第5話

「サイナさん。あなたに伝えておく事がある」

 おもむろに言葉にした尋問官に顔を向ける。

「あなたは、今ゲートに隠れて密航した違反者になっている。自覚はあるでしょう」

「ええ、はい」

「別にそれで処罰を受ける訳じゃない。私が直接罰を下す筈もない。だけど、あなたにはある疑いが掛かっている。あなたはオーダー街に害をなすテロリスト、少年兵の可能性があると見られている」

「テロリスト————」

 その名は知っていた。頭の片隅で記憶が残っている。

「わかってる。爆弾どころか技能さえ持たないあなたでは、そんな力は持ち得ないと。だけど、昨日言ったわね。自分には銃があると。それ、見せて貰える?」

「銃?なんのことですか~♪」

「とぼけてもダメよ。その鞄、ずっと抱えているでしょう」

 彼女の目頭はそのままだった。手が飛ぶこともない。だけど、その目は全てを見透かしていると感じた。観念した訳じゃない。諦めたのではない。だけど———。

「…………どうぞ」

 ホテルから回収され、手渡された鞄の奥底。筆記用具に札束、問題集のその先へと手を伸ばし、あの黒い塊を手にする。冷たい鉄は手を拒絶している気がした。

「ありがとう」

 渡した銃を手荒に扱う事はなく、尋問官はゆっくりと眺め小さく頷く。

「これをどこで?」

「————言いたくありません」

「話から察するに、盗んだ訳じゃない。ここに来る時、手切れとして渡された————或いは、これで仕留めろと。最後の希望として持たされた。違う?」

 私の顔は崩れる事は無かった。むしろ、この言葉を頭に焼き付けた。

「あなたはわからないかもしれない。だけど、この銃は特別よ」

「いいえ、分かります。その銃は特別です」

「それがわかっているなら、返しておく」

 少し温められた銃を返され、再度鞄の奥底へと戻す。

「オーダーなら銃の保有も携帯も許される。だけど、まだあなたはオーダーではない。そして、その銃はある特定の人物達を確実に仕留められる強力な物————魔女狩りの銃」

「魔女狩り?」

「それがあれば、悪魔だって殺せる————誰にも見せてはいけないから。見せろと言われても、無視し続けて」

「その時が来るまで」

 尋問官は何も言わなかった。だけど、否定もしなかった。

 車に揺られる事、数十分。和やかな雰囲気ではなかったかもしれない。けれど、刺すような空気でもなかった。尋問官は私が質問すれば、すぐに返してくれ、運転手の白いメッシュの女子大生も補足する様に会話に参加した。美容であったり、授業であったり、最近の銃火器であった。それらは全て、私の武器を増やす為の道しるべだ。 

 中等部の校舎が見えて来た時、尋問官から声を上げる。

「最後に言っておくわね。今日で私達はあなたの送り迎えが出来なくなるわ。いえ、する必要がなくなる。わかっているでしょうけど、私達は自分の役割がある。もし、私達が必要になったのなら————オーダーとして雇って貰う。対価を支払って貰う」

「その子には尋問官としての仕事と研修。私は調達科としての仕事と授業があるから。それでも、犯罪の疑いという大義名分があり、個人的に雇ってくれるならオーダーは誰にでも手を貸すわけ。本人が明確な犯罪者じゃなければ」

「では、今まであなた方はどうして私に?」

 昨日の恨みをここで晴らす。笑顔で聞いた私に尋問官は、口角を上げて返す。

「あなたが幼くて目を離せなかったから。と、言うと思った?私は尋問官。取り調べをした相手が危険人物なら、その芽を可能な限り摘み取らなければならない。それがあなたのような幼いただの子供でも。いずれわかるわ、例え子供でも、引き金を引ける意味を————どれだけ経験を積んでも、油断の一切しない鋼のようなプロでも簡単に死ぬ」

「私を恐れたのですね♪」

「その通り。あなたはオーダー相手でも一歩も物怖じしなかった。そして危険な思考を持ち合わせていた。もし、あなたが家に戻り火をつける手段を取る前兆でも見せていれば、私はあなたを撃っていた。例え、脛が砕け、爪が全て無くても」

