第7話
「服って、こんなにお金が掛かる品だったなんて。知りませんでした」
「あー、やっぱ高いっすね。じゃあ、次の機会にします?」
「いいえ、問題ありません」
言いながら財布を取り出し、黒のカードを見せる。
青いライナーの店員は一瞬こちらを見たかと思うと、顔とカードを何度も交互して見比べた。信じられないものを見た。初めて見たと語外で語っている。
「———お客さん、一体何者すか?」
「あなたも、オーダーなのですね」
「ええ。私はオーダーで装備科に所属しています。高等部です」
身分を明かした女性に、カードを渡して衣服を手に取る。
「長いシャツとレザースカート、濃いタイツ。ジャケットはしばらくこのまま使いますので、次の機会に。そしてブーツでしたね。ベルトは、まだ勇気が出ません」
伝えると、頷いた女性店員は静かに店を回った。数分もしないで私の元に戻り、今着ている物と近いデザインのそれらを見せてくれる。黒い下地に白いラインの長袖のシャツ。黒い短めの光沢持つスカート。蝶があしらわれたタイツに黒い高いブーツ。
それらは全て職人の手によって作り上げられた一品。高額な品々だった。
「試着されますか?」
店員の声に頷いた時、商品を手にした店員に試着室へと案内される。店の更に奥、甘い香りのする一部屋に通された私は一通りの衣服を身に着ける。長袖のシャツは肌触りがよく、皮膚にこすれても痛みが少ない。レザースカートは強固に私の下半身を包み込み、蝶のタイツは足の火傷を全て覆ってくれる。高いブーツは私を一段高い世界へと誘ってくれた。万能感すら覚える完璧な姿を鏡で見通し、私は声を掛ける。
「このまま頂けますか?」
「勿論、大丈夫です。お支払いは一括でよろしいでしょうか」
「はい、一度でお願いします」
分割も遅滞も許さない———その言葉が頭に残っていた。
次いでレジへと案内され、女性店員は店長らしき男性に目配せをした。金は力、彼らは私の金目当てに屈服し、私の言う通りに動いてくれる。今、この瞬間に。
目配せを受けた店長は、カメラを手に私の元へと歩みを進める。
「お写真、よろしいでしょうか」
真剣な目だった。自分の商品に誇りを持ち、店を構え、金を受け取る為に並べている。ならば、それ相応の者にしか売りたくない筈だ————私は、どうやらお眼鏡に叶ったらしく、許可を求めて来た。私は「ええ、お願いします」と声に出した。
「まずは正面から」
一枚ずつに私の魂が複写されていく。何も奪われない、私は与えているのだと理解する。私の容姿を求め、私の美しさを肯定し続けるそのストロボが何度もたかれていく。やはり、私は美しい。蠱惑的で、淫靡で、犯したくなる姿をしている。
「お疲れ様です。手間をお掛けしました」
最後に店舗の前で撮影をした時、既に多くの人が私を見つめていた。
白と黒の看板と同等に私は人の眼を集めている。いや、私が自分の姿を使って服と看板を際立たせている。この足は幾人もを虜にし、この腕を求めて何人もが屋敷を訪れた。ジャケットと元着ていた服を収めた袋を、手に待っていた女性店員から受け取り、私は一礼を受ける。
「近々、また寄らせて頂きます」
領収書を手にした私は、その足で歓楽街を後にした。光と目を感じながら、私は決して振り返らなかった。この後ろ姿を与え続け、魅了させる為に。
「すごい。見て———」
正直困った。忘れていた。第一の目的は食材だという事を。
「え、パンク系って奴?すっごい高いんじゃない?」
「見て。しかも、可愛い。なんていうか、ぎゅっとしたい……」
別にどんな衣服でも食材を買ってもいい。それに私の姿は誰もが振り返る程なのだ。誰にも迷惑は掛けていない———いや、これでは誰かに取り入るのは少し難しいかもしれない。確かに、このレザージャケットとレザースカート。ブーツでカゴを手に、鳥肉や白菜を入れている姿は、なかなかに見た試しがない。
食材というすぐに消える物に、大金を払うのは収入のない私では難しいと判断し、バスで登校した時に何度か見かけたスーパーマーケットに足を運んでいた。
