩マイク前から下がっていく。後ろにいた校長はなおの事朗らかで、今の言葉のどれも否定はしなかった。そして、長らく沈黙を守って来た我らが担任の女性教師が、マイクの前を取る。
「えー、ルール無用なのはそうですが、目標物確保と保持、拠点へ持ち帰る、という目的があるのを忘れないように。もし全員気絶させれば、終わり、と考え、間違っていないのですが————色々と考えて参加して下さい。じゃあ、男子は指定の場所へ。女子の見学は自由ですが、介入はしないように。はい、始め!」
無言で立ち上がった男子生徒達が講堂の出口へと向かっていく。軍隊的、とは違う己が目的を持っての自然な整列に仄かに楽しさを感じた。
「…………この中に、あの人がいる」
そんな背中へイサラが口を開いた。
「なんか黙ってるなーって思ったけど、そういう事ねぇ」
「イサラさんも知らなかったのですか?」
「うん、ぜんぜん。もうちょっと早く知ってたらチームの目ぼしでも付けたのにね。まぁ、でも、大方の勝利チームはわかるかも。ほら、見て見て」
イサラの言いたい事が解った。二年生は慣れたもの、と言った感じだが一年生は自然と組むメンツで集まって何かしら話し合っている。その中、嫌でも見ざるを得ない数人がそこにいた。イサラの同郷と共にあの酷く凶悪なアッパーを見せつけた背の高い生徒。そして、見覚えはないが耳まで隠す髪を持った中性的なひとりだった。
少なくとも一年生達には知れ渡っているらしい、イサラの同郷が親し気に話している事からして背の高い方も中性的な方も、それぞれのクラスのエース級なのだろう。
「あの人は……」
「あの人?誰か狙ってる人でもいた?」
「あ、いえ、そういう訳じゃあ……」
と、歯切れの悪い返事をしてしまった所為だ。イサラが訳知り顔で頷く。
「そりゃ、あれだけ告白されるんだもん。気になる相手のひとりぐらいいるよね」
「ち、違います!!それに名前だって知らないのに————」
「名前すら知らない?廊下ですれ違って片思いって奴?意外とサイナって惚れやすい?」
もうダメだ。周りの同じクラスメイト達も、その話でざわつき始めてしまった。
イサラのこれ以上の狼藉を止める為に、口に手を伸ばすがやはりイサラは強者だった。楽しい顔で、とても振り払えない握力を使い私の腕を掴み取る。
「はいはい、ざわざわしなーい。じゃあ、見学したい人はお昼後に無人街に集合。帰りたい人は止めませんけど、後学の為に出来るだけ残った方がいいかも」
いつの間にか戻って来ていた担任もそういうのだから、帰る理由が無くなってしまった。大人しくイサラから離れると、早速と言った感じにイサラが立ち上がり担任に声を掛ける。
「せんせー、無人街へのバスってありますかー?」
「うーん、実を言うと無くてね。ごめんなさい、この暑い中自力で向かって下さい。あ、でも、夏休み中に運転免許を取った人がいれば、その人に頼っても良いですよ。勿論、安全運転を徹底して下さいね。先生、自分以外で免停————中学生で違反する子は見たくないので。じゃあ、あとで会いましょうね。解散!」
あの教習中の指導員の言っていた相手とは————考えない事にした。
それぞれの女子生徒も立ち上がり、にわかにざわつき始める。私も立ち上がって、イサラと共に出口へと足を向けるも、誰も彼も似た反応だった。
「うーん。歩いてもいいけど、この暑い中歩くのって嫌かなー、でもなー」
無人街もオーダー街の中なのだから遠く離れている訳ではない。だが、それを抜いても遠くだという感想は正しい。行った事こそないが、オーダー大学部のその先、しかも一定まで進むと完全に道路しかなく海上を通るというのだから、高速道路に近しい完全なる車道だと察する。正直、この暑い中海上を照らされながら進むなんて。
「あ、免許———でも、車が」
「なに、サイナ免許取ったの?でも、車がない感じ?」
「はい、すみません……」
「ないものねだりしても仕方ないし。謝っちゃダメだよ。私こそ車を————」
丁度講堂舞台部屋から出る時だった。何かを思い出したように、イサラが立ち止まった。
「私、車あるかも。ちょっと待ってて」
スマホを取り出し、廊下端へと向かう。
「あのー私です。実はお昼後から一日車が入用でして……」
「安全運転安全運転————」
免許を取り終わったのは、ついこの間なのだ。まだハンドルを握る手を覚えている。車とは便利だ、操作こそ誤らなければ自分の手足の様にいう事を聞いて、早いスピードで目的の元へと連れ去ってくれる。素早い身体を持ち、強靭になった気もする。まるで別人格だ。心こそ変わらないが、確かに私は姿形が変わっている。ハンドルを握ると人が変わる、という話を度々聞いたが、身体が変われば意識が変わるのかもしれない。
「良かったーーーまだ間に合って。こんな暑い中、エアコンが無いと倒れるって」
「でも、良かったんですか?車を無理して借りても」
「私自身半信半疑だよ。でも、この車って代々高等部の一年に受け継がれて来た、中古車らしくて。ほら弾痕とか残ってるでしょう」
確かに、上手く塗装をされているが外装に合わない無理な色に見えた上。ボディーの隅、タイヤ近くのフェンダーという部位に確かに掠ったような傷があった。まさか弾痕とは思わなかった。
「エアコンもナビも付いてるけど、もう誰も買わなくなって廃車されるらしくてさ。レンタル代さえ払ってくれるなら貸して上げるって、夏休み中の仕事で言われてね」
「廃車……まだまだ使えそうなのに」
思わずメーターやミラーを確認するが、至って普通のセダンだ。ボディーの歪みもなく、エンジンから妙な音もしない。大人しくいう事を聞く素直な子だった。
「見た目はそうだね。なんで廃車なんだろう、わかんないや。買い取る?」
「…………いいえ、もう廃車に決定しているのなら、迷惑でしょうから」
僅かに惜しいと考えたが、皆そう思って誰もが手放してきたのだろう。このボディーに残る傷はオーダーを守った勲章だ。授業で聞いたが、車のボディーを貫通する強力な銃弾は、あとから開発されるまで治安維持組織には配備されていなかったらしい。それまでギャングと呼ばれる存在との銃撃戦は、車を盾にした戦闘が常であったとか。
「この車も、もう眠らせて上げる時、という事ですね……」
誰にも気付かれないように囁き、ハンドルに力を込める。
ひとり静かに黙祷をしていると、後ろから声が掛かる。
「あ。見えて来ました!」
車と運転免許の話を聞き逃さなかった、意外と耳ざとい朝の秘書逮捕の功労者が声を発する。その方向へ目を向ける。そこは一つの島の上にひとつの街とも言える何かが立っていた。無人街と呼ばれる所以は、その呼び名の通り街ひとつあるというのに住む目的で建築されている訳ではない、という確固たる目的がある場所だった。
「訓練の為に作り出された街———」
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