「…………あの家を守ったと?」

「どれだけ犯罪の疑いがあろうが、所詮それは疑いでしかない。民間人を守るのもオーダーの務め。今度はただの捕縛術じゃない。確実にあなたの身体を破壊する手段を取った。私は、ずっとあなたの敵としてあなたを監視していた。理解してる?」

 この人の最奥には、もはや復讐者としての顔は無いのだろう。復讐は、ただの言い聞かせ。或いは、既に消え去っている。心はオーダーに染め上げているに違いない。

 なら、私の味方はやはりどこにもいなかった。ただ、危険だから見張っていた。

「そして、あなたはとても優秀だと判断した。復讐を忘れず、自分を支配し、律し、研ぎ続けられる。その力、オーダーに捧げなさい。あなたの能力は、体操選手でも、令嬢でもない。紛れもなく復讐者————果たすまでオーダーを隠れ蓑にしなさい」

「いいんですか。私、最後はオーダーさえ裏切るつもりなのに」

「それでも、オーダーは優秀で後のない子を求めている。帰り道のない子は、それだけで誰よりも洗脳できる。洗脳ができて優秀な上に努力家なんて、そうそういないから。しかも、あなたはオーダーになりたがっていた。なら、手を貸さざるを得ない」

 もはや包み隠さず教えてくれた。私を危険だと判断し、かといってまだ何も罪を犯していない子供を逮捕する訳にもいかず、監視していた。けれど、その子供はオーダーになりたがっている。これは首輪だ。私をオーダーという檻に閉じ込めたがっている。

「私を恨む?もはやオーダーになるしかない道へと誘い込んだ私を」

「いいえ。いいえ、私は元からオーダーになりたかった。あなたを恨む事などありません。けれど、感謝もしません。あなたは私を罠にはめた。もはや逃げ道もない」

「いいのね。今すぐ警察に逃げ込めば、保護して貰える。真っ当な学校で体操選手にでも、その容姿を使えば芸能の道さえ望めるのに。あなた、人生を狭めている」

「言いました。私は復讐さえ果たせればそれでいい。今更振り返る気など毛頭ありません。それに、警察はあの家の飼い犬。逃げ込めば保護される?おかしなことを言います。今度は警察の相手をさせられるだけです———では、失礼します」

 ソファーから立ち上がった私はドアを開き、一歩踏み出す。

「昨日のありがとう、あれは取り消します。だけど———」

 ドアが閉まる直前、私は振り返って睨みつけた。

「私の話を聞いてくれたのが、あなたで良かった———」

 面接など楽な物だった。

 あちらが何を言って欲しいのか、手に取るように知っていたから。

 オーダーは自身の手先を求めている。犯罪の立証、証明、捜査、逮捕。それさえ叶えば動機などどうでもいい。嘘をつく必要もない。誰も私の本心など気に留めない。隠すべき事さえ隠せばそれでいい。子供の力の証明など意味がない、時間の無駄だ。だって、全てねじ伏せられたから、ここに来た。ここに来るしかなかった。

 オーダーの求めるものなど単純だ。帰り道がないという事は必死にしがみつくしかない。ならば、授けられることごとくを受け入れるしかない。それは紛れもない洗脳だ。元の性格など消え去る程の強力な洗脳を施された子供達は、皆、真にオーダーとなる。

 その見込みさえあれば、自分を差し出す覚悟さえあれば誰もでなれる。

「では、この後結果を発表するので、教室で待機していて下さい」

 合格だと思った。

 教室で待機しろ、とは教室で渡すべき物があるという意味だと理解した。学科試験を受けた時と同じ教室で待っていると、同じように待機を命じられたであろう子供達が戻ってくる。無論、全員ではなかった。数人、それも10人程戻って来ないで、席が空いていた。ふるい落とされたのだと悟った。けれど、恐ろしくはなかった。

「———彼らはどこに行くのでしょう」

 必死でも成れなかったのか。疾患があったのか。体力知力共に最低ラインに届かなかったのか。私には知る由もない。だから考えないことにした。考えた所で、もはやどうする事も出来ない。顔も知らない子供達は、きっと帰る家すらないのに。