そこは制服を来た学生に、恐らく大学生程の年上達が歩き回り、商品を求めて売り場売り場を渡る活気ある店内だった。私も例にもれず、売り場を探して歩いていた。
高いブーツは意外と歩きやすく、重い事さえ除けばむしろいい履き心地だった。
「お肉と野菜。後はお米と———お米ってどう料理するの?」
私が白米を食べる時は、全て既に調理済みだった。キッチンを何度か見た事はあっても、実際に調理したのは、焼くや切るなどの工程のみだった。なんとなく炊く、という言葉は知っていても、それがどう関係するのかは分からなかった。
「お米は重いですし、今度で良いですね」
今の私は積載量限界に近かった。元の衣服にカゴを手にした両腕はとても重かった。帰る頃には、体力の限界に至っているに違いない。本当はもっと買い込みたかったが、これでは無理だ。仕方ない、明日にでもまた寄ろうとレジへ向かう。
「えっと、挽肉とスパゲッティとケチャップと———」
と囁く声がする。
幼い声に振り返ると、私の後ろに同じくらいの少女が立っていた。薄い茶髪をショートに整えた優し気な顔立ちをした少女。制服ではない姿からして、確実に私と同じ新入生だった。振り返った私に気付いたらしく、その少女と目が合う。
「あ、あの……」
「あ、ごめんなさい。あなたも中等部一年ですか?」
「……あなたも。はい、中等部に入学しましたミトリです」
「ミトリさんですね♪以後お見知りおきを~♪」
反応から察するに、彼女も人間不信に陥って見えた。絶望の色が見えた。
「私はサイナで~す♪お夕飯の買い出しですか?」
「はい。少し遅くなってしまいましたけど、その、外食はあまりした事が無くて」
「私も同じです。それに、今後の事を考えて自炊というものをしたくて」
「あぁ、同じですね。だけど私、料理はほとんどした事がなくて……」
言葉遣いからして、彼女も真っ当な教育と躾を受けてみえる。本来ならこんな所に来るとは思えないおしとやかさだ。イサラの様に肉体的な力はない。気の弱そうな声からは、自分の無力さを謳って見えた。だが———自分で行動出来ている。
「オーダーでも調理実習はしてくれるのでしょうか?授業も不安で~」
「教育を施してくれると言いますから、授業によっては生活方法を教えてくれのでは」
微笑みながら告げた。優しい雰囲気からして、彼女は敵を作る性格ではない。誰にでも優しく、誰にでも好かれ、友達も多く作れる人だ。人の意見に流されるかもしれないが、その方が私には好都合だった。堕落候補は多ければ多いほどいい。
「あ、レジが空きましたよ」
「では、また今度。学校で会ったら挨拶しますね♪」
二人で別々のレジに入り別れる。バスでも同じかと思ったが、彼女が乗り合わせる事は無かった。寮に戻った私にコンシェルジュは駆け寄り、二つの袋を手に持ってくれた。一緒にエレベーターに乗ってくれ、扉の前まで運んでくれる。また、
「不躾ながら、重い荷物や買い物にはネットショッピングをお試しになってはいかがでしょうか。時間指定をすれば、学校帰りに回収でき、備え付けの電話で私に申し付け下されば部屋までお届けしますので————では、お休みください」
と口にし、去っていった。
「ネットショッピング。パソコンかスマホが必要ですね」
次の目標は電子機器だ。朝の会話からしてスマホは支給されるらしいが、流石にパソコンは別だろう。荷物を部屋へと引きずり込み、冷蔵庫に放り込み終えると、疲れがどっと溢れた。もう食事を作る体力も残っていない自分はベットへと倒れ込む。
「明日から本格的な授業が始まる。久しぶりの学校の授業……」
まどろみは止まらなかった。ベットに吸い込まれるように身体が重くなり、まぶたが閉じていく。天井が高くなり、明かりがブロック状に歪んでいく。
「お風呂……明日でいいですね……」
そしてオーダーの日常が始まった。復讐の時は刻一刻と迫っていた。
恐れていた授業は全うで、多くの科目を教えてくれた。専門的な実験も、詳細な知識も授けてくれ、一般常識に当たる座学も続けてくれた。