「全員揃っていますね」

 いつの間にか、教室に入って来ていた教員が教室全体を見渡す。

 その手には分厚い書類束と足元には大きな段ボールが用意してあった。

「では、結果を発表します。君達は明日から全員オーダー中等部に入学です。おめでとうございます————」

 歓声など上がらなかった。分かり切っていた。だって、死刑宣告どころではない。処刑台の上に立たされたも当然だからだ。ついになってしまった、誰もが絶望した事だろう。自分は、もはや、まともな生活を送れなくなったのだと。

「では、今から配る紙に正式な割り振りが書かれていますので、そのクラスに向かって下さい。それとわかっていると思いますが、君たちはオーダーになりました。校内のむやみな撮影は控えて下さい。では1番の方———」

 受け取った用紙を手に、私は校内を歩き回った。

 銃を扱うのだから無骨なコンクリートむき出しな校舎かと思ったが、一般棟とやらのこの校舎は至って普通だった。白い壁に褐色の床。たびたび目に入る教室も銃器などどこにも見当たらない。そして、目的に教室を見つけ入ると、

「あ!良かった!!」

 と、あのイサラが走り寄ってくる。

「同じクラスだよね。知り合いなんかいないから心細くて」

「私も嬉しいです♪やっぱり合格してましたよね♪」

「え、あれ?そんなキャラだっけ?」

「あはは、昨日は私も緊張していて~。なかなか言葉に詰まってしまったので~♪」

 手始めにイサラから見抜く事にした。詳しくは教えてくれなかったが、少し前まで深い森と広大な山がそびえる土地で暮らしていたらしい。だが、この言葉遣いや体格的に特段貧しい暮らしをしていた訳でもなさそうだ。そして、特別心がやましい訳でもない。

 私が求める物は多岐にわたる。強靭な肉体も屈強な精神も高潔な心も欲しい———けれど、都合が良いのは心に穴が開き、何かを求めて蠢く欠けた人だった。私を頼り、求め、膝を突く。そんな堕落した人こそ、いや、堕落する潜在性がある人。

「そっか。そっちは10人近くダメだったんだ。まぁ、仕方ないよね。どうしたって、ついて来れないって判断されちゃう子はいるだろうし」

 そう言って席に腰かけ、天井を眺めるイサラは悪くないが、堕落はしなさそうだった。彼女は強い。それも紛れもなく現新入生の中でトップクラスな力を備えていると目算出来る。同時に彼女の心は簡単には折れそうになかった。

 酷い絶望はしていない。絶望を知らない以上、心は砕けていない。

「あ、聞いて聞いて」

「はい、どうされました?」

 唐突にイサラが声を上げた。

「ソソギって覚えてる?私達の後に高跳びを飛んだ子。なんか一人だけ指定で教室に連れられて行ってさ。目に見えて先生の対応が違ってるの。あーあ、私も結構頑張ったのに。やっぱし、ああいう特別な子っているんだね」

 ソソギか。確かに彼女は殊更優秀な人物に見えた。あれだけの身体能力、容姿に恐らく学力も備えている。彼女を堕とすのも悪い選択ではない。けれど、特別扱いを受けているのなら接点がない。無理な接触は向こうに不信感を与えかねない。

「私の教室にも、いましたかね?よく覚えてません……」

「そうなの?まぁ、ソソギに対して先生がふたりもついて行くんだもん。クラスごとにそんな扱いされる事ある訳ないか」

「でも、イサラさん。身体測定の結果は悪くなかったのでは?」

「だといいんだけど。だけど、ああいう子がいるんだから私なんてかすんじゃうや」

 僅かに心が高鳴った。彼女が自分を卑下したからだ。

「そんな事ありません。それに、あれは結局入学試験。いくらスタートダッシュを決めれても、受ける授業は皆同じです。今後の結果こそが重要視されるかと」

「うん。そうだね。嘆いてばかりじゃダメだね」

 いい返答だったかもしれないが、何か違ったらしい。彼女の顔は晴れこそするも、未だ何かに悩んで見えた。そんな観察をしていると、続々と多くの生徒達が教室に入ってくる。あのソソギこそいないが、男女の集団は見た目だけで判断に値した。