体育は体力的に厳しくはあったが、それでも無理な命令は下さない。個人個人の限界を見極め、柔軟に指示をくれる。人間関係は最初こそ手探りではあったが、数か月も経てば、おのずと自分の立ち位置が見えてくる。
私の立場は鋭い眼光で人を見極めるリーダー———では、なかった。
同性に優しく、
「ねぇねぇ、サイナの部屋行っていい?」
「おっと、さっそくですね~♪」
異性には小悪魔的に。
「あ、あのサイナさん?今度の授業。一緒に受けない?」
「お誘いですか?ふふ、どうしましょう。困りました~♪」
と返す。答えはあちらのこれまでの様子から探り、
「私の部屋ですね。構いませんよ♪では、今週の日曜日においでください♪」
「やった!!じゃあ、沢山お菓子とか食べ物持って行くから鍋パしよ!!」
向こうの魂胆を引き出す。
「だけど、何故私なのですか?私なんか誘っても授業中ではお話も出来ませんよ?」
「い、いや。出来れば長くサイナさんと一緒にいたくて———」
歓声は上がらなかった。悲鳴も聞こえなかった。少年のひとりが私に直情的な好意を向けている構図だった。オーダーでも日常はある。どれだけ追い詰められようが、どれだけ人に言えない理由でここに来ようが、私達は機械ではない。血も肉もある人間だった。欲望を満たし、苦痛を嫌い、快楽を求める。恋だってする。
「ごめんなさい。私、まだオーダーとして努力しないといけないのです」
「じゃ、じゃあ、一緒に頑張ろう!俺もオーダーとして君を助けるから!」
理詰めでは振り向かなかった。逃げ場を奪い、頷くしか許さない管理は私がもっとも嫌いとする人間の罠だった。嫌がる理由がわからない、手を貸すと言っているのに何故振り払う、私からの好意を無下にする気か?どれもこれも、どちらを選んでも私を傷つける道だった。未だ手袋を付けたままの私は、憂いの瞳を作り出す。
「まだ私は自分の世話さえままならないのです。私に時間を下さい」
「大丈夫!俺も頑張るから!それに、君だって一人では心細いだろう……?」
一歩ずつ迫る姿に、あの人間達の影が見える。逃げる私を楽し気に追い詰め、手錠の鎖を引き寄せ、悲鳴を上げる私を口で咀嚼する。少年も同じだった。これから起こる、自分の欲を満たす出来事を心待ちにしている。もう叶ったも同然と言っている。
「どうか、ご理解下さい。私は誰かの手を取るには、まだ早いのです」
「早いって……じゃあ、いつなら———」
「はい、ストーップ」
夕暮れの教室にて、窓際に追い詰められていた私と男子生徒の間にイサラの手が差し込まれる。その瞬間は男子生徒の眼に焦りではなく、支配の色が走った時だった。
「イサラ……見ればわかるだろう。今、俺は、」
「見てわかんない?どう見ても、断られたでしょう?」
「こ、ことわられた?」
「そう。正直怖かったよ、周りよく見てみ」
無人であった筈の教室には、多くの女子生徒が集まり視線を送っている。
恐ろしかった筈だ。だって、ここに来た子達は全て被害者だ。唇で愛撫され、歯で傷つけられた少女達なのだから。物理的にも精神的にもトラウマを引きずり出されている。自分よりも大きな身体で迫られる恐怖を知らない子などいない。
「お、おれは、そんなつもりじゃあ……サイナさん」
「…………」
「だって、俺が話しかければ君は……」
「知らないの?サイナは誰にだってあんな感じだよ。勘違いしちゃダメだよ」
それが最後だった。少年はようやく今の自分の姿に心当たりがあると、思い出した様子だった。彼だって知っているに決まっている。だって、ここにいるのだから。
「……ごめん。怖がらせる気は無かったんだ————俺は、君を———」
「あなたの気持ちは嬉しいです。だけど、私は応えられません……」
「————そうか」
少年は軽く、私ではない、窓の外へ視線をやると自分の荷物を持って退室して行った。彼が悪い訳じゃない。奪われる恐ろしさを知ってしまっている彼は、自分の物にしなければ怖かったのだろう。————堕落の手管は確かに異性に届いている。
「大丈夫?」
「はい、大丈夫です。すみません、また助けて貰いましたね」
「それはいいけど。サイナ、流石に————いいや、受けるも断るもサイナの勝手だしね。だけど、言うね。誰にでもああいう態度取るのはやめた方がいいよ」
イサラの忠言は正しい。このまま続ければ、いつか必ず取り返しのつかない事態に直面する。当事者だけの問題ではなくなってしまう。———それでも続けなければならない。
「別に怒ってる訳でも、叱ってる訳でもないの。勘違いしちゃうのは向こう側なんだから、サイナにはどうしようもないってわかってる。だけど、サイナ———」
「でも、私、誰かに冷たい態度取るなんて出来なくて————」
「……そっか。そうだね。でも、断る時ははっきり言わないと。勘違いしたままだと、こじれちゃうよ。曖昧なままだと向こうだって苦しいし」
夕暮れの教室の一幕はこの程度。
私に恋した少年は儚く散る。誰が見ても、誰が悪いとは言わない結末の筈だ。
あの少年は私の堕落にこそかかったが、絶望の色が薄かった。実技を何度か見たが、特別注視する内容も、誰もが認める取り留める特技も持ち合わせていなかった。
一言でいえば浅い。表面上では真面目を保っていたが、一皮剥けばこの程度。
私の皮膚など見ようものなら、すぐさま逃げるだろう。それが体感でわかった。
「よし!!今の事は忘れよ!!ねぇねぇ、日曜日はサイナの部屋でパーティーの予定でね!!」
と、イサラは口元に手を当てて怯えていた女子生徒に話し掛ける。ふたりの筈が大人数になり、食材が足りるかな?と考えたが、その前に金銭的な悩みが浮かんだ。
「あ、もし良かったらですが♪お世話になってるお店が撮影モデルとアンケートを求めているらしくて~。時間は掛かるらしいのですが、謝礼を用意出来ると言われてましてね♪」
あのカードに頼りすぎるのは恐ろしかった。なんでも買えると言われたが、それは自分の魂を、あの男に売り渡している気さえしていた。そして、何かの拍子に使えなくなった時、私は真に何もなくなってしまう。それだけは避けたかった。
「あ、いいね!私もバイトとか探さないとって思ってたから!」
この提案に全員が頷いた。別に彼女らを売り渡す訳じゃない、この話だって事実だ。あの服屋から連絡があり、ちょうど受けようと思っていたのだから。だけど、人々を集めるという事は、それだけお金が集まるという事だ。これは役に立つ。
オーダーになってはや数か月。初めての夏休みに入った。
「さぁ、稼ぎ時稼ぎ時♪」
この頃にはひとりだったとしても、この言葉遣いが表面化していた。
中間試験も期末試験も乗り越えた私は、イサラ以外にも友達が出来ていた。ひとりは、ミトリという少女。優しく、分け隔てなく接してくれる彼女は男女ともに心の安らぎと成っていた。微笑みは万人を癒し、差し出される手は万人を勘違いさせた。
「ミトリさん、あれを無自覚にしているんですよね……」
私とは違う真正の悪魔だった。実技指導で疲れ切っている男子生徒に水を差しだしたり、補習がひとりでは嫌だと嘆く女子生徒に、「仕方ありませんね」と微笑みと共に参加する。眩いや眩しいとは彼女の為の言葉だった。
しかも、それを純真無垢に事もなげにするものだから、尚の事人々を惹きつけた。恐ろしくはあった。私の誰かを奪われるのではないかと。
「彼女は優秀ではありますが、エースには成れないですね。きっと補佐や補助に特化する……」
なおの事、恐ろしい。私の目指している席を真っ直ぐに突き進んでいる事に。
「堕落は———難しそうですね。彼女は救うのが好きなようで、私とは真逆です」
ベットから立ち上がった私は、早々とシャワーを浴びる。数か月の保湿クリームや軟膏での健闘虚しく、身体中の火傷や打撲、切り傷は消え去る事は無かった。完全に身体の奥底へと浸透してしまい、もはや皮膚の再生能力を超えしてしまっている。
「…………まぁ、肌を見せずに堕落させればいいんですよね♪」
これが13歳の身体なのかと我ながら鼻で笑った。
火傷はミミズがへばり付いた様に赤く爛れ、打撲は黒々としながら周辺を青紫に染めている。切り傷に至っては皮膚の底を深々と覗かせている。それらが全身を蝕んでいる————こんな物を見せたら発狂ものだろう。触ろうとも思うまい。
それでも一縷の望みをかけて、肌のケアを続ける。美容に金をかけ続ける。