「男の子も女の子もいるね」

「そうですね。もしかしたら半々程かも?」

 帰り道のない追い詰められた環境は男女関係なかったようだ。本当に、計ったように男子も女子も揃っている。単純に身体の強さだけを求めるなら上から選べば男のみになるだろう。けれど、ここは銃を扱う学校なのだ。いくら拳が強くても銃には勝てない。拳ひとつで勝ち上がった男だとしても、1人の女から銃撃されてしまえば。

「ふーん、アイツがいるんだ」

「あいつ?」

「あのにやにやした奴」

 顎で指示した先には、朗らかな顔付きをした、いわゆる美男子が立っていた。

「お知り合いですか?」

「地元からの付き合い。なんでこんな所まで来てアイツと同じクラスなんだろう」

 地元———という事は森と山に囲まれた土地の意味だった。しかし、あの顔はどちらかと言えば、都会の混血の中で生まれた洗練された容姿に見える。そして私達と同じように多くの女子生徒が彼を眺めていた。

「彼はすごい人ですか?」

「知らなーい」

 そう言ったきりイサラは黙ってしまった。嫌悪感、とまではいかないが苦手意識を持っているらしい。同じ地元でオーダーに来て、同じクラスとはなかなかに偶然だ。

 そして最後に教室に入って来たのは、言わずもがな教員だった。

「はいはーい。そろそろ席に付いて下さーい」

 今度の先生は若い女の先生だった。少しざわついていた教室もすぐさま静かになる———と思いきや、後ろの席からひとつ音が鳴った。振り返って見ると、ひとりの男子生徒が立ち上がっていた。彼の取った行動の意味がわからず、呆然としていると。

「テメェ、今俺にガン飛ばしたな?」

 と、足音を立てて教壇へと近づいていく。再度振り返ると、それを見ている筈の若い先生の顔は変わらなかった。何も変わらず、はにかんでいた。

 私には暴走する男子生徒よりも、深い色を持つその顔こそが恐ろしかった。

「ん?どうかした?早く席に付いて下さい」

「俺にガン飛ばしたなって言ってんだろうが!!」

 周りの机や人の肩にぶつかりながら疾走し、教員に掴みかかる。背丈も身体付きもある男子生徒は、容赦なく先生の襟を掴んだ。そのまま拳を振り上げる。だが———。

「まずは一度目ね」

 あの細腕にどれだけの力が込められているのか。襟を掴んでいた筈の体格を持った男子生徒は回転し、きりもみしながら教室の中ほどまで飛んでいった。ただの捕縛術じゃない。身体を破壊する手段を目の当たりにした気分だった。

 正直何をしたのか分からなかった。襟の腕を抑えたと思った瞬間、もう片方の教員の腕が消えたのだ。気付いた時には男子生徒は宙を舞い、多くの生徒に見守られながら墜落していった。

「意識があるかどうか知りませんが、伝えておきます。君、勘違いしてませんか?」

 死に掛けの虫の様に揺れる男子生徒からクラス全体を眺め、教員は続ける。

「もしかしてここを不良が溜まる喧嘩上等な学校だと思っていませんか?違います。ここは喧嘩なんて低俗な行為を取り締まる法と秩序が造り出す清廉なる施設。学校と呼ばれているのは、その方が都合が良いからです。確かに皆には座学を教えます。学校っぽい事を教えます。その方が今後オーダーとして役に立つでしょう?」

 微かに声を上げながら男子生徒が床から起き上がる。

「全てはオーダーとして活動する為。権力者を追い詰め、力ずくで逮捕し、起訴し、檻に閉じ込める為です。そして抑止力なりうる存在になって貰います。あなた達がいるだけで人々が怯え、逃げ惑う存在になって貰います。だって、その方が秩序維持に貢献出来るでしょう?」

 男子生徒の眼は血走っていた。またやる、と心の中で呟くと、やはりまた走った。

「不良に成る暇も与えません」

 また見えなかった。恐らく蹴りだった。けれど、教員は膝まで隠すスカートを履いていた。軽い調子で、しかし先が見えない一撃を受けた男子生徒は今度は教室の対岸にまで吹き飛んでいった。その華奢な姿からは想像もつかない轟音が響いた。