「さて、さっぱりしましたし。お仕事お仕事♪」
タオルを使い水滴を拭き取った所で、下着もつけずに胸を振り乱してリビングの革ソファーに座る。支給され料金を振り込み終えたスマホを手に、あの人物に連絡をする。相手はイサラでもミトリでもない、新たに作られた友人のひとり。
「あ、もしも~し♪おはようございま~す」
「……おはよう。そっか、もう朝なんだ……」
「あれ、もしかして徹夜ですか?」
「…………そんなとこ。あー、朝日が目に染みる……」
オーダーの行事のひとつ。校内を歩き回って、特定の備品を見つけ出せ———を一緒に行った相手だった。組む相手は完全にランダムらしく、当日までわからなかった。もし、あの男子生徒だったら困るな、と思っていたのも取り越し苦労。相手は女子生徒で、社交性もあり有能な子だった。しかも、絶望の色も濃い。
「シズクさん!徹夜はお肌の大敵ですよ!せっかく白くて綺麗な肌なのですから、大事にしないと!お仕事にも差し障りますよ!」
「————ごめん、一時間で良いから寝かせて……」
「あ、ちょっと!!もう、一時間ですからね!」
と聞こえたか聞こえないかの隙で、シズクの声が止んでしまった。きっと寝落ちしてしまったのだ。諦めて通話を切り、冷蔵庫から購入していた果物のジュースを取り出す。検索した所によると、果物を取り続けると汗すらかぐわしくなるとの事。
「まぁ、迷信でしょうけど。だけど、美味しいですね~」
ストローを使うのは小顔維持の為。大口など開かない、それに口の端に傷など付いたら、この愛らしい顔を損なってしまう。顔は私の武器なのだ。ヒビなど許さない。
ようやく事業開始に乗るかどうかの瀬戸際なのだ、万全を期しておきたい。
「オーダー向けのブランド展開。ホームページのデザイン会議は今日から———しばらくは儲けなどほとんどないでしょうけど、必ず成功させます。あんなドラム缶に負ける筈がありません!!うん。しっかり皆様のアンケートを元に交渉してデザインし、特色を開発し、防弾性のアラミド繊維ケブラーを織り込んだのですから!!」
自分に言い聞かせて、コップ一杯のジュースを飲み干す。だけど———。
「ただ大量生産は叶いませんでしたね。ほとんどが一点物のオーダーメイド。聞き取りに徹した時には気付きましたが、なかなか皆さま体格も目的も様々で……」
オーダーの鎧と言われる制服に代わる品なのだ。制服と同等かそれ以上の強固な繊維が必要で、自分だけの洗練されたデザイン、もとい便利さが必須だった。けれど、それさえ叶えば、多少足元を見ても皆頷いてくれる。無論、手など抜けないが。
「あの店長さんとの合作なので、売り上げの3割は持っていかれますし、製造レーンの確保は自力で自腹ですし、価格交渉も自分で————商売って割に合わないですね」
とは言いつつ。確かな自信を持って推し進めた事業なのだ。ただ大変だから、で放り出す訳にはいかない。それに、これが成功すれば自分の店を出す経費も確保でき、製造レーンも同じ所を使い続ければ、いくらか口利きが出来る様になるだろう。
「いつかは、いえ、近々武器の売買もしたいですね。銃って製造単価の割に高価格で売れますから。自作はなかなか難しくとも、改造と補修は可能ですし。いい商売になります」
と、そこにスマホが鳴った。シズクが起きたのか?と思い画面を見つめる。
「運転免許教習————」
オーダー校からの連絡だった。届いたのはメールであり、興味が惹かれる文言が書かれていた。最後までスクロールし、逡巡する。
「…………費用の免除。確か、高等部に入る時に強制的に取らされるんでしたね」
内容はこうだった。夏季合宿免許の参加希望者へお知らせ。
この度、オーダーに対して新たな施策が開始されました。報道通りに、中等部生に対しての免許費用免除の施策が施行されます。この機会を使い、オーダー校中等部は希望生徒を募り、早期の免許取得を促進していく予定です。つきましては短期集中講座を予定しました為、ここにお送りさせて頂きます————と、URLもつけられている。