「まさか、自分が強者だと。子供だから許されると思っていませんね。そして私がオーダーであると忘れている訳ではないでしょうね?」

 教壇に立ったまま、教員ははにかみながら続ける。

「それとも銃がなければ勝てると思いましたか?銃を言い訳にしないように。私が銃を使わないのは、あなた達では使うまでもないからです。あなた達はまだ武器を持つことさえ出来ない。そのレベルにさえ達していないからです。理解しました?」

 完全に意識を手放したらしく、男子生徒はぴくりともしなくなった。

「ちなみに言っておきます。もし中等部内で授業と依頼、関係なく窃盗や傷害、恐喝などしようものなら———私は迷わず君達を逮捕します。知らないかもしれませんが、オーダーには少年法は適用されません。オーダーの法が適用され牢屋に入って貰います。不起訴の可能性はありません。執行猶予もありません。犯罪たり得る証拠が揃った時、あなた達はオーダーとしての権利、並びに最低限の人権だけ残し、それ以外は剥奪されます。牢屋で死んでもらいます」

 怯えているのが三分の一、ただ聞き流しているのが残りと言った所だ。

 私はただの説明としか映らなかった。何故、名前が奪われたか理解していなかったのか。そして理解した。この程度すら知らない子供がここにいるなんて。

「弱いから搾取されて当然?気に食わないから殴る?それが許されるのは子供だから。しかし、あなた達はオーダーとなった。そして犯罪者を逮捕するのが我々の役目です。ここは犯罪を擁護する場ではありません。確かにオーダーである以上、暴力に巻き込まれる事は必ずある。男女関係なく流血も怪我も破損も起こる。能力が低く、周りに貢献出来ない子も出てくるでしょう。叱責したくもなるでしょう。しかし、それは自分の足りない力を人の所為にするただの言い訳です。能力が足りないなら別の人を雇えばいい。その子でも出来る仕事を任せて、指示すればいい。更に言えば、全て自分で終えればいい。その程度すら思いつかない人はすぐに死ぬでしょうね」

「言うね、あの先生ー」

 とイサラも気にした様子ではない。

「無論、自己研鑽は必要です。手を抜いて生きられるほどオーダーは楽ではありません。死にたくなければ勉強も修練も続けること。また伝えておきます。中等部の授業料は免除されますが、高等部からは全額払って貰います。親や親戚に頼るのもいいでしょう。けれど、必ず支払って貰います。分割も遅滞も認めません。わかりますか?中等部の間にお金を稼ぐ方法を探して貰います。じゃあ、ホームルームを始めますね」

 その後、先生は何事もなかった様に今後の流れを説明する。

 未だ教室の奥で倒れている生徒など気にもせずに続ける為、先ほどの一件など無いようにすら感じ始めたが、視線を向ければ男子生徒は転がったままだった。

「授業は毎日開始される為、あまり休まないように。ただ依頼や仕事が入った場合はそちらを優先しても構いません。テスト結果や出席日数の関係で後々補習を行うかもしれませんが、それは自己判断でお願いします」

「先生ー。寮はどうなる感じですかー」

「あれ、配られて———ませんでしたね。ごめんなさい、今配りますね」

 と、少し照れくさそうに微笑み、新しい用紙を渡してくれる。

 そこには寮の部屋番号と場所が記載されていた。寮は一律で同じ土地にこそあるが、私の寮は少し離れて建てられているらしかった。

「えーと、だいたい願書の希望調査通りに割り振られている筈です。二人部屋四人部屋六人部屋。そして一人部屋ですね。今ならまだ変更が出来ますので、変えたい人は生徒課に行って申し出て下さい。ただ、中等部一人部屋はほとんど空きがないから急いだ方がいいかも」

 囁く先生が愛らしく見えた。ホームルームが終了し、今日の学校は終わったらしく先生が退室した所でイサラが振り返ってきた。そして当然、と言った感じに寮の話をする。

「私一人部屋なんだー。一人部屋じゃないとここには絶対行かないって交渉したから。サイナは?」

「一人部屋ですね。はい、私もプライバシーは欲しいので♪」

 正直考えていなかった。そうだ、ここの生徒は全員オーダー街での生活を余儀なくされる。ならば、当然寮だって割り振られるに決まっている。周りを見回すとそれぞれ数人の部屋も多いらしく、誰が同じ部屋か用紙を眺めていた。