「免許。まだ車も持ってませんが、免許もないのに車を欲しがるなんて滑稽ですね」
冷房が効くリビングから離れ、入ると同時に冷房を付けながら寝室のクローゼットへ向かう。
未だ何も身に着けていない身体に、鮮やかな下着をまとわせ飾っていく。
長袖Yシャツの首元にリボンを着け、最後に鏡に向かってタイツを装着。肌が出ていない事を確認し、笑顔を作り出す。これで皆が求めるサイナの完成。
「イサラさんはお仕事と夏期講習で忙しいみたいですし、ミトリさんは高等部へ治療科の見学に体験。他の方々も、仕事と勉強と訓練に明け暮れて————忙しくない人なんていないのですね。私ばかり大変なんて自惚れでした」
よその中学生の夏休みなど知りもしないが、少なくともオーダーは明日の食事も約束されない捨て身の職業。まだ猶予のある内に知識も金銭も溜めるのは当然の事だった。試しにシズクでも誘ってみようか?と考えてしまうが、やめておこう。
「何故でしょう。シズクさんが安全に運転できる光景がイメージ出来ません……」
第六感、つまりは直感は馬鹿に出来ない。
顔付きや体格である程度は想像できても、どうすればあの人間達が喜ぶのかは常には分からなかった。先日と同じように相手をしても、今日の気分でなければ拳を振り下ろされる。その時に培ったのが直感だ。最後にはそれさえ放棄したが、今だからこそわかる。本人でさえ気付かない、見ている私でさえ気に出来ない違和感を心は見抜いていた。
「まずは目先の仕事を済ませましょう。さて、お仕事お仕事♪」
と、リズムを取ってデスク上の安物ノートパソコンを開く。中古の投げ売り品の癖をして、アカウントを入力しろ、アドレスは無いのか、パスワードが違うだと、うるさい警告を全て設定し直した努力の結晶を操作し、ホームページデザインのサンプルを見つめる。
「やっぱり見やすいのが一番ですよね。あーでも、ポップさも忘れたくないです。だけど、あんまりカラフルだと目に痛い。かと言って白黒では自治体みたいになるし。基本みんなスマホで見るでしょうけど、どんなディスプレイでも崩れないデザインに。広告は邪魔ですけど、見るだけで収入になるのは————」
夏休み初日はこうして開始された。オーダーの日常は既に開始され、復讐の算段も考えたかった。けれど、まずはこの日々を必死に生きていこうと考えた。
「ふーん、免許ねー」
シズクと共にデザインの大まかな設計が完了し、あとはシズクの手による完成を待つばかりとなった時だった。未だ眠いらしい目を凝らして、会話の種として先ほどのメールを話題に上げていた。思った通り、それほど興味を沸き立てる内訳ではなかったらしい。差し出した菓子をもごもごと口にする姿は、幼さではなく自堕落が見えた。
「参加するの?」
「は~い。参加するのも悪くないと思っています♪」
「でも、三年生になれば強制的に取らされる訳だし、まだ運転出来る車とか持ってないじゃん」
心ここにあらず、な様子で淡々と口にする。実際、彼女の言葉は正しい。
車を持っていなければ、去年まで小学生だった私の足の長さで運転できる車などたかが知れている。原付バイクか、よくても軽自動車が関の山であろう。
「でもでも、いざ三年生になって沢山の方と一緒になって取るのは時間ばかりかかるでしょうし、仕事をする時や買い物をする時、購入して頂いた荷物を搬送する時とかにも必要ですし。私、バスのあのすし詰めが苦手なんです!」
「あー、それはわかるかも。座れないとずっと立ちっぱで、試験前とかつり革すら握れないし、次のバスをお待ちくださいとか言われるとゾッとするしね。うん、渋滞に引っかからなきゃ、外で仕事するのにも必要だね」
ようやく顔の血の気が差して来たシズクが饒舌になり始めた。
「じゃあ、車種とか決めたの?」
「それは、その……懐と相談が必要でして……」
「まぁ、とりあえず免許取ってからでいいんじゃない。ていうか、私達まだ世間一般で言う中学生なんだから、車を買うなんて夢のまた夢みたいな話だね」
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