「見せて見せて。近かったら泊まり合いしよう」

 と言うから用紙を見せる。

「え、いいなー」

「良いって?」

「サイナの部屋、スウィートじゃん」

「スウィート?一人部屋じゃ、ないんですか?」

「一人部屋も一人部屋!ランクが一番上の部屋だよ!幾ら払ったの?」

 用紙を返して貰い、ランクやスウィートとの単語を探すも、見つからない。

「もしかして知らずに選んだの?ならやっぱりすごいよ。なんだっけ?寮母さんじゃなくてコンシェルジュが付くんでしょう?しかもプールとか談話室とかも付いてるって。ねぇ、今度遊びに行ってもいい?」

 私には何が何だか分からなかったが、あまりの勢いに頷く。

「よし、落ち着いたら行くから用意しておいてね。私も色々準備するから!」

 そして解散になった。イサラはこの後、生徒課という場所に用があるらしく教室で分れ、私はひとり校内を歩いた。先ほどの男子生徒のようなごろつきがいるかと目を走らせるが、そこは安堵した。ここに来る子供達のほとんどが弁えている。

「傷害、窃盗、恐喝————」

 初日から険悪なムードはなかった。そんな事をしている暇などないからだ。

 皆理解している。ここを追い出されれば、行くところがない程度。それさえ理解出来ない子は早々に死んしまう。彼のような子供はいずれ淘汰される事だろう。

 ここに来た子は須らく被害者の筈。だから奪われる事の痛みは誰よりも知っているに違いない。だけど、あのような奪って来た側の子も、やはり流れ着いてしまうのだろう。一目でわかった———あれはダメだ。堕落はするだろうが、弱者のままだ。

 試しに、それぞれの教室を覗き、強者探しをするも小粒こそいるが、あまり目ぼしい存在は見つからない。これは、本格的にイサラを堕落させようかと考えたが、出来れば異性がいい。

「簡単ですからね」

 面白半分に近場の男子生徒に微笑みかけると、勘違いをして話し掛けてくる。

「えっと、何処のクラス?名前は?」

 背丈はそこそこ。顔もそこそこ。愛想笑いが染みついている。

 いずれは屈強になるかもしれないが、これも判定外。欲望に忠実で脇目もふらず飛びつくのは悪くない。だけど、なんの緊張感もなく一歩前へ出た。油断の塊のような存在だ。誰からも愛されず、必要とされずここに来たのだろう。絶望はあっても、復讐を知らない子供だ。

「ふふ、いいえ」

 軽く目を合わせてから去る。あまり期待できないが、種をまくのも悪くないだろう。

 同じ学年だけでなく別学年の教室の前を歩くが、今日は事実上の合格発表日。他学年がいる筈がなかった。もう日が傾いて来た為、仕方ない、続きは明日にしようと一階に降りる。そこでも視線で探してみるが、やはりいない。

「ソソギのような子は何処かへ連れていかれた。なら、探すべきはそういう子?」

 だとすれば、この時間は無駄だったかもしれない。

「はぁ、仕方ありません。帰りますか」

 まだ寮の鍵を貰っていないので、ひとまず病院へと思い玄関から出る。

 未だ私服の子供達の中に紛れ、バス停まで向かうがあまりにも人数が多い。これでは並ぶのは必定だった。別に人混みが特別嫌いな訳ではないが、出来れば避けたいと心の中で思った。あり得ないと思いながらも、あの車を探すがいる筈がない。

「…………これも社会経験ですね」

 鞄の中の財布を確認しながら歩くと、バス停前には看板を持った恐らくは学校職員と思われる男性が立っていた。なんだ?と思い看板を眺める。

「現在、運行停止中」

 溜息をかみ殺す。次はいつかと考え、男性職員の声に耳を澄ませる。

「ゲート近辺で銃撃事件が発生中!!大事を取って運行停止中!!再開は未定です!!」

 と叫んでいる。銃撃事件?とぎょっとしたが、ここはオーダー街。そういう事もあるのだと自分に言い聞かせた。仕方ない。足で帰ろうと思った時。

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